3. 魔王の娘は告白する
「……怪我、治してくれてありがとう」
ふわふわのクッションを膝に抱きしめ、温かいココアをすすりながら、魔王の娘はぽつりと呟いた。
ぶつけてしまった鼻先が赤くなってしまっていたため、念のため回復をかけたのだ。
……あれだけ盛大にすっ転んだ割に大した怪我がないのは、披露宴を控える花嫁としては不幸中の幸いである。
「本当は、自分で治さなきゃいけないんだけど……ボクには無理だから」
自虐めいた笑みと共に、魔王の娘改めルサールカが、そうぽつりと溢した。
彼女の話を要約するとこうだ。
自分は魔王の娘にもかかわらず、ろくな魔力も身体能力もなく、出来損ないと疎まれていたこと。
厄介者の自分を押し付けられた勇者には申し訳ないが、どうか自分を魔王国に突き返さないでほしいこと。
「スライムにすら劣るポンコツ、それがボクの評価だ。だけどせめて、バレないうちは……“それらしく”見せたかったんだんだけど」
そして小さく肩をすくめた。
「けど、無理だった。最初でバレちゃった。……転んで泣く魔族なんて他にいるわけないし、幻滅したよね」
見るからに落ち込んだ様子のルサールカ。
高貴かつ悠然とした推しとは対局である。
「ボクには戻る場所がない。できることならなんでもする。だから」
ルサールカは深々と頭を垂れた。
「ボクを捨てないでほしい」
その姿はあまりにも必死で、健気で……レクスは大いに焦った。
え、想像してた状況と違う。
そもそも、レクスの想定はこうだ。
美人だけどちょっと気の強い魔王の娘にゴミを見る目で蔑まれ、初夜から無言でベッドを分けられる。
家庭内別居が続き、稀に顔を合わせると「まだ生きてたの?」という無言の圧力に晒されながら、胃をキリキリさせる日々。
勇者と魔王の娘の不仲は国中に知れ渡り、人間と魔族の関係も釣られて悪化。
国王からは毎日苦言を呈され、仕事に費やす時間が減り、より社畜度が上がる……などなど、それはもう悲惨な未来を考えていたのだが。
なんだ、このとんでもなく可愛い女の子は!?
いや、外見が完全に推しなので、可愛いのは重々承知していたが。
まるで捨てられた子犬のような、大きな目を潤ませ、必死な様子のルサールカのあまりの愛らしさに、レクスは胸を抑えた。
「あ、魔族の顔を見たくないっていうなら、なるべく目立たないようにするよ! 存在感を消すのは慣れてるから! あ、愛人だって気にしないし、えっとそれから……」
押し黙ったレクスに焦ったのか、ルサールカはなにやら物悲しいことを捲し立てはじめた。
曰く、魔王国でもろくに侍女をつけられなかったので、身の回りの家事全般は一人でできること。
また食事を抜かれることが多かったため、食べられる雑草の見分けがつくようになった、とか。
……ちなみに食事については毒味役もいなかったので、毒耐性には自信があるとのことだった。
またこれが唯一の戦闘スキルらしく、ここだけちょっと自慢げだった。
……一国の姫として本当にそれはどうなんだ? と思うエピソードが次々と出てきて、レクスは途中から同情心しかなかった。
悲惨すぎである。
「やっぱり、ダメだよね……」
一通りの売り込みが終わると、ルサールカは唇を噛み、俯いた。
そこで、レクスは我に返った。
コロコロ変わる表情が本当に可愛いなぁ、とか思っている場合ではない。
なにやら、ルサールカ本人は自分の戦闘用の価値をやたら気にしているようなのだが、レクスとしては全くもって問題ないのである。
なにせ、力こそ全てという魔族の価値観と違い、人間は結婚相手に戦闘スキルを求めないことが多い。
戦闘は騎士や傭兵、冒険者が行うもので、一般市民の仕事ではないからだ。
……推しと本当に関係ないのかとか、聞きたいことは山ほどあるが、それはそれ。
「ダメじゃないです」
きっぱりと、食いぎみで答えた。
そもそも推し似の美少女の頼みを断れる信者がいるか?
いや、いるわけがない、というのがレクスの主張である。
毎日姿を見るだけで幸せになる自信しかない。
いや、「こんな前世から続く生粋の童貞が夫で後悔しませんか、本当に?」といった心配はあるが。
……勇者業で貯まり、忙しさのあまり使えなかったお金だけはあるので、可能な限り貢がせていただくことくらいしかできないのだが。
「本当!?」
ぱあぁっと、花が咲くようにルサールカは喜色を浮かべた。
天使かな、と思った。
いや、ミルフィーナは堕天使なので、あながち間違いではないかもしれないが。
目の前の女の子が尊すぎる。
絶対幸せにしてみせる、とレクスは誓った。
「ありがとう! ボクの旦那様になる人が優しい人で本当に良かった。……いきなり泣かれて、ちょっとびっくりしたけど」
……そういえば、推しだと勘違いして、感動のあまり泣いて驚かせた結果、駆け寄ろうとしたルサールカがつまざき、顔面からすっ転ぶ羽目になったのだった。
「驚かせて本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
厄介な信者で申し訳なかったとレクスは反省する。
「ううん、ボクもびっくりさせちゃったから」
……拗らせた不審者を許していただき、本当に感謝しかない。
「でも、どうして泣いてたの?」
怪訝そうなルサールカに、レクスは一瞬躊躇った。
「……ちょっと宗教上の理由で」
「宗教上の??」
意味がわからない、といった様子のルサールカだったが、レクスはこれ以上説明する気はなかった。
だってレクスの願いは前世からずっと、自分の側で微笑んでくれる可愛い恋人と、田舎でのんびり暮らしたい! である。
初日から花嫁に引かれては、破綻まっしぐらである。
「あ! 勇者って、神からお告げを受けたりするんだっけ? 魔族でいう始祖の啓示みたいなものだって聞いたことがあるけど、大変そうだね」
無邪気な勘違いに、レクスは心底ほっとした。
「うん、似たようなものかな」
推しは神より重い存在なので、間違ってはいないだろう。
……多分、おそらく、広義の意味では。
「そっか。魔族に言えないことも当然あるだろうけど、何かボクにできることがあったら、言って欲しいな。精一杯サポート頑張るから!」
……レクスの心は瀕死のダメージをくらった。
目の前の女の子が眩しすぎて辛い。
「これからよろしくね、旦那様」
ぎゅっと手を握られて、レクスの心は遂に限界を迎えた。
「よ、よろしくお願いいたします……」
どうにか絞り出した声が、震えていなかったことを切に願う。
絶対に顔が真っ赤になっている自信しかない。
……我ながら、推しの顔に弱すぎである。
こうして、なんとか持ち直した魔王の娘と勇者の結婚式は、つつがなく終わりを迎えた。
魔王国側からの出席者は、外交官が数名のみと簡素であったが、ヴァルメリオ帝国側からは第一王子を始めとした要人が何人も顔を出し、もれなく全員、ルサールカの群を抜いた美貌に度肝を抜かれていた。
わかる、こんな超絶美少女が実在するとかちょっと信じられない。
誓いのキスは、事前に話し合い、唇ではなく頬にすることでやり過ごした。
……お互い知り合った直後だし、恥ずかしいし、なにより推しと同じ顔にキスとか、レクスの心臓が持たない。
お偉方からの長々しい祝辞と少しの嫌み(ルサールカが美人すぎて嫉妬したらしい)を受けとり、ようやく結婚式が終わった頃。
ヘトヘトになったレクスを待ち受けていたのは、更なる試練だった。
新婚初夜、同じ部屋に通されるのは不自然ではない。
……ないのだが、レクスは慄いた。
え、無理では。
目の前には、天蓋付きの豪奢なベッドが一台。
淡く煌めくシャンデリアの光に照らされて、静かな気品を湛えた少女が、ちょこんと座っていた。
柔らかなシルクのネグリジェから覗く、ふっくらと丸みを帯びた胸元と、真っ白ですらりと伸びた脚が艶かしい。
はっきり言って目に毒だった。
「えっと……夫婦になったから、子供を作らないとなんだよね」
照れたように笑うルサールカに、レクスは軽く目眩がした。
……何度も言うが、レクスは前世から続く社畜を極めし童貞である。
拗らせた愚かな男の前に、無防備な美少女はいきなりハードルが上がりすぎではないだろうか。
レクスは心の中で叫んだ。
誰か、俺を助けてください、と。




