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第91話『プールの水騒動』

■ プールの水騒動


 地球一家6人が悪天候の中ホストハウスに到着するなり、HF(ホストファーザー)は申し訳なさそうに話した。

「地球の皆さん。残念ながら今日は大雨のため、事前に計画していた観光は全て中止です。今日できることといえば、この近所にある室内温水プールで遊ぶことくらいです」

「どうせ夕食まであと2時間くらいですね。プール遊びで十分満足ですよ」

 父がそう答え、さっそく地球一家はHFに案内されてプールを訪れた。


 水着に着替え、プールに入水して僅か5分後、ミサの様子がおかしいのに気付いた母が声をかけた。

「ミサ、どうしたの? 大丈夫?」

「目が強烈に痛い。ゴーグルをしていても駄目だわ」

「きっと、塩素濃度が高すぎるのね」

 ジュンも近寄ってきて、母に尋ねた。

「どうしたの?」

「ミサは小さい頃から塩素に弱いから、定期的に眼科の診察を受けているのよ。医者からは、塩素濃度が一リットルあたり1.5ミリグラムまでなら大丈夫と言われていて、それを超えたプールには入ってはいけないとの忠告を受けているの」

「これだけ目を痛がるのは珍しいから、きっと1.5を超えているんだね。僕が聞いてみるよ」

 ジュンはHFに声をかけ、塩素濃度について尋ねると、HFは答えた。

「この星では、塩素濃度は一リットルあたり2ミリグラムくらいだと思いますよ」

「そんなに高いんですか」

「この星では普通ですよ。地球と比べて塩素に強い住民なのでしょう」

 その時、ジャージ姿の高齢男性がプールサイドに現れるのが見えた。

「ちょうどいい。体育館の館長さんです。聞いてみましょう」

 HFはジュンとミサを連れて館長に話しかけると、館長は説明した。

「塩素は、プール管理室が週に一回、いちいち濃度を測らず適当に一袋分入れているようです。今現在の塩素濃度を測ってみましょう。これでも少し薄まっているはずなんですよ。なぜなら、週に一回行う水の入れ替えを済ませたばかりで、今から塩素を追加で投入するところだったんです」

 館長は、プール脇に立って塩素濃度測定器をプールの水につけた。

「測定器によると、1.6です」

 ジュンは館長に頼み込んだ。

「今から塩素を追加するところなんですよね。僕たちが遊び終わるまで待ってもらえませんか? 病原菌を殺菌するために塩素が重要なことは知っています。でも、塩素が濃いと妹のミサが入れないんです」

「気にしないで。私はもうプールに入らなくていいから」

 ミサはそう言って遠慮したが、ジュンは館長に頼み続けた。

「1.5まで薄めれば入れるんです。すみませんが、今からもう一度水を交換して、あともう少しだけ塩素を薄めてもらえませんか?」

 HFも、一緒になって頭を下げた。

「私からもお願いします。地球の皆さんの今日の楽しみはプールくらいしかありません」

 すると、館長は笑って言った。

「ほかならぬ地球の皆さんの頼みです。プールの管理室長に相談してきます」

 館長はドアから退出し、5分ほどで戻ってきた。

「異例とのことですが、対応してくださるそうです。元々このプールは、水質を維持するために週に一回、自動で30トンくらいの水を交換しています。つまり、バルブを開閉して30トン排水すると同時に30トン給水するという作業が、人の手を使わずに自動で毎週行われているのです。それと同じ作業を今から手動で行えば塩素濃度が1.5に下がる計算だそうです。今日だけ水の費用が余分にかかってしまいますが、その程度ならばなんとかなるでしょう」

 館長の言葉を聞き、ジュンはお礼を言った。

「助かります。ぜひお願いします」


 それからさらに10分ほど経過し、館長はあらためてプールの水に測定器を入れてみた。

「大丈夫。ちょうど1.5です。皆さんがこの星にいらっしゃる間は塩素を入れないように頼んでありますから、なんでしたら明日も皆さんそろって遊ぶことができますよ」

 ミサは頭を下げた。

「私のためにありがとうございました」


 そして、翌日になっても雨は降り続いていた。やむを得ず前日午後と同じように、朝から地球一家はHFと一緒にプールで遊び始めた。

 水に顔をつけたミサは、すぐにHFに報告した。

「塩素濃度がかなり薄くなっているみたいですね」

「そんなことはないでしょう。1.5にまで下げる要望は出しましたが、それ以下にまで下げる話はしていません」

「いいえ、今日の水はもっとずっと薄いです。私は塩素に敏感なのでわかります」

「わかりました。測定してもらいましょう」

 HFに呼ばれてプール脇に立った体育館長は、測定器をプールに入れるとすぐに叫んだ。

「ミサさんの言うとおりだ。なんと、塩素濃度が0.1近くにまで下がっている。まさか、昨日の3時から水が出しっぱなしなのでは?」

 館長が慌ててプール管理室に向かって走り出すと、HFは地球一家に言った。

「皆さんは、気にせずに出発の時間までプールを存分に楽しんでください」


 ところが、30分ほどたってHFはプールで遊泳中の地球一家のもとに戻ってきた。

「皆さん、大変申し上げにくいことなんですが、今から私と一緒に市役所の市長室を訪れてほしいんです」

 突然どういうことだろうか?

「プールの水の件ですが、やはり昨日の午後3時から、先ほどミサさんが塩素濃度に気付くまでの約19時間の間、水が出しっぱなしになっていたそうです。その結果、4千トンもの水が無駄に流出したことがわかりました。今、誰がその弁償をするかという議論になっていまして、地球の皆さんも今回の件の関係者ということで、呼び出しを食らったんです。どうか気を悪くなさらないで、同行していただきたいんです」

 地球一家は了承し、すぐさま更衣室に向かった。


 市役所の庁舎に入ると、HFが市長室をノックしながら地球一家に小声でささやいた。

「市長は最近、AIロボットを導入したらしいので、最後は人工知能に頼るかもしれません。ただ、AIロボットは口達者だが頭脳が追いついていないといううわさがあります。いざとなったら私が助け舟を出しますから、お任せください」

 HFに続いて地球一家が入室した。ほかにも3人が着席している中で、市長の男性がみんなに言った。

「これで関係者全員おそろいですね。今回、4千トンもの水を流出させてしまったことについて、あらためて順番に事情をお聞きしましょう」

 まず、館長が立ち上がった。

「私は体育館の館長です。プールの水の管理は管理室長にお任せしており、昨日も任せていいという返事をいただいて一任したまでです」

 次に、中年女性が立ち上がった。

「私がプールの管理室長です。プールの水を手動で10分間だけ交換してほしいという依頼を受け、部下に指示を出しました。彼がマニュアルを見ながら自分でできると言ったので、任せました」

 最後に、若い男性が立ち上がった。

「僕がバルブを開きました。毎日の自動交換とは別に手動で交換するのは、今回が初めての経験です。マニュアルに対応方法の記載があります。ところが、手動でバルブを開けるとは書かれていましたが、最後に閉めると書かれていませんでした。だから僕は閉めませんでした。僕はマニュアルどおりの対応を行っただけです」

「書いていなくても、開けたら閉めるのが常識でしょ」

 管理室長は横から部下をたしなめた。

「そして、そもそも今回の原因となった手動での水の交換については、地球の皆さんからの依頼だったということですね」

 市長が確認すると、ジュンが手を挙げた。

「はい、僕が館長に依頼しました」

 ここまで話を聞いた市長は、腕を組んで表情をこわばらせた。

「さあ、難しい問題です。お話を聞く限り、誰の過失でもありません。しかしながら、誰かが損害賠償責任を負わなければ税金に頼ることになります。これは市民が納得しません。さあ、ここは、導入したばかりのAI判事ロボットに解決してもらいましょう。入ってきなさい」

 市長がパンパンと手を2回たたくと、人間の形をしたロボットが物陰から二足歩行で登場した。

「今の会話は録音され、全ての情報は人工知能にインプットされました。さあ、AI判事君。判決をお願いします」

「ピピピピ。はい。では、判決を言い渡します。体育館の館長、プール管理室の室長と係員の方。いずれも過失が認められないため、賠償責任はありません。そこで、そもそもの原因について考えることにします。今回の騒動の原因を引き起こしたのは、地球一家のジュンさんです。そこで、4千トンの水の費用をジュンさんに請求します」

 みんなが動揺する中、市長は言った。

「AI判事君の判決には従うべきだろう。とはいえ、ジュンさんはこの星の現金を持っていないですね。換金できる価値のある持ち物もないようだ。やむを得ません。こうしましょう。ジュンさんには半年ほどこの星で働いてもらうということで」

 ジュンが慌てると、市長は付け加えた。

「あるいは、地球の皆さん6人で働けば一か月くらいで返済が終わるでしょう」

 地球一家が焦る様子を見て、HFが話に割り込んだ。

「ちょ、ちょっと待ってください。AI判事君、あなたの考えには一つ抜け落ちていることがあります。今日、ミサさんのおかげでバルブが開きっぱなしであることに気付いたんですよ。おそらく、塩素に敏感ではないこの星の住民は永久に気付かず、次回のプール点検日である3か月後まで放置されていたでしょう。そうなった場合、計算したところ、45万トンの水がさらに無駄に流れ出たはずです。そうならずに済んだのは、ミサさんのおかげなのです。違いますか?」

 こう問い詰められ、AI判事ロボットはあっさりと間違いを認めた。

「ピピピピ。おっしゃる通りですね。私が間違っていました。計算をやり直します」

「さあ、これでも地球の皆さんは借金を背負わないといけないのですか?」

「ピピピピ。いいえ、違います。ジュンさんが市に与えた損害は、水4千トン分の金額です。逆にミサさんの貢献は、水45万トン分の金額ですので、差引44万6千トン分相当のお金を、地球の皆さんは受け取る権利があります」

 AIロボットのこの発言を聞いて、今度は市長が慌てた。

「なんということだ。地球の皆さん、先ほどは無礼なことを言ってすみません。こちらが逆に皆さんに支払うべきということですね」

 すると、すかさずHFが市長に言った。

「市長。損害賠償問題の判決はさておき、もうすぐ出発しなければならない地球の皆さんに関して、今すぐ精算をお願いします」

「わかりました。地球の皆さん、いかがでしょう。この星の現金をお渡ししても仕方ありません。何かお望みの品物があれば、何なりと提供いたします」

 市長の提案に、父は首を横に振りながら答えた。

「いえいえ、どうぞおかまいなく。我々は受け取る権利を放棄しますので、そのお金はどうぞ市民のためにお役立てください」

「まるで神様のようだ。感謝いたします」

「では、飛行機の時間が迫っていますので、私たちはこれで」

 父を先頭に、地球一家6人は市長室のドアから外に出た。


 市庁舎の下りのエレベーターに乗り込むと、6人はほっと一息ついた。

「お父さんったら、最後は調子いいこと言って。どう考えてもおかしいでしょ」とミサ。

「早く煙に巻かないと、大変なことになりかねないからね」と父。

「AI判事は、会話能力は一人前だけど頭脳は改良の余地が大いにあるな」とジュン。

 すると、タクが小声でジュンにつぶやいた。

「そうなの? AI判事は間違ってたの? 引き算は合ってたと思うけど」

 これを聞き、ジュンは心配そうにタクと目を合わせた。

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