11.
いつの間に? と思うほど気配なく現れたルーシェンカ様役の金髪美女。「…お前…っ」と零したパーヴェル様が絡んだ手を勢いよく振りほどくが、そんなことなど気にする様子もなく金色の目はニーチカだけに固定されていて。
どこかにいったはずのモヤモヤが再び顔を出す。
「…二人とも、早く戻った方がいいですよ」
何気ないふうで言った声は思ってるより低くなってしまった。
「ニーチカ、また蒸し返すつもりか?」
「だって二人も抜けては駄目でしょう」
「だったらこいつだけ戻せばいい」
「あら、私は勇者様と一緒じゃないと戻りませんよ」
こいつと指さされた金髪美女はしっとりとした艶のある、少し低めの声で言う。色気が半端ない。
パーヴェル様の彼女への態度はどう見たって友好的ではない。むしろ邪険にしてるほどだ。だと言うのに、自覚し始めた恋心は、そして直ぐに消しさらなければいけない想いは、それを考慮してはくれない。
「おい、いい加減にしろよ、スヴェート」
パーヴェル様が苛立たしげな声をあげる。
スヴェート――、というのが金髪美女の名前なのか、彼女はようやっとパーヴェル様の方を向いた。
「いい加減に? それはこちらの方です。さあ勇者様、会場に戻りましょう」
「やめろ気色悪い」
「まあ酷い、勇者様としてはあるまじき発言ですね。貴方は勇者というよりどちらかといえば、」
「スヴェート」
「……わかってますよ。どうせ言えないんですから」
「うるさい」
やり取りは剣呑ではあるが、やはり昨日今日知り合った間柄ではないように見える。
蚊帳の外で進む会話にニーチカの心がささくれ立つ。
( 私、今ここにいる必要がある? )
「…あの、後はお二人で話してもらっていいですか。私もう部屋に戻りますので」
「あ、ちょっと待てニーチカ、俺も戻るから」
話を切り上げるつもりかパーヴェル様がこちらへと腕を伸ばし、私は咄嗟にそれを振り払った。
パシンッ!と乾いた音がしてパーヴェル様の目が見開かれる。
ニーチカは「あ…」と零した。今のでは完全に拒絶の体だ。
でも、それで間違ってはいない。
「すみませんっ、だけど…、今はパーヴェル様と一緒にはいたくないんです」
「――は…」
「………………ごめんなさいっ」
パーヴェル様の顔を見ないように言い捨てて、ニーチカはくるりと背を向け走り出す。
走りながらぎゅっと唇を噛み、パーヴェル様を払いのけた方の手を胸の前で抱える。別に痛いわけではない。痛いのはここではなく別の場所で。
そしてその痛みを抱えたのはきっと私だけではない。
「ニーチカ!」
だからか、呼び止める声に思わず足を止めて振り返ってしまった。
聞いたこともない切羽詰まった声と、苦しげな表情でパーヴェル様が零す。
「俺と…、いたくないって…?」
「……今は、そうです」
「――嫌だ」
「嫌と言われても…」
「嫌だと言ってる」
「無理です」
「ニーチカ」
「無理ですってっ」
パーヴェル様が一歩前に出れば、私は下がる。だけど足の長さの差でジリジリと距離は詰まる。完全に不利だ。だって向こうには魔法もある。
ほんの数時間でもいいのだ、気持ちの整理をつけれる時間が欲しいだけなのに。
そんな私の願いに呼応したのか、周りを飛んでいた光の精霊たちが二人の間へと集まりだした。ニーチカを囲うように。
パーヴェル様が苛立たしげに舌打ちをする。
「退けよ、邪魔するな!」
『拒否した』
『拒絶した、拒んだ』
『それは言霊』
『それは制約』
「違う! ただの会話だ!」
『望んだ』
『願った』
「そんなことはない!」
『願い、願う』
『叶える』
『愛し子の願いを叶える』
「うるさいっ、黙れ!」
ニーチカには聞き取れない声とパーヴェル様が話している。苛立つ声に合わせて腕を払い金の光を散らした様子からすると、会話の相手は光の精霊たちだろう。
パーヴェル様が気を取られてるうちに丁度いいとそっと距離を取り、踵を返したニーチカ。
「待てニーチカ! 行くな!」
気づいたパーヴェル様が声を上げる。
だけど今度は足を止めるわけにはいかない。
( ごめんなさい、パーヴェル様! 少しだけ、時間を下さい! )
そう心の中で謝罪し駆け出したニーチカだったが。
数歩進んだ先で、突然黒い闇に包まれた。
「…え…?」
「――ニーチカ!!」
私を呼ぶパーヴェル様の悲痛な声を聞きながら、闇に包まれたニーチカの意識はスッと暗転した。
**
――そして今に至る。
真っ暗闇の中、光の精霊たちが照らす明かりの下でニーチカは深い深いため息をつく。
最後に私を呼んだパーヴェル様のあの声を思いだしたら、先ほどまでの認識を少し改めないといけないと反省する。
怒ってるかもしれないけど、心配もしているだろう。
若干肩を落としたニーチカの周りに、小さな光たちがふわふわと集まってきて、ニーチカは頬をくすぐるそれにそっと指を添えた。
「……もしかして慰めてくれてるの?」
まるで返事をするかのように光は瞬く。
私も言葉が通じれば良かったのに。
しばらくして、そんな光たちに小さな変化が起きた。ソワソワしだしたというか、浮足立つような。
何かが起ころうとしてる?
わからないままに身構えたニーチカだったけれど。
「すみません、遅くなりました」
突然届いた声。
そう、起こったこととは――、こんな訳のわからない場所だというのに急に姿を見せた人物の登場。
ニーチカは唖然と口を開く。
「……スヴェートさん…?」
「はい、直ぐに来る予定だったのですが、勇者を撒くのに時間がかかってしまって…」
金髪美女はそう言って申し訳なさそうに金色の目を緩く細める。
「いえ、あの、えっと…?」
混乱甚だしいが、えっと…、なんでこの人がここにいるのか? しかも当然のように私に話しかけてくる。ちょっと意味がわからない。
私の混乱をよそに、金髪美女――スヴェートさんは暗闇に向かってサッと手を掲げ、真っ暗だった部分に白い空間が現れる。そこにはテーブルと机。机の上にはティーセット、お菓子まで並んでいる。
ますます状況が読めない。だけど。
( …この人…、魔法が、使える…? )
ティーセットの配置が気に食わなかったのか少し手直ししたあと満足そうに頷き、スヴェートさんは同性でもドキッとするような艶のある笑みを浮かべて私を見た。
「さあ、ルーシェンカこちらへどうぞ」
と、テーブルへと促す。
( ………え? 今…、なんて? )
魔法が使える云々よりも更に衝撃的な言葉が聞こえた。
ルーシェンカ? 私をルーシェンカ様だと?
「あ…、あの、ルーシェンカ…って、それは貴方の方、ですよね?」
「は? …ああ、あの役のことですね。申し訳ありませんでしたルーシェンカ、貴方のお名前を勝手に拝借してしまい」
「や、え、そうではなくて…」
「ああそれと、今はニーチカと仰られるんですね、失礼しましたニーチカ様」
「あー…、やー…、う〜ん」
なんだろう。この人もこれまた断言しにきてるけど。パーヴェル様とも知り合いぽかったので、私の昔を知ってるってことだろうか?
ああ…、それならばもしかして? と。
( パーヴェル様の割と剣呑な態度から考えれば、喧嘩別れした、元恋人とか…? )
「ニーチカ様」
「――は、はい」
「違いますから」
「え?」
「全く、違いますから」
「あ…、はい…」
まだ何も言ってないのに、麗しい笑顔(正し圧の強い)で否定された。元カノではないらしい。…口に出してないよね…?
でも、恋人ではないとしても知り合いではあるはずなのだ。
「あの、スヴェートさんは…、」
「スヴェートとお呼び下さい」
「いや、でも」
「ニーチカ様、スヴェートと」
「………はい」
押しが強い。パーヴェル様もそうだがこの人も。だけどこんな綺麗な人を呼び捨てにすると私の心の安寧が保てない。なので心の中だけは『さん』付けで許して欲しい。
「スヴェート…は、パーヴェル様とどんな関係なんですか…?」
「関係…? …そう、ですね、関わり合いにはなりたくないし顔も見たくない関係、ですかね」
「えっ、でもさっきはそんな感じじゃ…」
「ああ――、あれは仕方なくですよ」
「仕方なく?」
どういうことだろうと、ニーチカは眉を寄せる。それを受けたスヴェートさんは困ったように眉尻を下げ、ひとつ小さな息を吐いた。
「説明しますから、まずは座りませんか?」
「……」
断る意味もないのでニーチカは用意された席につく。だってもし何かするつもりなら既にしているだろうし、魔法が使えるのなら私の抵抗などそれこそ意味はない。
スヴェートさんはニーチカが席についたのを眺めてから、自らも向かいの席に座るとカップにお茶を注ぎ私の前に置いた。
ふわりと広がる花の香りがするお茶。絶対に高級品だ。並ぶお菓子もきっと。そして向かいにいるのは金髪金目の美女で、ニーチカと目が合うと美しい顔を綺麗に綻ばせる。
よくわからない場所で得体のしれない美女とお茶会。なんだろ、これ。
向かいにいるニコニコ顔の美女に半眼を向けていると、「まず始めに」とスヴェートさんが口火を切る。
「まず始めに――、私は人ではありません」
「は?」
中々凄い話の出だしだ。ニーチカはパチパチと目を瞬く。
「貴方の記憶がないのであれかとは思いますが、私は前の世界でルーシェンカの側にいた光の精霊王です」
「光の、精霊…王?」
「はい。 この貴方の周りを飛ぶ精霊たちの王ですね」
「王様…」
「定義としては少し違うかもしれませんが概ねそうですね」
「はあ…、偉い人、だったんですね…」
スヴェートさんは少しだけ眉を寄せて緩く首を振る。
「…偉くはないですよ。 だって私は結局向こうの世界で貴方を見失ってしまった」
「…え、でも、今ここにいるじゃないですか」
「ええ、屈辱でしたがあの勇者に頼み込みこちらへと来ましたので」
「はあ、なるほど…」
ギギギと悔しそうに歯を食いしばるスヴェートさん。そんな顔でも崩れない美形って凄いと思いながら、今の言葉を反芻する。
屈辱と言った。てことは、スヴェートさんからしてもパーヴェル様は好意を向ける人物ではないということ。でもルーシェンカ様の側にいたというなら、弟であるパーヴェル様とはよく顔を合わせた間柄だっただろうに。
パーヴェル様について語る時だけは顔をしかめるスヴェートさんだけど、ニーチカを見る金の眼差しはとても柔らかい。
ルーシェンカ様は金の愛し子と呼ばれ、光の精霊に愛されていたとパーヴェル様は言っていた。
そして目の前のスヴェートさんはその光の精霊で、しかも精霊王で、ニーチカは(一応)ルーシェンカ様だ。つまりは身の危険はないと考えていいのだろう。たぶん。
( …なら気兼ねすることもないか… )
ニーチカはカップを手に取り一口飲んで喉を潤す。うん、やっぱり美味しいお茶だ。そのあと、今度はこちらから尋ねた。
「パーヴェル様とは仲良くないんですか?」
「あの男とですか? 当たり前です。あいつは散々ルーシェンカの手を煩わせたばかりか、最後は世――、」
「…最後は、せ?」
「―――…っともかく、ルーシェンカに迷惑ばかりかけたやつと仲良くなれる要素なんて一切ないです」
「じゃあさっきの『仕方なく』っていうのは?」
「それは貴方を勇者から引き離す為ですよ」
「ん?」
あっさりもらった答えにニーチカは首を傾げる。
「引き離す?」
「そうです。取りあえずは物理的に」
「物理的に、引き離す…?」
けどスヴェートさんがパーヴェル様と親しいように見せる行為とくれば、物理的というより精神的な方に効果があると思う。
…まあ実際、物理的にも離れようとしたけどね、私一人なら無理そうではあったけど。ああ…、だからか。
考え事で下がっていた視線を上げるとスヴェートさんの綺麗な顔は何とも言えない表情を浮かべている。そういえば、パーヴェル様もいつかこんな顔してたな、と。
「…ニーチカ様はその耳についた装飾具の効果については知っているのですか?」
「え? ああ、これですか? …はあまあ、えっと、保護と防御と反撃が出来て、攻撃も出来るらしいですけど…」
急になんだろ?と思いながら、ニーチカは今は違和感もなく自分の耳につく、パーヴェル様の目の色をした石に触れながら言うと、スヴェートさんの形の良い眉が寄った。
「え、もしかして…、違います?」
「いえ、間違ってはいないです。でもそれを普通に受け入れてるんですよね?」
「えっ、…そう…、ですね、確かに」
何か、駄目だったろうか? 別にそれに関しては私が気を付ければいいだけの話だと思ったのだけど。でもスヴェートさんが言ってるのはそういうことじゃない気がする。
「貴方があの男を受け入れてしまった。だからこそ、仕方なく一芝居うったんです」
「んん? …あの、えっと…?」
スヴェートさんがくれた答えがやっぱり良くわからなくて、ニーチカは再び首を傾げた。




