第97話『家庭料理の味付け』
■ 家庭料理の味付け
地球一家6人がホストハウスを目指して歩いていると、すぐそばに大きな工場らしき建物があり、巨大な倉庫も隣接していた。何の工場なのか疑問に思いながら家のドアを開け、リコが声を出した。
「おじゃまします」
ホスト夫妻と小学生の息子二人が玄関に現れ、地球一家をリビングに迎え入れた。
挨拶を済ませると、母がHMに尋ねた。
「この近くに巨大な工場がありますね」
「はい。この地域の冷凍食品が作られています。この地域で冷凍食品を作っている工場は、ここにしかありません。全ての家庭の食事は、あの工場からトラックで運ばれているんです」
「その隣にあった倉庫は?」
「農家から運ばれてきた野菜や、牧場から運ばれてきた肉、漁港から運ばれてきた魚などが蓄えられています。これらを使って、工場の中で冷凍食品に加工するというわけです」
工場と倉庫のことは、これでよくわかった。
「昼食はまだ召し上がっていないですね。さっそく我が星の冷凍食品を試してください」
HFはそう言って立ち上がり、かなり大きめの冷凍庫の扉を開けた。え、昼食は冷凍食品だけ? そういえば、家の中にダイニングはあるが、キッチンは見当たらない。ジュンがHFに尋ねた。
「まさか、この家には台所はないのですか?」
「この家は百年以上前に建てられたので、奥のほうにガス台が使える台所があります。でも、一般的に家庭には台所はありません。地球では、どの家にも台所があるんですか?」
「当然ですよ。地球では、各家庭で肉や野菜などの材料を買って調理して食べます」
「それはまたすごい」
「そこを感心されるとは」
冷凍庫から取り出された品は次々に電子レンジで温められ、テーブルに並べられた。HMが自慢そうに料理の皿に向けて手を広げてみせた。
「お待たせしました。我が星自慢のミートボール、パスタ、スープのセットです」
「いただきます」
地球一家は食べ始め、おいしいと口々に言い合った。
「もしかして、毎日これを食べているんですか?」
母が尋ねると、HMが自信たっぷりに答えた。
「はい、私たちはこれを毎日3食食べているんです。栄養満点で、バランスも取れています。機械で作っていますから、塩分もちょうどいい分量です。地球には冷凍食品はないんですか?」
「もちろん、地球にも冷凍食品はありますよ。でも、日常的には家庭料理を食べるのが普通です。家で誰かが作って、それをみんなで食べるんです」
「塩分はきちんと測るんですか?」
「そこまできちんとは測りません。ちょっと塩分を取りすぎたなと思う日もありますよ」
「それはいけませんね。塩分を多く取りすぎるのは、高血圧など病気の原因になります」
「まあ、そりゃそうですけど、毎日ぴったり同じ味付けって、なんだかつまらなくないですか? 家庭料理のいいところは、日によって味付けが違うところです。だから、飽きが来ないんですよ」
母がそう言って説明すると、ミサがこれに同意した。
「そう、そう。例えば、同じ人が同じメニューを作ったとしても、その日の体調によって味付けが微妙に変わるんです。だから飽きることなく食べられるんです」
しかし、ホストファミリー一同は、何だかよくわからないと言いたげに、顔を見合わせてきょとんとするだけだった。地球での食事のことがあまり理解されることなく、昼食時の会話はひとまず終わった。
午後になり、気温がうなぎ上りに上昇すると、テレビ画面がニュース番組に切り替わった。
「緊急ニュース速報をお伝えします。極度の暑さにより、電力不足が生じています。今すぐ節電をしてください」
ニュースを聞き、ホスト夫妻が騒ぎ出した。確かに、電力が低下してエアコンの効きが悪くなったようだ。一番の問題は、電子レンジだ。鈍い音がする。
ニュース番組の中では、専門家が電子レンジについて解説した。
「電子レンジがうまく動かないという声が、各所からあがっています。メーカーに問い合わせたところ、現在の電力の状態では解凍するのに10倍の時間がかかるということです」
テレビ画面の前で、みんなは不安そうに息を飲んだ。
「それじゃ、夕飯が食べられないじゃないか」とHF。
「よろしければ、我々で家庭料理を作って差し上げましょう。倉庫に行けば、材料が手に入りますよね」と母。
「はい、冷凍食品を作る材料としての肉や野菜が豊富にありますよ」とHM。
「じゃあ、腕によりをかけて作りますよ。何がいいかしら」とミサ。
ホストの小学生の息子二人は、口々にうれしそうに叫んだ。
「スープ」
「ミートボール」
「それじゃ、お昼に食べたものと同じになっちゃうわ」とミサ。
「でも、それしか食べたことがないからな」とHF。
「いいじゃないか。我々が地球の家庭料理として、ミートボールとスープを作って差し上げよう」と父。
「じゃあお母さんと私でミートボールを作るから、お父さんとジュンがスープを作ってよ。タクとリコも手伝って」
ミサがそう言って役割分担を決めると、ジュンとミサは材料を調達するために歩いて倉庫に向かった。
倉庫の扉を開けると、一人の高齢の女性が野菜を見定めているところだった。
「こんにちは。あなたたちはもしかして、この近所にホームステイしている地球からの旅行者だね」
女性に突然そう言われ、ジュンとミサは驚いてうなずいた。
「やはりそうなのね。電子レンジが使えなくなって、自分で料理しようとここに材料を探しに来たんじゃない? ここの住民にはあり得ないことだから、きっと地球の人だろうと思ってね」
すべて図星である。ミサは驚きながらも女性に逆に質問した。
「あなたも私たちと同じように、料理するための食材を探しにここにいらっしゃったんですか?」
「私は、今日みたいな日だけじゃなくて、いつだって料理しているよ。私の仕事は、この地域でただ一人の栄養士。健康と栄養バランスを考えて、冷凍食品を開発している張本人だから」
「あ、そうだったんですね。ちょうどいい塩分で、よくできていると評判です」
「そんなの、たいしたことじゃないよ。地球の人の料理の腕前も、見てみたいものだ。あとで味見におじゃましてもいいかい?」
「いえいえ、私たちは料理の素人で、そんなたいした料理は作れませんから」
ミサはそう言って謙遜しながら、ジュンと一緒に必要な食材をかき集めてそそくさとその場を去った。
二人が家に戻ると、役割分担に従って地球一家の調理が始まった。今は全く使われていない古い台所を借りて、材料を切ったり味付けしたりしながら、ガス台を使って火を通した。
ミートボールの最初の6個が出来上がると、ミサはスプーンですくって味見をした。
「うん。ミートボールはいい感じ。味付けもちょうどいいな。薄すぎず、濃すぎず」
母とリコもミートボールの味付けを確認し、満足そうにうなずいた。
次に、スープが煮立つと、ジュンがおたまで一口すくった。
「スープはどうかな」
父とタクも、スープの味見に参加した。
「ちょっと薄すぎるんじゃないか」
父がそう言うと、ジュンはバスケットの中から食塩の瓶を取り出してみんなに見せた。
「ここに塩があるから、お好みで振ってもらおうよ」
父とジュンは、ミートボールの試食にも参加した。
「お昼に食べたミートボールとほとんど同じくらいの味付けで、ちょうどいいな。おいしいよ」
父はそう言って褒めたが、ジュンは少し首をひねった。
「お昼の冷凍食品のミートボールと全く同じかというと、本当に微妙な違いだけど、ミサのミートボールのほうが、少しだけ味が濃いという気がしないでもないような……」
「細かいわね」
ミサはジュンの評価に不服そうな表情を示した。
そして、いよいよホストファミリーに料理をふるまう時が来た。ホスト夫妻と二人の子供が着席し、ミートボールとスープがテーブルに並べられた。
どちらの料理も見映えが非常に良い。まず、みんな楽しそうにスープに口をつけたが、あまりにも薄味のスープだったので、子供たちは騒ぎ出した。ジュンが慌てて食塩の瓶を差し出すと、ホスト夫妻も含めた4人は、順番に手際よくスープに塩を振って味を調えた。そして、結果的には4人とも満足そうにスープを完食した。
そして、次はミートボールだ。しかし、4人とも一口食べただけで手を止めてしまった。
地球一家が意外な表情でホストファミリーを見つめると、HFがようやく口を開いた。
「すみません。しょっぱすぎて、食べられない。スープだったらお湯で薄めることができたけど、ミートボールだとそれもできない」
ほかの3人も同調してうなずき、結局ホストファミリー一同は、一口だけ口をつけたミートボールの皿を前方に押し出した。
地球一家6人は、客間に案内されてくつろいだ。
「毎日の食事が冷凍食品なのに、どうしてホストの皆さんの舌はあんなに繊細なのかしら」
ミサが疑問を口にすると、母が回答した。
「きっと、毎日の食事が冷凍食品だからこそ、繊細なのよ。機械的に測られた塩分量だから、毎日ぴったり同じ。そんな食事に慣れきっているから、少しでも塩分量が違うと、薄すぎや濃すぎに感じるんだわ。地球の食事では、ちょうどいい食事の塩分濃度は0・9パーセントと言われているから、この星の冷凍食品も、おそらく0・9近辺だと思う。でも、地球の家庭で厳密に0・9にすることは難しいから、0・8になったり、0・95になったりする。私たちはそれに慣れているから、0・8でも0・95でもそれほど味付けの違いは感じない。ところがこの星の人たちは、来る日も来る日も0・9の塩分の食事ばかり食べてきた。そして今日初めて0・91くらいのミサの料理を食べた。驚くほどしょっぱく感じたのも、無理はないわ」
ミサは母のこの説明をそしゃくしながら、不満な気持ちをあからさまに表した。
「理解はできたけど、納得いかない。あんな大雑把なジュンの料理に負けるなんて。しかも、全く食べてもらえなかったなんて」
その時、玄関に来客の気配があった。
「あら、栄養士さん。お久しぶりです」
HMが挨拶する間もなく栄養士の高齢女性は家に上がり込み、ジュンとミサに声をかけた。
「約束どおり、試食しに来たよ。いい匂いだね」
「あ、実はその、ミートボールがうまくいかなくて……」
しかし、栄養士の女性はミサの話を最後まで聞かず、皿からスプーンでミートボールをすくった。ミサは、ジュンと顔を見合わせた。
「どうしよう。若いホスト夫妻や子供たちが全く受け付けなかった塩味よ。ましてや高齢の人が食べたら、一瞬で高血圧になって倒れてしまうかも」
「心筋梗塞や心不全のリスクも……」
ジュンはそう言いながら止めようとしたが手遅れで、栄養士は一口でミートボールをほおばってしまった。そして彼女は叫んだ。
「うん、おいしい!」
地球一家全員が勢ぞろいして不思議そうに見ていると、栄養士は2個目のミートボールを口に入れながら、説明口調で話した。
「私が倒れるとでも思った? 大丈夫よ。若い頃からいろいろな味付けを試して冷凍食品を開発してきたから、少しくらい塩分が多くても私は何ともない。むしろ、塩分が濃いと、やみつきになるくらいおいしい。でも、みんなは気を付けて。あくまでも健康的なのは塩分控えめの味付けだから、濃い塩分に慣れちゃ駄目だよ」
取り囲んで話を聞いたみんなは、『十分気を付けます』という意味を込めて、ほっとしながらうなずいた。




