15.
早速オルロフ様に相談したら、取りあえず何とか出来そうな奴を送る、――と言われて。
やって来た相手を見てニーチカは軽く目を見開く。
「アントンさん?」
「やあ、ニーチカ」
「…えっと、オルロフ様に頼まれました?」
「うん、ニーチカに会いに行けって。でも内容は聞かされてないんだけどね」
「うわぁ」
お気の毒に…と出そうになった声は飲み込んだ。初っ端から意欲を削ぐ話題は厳禁だ。
それにしてもオルロフ様が寄越してくれたのだからアントンさんは優秀なのだろう。たぶん。本人は下っ端って言ってたけど。
下っ端文官だと自らを紹介したアントンさんは、蒼天祭の日に出会った人物だ。パーヴェル様からの拗らせ攻撃が入らなければ、もしかして友達になれるかもしれないと思った人。(一方的に)
というか、その後は何もなく大丈夫だったのだろうか? …主にパーヴェル様関連で。
そう思い割りと上背のある彼を見上げれば、アントンさんは眼鏡の奥の青い目を瞬かせたあと「そういえば」とポンと手を叩く。
「ニーチカって、勇者様の恋人だったんだね」
「んぐっ」
「あのあと思っきり牽制されたよ。君に勝手に触れるなって」
「うわあぁ、…申し訳ございません」
「いやいや、間近で勇者様を拝められたし、同僚に対して良いみやげ話になったから」
深々と頭を下げるニーチカにアントンさんは笑って手を振る。――が、直ぐに今度は眉尻を下げた。
「でも、それこそ大丈夫?」
「え?」
「こんなところで僕と二人でいたりして」
「ああ…」
アントンさんの懸念を正確に理解してニーチカはちょっとだけ遠い目になる。もちろん、その懸念の主だった理由はパーヴェル様だ。
そして『こんなとこ』とアントンさんが言うそこは、シーツが棚引く狭間、視線が隠される密会にはもってこいの場所、――だけど。
( あの、確かに密会する男女を幾度となく目撃していますが、一応私の職場なんですけど? )
それに、とニーチカは視線を足元にやる。そこには番犬ならぬ番猫、スヴェートさんがいるので二人きりというわけではないが。
「一応パーヴェル様には秘密なんです」
「えっ?……それは、こうして会ってることが…?」
「それ以前に、オルロフ様に話を持ちかけたこと自体が、です」
「あー…、…うん、そうなんだ…」
アントンさんは何とも複雑そうな顔でこれまた微妙な返事をして、「えーっと…」と続けた。
「それで、結局話の内容ってなんだろう?」
そう、それが今日の本題。尋ねるアントンさんの表情が心なし優れないのは、今の話の流れからおおよその見当がついたのかもしれない。
だとしても断る選択肢を選べないのが下っ端の悲しきとこだ。上からの命令は絶対だから。
アントンさんに心ばかしの同情を覚えながらも、ニーチカとしても断られるわけにはいかないので、ごめんなさいと心の中で謝罪して早速本題へと移った。
**
「それはまた…」
ニーチカの話を聞き、眉を寄せて腕を組んだアントンさん。零した言葉の先に詰まる。
でも、その気持ちはよくわかる。そして既に白旗をあげてしまっているニーチカは、頼みの綱であるアントンさんを縋る思いで見つめ、そんなある意味熱視線に「ニ…――ニャア!」と、ぎこちない鳴き声が上の方から降った。
たぶん咎めるているのだろうスヴェートさん(猫)は、今は横の木の枝の上にいて、少し離れてもらったのは「ニーチカ様」と声を出しそうになったから。
今のだって、『ニ…』と明らかに私の名前を呼ぼうとしていた。しゃべる猫とか流石にフォロー出来ない。
スヴェートさんにシッというように口元で指を立てていると、アントンさんから「…つまりは…、」という声が零れた。
「えっ、――あ、ハイ、つまりは?」
「ニーチカが他人の思惑に乗ることが嫌なんだよね、勇者様は」
「んん? …私がですか? パーヴェル様が乗るのではなく?」
「今の話を聞く限りは、君が、だよ」
「え、でも私は思惑に乗ってるわけじゃなくて、頼まれたからで…」
「だとしても君に話を振った時点で向こうには思惑…、要するにそういった意図があったわけだよ。御しやすいとこから攻めようって」
「御しやすい…」
いや、間違ってはいない。間違ってはいないけどアントンさんも割りと辛辣だ。
「まあでも、相手がオルロフ様なら僕らは断れないからねぇ…」
「下っ端の辛いとこだよね」と、うってかわって今度は共感する声に、ニーチカは気を取り直し大きく頷く。
「です。 だから困ってるんですよ」
「だからさ、思惑に乗るって形じゃなくて、君自身が進んで参加する言えばいいんじゃない?」
「ん? 参加するって…、――えっ!? 使節団の出迎えにですか!?」
「そう、もういっそのこと勇者様の恋人ですって二人で堂々と」
「――いや…っ、いやいやいや! どんな出迎えですかそれっ! アントンさんこんな時に冗談なんて酷いですよ!」
「別に冗談で言ったわけでは…」
「却下です!」
冗談でなければ尚更たちが悪い。驚きを通り越してムッと顔をしかめるとアントンさんはきまり悪げに頬を掻き。
「でもさニーチカ――」と続けた声に重なるように、別方向から声が掛けられた。
「――ニーチカ?」
それは、アントンさんが呼んだ私の名前を確認するような声色で。
声の相手はシーツの間から現れた、あまり見たことない騎士の服を着ている若い男性だ。掛けられた声に反射的に振り向いたニーチカをまじまじと見下ろす。
何だか軽いデジャヴを覚えるんですが…。
とは言え、赤みのある金髪に空色の目の男性は、整った顔をしてはいるがパーヴェル様との初対面の時のような衝撃はない。
うん、あれは衝撃的過ぎたと思い馳せていると、目の前の男性は「ああ!」と大きな声を出し、同時にスヴェートさんが木の上から飛んで来た。
「ニーチ…、ニャア!!」
「やっぱりニーチカだ! 俺だよ、俺! ミハイルだ!」
スヴェートさんと男性、二人の声が重なったが、言葉の長さで男性に分配が上がった。
ニーチカはハッキリと聞こえた後半の、男性が名乗った部分に大きく目を見開く。
「……え、うそっ、まさかミハイル? ――えっ! ええっ!? ちょっ…変わり過ぎじゃない!?」
ニーチカの驚きに満ちた声に、「そういうお前はあんまり変わってないな」と、顔をくしゃっと崩して笑う男性――ミハイルは、孤児院で一緒だった幼馴染。三年会わないうちに身長が伸び顔立ちも体格も変わってしまったが、その笑顔は変わっていない。
「騎士になるって出て行ったけど…、その格好なら本当になったんだっ、凄いじゃない!」
「だろっ」
「でも、どこの騎士団なの? 全然見たことないけど、あ、まさか仮装とか?」
「…お前なぁ、そんなわけあるかよ。 俺は今神殿騎士団の一員で、ここに来てんだよ」
「神殿騎士団?」
( ……あれ? なんかちょっと前に聞いた覚えが…? ……神殿…? )
「――あっ! えっ、聖アティニアの!?」
「そうだよ」
「え、待って? だって、あそこは特殊な力を持たないと入れないって…」
「ああ、騎士になる養成所に入って直ぐに急に見えるようになって神殿騎士団に入れられたんだよ」
「見える?」
「見えるし、聞こえる」
ミハイルの視線がパチパチと目を瞬かせるニーチカから周囲にずれて彷徨う。それは何かを追うように。
「だから、さっきからここに沢山いる小さな光たちも見えるし、声も聞こえる。…ええっと、『誰?』『愛し子』『知り合い?』…か? ――ん、俺に興味があるっぽい…?」
( うわああぁっ、スヴェートさん! )
私は心の中で大きく声をあげて。足元で戸惑ったようにウロウロしている金茶色の猫をサッと抱き上げ、素早く視線で合図を送った。
普通の人は見えないと言われて忘れてたけど、私の周りには常に光の精霊たちがいる。
見えるだけなら何とか誤魔化せそうだが、話されるとマズい。特に私の名前とかルーシェンカ様のことを出されたりしたら。
なのでこの精霊たちの王様であるスヴェートさんに静かにしてもらうように頼んだのだけど。
「……あれ、静かになった」と零すミハイル。
ニーチカはホッと息を吐く。何とか間に合ったみたいだ。
( …でもそうか…、アティニアの人たちがいる間は気をつけないと )
新たに注意を心がけたニーチカへと再び視線を戻したミハイルは、私の腕の中にいるスヴェートさんを見て「――ん?」と眉を上げる。
「猫?」
「え、…あっ、うんそう。私の…飼い猫みたいな?」
咄嗟とはいえ飼い猫なんて言っちゃってごめんなさいと、スヴェートさんには心の中で謝っておく。
だけどその本人は、今の言葉に気分を害すどころか『私の…』の部分で満足そうにヒゲをそびやかしてたなんてことは気づかずに。
そしてもう一人――、
「――ねえ、見えるとか聞こえるって何のこと?」
と、話に加わってきたのはアントンさん。ミハイルが「誰?」というようにニーチカへと視線を送る。
「…あ、えーっと、こちらは城で文官の仕事をされてるアントンさんだよ、ちょっと相談事に乗ってもらってたの」
「ふうん」
「それと、アントンさんこっちは私の幼馴染で神殿騎――」
「うん、神殿騎士団の人だよね、で、見えるって?」
私の言葉に被せるように、やたらと食い気味できた。アントンさんてば興味を引くものにはグイグイくるタイプなのか。
…ああでも確かに、蒼天祭の時もスヴェートさんの麗しすぎるルーシェンカ様に釘付けだったな、と思い出す。
アントンさんからの不躾とも取れる質問に、ミハイルは慣れてるのか別に隠す必要もないとばかりにさらりと話す。
「そこらじゅうに小さい光が飛んでるんですよ。たぶん、精霊だと思います」
「えっ、精霊!? ……それは今も?」
「ええ、いますね。声は聞こえなくなりましたけど」
「ああ、それで聞こえるか。 ……ふーん、凄いね、精霊だなんて。 え、もしかしてニーチカも見えてる?」
「まさか!」
私はブンブンと首を横に振る。余計なことは言わない、――に限る。
アントンさんの残念そうな「…だよね」の声に今度は縦に大きく頷いた。




