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第80話『椅子に座りたい』

■ 椅子に座りたい


 地球一家6人は、電車に乗る前に少し時間があったので、家具店をのぞくことにした。店頭には数も種類も豊富な椅子が並べられていた。母とミサが熱心に椅子を見定めていると、女性の店員が声をかけてきた。

「どのような椅子をお探しですか? こちらなんかいかがでしょう? 多少値は張りますが、座り心地は最高ですよ」

「ちょっと座ってみていいかしら」

 母はそう言って椅子に腰を下ろした。

「うん。とても楽ちんね。地球でもこんなに気持ちのいい椅子は座ったことないわ」

「お母さん、私にも座らせて」

「こちらの椅子もいかがでしょう。ご予算はどれくらいでお考えですか?」

 店員がさらに勧めてきたので、母が恐縮して頭を下げた。

「実は私たち、地球からの旅行者で、今から電車に乗るところで、ごめんなさい。失礼します」

 地球一家は、小走りになりながら店を出て駅に向かった。


「冷やかしにも程があるわ。店員さんに悪いことしちゃった」とミサ。

「いい時間潰しになった。ちょうど電車が来るよ」と父。

「全員座れるといいけどね」とジュン。

 近づいてくる電車を見ると、車内で大勢の人が立っているのが一目でわかった。座るのは無理そうだ。

 停車した電車のドアが開き、6人が乗り込むと、そこは意外な光景だった。車両の中に座席がないのだ。全員が立ったまま手すりやつり革に捕まっていた。

「こんな電車があるのも不思議ではないな。座席があるよりも大勢の人が乗れるからね」

 父がそう言うと、ミサは首をかしげた。

「でも別に満員電車じゃないわよ。たったこれだけの人数が乗ってるだけなら、椅子があったほうがいいわよね」


 駅に着いて6人が電車を降りると、HF(ホストファーザー)が待っていた。

「地球の皆さん、ようこそ。家族全員でお出迎えできないのが残念です。私たち、昼間は何かと忙しいので交代制で皆さんをご案内します。まずは私が食事と食後の音楽コンサートに招待しますよ」

 地球一家が連れて行かれたのは、高級感のあるレストランだった。しかし、店内を見て驚いた。テーブルには椅子がなく、客全員が立ったまま食事をしているのだ。

 HFと地球一家も同様に高級な食事を立ったまま食べた。ミサが母につぶやく。

「地球でも、椅子のない飲食店はないわけじゃないけどね」

「それはもっと安い店の話よ。店の回転率を良くするために」

「こんな高級料理でゆったりくつろぐはずの店に、椅子がないなんてね」


 食後に連れて行かれたのは、コンサートホールだった。中に入ると満員に近い観客がいたが、やはりそこにも椅子がなかった。

「僕たち、立ったまま演奏を聞くの?」

 タクがつぶやくと、ジュンが腰をくねらせた。

「ロック歌手のコンサートかな。そして僕たちも、曲に合わせて踊るのかな」

 やがて、幕が開いた。コンサートはピアノの独演会だった。静かなピアノ演奏を観客たちは立ったまま聞いていた。


 コンサートが終わりホールを出ると、HM(ホストマザー)が待っていた。

「皆さん、こんにちは。今から私が職場をご案内します。この町には観光名所らしき物がないので、会社見学なんてつまらないかもしれませんが、お許しください」

 HMは6人をビルに案内し、オフィス一部屋ずつを一緒に見て回った。オフィスを見学してわかったのは、椅子が一個もないということだった。どの部屋を見ても、全ての職員が立ったまま仕事をしていた。


 職場訪問が終わった後、地球一家は学校に連れて行かれた。

「ここからは、8歳の娘のイロワに案内させます」

 紹介されたイロワは、地球一家に告げた。

「私たち、授業がまだ終わっていなくて。あと一時間待ってもらえませんか」


 地球一家は校庭をぶらぶらしながら時間を潰すことにした。窓越しに教室の中を見ると、子供たちは立ったまま授業を受けていた。教卓にも子供の机にも、椅子はなかったのだ。

 校庭を見ると、大勢の子供が立って遊んでいる。シーソーやブランコのように座れる遊具もない。

「足が疲れてきた。もうクタクタだ。どこでもいいから座りたい」とタク。

「無理だろう。きっとこの星に、椅子なんてないんだよ」と父。

「ここまで、椅子を一つも見かけなかったからな」とジュン。

「見たわよ。電車に乗る前の家具屋さんに、たくさんあったわ。あれは夢か幻?」とミサ。

「確かに、あの気持ちのいい椅子に座ったわね」と母。

「じゃあ、その後に椅子を一個も目撃してないのはどういうわけなんだ」とジュン。

「とにかく、どこかに座ろうよ。もう歩けないよ」とタク。

「あそこに座ろう」

 父が指したのは、校舎の外壁に取り付けられた非常階段だった。階段に座るのはみっともないが、ほかに座れる所もないだろう。よし、みんなで座ろう。

 6人が非常階段に座っていると、二人の子供がそれを見つけ、笑い出した。

「ハハハ。こんな所に座ってる。大人の人まで。お行儀悪い!」

 そして、笑いながら走り去ったか思うと、二人は大勢の友達を連れて戻ってきた。

「本当だ。ハハハハハ」

 大勢の子供の笑いものになった6人は、決まりが悪い状況に耐えきれず立ち上がり、逃げるように足早にその場を去った。

「確かに行儀は悪かったけど、あそこまで笑われるほどかしら。校庭で寝そべっていたのならまだしも」

 ミサがそう言いながら、3人組の男子を捕まえて尋ねた。

「ねえ、みんな。椅子って知ってるでしょ」

「座る椅子のことでしょ。知ってるよ」

「この学校の中に、椅子はないの?」

「椅子なんてないよな。学校に椅子はありませんよ」

 男子がそう答えた時、ちょうどイロワが戻ってきて言った。

「椅子なら学校にありますよ」

 それを聞いて、ミサは声を弾ませた。

「え、あるの? どこに?」

「案内しますね。座りたいんですか? 二つしかありませんよ」

 二つだけか。では、6人で交代で座るとするか。

 イロワに先導されて校舎に入り、連れて行かれたのは保健室だった。

 ドアを開けると、少し顔色の悪い男子と女子が椅子に座っているのが見えた。

「残念ですね。二つとも使われているので、順番待ちです」

 イロワにそう言われ、地球一家は慌ててその場を去った。さすがに具合の悪い人を優先すべきだろう。


「さあ、帰りましょう」

 イロワに連れられて6人がホストハウスに着くと、ホスト夫妻は既に帰宅していた。まずリビングに案内され、夕食の時間になるとダイニングに案内された。予想していたとおり、リビングにもダイニングにも椅子がなかった。

 ダイニングに人数分の料理が並べられ、全員立ったまま夕食をとった。6人とも疲れて足が棒になっていたが、自分たちよりも高齢のホスト夫妻が立ったままでいるのを見ると、父も母も椅子が欲しいとは言い出せなかった。


 食事の後、HFは地球一家に言った。

「皆さんの部屋をまだ紹介していませんでしたね。こちらです」

 案内された部屋のドアを開けると、そこには6個の椅子が並べて置かれていた。

「さあ、ここが皆さんのお部屋です。ゆっくりおくつろぎください」

 HFが退出してドアを閉めると、6人は涙が出そうなくらいうれしそうな顔をした。

「とうとう、椅子に出会えたぞ」とジュン。

「ようやく座れる」とタク。

「床がカーペットになってるわ。床にも座れるけど、こんな時に椅子があるなんてね」とミサ。

 6人は満足そうに椅子に腰かけた。座り心地はなかなかのものだ。

「椅子もいいけど、もうすぐ寝る時間だ。早くベッドのある部屋に案内してほしいものだな」

 父はそう言うと、HFが様子を見に来たタイミングで尋ねた。

「すみません。我々のベッドはどこに?」

「ベッド? ベッドとは何ですか?」

 この星にはベッドがないのか。みんな、どうやって寝るのだろう? そう思った時、客間の向かい側の部屋のドアが半開きになっているのに気付いた。部屋の中では、イロワが椅子に座った状態で熟睡していた。

 そうか、そういうことだったのか。地球一家は、謎が解けたような表情で客間に戻った。まだポカンとしているタクに向かって、ジュンが言った。

「タクはまだわからないのか? この星では、椅子はベッドの役割を持っているんだよ。だからどこへ行っても、街中に椅子は一つもなかった。学校の保健室にあっただけだ。そして、僕たちのこの部屋には椅子がある」

「そういうことか」

「そうとわかったら、さっそく寝る準備をしよう」

 6人は自分の椅子をめいめい決めて座った。父は座りながらつぶやいた。

「椅子だと思って座った時は心地いいと感じたけど、ベッドの代わりと考えると、いささか頼りないな」

「文句を言わずに寝ましょう。案外よく眠れるかもよ」

 母はそう言い返し、電気を消した。


 ところが、30分たっても一人も眠れていなかった。

「飛行機の中では、いつも座ったまま眠れるんだけどな」

 タクがそう言うと、ジュンが説明した。

「飛行機や夜行バスは、あの揺れが気持ちのいい眠気を誘うんだよ。家の中で椅子に座っていたって眠れるはずがないよ」

 ミサが突然、椅子から降りて床にあお向けになった。

「私、このほうが眠れそうだわ。このカーペット、気持ちがいいもん」

「ミサ。そうやって横になって寝たら、この星では奇人か変人だと思われるぞ」

 ジュンはそう言ったが、母も同調して床に寝転んだ。

「本当だ。暖かいわ」

 こうして、最終的には6人全員が椅子から立ち上がって床に転がり、まもなく眠りに落ちた。

 寝相の悪いリコが寝返りを打つと、足を椅子にぶつけて大きな音を立てたが、深く眠っていた6人は目を覚まさなかった。

 しかし、偶然この部屋の前を通っていたHFは、ガタンという音に気付いた。

「何だろう。眠っていてあんな音が出るはずがないのに。大丈夫かな」

 彼は客間のドアを開け、6人全員が床に横になっているのを目にした。

「大変だ!」

 しばらくして、家の外に3台の救急車が到着した。客間のドアを開けたHFは、救急隊に指示を出した。

「こっちです。この中にいる6人です」

 救急隊員は次々に担架を運び入れ、寝ぼけて身動きのとれない地球一家を次々に部屋の外に運び出してしまった。

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