16.
「あれ? そういえば君、ミハイルって言ったっけ?」
「ええ、はい。 ミハイル・カラハンです」
「――は!? えっ!?」
尋ねたアントンさんに、答えたミハイル。
そして最後に、驚きの声をあげたのはニーチカだ。
「え、ちょっとミハイル、カラハンって何?」
「ああうん、姓を貰ったんだよ」
「ええっ!?」
「俺って割りと優秀だから」
そう言っておどけたように片眉をあげる幼馴染にニーチカは唖然と口を開く。
何故なら特殊な例を除いて、孤児である私たちに姓などない。
それで姓を貰ったとなると…。
「…え、もしかして、騎士爵を貰った、…とか?」
何故か恐る恐る尋ねてしまったニーチカに、ミハイルはくしゃりと表情を崩す。
「そういった諸々のことを報告するために、俺だけ先に帰って来たんだよ」
「えっ!! 本当に本当なの!? うそっ、凄いじゃないミハイル!」
「だろ? で、このあと孤児院の皆んなにも会いに行こうと思うんだけど、お前も一緒に来ないかなって?」
「へえ! うんいいね! 私も久しぶりに、」
「――あのっ」
眉をハの字にしたアントンさんが声を割り込ませる。
「…水を差すようで悪いんだけど、 先にちょっといいかな?」
との言葉に、ニーチカは「あ…」と零す。
…そうですよね、アントンさんの話の途中でしたよね。
幼馴染の劇的な近況に思わず話の腰を折ってしまった。そして腕の中にいるスヴェートさんからも不満を訴えるようにペシペシと尻尾で腕を打たれ、ニーチカは乗り出していた体を下げてアントンさんに場所を譲った。
「えーっと、君がそのミハイル・カラハンなら、さっきの話もそれこそ簡単にいくと思うんだ」
「その?」
「さっきの?」
怪訝な顔を向けるミハイルと私、その主にニーチカに向かってアントンさんが言う。
「勇者様の話だよ」
「ああ!」
「それが本題だったよね」
「……ですね」
いや、すみません、そうでした。そうだった。
でもやっぱり、そこにミハイルが関係してくることがどうにも繋がらなくて。ニーチカが首を傾げると、アントンさんは小さなため息をひとつ吐いてから説明してくれた。
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アントンさんは説明のあと、そのための段取りをして来るからと立ち去り。ミハイルはミハイルで、共に来た人たちに説明するのにこの場を去った。明日もう一度落ち合う約束をして。
もちろん落ち合う理由は孤児院に行くためだ。
…ああ、そういえば、アントンさんの前で孤児院の話を出してしまったが、別に驚く素振りもなかったし表情を変えることもなかったな、と。
無理難題を押し付けても、ちゃんと解決策を考えてくれるアントンさんはやっぱり友達として親しくなりたい人物だ。一人で悶々と悩むよりも話せる人がいた方が解決策だって二倍になる。
そんなことをいうと、私の目的がちょっと現金的な気もしないけど、友達になりたいって気持ちは本当だ。
( …うん、今度機会があったら提案してみよう )
そんなことを考えていると、腕の辺りに柔らかいものが触れる。
「ニーチカ様、どうするつもりです?」
金茶色の美猫が私の腕に肉球を押し当てこちらを見上げて言う。
「どうするとは?」
「さっきの文官の男が言った提案ですよ」
「あー…、うん、ねえ…」
誰もいなくなったと判断したのか猫の姿のままで話しかけてくるスヴェートさん、その話す内容はアントンさんが説明してくれた件だ。
ニーチカはさっきのやり取りを思い出し「うーん…」と眉を寄せた。
幼馴染のミハイルが賜った姓は、本人が優秀と言ったようにやはり功績によるもので、今回の使節団出迎えのあとの式で騎士爵と共に正式に王様から授けられるものらしい。
アントンさんは「だから――」とミハイルに言った。
「そんなおめでたい場には身内を呼びたいよね」
「あ…、や、でも俺には…」
「別に身内じゃなくても親しい人でもいいと思うんだけど、…例えば幼馴染とか?」
「え、幼馴染って…」
ミハイルの視線がニーチカに流れ、ニーチカはそうきたかと半眼でアントンさんを見る。
無理やりにでも、私を参加する立場に持ってこようというわけか。
「でもアントンさん、それは割りとグレーなのでは?」
「大丈夫でしょ。そこはホラ、僕ら下っ端が気にするとこではないと思うし」
「あー…そうきますか、上は上での話ってことですね」
振ってきたのはそっちだし多少の無茶振りは何とかしろってことだ。アントンさんも何気に良い性格をしている。
「それにニーチカだって幼馴染の晴れ舞台は見たいでしょ?」
仲は悪くなさそうだし。と話すアントンさん。それは確かにそうだ。孤児院でも年が近かったのはミハイルだけで、そのせいでよく二人でいた。
幼馴染であり大切な友達。ミハイルが騎士になるために通常より早く孤児院を出て行った時は、さみしくてしばらく落ち込んだものだ。
ニーチカはこちらのやり取りを怪訝な顔で眺める幼馴染を見上げる。
「ミハイルは、私がその場にいても迷惑じゃない?」
「は、何言ってんだ? 迷惑だなんて思うわけないだろ」
「そうなんだ」
「当たり前だ。 お前もだけど孤児院の皆んなだって俺にとっては家族同然なんだからな。ニーチカだってそうだろ?」
「うん、そうだね、そうだよね」
「――て、ことで話は纏まったね」
アントンさんがパンッと両手を合わせる。
「まあ、出迎えの方は諦めてもらうとして。そのあとのレセプションにニーチカは自ら望んで参加する、ということで決まりだね」
にこやかに話を締めるアントンさんに、いまいち話がわかっていないミハイルはちょっとだけ不審の目を向け。私はというと、相談という形だけど、これってある意味アントンさんの思惑に乗ったことになるのでは? などと思ってしまったわけで。
「――ていうか、そんなに上手くいくと思います?」
思考を今へと戻したニーチカは、腕の中にいるスヴェートさんを地面へと降ろすと、その横にしゃがんで頬杖をつく。
「大体、私がその使節団の歓迎会? に参加したとして、それでパーヴェル様が出て来るとは限らなくないですか?」
「いえ確実に出て来るでしょうね」
「そうですか?」
「そうです。 むしろ出て来ないという考えに至るニーチカ様に驚きを禁じ得ないです」
スヴェートさんをもってして、そこまで言わしめるとは。
ニーチカがパチパチと目を瞬かせていると、スヴェートさんはゆらりとシッポを振った。
「そもそもニーチカ様はあの男が貴方に向ける感情を軽く見過ぎでは?」
「えっ、…いえ、十分に実感してるつもりですが?」
口調は別にしても眼差しや仕草での胸焼けしそうな甘さは、お腹いっぱいになるほど感じている。そりゃもう十分過ぎる程だ。なのに。
「わかってなさそうですね…」とスヴェートさんは金色の猫目を細める。心外だ。
ニーチカは少し不満を覚えながらも言う。
「じゃあ、取りあえずこれで一件落着ってことですね」
「そうですね、そうかもしれませんが。…でもニーチカ様、どうか捨て身の行動は出来れば控えていただけないでしょうか?」
「え、捨て身?」
「ええ。今回のは完全に肉を切って骨を断つですよね。いや、もしかしたら肉だけ切られて終わる可能性もあります」
「えっ! なんでそんな物騒な話に!?」
「あ、いえ、これは例えですけれども…」
慄く私にスヴェートさんは慌てて訂正の言葉を続けたが、最後に人で言う眉毛辺りをきゅっと寄せて小さなため息を吐いた。
「…それで、ニーチカ様、次はどうします?」
「え?」
「アントンの分担は提案と根回しですよね。だから勇者の対応についてはニーチカ様の分担かと思われますが」
「パーヴェル様への対応?」
「まあ説明ですね、歓迎会に出席することになった経緯です。ニーチカ様が何のために、誰のために、それに出るかってことです」
「ああ…」
そりゃあ当然そうなる。
何故私の行動をいちいち? ということにもなるけれど、パーヴェル様に至っては言わないでおいたってバレる。きっとここでこうやってコソコソしてることもバレている。隠すのは悪手だ。
ただ、幼馴染のために出席するだけなのだが、それでも、何となくパーヴェル様に説明することを躊躇ってしまう。
スヴェートさんにはわかってなさそうとは言われたけど、私だってパーヴェル様の拗らせ具合は理解してるつもりだ。
だからこそ躊躇う。
「それと、もう一つあります」
「え…、まだ、何かありましたっけ…?」
「孤児院に行くんですよね、あの幼馴染の男と」
「……」
( …スヴェートさん、絶対一部強調しましたよね? )
……ええ、わかってます、わかってるんです。
きっと、幼馴染が同性ならこんなに躊躇うことはないって。
「まあ別に敢えて言う必要はないのですが、後々を思えば伝えておいた方が無難でしょうね」
ニーチカ様に物理的な被害が及ぶことはないと思いますし、させませんけど。――と、スヴェートさんは器用に肩を竦める。
でもそれでいけば、他には物理的被害が及ぶかもしれないってことだ。
物騒過ぎる事案である。
記憶のない私より一緒にいた時間が長いだろうスヴェートさんに、そこまで言われる最近出来た恋人である人物の拗らせっぷり。
その状況にニーチカは今さらながらちょっとだけ後悔する。
だとしても――、
( それでもきっとパーヴェル様を嫌いになることなんてないんだろうな… )
と、そんなふうに思ってしまう自分の気持ちに、ニーチカは深々とため息を吐いた。




