2. 勇者レクスは動揺する
堕天使ミルフィーナとは。
月城 琥珀を始めとして、多くのRAGNAROKユーザーを狂わせた最強にして最高の絶対的ヒロインである。
実装と同時に完凸させるユーザーが続出し、彼女が少し登場するだけで某呟く系SNSのトレンドはRAGNAROK一色となった。
当然琥珀も完凸までガチャを回していたし、最適装備も一式フル強化済みである。
さらに公式グッズや小説、ゲームなどは抽選が必要なものを除けばほぼコンプリート。
捧げてきた時間や金は膨大だが、まったくもって後悔はない。
彼女以上に魅力的なヒロインなど、存在しないと断言できるのだから。
……だから、見間違えるなんてあり得ない。
「堕天使ミルフィーナ……?」
生身の推しを目にしてもなお、レクスは信じられない気持ちでいっぱいだった。
なにせ、今まで誰一人としてRAGNAROKの登場人物と遭遇してこなかったのだ。
まさか遭遇一人目が推しになるなんて、思ってもみなかった。
いや、というかそもそも。
魔王の娘は「ルサールカ」という名前だったはずだ。
断じて「ミルフィーナ」ではなかった。
ただ、目の前の少女を食い入るように見つめるも、髪や瞳の色、背格好、そして異常に整った顔立ちといい……ミルフィーナとの違いを何一つ見いだせない。
『あなたの未来に、私は不要だから』と。
ゲームの終盤。
そう笑って告げた彼女の喪失を、RAGNAROKユーザーの全員(レクス調べ)が嘆き、そしてその魅力を讃えたのだ。
あ、まずい。
そう、気付いた時には遅かった。
レクスの頬を、涙がしとどに伝っていた。
「だ、大丈夫!?」
突如泣き出した勇者を目にして、魔王の娘は少し慌てたように、そして心配そうにこちらに駆け寄ってきた。
何気ない姿ですら絵になるって、一体どういうことだろう。
彼女のいる場所こそが世界の中心だとでもいうような、全てを跪かせる、神の造りし至高の姫君。
……紛れもなく途中までは、そうだったのだが。
「わ、わ、あっ……きゃぁぁあ!」
突如、なんとも気の抜ける、すっとんきょうな声が響いた。
声の主は目の前の少女に他ならない。
どうやらウェディングドレスの裾を踏んだらしく、足元が浮き、その身体がふわりと宙を舞った。
まるで、スローモーションのようだった。
特徴的な深紅の瞳が驚きで丸くなり、艶やかな黒髪と純白のドレスが、視界を彩るかのようにぶわりと広がる。
そして。
少女はべしゃりと、顔面から盛大に着地した。
「……え、え、大丈夫!?」
一瞬の静寂の後、今度はレクスが慌てる番だった。
「……う、ううぅぅ」
幸い大きな怪我はなさそうで、小さく呻きながら起き上がった少女はぷるぷると肩を震わせ、顔を真っ赤に染めていた。
……羞恥でどうにかなりそうらしく、見てはいけないものを見てしまった罪悪感がすごい。
ただ、そんな姿さえとんでもなく可愛い。
可愛いのだが……なんだろうか、このとてつもない違和感は。
「……笑えば、いいよ」
「……え?」
キッとこちらを睨み付けてくる少女だったが、状況が状況だけに全くもって恐さがない。
「笑えばいいって言ってるの! ボクなんて魔王の娘なのにそそっかしくて、ポンコツで、いつだってバカにされてきたんだから!」
えぐえぐと泣き始めた、まるで濡れた子犬のような魔王の娘の姿に、レクスはとてつもない動揺に襲われた。
泣いている女の子を慰めた経験なんて皆無、かつ相手はとんでもない美少女。
前世から続く生粋の童貞には、ハードルが高すぎである。
しかも、動揺の理由はそれだけではない。
目の前の少女は……「推し」というには解釈違いが過ぎるのだ。
だってミルフィーナは「至高の個」として神に生み出された、完璧な存在なのだから。
いつだって優雅で美しく、躓いて転ぶ、ましてやこんな風に感情のまま泣き出すなんて、あり得ない。
「言っとくけど、ボクは姉様がたと違って何もできないからね! ろくに魔力も筋力もないお陰で、その辺のスライムにだって勝てないし!」
なにやらとんでもないことを捲し立てる少女に、廊下が騒がしくなったのをレクスは聞き取った。
おそらく、魔王の娘の泣き声を聞き付けた使用人たちの足音だろう。
ミルフィーナじゃ、ない?
というか、なんか俺が泣かせたみたいに見えないかなこれ?
混乱しすぎた結果、冷静になることを今ほど実感したことはない。
「きっとここでもバカにされて、いじめられるんだ……。せっかく逃げられたのに……!」
レクスは遠い目になりつつ、なんとか目の前の少女を落ち着かせようと、視線を合わせるように膝を曲げた。
……こうして、勇者レクスと魔王の娘ルサールカの、愉快かつ波乱に満ちた結婚生活は幕を開けた。
片や、魔王を倒した史上最強の勇者。
片や、スライムにすら勝てないポンコツ姫。
次々と巻き起こるトラブル、事件、そして命の危機。
散々振り回されることとなるレクスだが……彼は後に、こう語った。
『可愛いので全部OKです』、と。
レクス
→勇者。あまりにも強すぎて、魔族から冷酷無情などと恐れられている。
ミルフィーナのことになると常識を忘れる社畜。
ルサールカ
→魔王の娘。RAGNAROKのヒロイン、ミルフィーナと同じ容姿をした絶世の美姫。ボクっ娘。




