第89話『川沿いの国境争い』
■ 川沿いの国境争い
地球一家6人が空港に到着すると、国の大統領と名乗る女性が笑顔で出迎えてくれた。
「我が国へようこそ。皆さんのご来訪について、国をあげて大歓迎します」
ところがその3分後、今度は首相と名乗る男性が出迎えた。
「我が国へようこそ。地球の皆さんを大歓迎いたします」
空港を出ると、その街はとても華やかで、隅々まで手入れされているようにきれいだった。待ち合わせ場所で合流したHFは、その理由をすぐに答えてくれた。
「ここは、この星の中でも珍しい唯一の国境争いが起きている地域なんです」
国境争いとは、穏やかではない。物騒でただならぬ響きを感じる。
「ご心配なく。武力紛争は起きていませんから。隣接する二つの国が、お互いに自分の国の領土だと主張している地域なんです」
これに対して、地球の国家に詳しい母が応答した。
「地球では、そのような地域が数多くありますよ。むしろこの星で唯一というのが信じられないくらいです」
(ここに画像が入ります。以下の「地球一家_縦書き081-090」の95ページの画像を参照してください。)
https://drive.google.com/drive/u/0/folders/1nhr5w5xA-FLbrpTKojFVXJ_kTGjWbDyC
「普通はこんなことが起きないんです。そもそも国境には人為的国境と自然的国境があって、人為的国境というのは経線や緯線をもとに定められます。一方、自然的国境というのは海や川などによって定まる国境です。この星の国境の大多数は人為的国境で、たまに川を自然的国境にしている所があるくらいです」
「それは、おおむね地球と同じです」
「そして、どちらの国境も大昔に決められて今に至っているので、普通は国境争いが今さら起きないというのが普通です」
「地球の国境も似たようなものですよ」
「この地図を見てください。この地域は網掛けの部分、つまり川と赤道に挟まれた横長の地域になります。その北側が北ブルギ、南側が南ブルギという国です。ここは昔からどちらの国の領土かあいまいだったんですが、近年になって両国の政府によって開発が始められました。そして、北ブルギは国境が赤道であると主張し、南ブルギは川が国境だと主張しているのです。お互いその状況は譲っていません。ご覧のとおり華やかですばらしいので、夢の街と呼ばれています。我々は、あえてこの街に引っ越してきました。両方の国の政府から税金を取られるので生活は楽ではありませんが、この華やかで快適な街が気に入っています。何よりもすごいのが、この地域の公共サービスです。けが人が出たりトラブルが起きたりすると、救急車や警察がすぐにやってくるんです。自分の国の領土だと主張している以上、国際社会にそれを認められるために力を入れているのです」
「そういえば、空港で大統領と首相の両方が出迎えてくれましたよ」
「それはきっと、北ブルギの大統領と南ブルギの首相です」
一同が話しながら池の近くを歩いていた時、リコがかぶっていた帽子が突風に飛ばされた。帽子が池に落ちたのを見て、HFはすぐに携帯電話機をポケットから取り出した。
「ご安心ください。電話でレスキュー隊を呼びますから」
レスキュー隊なんて、そんな大げさな。
「大丈夫です。夢の街で起きたトラブルとわかれば、すぐにやってきてくれますよ。ここが自分の国の領土だということを国際社会にアピールするチャンスですから」
僅か数分後、競争するかのように両方の国のレスキュー隊がやってきて帽子の取り合いになった。
夕刻になり、レストランで食事をとった後、一同はホストハウスまで歩いた。家は川沿いにあり、夢の街の中では南西の果てのほうにあるようだ。
HFは家のリビングに地球一家を招き、歓談しながら言った。
「そろそろ、皆さんがお泊まりになる家に案内しましょう」
おや、泊まるのはここではないのか?
「この家は手狭なので、泊まれる部屋がないんです。すぐ目の前に別荘があります。そちらに6人分の布団を用意しましたから、今からご案内します」
HFは地球一家6人を引き連れて、家の目の前を流れる川にかかった小さな橋を渡った。
「あそこに見える二階建てのログハウスです。私が自分で建てたんですよ」
一同はログハウスにたどり着き、玄関の戸を開けて中に入った。室内はランプの灯りのみで薄暗い。HFは、それを気にもしない様子で明るく言った。
「皆さんの布団は、二階の寝室に敷いてあります。明日の朝、迎えに来ます。飲み物はクーラーボックスにたくさん入っていますから、ご自由にお召し上がりください」
地球一家は手を洗おうとしたが、手洗い場が見当たらない。
「水道はないんです。電気やガスも、ここには引かれていないんですよ。まあ、一晩お泊まりになるだけですから。何か欲しい物や困ったことがあったら、机の上にある携帯電話端末で私を呼んでください。いつでも駆けつけますので」
HFは夜の別れの挨拶を済ませると、地球一家を残して家に戻っていった。
窓の外の夜の景色を眺めながら、父は母に語りかけた。
「この周辺は、さっきまでの景色と打って変わって殺風景な所だな」
「道路もないし、雑草も生え放題ね。このログハウス以外に何もない地味な所だわ」
「家に電気が通っていないのも不安だが、もう寝るだけだ。さっさと寝よう」
6人が布団に入った頃に雨が降り始め、瞬く間に大雨になった。雨音の中で眠れないという心配もあったが、6人は旅の疲れから早々に眠りに落ちた。
翌朝目覚めた父は、窓の外を見るなり驚きたまげてみんなを起こした。
「大変なことになっているぞ」
6人が窓の外を見ると、雨はやんでいたが、家の一階部分は完全に水面下にあり、川の氾濫による床上浸水が起きたことがわかった。階下に降りるため階段に向かったが、階段の途中まで水に浸かっていた。二階で寝ていたことが不幸中の幸いだ。しかし、一階に降りられないし、外にも出られない。いや、出たところでどうにもならない。
窓から川の対岸を見ると、ホストハウスも同じように一階部分が水に沈んでいた。
机の上に置かれたままの携帯電話が鳴った。父が応答ボタンを押し、スピーカーボタンも押すと、HFの声が地球一家全員に聞こえるように響き渡った。
「地球の皆さん、大変なことになってしまいました」
「こんなことはよくあるんですか?」
「いいえ。記録的な大雨で、初めて堤防が決壊したとのことです」
「一階に降りることもできません。お宅も同じ状況ですね。二階にいらっしゃるんですか?」
「いや、私はレスキュー隊のヘリコプターで救出されて、空港にいます」
「すると、待っていればこっちにもレスキュー隊が来ますね」
「申し訳ありません。残念ながら、皆さんの所にはレスキュー隊は来ないでしょう」
「両方の国のレスキュー隊が争うように来てくれるんじゃないんですか?」
「いいえ。実は、皆さんのいらっしゃる所は、どちらの国も領有を主張していないのです。地図をもう一度見てください」
父は折り畳んだ地図をポケットから取り出して開き、応答を続けた。
「地図を開きました」
「左下のほうに、黒く塗られた小さな三角形があるでしょう。皆さんは今そこにいらっしゃいます」
「ここだけ川よりも北で、赤道よりも南ですね。どちらの国も自国の領土だと主張しないなんてことがあるんですか? 国の領土なんて、広ければ広いほどいいですよね」
「普通はそうですが、この地域は例外です。考えてみればわかることです。北ブルギは、この黒い地域を自国の領土だと主張することは、国境は川だと認めることを意味します。そうすると、夢の街を手放さなければならなくなるのです。一方、南ブルギが黒い地域を自国の領土だと主張すると、国境は赤道だと認めることになります。そうするとやはり、夢の街を手放さねばならないのです。夢の街は黒い地域の何十倍も広いですから、二者択一ならば夢の街を取りたいと思うのは当然のことでしょう」
「そんなことってあるのか……。水道などのライフラインがない理由も今わかりました。なぜこんな所に別荘を建てたんですか?」
「土地代が無料で、税金もかからないからです。公共サービスは受けられないものの、別荘としてならいいかと思って、建ててみたんです」
「レスキュー隊くらい来てくれてもいいのに。自分の国でないと助けようともしないのかな」
「事情が事情ですから、この黒い地域を自国だと認めかねない行動は起こさないでしょう」
「では、我々はどうすればいいのですか?」
「私が責任をもって、自費で救助ヘリコプターをチャーターします。それまでどうかお待ちください」
「今日のお昼には旅立たねばならないのですが、間に合いますかね?」
「それは無理でしょう。ヘリをチャーターすると、ばく大な費用がかかります。今すぐそんなお金はありません。そのログハウスを売ることから始めてみます。といっても、すぐに買い手がつくかわかりませんが」
「買い手は現れないでしょうね」
「とにかく、何とかします。幸い、皆さんのいらっしゃる二階に数日分の食料と飲料水がありますから、それでなんとか生き延びてください」
その時、窓から空を見ていたミサが、電話口に聞こえるように叫んだ。
「上空にヘリコプターの音が。2機のヘリが見えます。助かるんでしょうか?」
「いや、駄目でしょう。それはマスコミのヘリです。今ちょうど、テレビのニュースでやっています。2か国両方のテレビで、ログハウスの屋根が生中継されています。皆さんの姿も見えますよ」
ニュースにはなるが、助けてはくれないのか。地球一家がむなしく感じた時、携帯電話の通話が突然切れた。どうやらバッテリーが切れたようで、充電するすべもなさそうだ。連絡手段が完全に途絶えてしまった。
「今日、次の星には行けないの?」
タクが尋ねたが、父は腕を組んでうつむいた。
「それどころか、最悪の事態を想定しておくほうがいい。飲み物と食料は少しずつ大切に消費しよう」
6人が僅かばかりの食料で粗末な朝食をとっていると、上空で再びプロペラ音が聞こえた。
「ヘリの音だわ。またマスコミかしら」とミサ。
「いや、あれはレスキューよ。助かるわ」と母。
「もうチャーターの手配がついたのか。このログハウス、速攻で売れたのかな」とジュン。
地球一家6人は、レスキューのヘリに乗って空港まで運んでもらえた。ヘリを降りると、HFが6人を出迎え、深々と頭を下げた。
「皆さん、生きた心地がしなかったでしょう。誠に申し訳ありません。心からおわびします」
「頭を上げてください。飛行機には間に合いますし、ヘリを手配してくださったんですから」
父がそう言うと、意外にもHFは打ち消した。
「いや、あのヘリは私が手配したのではありません。ニュースによると、北ブルギの国営レスキュー隊です。北ブルギは地球の皆さんを助けるために夢の街の領有権を放棄して、黒い地域を自国だと認めたのです。そして、すぐにレスキュー隊を派遣したのです」
「そんなにすぐに決断できたんですね」
「可決するには、国民の9割の署名が必要です。私のところにも電子署名の依頼が来ました。北ブルギと南ブルギの両方からです。むろん、すぐに署名しましたよ。タッチの差で北ブルギの可決のほうが早かったのですが、今回の件で、地球の皆さんを助けようと二つの国のほぼ全ての国民が賛同したことになります」
そこへ、北ブルギの大統領と南ブルギの首相がほぼ同時に現れ、まずは大統領が話しかけた。
「皆さんがご無事で何よりです。我が国としては、夢の街を自主的に手放すことにはなりましたが、それと引き換えに皆さんを救うというかけがえのない偉業をなし得ることができました。国民投票の発議を私がいち早く行ったのは間違っていませんでした」
これを受けて、首相も地球一家に言った。
「いやいや。国民投票の発議を先に実行したのは、我が南ブルギです。我が国のほうが人口が多く、可決に時間を要したことが敗因です。長年の夢であった夢の街の領有権が確実に国際社会から認められたとはいえ、後味が悪く、悔しくてなりません」
そう言いながらも首脳同士が固く握手するのを、全員が笑顔で見届けた。




