第94話『親切な警察官』
■ 親切な警察官
地球一家6人がホストハウスに到着すると、出迎えてくれたのはホスト夫妻と11歳の息子ミルボだった。
案内された広い客間に全員集合して話をしているうちに、ミルボの学校の勉強の話題になった。HMがミルボに向かって手を差し出す。
「そういえば、今日の宿題は? 見せてごらんなさい」
ミルボが母親に差し出したプリントには、算数の計算問題が全部で40問書かれていた。勉強する内容は、地球の学校とほとんど同じようだ。
ミサは、プリントの左半分を指し示してミルボに尋ねた。
「問1から問20までは、もう答えが書いてあるわね。学校でやって来たの?」
「違うよ。先生が書いてくれたんだ。20番まではやらなくていいって」
「どうして?」
「僕の実力ならば必ず解けるから。易しすぎる問題をやるのは時間の無駄なんだよ」
「言われてみればそうね」
HMは、ミルボのバッグの中から筆箱を取り出し、鉛筆を握った。
「先生は確かに、ミルボの実力がよくわかってる。でも、ミルボの実力をこの世で一番よくわかっているのは、母親の私よ」
HMはそう言いながら、算数プリントの問21と問22に正解を書き込み、ミルボに返した。
「はい、ミルボ。あなたは問22まで簡単にできるはずだから、やるのは時間の無駄。問23からやりなさい」
「母さんにはかなわないな。21番と22番は楽勝だから、とりあえずすぐに終わらせようと思っていたのに」
ミルボが少し不服そうな表情をのぞかせると、HMは地球一家みんなに説明した。
「この星では、子供たちはみんなそうです。簡単すぎる問題はやらなくていいように、親や先生が配慮してあげるんです。ある程度難しい、手応えのある問題に時間が割けるようにしているんです」
この説明を受けて、HFが補足した。
「勉強だけではありません。会社の仕事でも同じことです。簡単な仕事は上役や先輩がやってあげます。骨が折れるけどやりがいのある仕事が、新入社員や若手社員に回ってくるのです。そうやって、若者は成長していきます」
「なるほど、大変興味深い教育方針ですね。もっと教えていただきたいです」
母がそう言うと、父が地球一家の子供4人に向かって命令した。
「そうだ。今から子供たち4人だけで出歩いてきなさい。そのほうが、親とずっと一緒にいるよりも、自主性が身につくだろう。夕方まで帰ってこなくていいぞ」
父母は引き続きホスト夫妻と子供の教育について語り合い、ミルボは算数の宿題をやるために部屋に入った。
地球の子供たちは、父の指示どおりに4人だけで散歩に出ることにした。
「とりあえず、こっちに歩いて行こう。市庁舎やら公民館やら、いろいろありそうだ」
ジュンは、ホスト夫妻に描いてもらった地図を手に、一方向を指さした。
晴天に恵まれて、4人は気持ちよく歩くことができたが、風が強いため砂ぼこりやゴミなどが道の上を舞っていた。
そして、しばらく歩いた頃、ジュンが持っていた地図が風に飛ばされた。
「ごめん。気を付けていたつもりだったんだけど」
地図は宙を舞い、柵を越えて空き地の中に飛んで落下した。低い柵なので、簡単に取りに行けそうだ。
リコが柵を越えて取りに行こうとすると、どこからか年配の男性警察官が駆けつけてきた。
「お任せください。今すぐ拾ってきてあげますよ」
「こんなことまでやっていただかなくても、僕たちだけで取れますから」
ジュンは遠慮したが、警察官は笑顔で答えた。
「どうぞ、気にしないでください。住民の皆さんが快適な生活ができるようにするのが我々警察の役目なんですから」
警察官が地図を拾ってジュンに手渡すと、4人の子供は丁寧にお礼を言った。
試練は強風ばかりではなかった。ほんの数秒間ではあったが、汚れた水が空から降ってきたのだ。この星の雨は黒いので注意が必要だと、確かに事前に言われていたことだった。
雨はすぐにやんだが、地図が少し黒く汚れ、一部の文字が判読できなくなっている。ジュンは、その箇所を指しながらつぶやいた。
「この文字が読めなくなったけど、確か、郵便局の地図記号だったかな。郵便局には用はないし、こっちの方角にはもう行かないから、問題ないな」
ところが、その時、先ほどと同じ年配の男性警察官が駆け寄ってきた。ジュンの持つ地図をのぞき込むと、優しく教えてくれた。
「汚れた部分は、郵便局ですよ」
「あ、ありがとうございます。でも、助けていただかなくても大丈夫でしたよ」
「ご遠慮なさらず。皆さんのための警察ですから、いつでもすぐに参上しますよ」
「こんなに早く助けに来てくれることが驚きです。どこかで僕たちのことを見ているんですか?」
「空を見上げてみてください」
上空には、何台ものドローンが漂っていた。
「ドローンに監視カメラが取り付けてあって、我々警察官が常に、皆さんの一挙手一投足、全てを監視して、見届けているんですよ。交番も至る所にありますから、一番近くにいる警察官が、制限時間内に駆けつけるように定められています。市民の安全で快適な暮らしを支えるのが、警察の役目です」
そう言われると、子供たちはその一言ずつに感心せずにはいられなかった。
警察官と別れてしばらく歩きながら、ジュンは年下の3人に言った。
「僕も、あと数年で成人になる。君たち子供を成長させる立場に回るんだ」
「何よ、突然」
ミサが口をとがらせると、ジュンは地図をミサに渡した。
「僕だけ地図を見ていても、ほかの3人のためにならない。ここからは交代で地図を持って、みんなを誘導する役目を担ってもらうことにしよう」
これをきっかけに、今度はミサが地図を持ってみんなを引っ張って歩いた。
しばらくすると、またもや突風が襲いかかり、ミサの持っていた地図が風に飛ばされた。
地図は空中を舞った末に近くの空き地に落ちたが、今度の空き地は高い柵に囲まれており、簡単に中に入れそうにない。
リコは、ちょうど首が入りそうな穴が柵に空いているのを見つけ、穴から首を突っ込んで空き地の中をのぞき込んだ。空き地の中をキョロキョロと見回し、地図が見当たらずに困った様子を見せたが、すぐにもっと困った事態に陥ったことをみんなに知らせた。柵の穴に突っ込んだ首が抜けなくなってしまったのだ。
一方その頃、ジュンは空き地に面した反対側の路地に回り、柵に切れ目があるのを見つけ、そこから空き地の中に入った。地図はすぐに見つからなかったが、空き地の隅にある古井戸に落ちて浮いていることがわかった。
ミサがジュンのもとへ駆け寄ると、ジュンが井戸の水に向かって必死に手を伸ばしていた。
「地図が井戸水に浮かんでいる。駄目だ。深すぎて手を伸ばしても届かない」
「それより、こっちでリコが大変なことになっているの」
ミサがリコの状況をジュンに報告すると、一緒にリコのいる側へと回った。リコはまだもがき続けており、タクが何もできずに心配そうにその様子を見ていた。
「警察が来てくれるだろう。上空から市民を監視し続けているんだから」
ジュンはそう言ってみんなを安心させたが、10分待っても20分待っても、警察が来る気配はなかった。
「こんな時に限って、警察が来ない。さっきまで、あんなに簡単なことで駆けつけてくれていたのに、明らかにおかしいわ」
ミサがそう言うと、タクが首をひねった。
「簡単な問題に限って……。どこかで聞いたような……」
そして、タクは自ら一つの答えに達した。
「そうか、さっきのミルボ君の算数の宿題と同じだ。警察は僕たちを成長させてくれているんだ。だから、簡単なことはやってくれるけど、難しい問題は手を貸してくれないんだ」
「そんな警察ってある?」
ミサがいぶかしげに首をひねると、ジュンがタクに同意するように答えた。
「この星の警察は、きっとそうなんだろう。そう考えると、大人たちに助けを求めても結果は同じかもしれない。自分たちで工夫して解決しなさいと言われるだけだろうな」
では、どうすればいいのか。ジュンは、自分の頭を人差し指で差しながら、目を閉じて念じるように自分に言い聞かせた。
「考えろ! 考えるんだ」
ミサとタクも、ジュンにならって黙想したが、すぐにタクが叫んだ。
「井戸水のことは、いい方法を思いついたよ。石をどんどん投げ入れていくんだ。そうすれば、水面が上がってくる」
「地球でもそんなぐう話があったね。喉の渇いたカラスがそうやって井戸水を飲むという話だ」
ジュンはタクのアイデアに感心し、すぐさま手ごろな大きさの石がたくさん見つかる場所を探して回った。
袋いっぱいに入れた石を抱えて戻ってきた3人は、井戸の底を目掛けて石を投げ入れていった。
すると、水面が少しずつ上昇し、やがて地図の紙はジュンが手を伸ばせば届くところまで浮かび上がってきた。ジュンは地図をつまみ上げると、うれしそうに叫んだ。
「よし、取れた。一難去ったぞ」
一難去って、また一難。リコの首はどうしよう。今度は、ミサがひらめいた。
「そうだ。押して駄目なら引いてみなって言うよね。引っ張るばかりじゃなくて、体のほうを押し込んで空き地の中に押し込むのよ」
ミサは、気持ちは優しくも、力を入れてリコを押したが、リコは痛そうな表情で、それでも悲鳴をあげるのをこらえて歯を食いしばった。
これを見て、ジュンがミサを止めた。
「無理だ。普通に考えて無理だよ。3歳くらいまでの子なら、頭が大きいからそれでいいだろう。リコは7歳だよ」
「ほかに方法はある?」
「首を油で滑りやすくすればいいんだ。スーパーに行ってバターを手に入れよう」
ジュンは走り出したかと思うと、5分ほどで手にバターを持って戻ってきた。
「さあ、バターを塗るぞ」
ジュンはリコの首にたっぷりのバターを塗り、引っ張って抜こうとしたが、効果はなかった。
「駄目だ。首は動かない」
ジュンは、ミサとタクが無言でいるのを見て、降参するそぶりを見せた。
「お手上げだ。やっぱり大人たちを呼んでこよう。難しすぎる問題ならば、手を貸してくれるんじゃないだろうか」
その時、誰かが大きな足音を立てて走って近づいてくる。警察だ。今度は、年配の警察官と共に、若い男性警察官が一緒に来てくれたようだ。
「厄介な問題ですね。警察の手には負えません。業者に連絡をとって、安全な方法で柵を切断してもらいます。先輩、それでいいですね」
若い警察官が確認をとると、年配の警察官はうなずいた。
警察の手配により業者が到着し、柵が切断されて、いとも簡単にリコは救出された。業者が去った後、ミサが年配警察官に尋ねた。
「来てくれるのを一時間近く待ちましたよ。どうしてすぐに来てくれなかったんですか? やっぱり、私たちを成長させるため?」
「成長? ハハハ、いや失礼、意外な言葉を聞いて、つい笑ってしまいました。それは違います。後輩が到着するのを待っていたんです」
「後輩?」
年配警察官は、若手の警察官の肩をたたいて示した。
「新入りの警察官ですよ。彼に成長のチャンスを与えるためです。私が自分でやるのは簡単です。でも難しい問題は後輩に任せて、経験を積ませたい。だから、別件で出動していた後輩が戻ってくるのを待っていたんです。もっとも一時間というのは我々が定めたギリギリの制限時間であり、これ以上遅くなる場合は私がやるつもりでした」
「僕たちの勘違いでした。てっきり、警察が住民の成長を考えてくれているんだと」
ジュンがそう言うと、年配の警察官は笑った。
「警察が住民の成長を考える? まさか。成長を考えてあげるのは、親が子供に対して、先生が生徒に対して、それから、職場の上司が部下に対して。せいぜいそれくらいです。地球では違うんですか?」
地球のことをふいに聞かれて、4人はとまどいながら苦笑いをした。




