18.
いや、だからそんな悠長にしてる場合ではないんですって。
「あのっ、早く行かないと乗り合い馬車に間に合わないですから」
と、パーヴェル様の手を振りほどき言うと、心外だという顔で見下された。
「足を止めさせたのはニーチカの方だろう」
「え?」
「アンタとコイツが見つめ合ってたから」
「見つめ…」
確かにそうとも取れるけど、その言い方は…。
これ以上面倒な事になる前にさっさと移動しようとしたら、「ちょっと待て」と今度は制止の手が伸びた。
「孤児院の大体の座標はわかるか?」
そんなパーヴェル様の問いかけに、ニーチカは首を捻る。
「座標?」
「……わからなければ大体の位置か、…お前地図は持ってるか?」
パーヴェル様の質問は途中からミハイルへと切り替わった。私では無理と判断されたもよう。
でもそんな当然のように聞かれたって、座標なんてものわかるわけないじゃないか。
それに地図だって……と思ったら、ミハイルはどこからともなく地図を引っ張り出し、パーヴェル様の前に広げる。騎士たる者の常識、らしい。
…けど私、騎士じゃないですから。
「…っと、今いるのが…」
「ここだな」
「ええはい、それから孤児院は北にあるナロナヤ山の裾でエニセー川に挟まれた…この辺りですね」
「このアビンスクという町か?」
「あ、はいそうです。けど…」
広げた地図から視線を外し、ミハイルは空色の目をキラキラさせてパーヴェル様を見た。
「あの…、もしかして…、魔法で?」
「その方が早い。移動に時間をかけるのも無駄だ」
幼馴染の期待に満ちた声にさらりと答えたパーヴェル様。その言葉から私も直ぐに理解した、転移魔法だと。だけどあれは結構お腹あたりにくるものがあって微妙に苦手だ。
パーヴェル様は人気のない路地へと向かい、ニーチカは眉を寄せながらそれにならう。そしてミハイルに至っては、
「え、凄くないか?」
と、若干興奮気味でニーチカへと話しかけてくる。
「今から勇者様一人でやるってことだよな?」
「そりゃあ私たちじゃあ何の役にも立たないもの」
「だよな。でも普通、転移魔法って複数の魔法士が協力してやるもんなんだけど」
「そうなんだ」
「しかもハイどうぞなんて直ぐにもいかないし」
「へえ」
そんなもんなんだ…とニーチカは思う。けど、ミハイルの言うことが世間一般なのだろう。
私の基準がパーヴェル様になってしまっている。どう考えたって基準という言葉から逸脱しすぎた存在だというのに…。
路地に人がいないことを確認したパーヴェル様は二度ほど地面を蹴る。――と、足元にパーヴェル様の髪色と同じ青灰色の魔法陣が浮かんだ。
それを見て「無詠唱かよ…」と驚きの声を零すミハイルの足元を、トトトと駆けていったのは金茶の猫。
金茶猫はパーヴェル様の『保険』という言葉のためについて来ることになったのだけど、詳細は教えてもらっていないので意味は不明だ。スヴェートさん自身はわかっているみたいだけど。
準備を終えたパーヴェル様がスヴェートさんを足元にはべて私たちを呼ぶ。
「あの、出来れば私は馬車で…」と言いたいとこだけどそんなこと言えるはずもなく。テンション高めなミハイルとは対象的に、肩を落としたニーチカは渋々と魔法陣へと足を踏み入れた。
**
アビンスク孤児院は国が管理する公的なものではあるが老朽化が進むとても質素な建物で、要するにボロい。
そんな建物を少し先に見る、昔よく遊んだ草原へと転移して来た一行。
「少しズレたか」
「やっぱり転移魔法って最高だな!」
「……気持ちわる…」
三者三様の言葉を発し、足元にいる金茶の猫だけが酔った私を気遣うような鳴き声をあげる。
やっぱり転移魔法は苦手だ。帰りは何としても馬車で帰ろうと心に決めたニーチカに、ミハイルが呆れたように言う。
「え、何? こんなので酔うとか?」
「ミハイルの三半規管がおかしいんでしょ」
「ああ、そういえばお前、雪ぞりで滑走した時も目を回してたよな?」
「滑走…、あれは確実に滑落だったからね」
「そうか?」
「ええそう。 そのあと雪だまりに二人とも突っ込んで先生たちに助け出されたの覚えてないの?」
「なんかそんなこともあったような?」
懐かしの場所と建物を見たせいか昔話に花が咲き。すると突然グンと気温が下がった。
ああこれは…。
「ニーチカ」
――と、たぶん呼びかけではない呼びかけに、気温低下の発生源、パーヴェル様をそっと見やると…、うん、とっても笑顔だ。
「うわぁ…」という呆れとも楽しげとも取れる、けれどしみじみとした声をあげたミハイルをキッと睨み、その後は粛々と孤児院へと向かった。
ボロ…いや、趣きのある孤児院がハッキリと見えてきたとこで、ミハイルが「――ん?」と訝しむ声をあげた。
「…馬車がある」
「え?」
ミハイルの視線を追うと、確かに少し離れた場所に凄くきらびやかな馬車がある。孤児院には不釣り合いな。
誰か偉い人でも来てるのだろうか。…でもこんな孤児院に?
怪訝に思っているとミハイルが直ぐに答えをくれた。
「あれはアティニアの馬車だ」
「えっ!」
「しかも聖女様専用の」
「ええっ!」
それはもしかして渦中の人物ってこと!?
そんな馬鹿なと驚くが、でもアティニアの神殿騎士であるミハイルが言うのだからそうなのだろう。
幼馴染の驚きの発言にニーチカは慌ててパーヴェル様を見る。これは決して仕組んだことではないと伝えようとしたのだけど。パーヴェル様はそんなこと露とは考えていない様子で、ただ面倒くさそうに建物の方を見ている。
ちょっとだけホッとするが、ホッとしてる場合ではない。
「なんで王女様…、じゃない聖女様がここにいるの」
「さあ…」
「しかも来るのって明日じゃなかった?」
「聖女様にとっても母国だから早めに里帰りとか?」
「だからってなんでここによ?」
「そんなの俺がわかるかよ」
私たちの掛け合いが思ったより大きな声であったために馬車の側にいた騎士服の男たちがこちらに気づいた。
「あ、ミハイル!」
一人はそう言ってこちらへと近づいて来、一人は孤児院へと走った。
目の前に来た、昨日見たミハイルと同じ騎士服の男性が言う。
「お前どこ行ってたんだよ、古巣に挨拶に向かうって言ってただろうが」
「ああ、今来てるだろ」
「じゃなくて…。昨日から休みを取ったからもうここにいるのかと」
「最初に会いたいやつがいたんだよ。だから先に首都に寄ってきた」
「会いたいって…」
ミハイルの同僚の視線がこちらへと流れる。
その会いたいやつとはたぶん私のことだ。そこまで思ってくれていたのかと、感慨深い気持ちが湧くが、同僚の視線は私をあっさり通り越しパーヴェル様へと注がれる。…だろうね。
しかもそれは零れんばかりに見開かれた。
「――えっ!? ……いや、え…っ?」
そこからの絶句。
…まあ、そうなる気持ちはわかる。ミハイルも最初そんな感じだったし。
そしてそんな表情を向けられたパーヴェル様といえばどうでも良さそうで。唖然とする男性を一瞥したあと再び孤児院の方へと視線を戻し、そうこうするうちに建物内がザワザワしだした。
建物へと向かった一人がこちらの来訪を伝えたのだろう。
だけど飛び出してくるかと思った子供たちは姿を見せずに、数人の騎士と共に白っぽいローブを纏ったほっそりとした人物が扉から現れた。
ニーチカは、まさか…と思う。だけどミハイルの言葉とこれだけの騎士を引き連れていれば間違えようがない。
近づいてくるローブの人物はフードは被っておらず顔はハッキリと確認できた。
流れるような真っすぐなプラチナの髪に神秘的な紫の目。美という点においてはパーヴェル様やスヴェートさんに負けるが、高貴さが飛び抜けていて思わず平伏したくなる。そして前に少しだけ顔を合わせた王様に、やはりどことなく似ている。
まあ実際はテンパってたのであんまり覚えてはいないけど。
ミハイルが胸に手を当て体を軽く伏せたのに合わせて、私も慌てて頭を下げる。パーヴェル様については頭を下げたためにどうしたかはわからないけど、騎士からの咎めるような軽い咳払いが聞こえたのできっとそのままなのだろう。
「顔をあげて」
と、声色にも高貴さが滲んでるような涼やかな声に促されて。体を元に戻す一瞬にパーヴェル様を確認したけれど、やはりそのままだったぽい。ただ何故か片腕にスヴェートさんを抱えている。……いや、なんで?
そのスヴェートさんといえばちょっとげんなりとした様子でパーヴェル様の腕にダラリとぶら下がる。
( 保険って言ってたけど…? )
二人の不自然な行動に首を傾げるニーチカの横、聖女様とその騎士の会話が進む。
「ミハイル、その後ろの方は勇者様で間違いないかしら」
「ええそうです、聖女様、勇者パーヴェル様です」
「そう。貴方が会いに行ったという方が勇者様なの?」
「あ、いえ、それは違います。勇者様とは……えっと、たまたま会いました」
瞬間チラリと投げられたミハイルの視線に、ニーチカが私のことは何も言うなと目で訴えたために、なんとも苦しい言い訳になった。
聖女様は髪と同じ色のまつ毛をパチリと瞬く。
「……たまたま?」
「…はい、たまたまですね…」
うん、そういうこともあるよね、たぶん。
明日、明後日更新出来ません、すみません




