1. 勇者レクスは転生者である
勇者レクスは転生者である。
前世の名前は月城 琥珀。
二十七歳の独身、安月給の社畜サラリーマン。
クリスマスの夜に大型トラックに吹っ飛ばされ、学生時代に熱中していたソーシャルゲーム「RAGNAROK」によく似た異世界へ、勇者レクスとして転生した。
RAGNAROKのストーリーは極めて王道で、世界を破滅させようと企む魔王を、勇者である主人公とその仲間たちが打ち倒す、という実にありがちなものだ。
金にものを言わせた豪華声優に美麗な3Dグラフィック、多種多様なヒロインたちなど、様々な魅力こそあるものの……昨今においてはどれも、特別珍しいことではない。
ではなぜ、RAGNAROKが覇権ゲーと呼ばれるようになったのか。
それは誰よりも美しく、凄絶で、それでいて史上最強に可憐な……月城 琥珀を沼に落とした元凶のためである。
可愛い女の子と田舎でのんびり暮らしたい!
これが勇者レクスの、前世から続く唯一無二の悲願である。
激務この上ない勇者業だが、魔王さえ倒せば多額の褒賞金が手に入る。
あわよくば、可愛い女の子と良い感じになりたいな、なんて……レクスも健全な男の子なのだから、そりゃあ考えたことがないとは言わないけれども。
そんな、贅沢は言わない。
勇者なんて最強性能が手に入ったのだ。
なにがなんでも、悠々自適な隠居生活を手に入れてやる!
……などと、考えていた頃があったものの。
結論、人生は思うようにいかない。
怒涛の二百連勤を終え、純白のタキシードに着替えさせられたレクスは、小さく溜め息を吐いた。
場所は花嫁のいる控え室の扉、その目の前で。
ノックをしようとしては手を下ろし、また手を伸ばしては下ろし、ため息を吐く……そんな不審な挙動を、かれこれ十五分近くも行っていた。
これから結婚するはずの、新郎の姿とはとても思えない。
ヴァルメリオ王国が王都、アルベリオンの大神殿を貸しきっての結婚式。
絢爛豪華な広間には、ほとんど話したこともない王族や貴族たちが、新郎新婦……つまりレクスとその花嫁を待ちわびて、勢揃いしているのだろう。
なお、レクスと花嫁となる女性に面識は一切ない。
国王からの命令で、断る選択肢がなかったというだけの政略結婚である。
ちなみに相手は魔王の娘であり、自分を恨んでいるであろう少女だ。
和平を結んだ証に、お互いの国の者を婚姻させましょう……との申し出は魔王国側からだったが、困ったことにヴァルメリオ王国の王族貴族たちは、誰一人として了承しなかったのである。
そこで、白羽の矢が立ったのがレクスであった。
平民出身だが、勇者としての地位と栄誉があり、魔族を圧倒する能力を持つ。
……ついでに元日本人の性質なのか、野蛮な平民にあるまじく忠実で、物わかりが良い。
騙し討ちのように告げられた命令に、小心者のレクスが逆らえるはずもなく、今日この日を迎えたわけである。
なお前世を含め、年齢=恋人いない歴を地で行くレクスは、恋人という存在に対してかなり夢を見ていた。
とはいえ、最愛の推し……堕天使ミルフィーナのような完璧ヒロインを望むほど身の程知らずな訳ではない。
自分の側で微笑んでくれる可愛い恋人と、穏やかに生きていきたいなぁという、平凡でありきたりな願いを抱いていたくらいである。
レクスはこれまでの旅路を振り返る。
勇者としてあちこちの戦線に駆り出され……魔族たちを容赦なくなぎ倒してきた日々を。
……冷静に考えて、これは詰んでいるのでは?
どう足掻いても妻と良好な関係を築ける気がしない。
というかはっきり言って、この結婚を考えたやつは致命的に配慮が足りていない。
睨まれたり、罵倒されたりしても当然で、むしろその程度ですめば御の字である。
……始まる前から、冷めきった仮面夫婦となる未来しか見えない。
そんな身も蓋もないことを考えながら、レクスはやっとの思いで扉をノックした。
半分やけである。
「にゅ、入室を許可しよう」
一呼吸おいて、少し緊張を孕んだ少女の声が響いた。
耳に残る綺麗な声に、一瞬首を傾げる。
どこかで聞き覚えがあるような気がしたが、気のせいだろうか。
ゆっくりと扉を開けたレクスは、視界に飛び込んできた光景に、思わず絶句した。
腰まで届く艶やかな黒髪をなびかせ、薄絹を幾重にも重ねた純白のドレスに身を包んだ、まさに絶世としか言い様のないほどの美少女がそこにいた。
一点の狂いもなく整えられた完璧な左右対称の顔に、女性らしい優美な曲線を描く肢体。
だがなにより目を奪われるのは、虹色の光彩に彩られた、揺らめく炎のごとき深紅の瞳である。
見る者を惹き付けて止まない、ただし人の身には決して届かない「至高の姫君」たる証。
レクスは……いや月城 琥珀は、彼女のことをこれでもかというほどに知っている。
神が造った最高傑作にして、神に背いた血濡れの天使。
己の多額の金と時間の全てをつぎ込んだ推しであり、RAGNAROKが誇る絶対的ヒロイン。
「だ、堕天使ミルフィーナ……」
見間違えるはずがない。
学生時代から約10年もの間、全てを捧げてきた推しが、そこにいた。
「……え?」
なおレクスはあまりの衝撃に、花嫁となる少女が困惑したように眉根を寄せていたことに、この時はまったく気付けなかった。




