第92話『Tシャツの洗濯』
■ Tシャツの洗濯
地球一家6人は、空港を出た途端にマスコミの人々に取り囲まれた。
「地球の皆さん、こっちを向いてください。地球に住む家族がついに我が星にやってきました。新聞の号外を発行する予定です」
どうやら、新聞社のようだ。突然のフラッシュの光に、6人はまぶしくて目を閉じそうになった。写真家は、撮影した画像をチェックしながら満足そうにうなずく。ジュンとミサは写真の出来栄えが気になり、横から画像をのぞかせてもらった。
「よかった。美男子に撮れているぞ」
ジュンがうぬぼれて言うと、ミサは顔をしかめた。
「私たちの顔の写りは悪くないけど、リコが変な顔になってしまったわ」
確かに、写真に写ったリコは唇をとがらせ、にらめっこの時につくるような面白おかしい顔をしている。リコがわざとこんな顔をつくるとは信じ難い。偶然にできてしまった顔なのだろう。リコも近づいてきて写真を見たが、全く気にしていない様子だった。
その後、6人は道を歩くとすぐに汗ばんできた。気温が高いうえに、湿度も高い。最も汗をかきやすい気候なのだ。着替えのシャツは何着も持ってきているので、ホストハウスに着いたらすぐに着替えさせてもらおう。
この日のホストハウスは、ホスト夫妻が経営する小さなホテルだった。ホテルに泊まれるのは、部屋を広々と使えるので助かる。
「家族みんな、汗びっしょりなので、まずは部屋で着替えさせてください」
父が頼むと、HFはさっそく6人を部屋に案内し、水色の無地のTシャツを一着ずつ手渡した。
「このTシャツを着てください。皆さんの身長を見てサイズを決めましたから、ちょうどいいと思いますよ」
6人全員がTシャツ姿になったところで、ミサがHFに言った。
「サラサラしていて、とてもいい着心地です」
「それはよかった。でも、本当の着心地の良さは、これからわかりますよ。今から皆さん、たくさん汗をかくと思いますが、このTシャツが汗を全部吸い取ってくれるんです。これを着ているかぎり、汗で気持ち悪いということがありません。この地域の特徴である高温多湿の気候にあった特製Tシャツなんですよ」
地球一家6人は、おそろいのTシャツ姿で日が暮れるまで観光を楽しんだ。天気が良かったので、屋外の活動が中心だった。ひとしきり汗をかいたが、Tシャツが全て吸い取ってくれたので、ずっと着替えずに済んだ。
観光の途中で、4人組の若い女子グループがリコに話しかけてきた。
「リコちゃんですね。写真を撮るので、一緒に入ってくれない?」
リコは快諾し、ジュンはカメラを借りてシャッターを押す係を引き受けた。リコが女子たちと一緒にカメラに向かってポーズをとろうとしていると、女子の一人は頼んだ。
「ねえ、あの面白い顔をやってよ。ほら、これと同じ顔を」
女子は、バッグから新聞の号外を広げ、地球一家が写った写真を指し示した。リコは不満そうな様子もなくこれに応じ、唇を突き出した。
しばらく歩くと、リコはまたもや別のグループから声をかけられ、写真撮影を依頼された。号外をきっかけに、リコは知らない間に人気者になっているようだ。
地球一家6人がホテルに戻ると、ホスト夫妻が再び出迎えた。
「お疲れでしょう。さあ、ホテルのクリーニング室で、皆さんのTシャツを洗濯しましょう」
HMはそう言って6人に着替えを勧めた。父は言葉を返す。
「とても着心地のいいTシャツで、今も全く気にならないんです」
「そうは言っても、汗をたっぷり吸い込んでいます。今晩洗濯しておけば、明日もう一度着られますよ。サイズ別に分けて、籠に放り込んでおいてください」
HMが地球一家を案内したクリーニング室にはサイズ別の籠が置いてあり、全て空っぽだった。
HMが退室した後、ジュンが父のTシャツを指して言った。
「このままTシャツを籠に入れたら、僕とお父さんは同じサイズだから、明日の朝どっちがどっちだかわからなくなるね。いくら洗濯するからといっても、お父さんの汗をたっぷり吸い込んだTシャツは着たくないよ」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。僕だってジュンが着たTシャツは勘弁だ」
「そこにサインペンがあるね。名前を書こうか」
ジュンがTシャツに名前を書こうとしたので、ミサが心配した。
「大丈夫かしら。このTシャツ、もしも返せって言われたら?」
「さすがにそれはないだろう。一度着たシャツをほかの人が着るってこと? どう考えても、プレゼントしてくれた物だよ。名前を書こう」
「サインペンでシャツに名前を書くなんて、小さな子供みたいでかっこ悪いわ」
「でも、書かないとお父さんとの区別がつかない。普通に名前を書くからかっこ悪いんだ。サインにしよう」
「私も同じことを考えた。有名人のサインみたいにかっこよく書こう」
「いきなりかっこいいサインなんて書けないよ。自分のシャツだとわかればいいんだ。目立ちすぎないように小さく書こう」
こうしてジュンとミサが順番に、Tシャツの肩の部分に小さなサインを書くと、父、リコ、タクも続いてサインを書いた。タクが母にサインペンを渡すと、母は受け取ろうとしない。
「お母さんは書かないの?」
「やめておくわ。ほかの5人が書くのなら、私だけ書かなくても区別がつくから」
「なるほど、それもそうだね」
そして翌朝、HMが地球一家に声をかけた。
「おはようございます。Tシャツは洗い終わっていますから、クリーニング室の籠の中から取ってください。新品と見分けがつかないにくらいパリパリですよ」
6人がクリーニング室に行くと、籠の中には、折り畳んではいなかったが、新品と見分けのつかないTシャツが入っていた。ところが困ったことに、地球一家6人が着ていたTシャツだけでなく、さらに30着ほどのTシャツが籠に一緒に入っていたのだ。
「うそでしょ。ほかの宿泊客のTシャツと混ざってしまったわ」とミサ。
「名前が書いてあるからわかるよ」とタク。
「そうだった。油性のサインペンでサインを書いたからわかるね」とジュン。
名前など何も書かれていないTシャツの中からサイン入りのTシャツを見つけ、これだこれだと言いながらみんなで籠の中をあさっていると、母だけが困った表情で立ちすくんだ。
「どうしよう。私だけサインをしなかったから、自分のがわからないわ……。でも、ほかの人も名前を書いていないということは、この星の住民はどれが自分のTシャツだかわかるということかしら」
母の推理に、ジュンが賛同した。
「確かに。ということは、ここの宿泊客が自分のTシャツを取りに来た後、最後に残った一着がお母さんのTシャツということだ」
「全員が取りに来るまで待つのか。気が長い話だ。下手するといつまでも出かけられないぞ」
父がそう言って腕時計を見た時、ちょうど宿泊客が30人ほど入ってきた。家族や親戚による団体のようだ。彼らは、目にも止まらぬ素早い動きでTシャツを一着ずつ取って出ていった。籠に残ったTシャツは一着だけだ。
「わずか一秒で自分のTシャツを取っていったぞ。すごい観察力だ」
ジュンが感心する。母は、残った一着を手にしながら言った。
「本当に新品同様だわ。自分が昨日着ていたのかどうかもわからないくらいね」
この日の午前も、短時間ではあったが、6人はTシャツを着て屋外の観光を楽しんだ。
出発の時間が迫り、HMに空港まで見送ってもらえることになった地球一家は、ホテルの部屋を出る間際にHFに別れの挨拶をした。HFは、慌てた声で言った。
「そうだ、忘れるところでした。皆さんにお貸ししたTシャツを返却してください」
返さなければならないのか。意外に思った母が、HFに返答した。
「てっきりこれは頂いた物だと思っていました」
「差し上げたいところなんですが、この星の技術を結集したTシャツです。値段がすこぶる高いので、とても6人分買って差し上げる余裕はありません。今から6着回収して、もう一度洗って中古品店に売りに出す予定です」
「そうだったんですか。ということは、これは昨日私たちがお借りした段階で、既に新品ではなく中古のTシャツだったということですか?」
「そのとおりです。でも、洗濯したので新品と区別がつかないくらいだったでしょ?」
「確かにそうですが、見ず知らずの人の汗を吸い込んでいたと考えると……」
「そんなことを気にする人は、この星にはいません」
今朝のクリーニング室を思い返してみると、30人の団体が異様に速くTシャツを取っていった理由がようやくわかった。どれが自分のシャツかなんて気にしなかったということだろう。
それから一時間後、地球一家6人に空港まで付き添ったHMは、携帯電話の着信を受けて話し込んだ後、電話を切って父に話した。
「夫からの電話でした。皆さんが着ていたTシャツ6着のうち5着、油性ペンでサインを書いたようですね」
「あ、はい。やはり、いけませんでしたか?」
「油性ペンで書いた字は消えません。そのせいで、買い取りに出しても売れなかったと連絡がありました。うちにとっては大損害です」
「何とおわびしていいものか……」
「今となっては、どうにもなりません」
「いや、何とかして弁償する手段を考えます」
父にそう言われても何の手立ても思い浮かばず、HMが困っていると、再び携帯電話のベルが鳴った。HMは、今度は話しながら笑顔になり、電話を切った後でこう言った。
「夫からの再度の電話でした。今度は朗報です。弁償のことは考えていただく必要がなくなりました。リコちゃんが着ていたTシャツが、高値で売れたんです!」
「リコが着たTシャツが高値で売れた? まさか、買ったのは男の子? 嫌だわ」
ミサが苦虫をかみ潰したような顔でそう言うと、HMは首を横に振った。
「いいえ、誤解しないでください。ちゃんと洗濯して売りに出しましたから、新品同様ですよ。高値で買い取ったのは、有名人のサイン入りグッズなどを販売する業者です。皆さん気付いていないかもしれませんが、リコちゃんは今や我が星のちょっとした有名人です。あの新聞に載った変な顔のせいでね」
リコのサイン入りTシャツは、Tシャツ5着が買えるくらいの値が付いたらしい。これを聞いて、地球一家は安どの笑顔を見せた。そして、もっといろいろな物にリコがサインしておけばよかったなと、ちょっぴり後悔の念も起きていた。




