19.
この国の王女であり、聖アティニアのスヴィスタール大神殿の筆頭聖女であるリディア様は、パーヴェル様と向き合い軽く膝を折った。
真っ直ぐなプラチナの髪が肩からさらりと流れる。
「はじめまして、勇者パーヴェル様。私はリディアと申します。以後お見知りおきを」
「……ああ」
膝まで折った聖女様に対するパーヴェル様の余りにも素っ気ない対応に、ミハイル以外の神殿騎士たちがギョッとした上で小さく憤りの声を出し、リディア様がスッと手を挙げそれを止めた。
「ふふふ、噂通りの方ですね」
「噂…?」
「ある一人の人間にしか関心を向けないって。……それは貴方かしら?」
リディア様の紫の瞳が僅かに細まり私へと流れて。パーヴェル様が遮るように前へと出た――と同時に、騎士たちも聖女様を守るために前へと出て来て、途端漂う不穏な気配。
あわや一触即発か? の雰囲気を止めたのはやはりリディア様。
「別に何もしませんわ。勇者様は過保護ですわね」
「どっちが」
「これは立場上仕方ありせんわ、彼らの仕事ですもの」
「それなら俺も立場上仕方ないな」
「あらそうですの?」
「だって俺は――」
ああマズい!と、ニーチカは思った。思ったけど間に合わず、パーヴェル様はあっさりとそれを口にした。
「ニーチカの恋人だから」
( ああああぁー…、……言っちゃった… )
騎士たちからは驚愕とどよめきが起こり、リディア様は見開いた目をパチパチと瞬く。――けれど、直ぐにやんわりとした笑みを浮かべた。
「あら…、あらあら、そう…そうなのね」
ゆっくりとした楽しげとも取れる声と笑顔。なのに、パーヴェル様の後ろに微妙に隠れるように佇むニーチカを捉える視線はどこか挑戦的で、バチリと目が合いそうになって慌てて顔を下げる。不敬とかそういう以前に、ちょっぴり怖かったもので。
「……私は、聖女という地位に就けるくらいだから割りと優秀なのです」
伏せた視界の向こうではそんなリディア様の声が聞こえる。
だけどあまりにも急な話の変わりよう。しかもそのセリフに聞き覚えがある。
私はその同じ言葉を使っていた幼馴染を見やると、ミハイルは既に自分とは完全に関係ない感じでいる。それが何となくムカつきジッと睨んでいたら、気づいたミハイルが小さく笑って肩を竦めた。たぶん大変だなぁって感じ。
うん、やっぱり腹が立つ。なので何か言ってやろうとしたら急に高い声が耳に割って入って、ニーチカは意識を前方へと戻した。
「それで――」と少し硬質な声をあげたリディア様。
「少し気になったのだけど…、先ほどとても異質な気配を感じましたの」
「異質?」
「ええ、今は何故か感じませんけども。…そうですね、とても圧倒的で私が持つ力とは真逆の力、とでも言うのでしょうか?」
「………」
無言になったパーヴェル様の手元でスヴェートさんが「ニャ…ニャア…」とちょっとだけ焦ったように鳴く。
それにしても、リディア様は何が言いたいのか? 話がボンヤリとし過ぎていてよくわからない。
( 大体、リディア様が持つ力とは反対の力? )
聖女のリディア様は当然の如く聖なる力の持ち主だ。その反対と言えば、決して良いものとはならない。
( …あっ、もしかして、瘴気の淀みとか…? )
そう考えるけど、道中パーヴェル様は何の反応も示してはいなかった。基本的に私に被害が及ぶようなことはパーヴェル様が良しとするわけない。…いやもちろん、自惚れとかそんなのではなくだ。
そう思いながらパーヴェル様を見上げると、何故かとても苦々しい顔をしている。そして、零された声も同じく苦い。
「……何が言いたい」
「一人にしか関心を向けないのなら、結局知られたくないと思うのも一人だけ…ですわね」
「だから何が言いたいと言ってる」
「いいえ、別に言うつもりはありませんわ。純粋な力でいえば私の方が圧倒的に不利ですし」
「……」
「ふふ、ちょっとしたお願いがあるだけです。パーヴェル様が立場を主張されるので、最初から搦め手を取らしてもらっただけですわ」
「……は?」
パーヴェル様の眉がこれでもかと寄った。
だけど何だろう、これ。話の内容は全然わからないけど、何だか不穏であるってことはわかる。
リディア様はとても綺麗な笑顔を浮かべて言う。
「私の願いとは、そこの貴方…ニーチカさんと二人でお話がしたいもので」
「ええっ!?」
急に矛先がこちらへと向いてニーチカは目を剥く。――が、
「断る」
当然のように速攻で返る返事。
驚きで何も言えない私の代わりにパーヴェル様が答えたのだけど、リディア様の笑顔は崩れない。
「あら、ただ話がしたいだけですわ」
「それでも断る」
「流石に、過保護過ぎでは? それに勇者様には一応断りをいれただけで私が尋ねているのはニーチカさんにですから、…ねえ? ニーチカさん」
「――え、あのっ、私は…別に…」
「おい、ニーチカ」
「でもパーヴェル様、話だけなら、別に」
「なら決まりですわね」
「いや駄目だ」
パーヴェル様がギュッと私を囲い、パーヴェル様の腕にいたスヴェートさんが私の腕の中に移動する。ええぇ…。
リディア様はひとつ呆れ混じりの息を吐いた。
「それでは、その猫…?な方も一緒でいいですわ」
「そう言った話では――」
「勇者様、私は随分と譲歩してますわよ? 言わないといった手前確実なことは口にしていませんし」
「……俺を脅すと?」
「貴方がそう捉えるのならそうなのでしょうね」
「……や、」
…やばくないですか、これ…?
一触即発な雰囲気(再び)でニーチカは焦る。何を話したいのかはわかないが、私と話したいというだけなわけで。それだけで色んな方面に被害が及ぶのはマズい。
そしてついでに言えば。
( その当事者そっちのけですから! )
でもまだリディア様は私の意思を確認してくれただけでもマシか。
かといって断れる立場ではないけど。
「あのっ、パーヴェル様! 私、リディア様と話してきますからっ」
「――は?」
「ただ話すだけで止められていたら私の生活成り立ちませんよっ」
「それなら俺が全部やればいい」
「いや、全部って…」
なんてことを言い出すんだ、この人は。
……や、わかってた、わかってたけども!
一瞬逃避しそうになった意識を元へと戻す。
「でも、話すだけですし、スヴェートさんも一緒ですから」
「だとしてもだ。…それに、この女は権力を持つ人間だぞ? 人をどうとでも出来ると考える奴らなんだぞ?」
「――ああ…」
そうか…、そういうことか、――と。
パーヴェル様は権力を持つものが嫌いだ。そういったものを振りかざす人間が嫌いだ。 力だけで言えばパーヴェル様の方がはるかに強いというのに。
でも…、と思う。それも結局『私』なのだと。パーヴェル様だけであればきっとどうにでも出来ることだから。
急に勢いを落としてしまったニーチカに代わり、先ほどと同じため息をもう一度吐いたリディア様が口を開く。
「そんなものを使うと思われてるなんて、…とても心外ですわ」
「だが持っていることは確かだ」
「そうですわね、それは否定出来ませんね、生まれは今さら変えられないですから」
リディア様は困ったように眉尻を下げ頬に手を当てた。
「ではひとつだけ、私がニーチカさんと話したい理由をお教えしますわ」
ここではあまり話したくないのだけど――と、リディア様は三度目のため息を吐き、何故かミハイルを見た。
「…? ……何か?」
「いいえ、何でもないわ」
自分に向けられた視線に気づいたミハイルが訝しげに尋ねるが、リディア様はゆるりと首を振り直ぐにパーヴェル様に向き直った。
「要するに、勇者様と同じで私も色々と拗らせてるってことですわ」
( へ…? )
拗らせてるって…?
確かにパーヴェル様は拗らせてる――と、私は思っているけど、それはルーシェンカ様についてで。リディア様がそれ知ってるとは思えない。
それなのにパーヴェル様と同じって…?
今はまだパーヴェル様の腕に囚われたままだが少しだけ緩くなった拘束に上を仰ぎ見れば、苦いものを口にしたような顔をしたパーヴェル様と目が合った。
だけどそれは直ぐにそれて、パーヴェル様は「……は」と息を吐いた。
「…だとしても、信頼出来るかどうかは、」
「だからそれ以外も貴方と同じなのよ。 私がもしそこで何らかの行動を起こしたとしたら、彼は私を許さないでしょう? ……嫌われたくはないの」
「……」
無言のままにパーヴェル様の腕が私から離れた。
「パーヴェル様?」
「十分だ」
「…え?」
何の話だ?と首を傾げるが、どうやらそれは私にではないらしい。
パーヴェル様の不機嫌丸出しの視線はリディア様を向いていて、心得たとばかりにリディア様が答える。
「いいえ、三十分は欲しいわ」
「いや、十分しか認めない」
「……」
「…仕方ないわね、じゃあ十五分で手を打ちましょう」
「…――チッ」
「……」
パーヴェル様の舌打ちが了承となり、リディア様は十五分間の私と話す権利を得た、らしい…、――けど。
もう一度言いますね、本人はそっちのけですか?




