12.
どうぞと、勧められたクッキーを食べながら、理解の追いつかない私にスヴェートさんがわかりやすく説明してくれたことによれば。
曰く、私がパーヴェル様を受け入れたということは、強固な結びつき――縁が出来たということで。その縁がある限り、パーヴェル様は私の居場所や色々なもの(?)が把握でき、離れることは出来なかったのだと言う。それこそ物理的に。
そしてそれが今出来ているのは、この空間が光の精霊王の支配する場所であり、私がパーヴェル様を拒絶したからだとスヴェートさんは話す。
「言霊って言うんです。言葉に宿る霊、まあ簡単に言えば力ですね。 そう、言葉には力がある。だから貴方があの男といたくないと言った時に、その縁が緩まったんです」
「緩まった? 切れるのではなく?」
「…切れなかったんですよ、あいつの執着心が強すぎて」
「ああ、まあ…」
スヴェートさんの苦みを含んだ声に、パーヴェル様って姉大好きっ子ですもんね。と思い、ニーチカは少し遠い目になる。
「だから――」とスヴェートさん。
「これからもっと遠くに逃走しようと思います」
「え? 逃走?」
「はい。緩まっただけでは無理なので」
「逃走……ってことは、仕事を辞めなきゃですよね…?」
「まあそうなりますね」
「それは…、…うーん…」
渋るニーチカに、「でもあいつと離れたいんですよね?」とスヴェートさんが言う。 ニーチカは眉をぐっと寄せた。
実際、仕事はと言えば現在腰掛け状態だ。だから私が辞めたとてその穴は簡単に埋まるだろう。
そして離れたいかと聞かれれば。
「……離れないといけないんです」
零したニーチカは更に眉を寄せる。
パーヴェル様と距離を取る。それが一番得策で。じゃないと、この気持ちはたぶん消せない。だからスヴェートさんが言うことに渋る必要はないのに、それなのに、素直に頷けない自分がいる。
そんな複雑な思いに駆られるニーチカに気づかず、私が零した声を受けたスヴェートさんはスッと立ち上がる。
「それならばやはり今すぐ行動を起こさないと」
「え、…今すぐ、ですか?」
「ええそうです」
「いや、でも」
「今も貴方を探してますよ。見つかるのも時間の問題です」
「――え?」
その言葉に、駄目だというのに心が浮かれる。が、やはり一旦パーヴェル様とは距離を置いた方がいい。これしきのことで気持ちが揺れてしまうのだから。
ニーチカは呼吸をひとつ置いて「よし!」と立ち上がる。ニーチカにつられるように小さな光たちもふわふわと浮き上がり、目の前に差し出されたスヴェートさんの手を取ろうとした、
――ら、
ドンッ!!
と、空間を揺らす衝撃があり、ビリビリと空気が揺れた。
「わっ!? えっ、なに…?」
驚くニーチカ、でも目の前のスヴェートさんはこれでもかと顔をしかめる。
「流石に早すぎる…」
「え、早い? 早いって? や、それより何です、これ!?」
そんな会話の間もドンドンと続く衝撃にニーチカが慌てていると、スヴェートさんが苦虫を噛み潰したような苦々しい声を零す。
「…見つかりました」
「は? え、見つかったって…、もしかしてパーヴェル様にですか?」
「そうです」
「じゃ…、じゃあ、この音は、」
パーヴェル様が――と言い切る前に、一際大きな音がして、ピシッと黒い世界にひびが入った。
「ニーチカ様!」と慌てるスヴェートさんの声。同時にパリンと音を響かせて、黒い世界の一部が砕け散る。
その向こうから伸びてきた腕。
その腕がニーチカの腰に回る。
「――わっ!!」
ぐっと引き寄せられて、強い力で背後から抱きしめられる。
その不意に現れた香りと体温は、今朝方にも覚えのあるもの。 誰か? なんて問う必要はない。
「ちょっ…、パーヴェル様! 離してください!」
「嫌だ」
後ろから私を抱き込むパーヴェル様に、ドクンと跳ねる鼓動を落ち着かせて直ぐに離すよう訴えるがにべもなく断られる。むしろ腕の力が強まって若干苦しい。
にしても、これで全てが水の泡になってしまった。
「おい小僧! いい加減にニーチカ様を離せ!」
「は?」
柳眉を逆立てたスヴェートさんが、美貌には似合わない口調で声を荒らげれば、私の頭の後ろからそれはそれは低い声が返る。
「随分と姑息な手を使いやがって…」
「姑息な手? それはそっちの方だろう!」
「あ? 俺が何をしたって? 受け入れてくれたのはニーチカの意思だっ」
パーヴェル様の言葉にニーチカは「んん…?」と眉を寄せる。
先ほどまでの話とすり合わせてみれば、受け入れた云々の話がこの耳飾りであるなら承諾などなく突然であった気がする。けど、それを外すことなく今も身に付けているということが、受け入れたともいうのかもしれない。
そう、ややこしいので口には出さないでおこう。
口を噤むニーチカをよそに美男美女二人の会話は続く。もちろん私を挟んだままで。
「大体、お前どうやってこの結界を破った? 堕ちたお前には金の力には太刀打ち出来ないはずだぞっ」
「は…っ、そんなもの、俺は『勇者』として呼ばれたんだぞ? だから聖剣も扱える。…ふ、相殺だよな」
「お前が勇者だとか…、本当によく言う、お前こそ魔―――…っくそ!」
「言えないに決まってるだろ、学習能力のない奴だな。そもそもお前が望んだ結果の対価だろうが。 この周りを飛ぶ鬱陶しい虫どもと同じ脳みそしかないのか?」
「口の減らない小僧が!」
「脳みその足りない羽虫の王様に言われてもな」
「………」
何だろう、これ。会話の内容はよく分からないけど、完全にただのケンカだ。今なんて「羽虫!」「小僧!」って単語が繰り返し続くだけだ。子どものケンカかな?
その間もパーヴェル様の腕が外れる気配はなく、ニーチカは深いため息をひとつ吐くと「…あの、」と声を上げる。二人の罵り合いはピタリと止まった。
「あの、取りあえず離してくれませんか? パーヴェル様」
「…嫌だと言った」
「小僧! ニーチカ様が――」
「スヴェートさん、私がパーヴェル様と話しますので」
「――っ、……はい、わかりました」
フンッ、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らす音が聞こえて、スヴェートさんがキッと睨みつける。私の後ろにいるパーヴェル様にだろうけど、こちらも巻き込まれるわけで。美人の怒り顔は中々に迫力がある。
しかしこれもあれだ、孤児院の子どもたちの間であったのと同じ、大好きな先生の取り合いみたいな。……まあ、ある意味間違ってはいないか。色々複雑ではあるけれど。
ニーチカは可動範囲を駆使してパーヴェル様の腕をポンポンと叩く。
「パーヴェル様」
「嫌だ」
「ちょっと苦しいです」
「……」
少しだけ拘束が緩まった。だけど緩まっただけ。
「あのですね、ずっとこうしてるわけにはいかないと思うんです」
「魔法を使えばこのままでもいける」
「いやいやいや」
「だって放したらアンタどこかに行ってしまうだろ? ……俺は、もうアンタを失うのは嫌なんだ」
「……」
どうやら見事にパーヴェル様のトラウマをぶち抜いてしまったようだ。やはり、何も言わずにいなくなるという行為はだめだ。
ちゃんと、言葉にしよう。
そう、ちゃんと話して私がパーヴェル様に抱いてる気持ちを伝えて。
それでパーヴェル様が幻滅して離れていっても、それはそれで仕方ないことだ。
「あの、パーヴェル様、私はどこにもいかないので離して下さい。話をしましょう」
「……話ならこのままでいいだろ」
「そういうわけには。じゃあ手を繋いだままでいいので」
「……」
「顔の見えない会話は嫌いだ、と言ったのはパーヴェル様ですよ」
ぐっとパーヴェル様の喉が鳴る。その言葉はパーヴェル様本人が何度も口にしたもの。
小さな息が零されて、ゆるゆると拘束が外れる。代わりに、振り向いたニーチカの両手をパーヴェル様の手が覆った。
私よりひと回り大きな手。いつの間にか手袋を外してしまっているので、直接パーヴェル様の温もりを感じる。
でもそれも、この告白によっては無くしてしまうかもしれない。
ニーチカは手元に落としていた視線を上げる。
緑琥珀な目は逸らされずに私を見つめていたが、パーヴェル様の表情はどこか決まりが悪そうだ。
そのことに、ニーチカは少し笑ってしまう。
「パーヴェル様、私、貴方が好きです」
突然過ぎる告白にパーヴェル様は軽く目を見開く。
私はあまり重くならないようにさらりと続けた。
「でもそれは、パーヴェル様がルーシェンカ様を思う気持ちとは違うんです」
「………、――は?」
「…パーヴェル様は、ただ…、ちょっと重すぎる気もしますけど、ただ姉のようにルーシェンカ様を思ってるでしょう?」
「…ああ…そういう…」
「けど、…ごめんなさい、私はやっぱりパーヴェル様を弟とは見れないです。 だから私の好きは、姉弟としてのものとは――」
違うんですと、再び言おうとして。
「は? 姉弟? 冗談じゃないですよ!」
背後からそんな低い声がかかる。
向きが変わったので今私の背後にいるのはスヴェートさんだ。金髪な美女はこちらへと身を乗り出し、そこは譲れないとばかりに言う。
「ニーチカ様、その発言は看過しかねます!」
「――えっ? …いや…、発言…?」
「そうですっ、そんな男と姉弟だなんて」
「ん? …や、でも、パーヴェル様はルーシェンカ様の弟ですよね?」
「それは便宜上です! それさえも私は許し難いというのに…」
「え、便宜上…」
「記憶がないとはいえ、これだけはしっかり覚えておいてください。 この男は、ニーチカ様とは、これっぽっちも血の繋がりなどない他人ですから」
「他人…」
「そうです。貴方とこの男は姉弟などではない」
「姉弟…、じゃない…?」
え? は? なに? どういうこと?
私とパーヴェル様が姉弟ではない?
いや、でも、パーヴェル様はルーシェンカ様を姉だと言っていたじゃないか。
…ああ、でもそうか、便宜上であるならば、そういう意味では姉に間違いはないのか。
いや、でも――…。
自問自答で忙しい脳内を少し落ち着かせて考えれば、それらの全てをパーヴェル様は知っていたことになる。
知ってた上での今までの態度。
そして、私はさっき何を言った?
スヴェートさんに向いていた顔をゆっくりと正面に戻す。――と、
それはそれはもう眩しいくらい輝く笑顔のパーヴェル様がいる。
「で、憂いは取れたか? ニーチカ」
「………」
……憂い?
…憂いってなんだろう?
憂うようなことなんてあったっけ?
そうかさっきしちゃった告白のことかな?
( …うぅ…、う、うわあああああーーーっ!! )
頭を、頭を抱えてうずくまりたい!
ゴロゴロと転げ回りたい!
けれど私の両手はパーヴェル様に取られたままだ。
喜色満面のパーヴェル様と、白青赤と顔色を変えるニーチカを心配するスヴェートさん。そして忙しい脳内とは違い、絶句したまま無言になる私。
カオスとかした頭の片隅にいる、ちょっとだけ冷静な私は考える、
( …これ、どうやって収拾つけるんだろう…? )
――と。




