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第8話『明日の私に日記帳』

■ 明日の私に日記帳


 空港に到着した地球一家6人を、今日のHM(ホストマザー)が出迎えた。

「ようこそいらっしゃいました。お子さんは4人ですね。お名前と年齢は?」

「ジュン16歳、ミサ13歳、タク10歳、リコ7歳……」

 父の説明を聞き、HMは分厚いノートのような物に熱心に書き留めていった。


「今日は、動物園に行こうと思っています。特に、次男のタクが大の動物好きで、楽しみにしているものですから」

 父がそう言うと、HMは、すさまじいスピードでメモをとり続けた。

「動物園、タク君が動物好き……。あ、でもここでは、6歳から14歳まで義務教育です。平日の昼間に動物園で遊んでいるのは、おかしいです。学校に通って、授業を受けてほしいんですよ」

 HMの言葉に、子供たちは軽く悲鳴をあげた。

 ただし、ジュンの年齢ならば授業は受けなくて大丈夫だ。ミサも15歳以上に見えるから、大丈夫らしい。リコも5歳に見えるから、学校に行かなくていいという。リコは、うれしくなさそうに少しほほえんだ。

 しかし、タクだけは誰がどう見ても6歳から14歳に見えるので、午後の授業を受けることになった。明日は土曜日だ。土曜日が休みの学校もあるので、タクは学校に行かなくても大丈夫だと言われ、動物園は明日みんなで行くことにした。


 タクはHMに連れられて、小学校の教室に入った。若い女性の先生が教壇に立っており、子供が20人ほど座っている。先生が子供たちにタクを紹介した。

「算数の授業を始める前に、今日の午後の授業を一緒に受けるお友達を紹介します。地球から旅行に来ているタク君です」

「よろしくお願いします」


 タクは、先生から渡された教科書を持って空いている席に座った。最初の授業は算数だ。

「今日は、台形を三角形と長方形に分けることによって面積を求める方法を教えます」

 先生は、図形や計算式を次々に板書していった。


 そして、次の理科の授業では、いろいろな動物の知能について学習した。黒板に書かれた表を指しながら、先生は解説した。

「このように、動物の記憶力はさまざまです。もちろん、人間の脳が最も優れていますが、一晩眠ることによって全てを忘れてしまうのは人間だけです。他の動物の場合、今日の記憶は明日も残ります」

 え? 人間の記憶は一晩で消えてしまう? タクは心の中で驚きの叫び声をあげた。


 偶然にもちょうどその頃、観光中の地球一家5人も、人間は寝ると全てを忘れるという話をHMから聞いて、驚いているところだった。


 しばらくして下校時刻が近づき、教室では子供たちが帰りの支度を始めた。

「今日の授業は、これで終わりです。せっかくだから、タク君に感想を話してもらおうかしら」

 タクは先生に指名されて立ち上がり、話を始めた。

「はい。まず、算数は割と得意なほうなんですけど、今日習ったことは、地球ではまだ習っていない内容だったので、勉強になりました。それから理科は、僕は生物が大好きなので、今日習ったことはとても面白かったです」


 教室のみんなは、静かにタクの感想を聞いている。

「でも一番驚いたのは、この星の人たちは一晩眠ると何もかも忘れてしまうということです。僕たちはなぜ勉強するのか、自分で考え直してみました。今日学んだことは、明日役に立ちます。そして明日は、今日学んだことを土台にして、さらに難しいことを学びます。そうやって深い知識が蓄積されて、大人になってから仕事に生かせます。そう考えて、僕たちは地球で毎日勉強しています。でも、今日学んだことを明日の朝に全部忘れてしまっていたら、頭の中が全く進歩しないというか……。失礼な言い方になってしまったかもしれませんが、今日一番印象に残ったことは、みんなとても真面目で熱心に授業を聞いていることでした。僕だったら、どうせ明日になったら全部忘れると思うと、こんなにやる気にはなれません。地球の人間は記憶が消えないので、知識をどんどん積み重ねて、高度な科学技術が生まれたんだと思います。生物の研究も進んでいます。一晩で記憶が消えないための方法というのは、地球では必要ないので研究されていませんが、研究すれば、きっといい薬が開発できると思います。僕は、生物にとても興味があります。将来、記憶が消えない薬を発明してみたいと思いました。それが開発できたら、またこの星に来て、皆さんに差し上げたいと思います。今日はありがとうございました」


 教室にいる全員が拍手をし、タクが着席した。

「ありがとう。タク君の発明、楽しみにしています」

 先生はそう言った後、子供たちを起立させた。

「それでは、今日はこれで終わり。また明日。タク君、明日もまた来てくれるかしら? この学校は、土曜日も午前の授業があるのよ」

「僕たち家族は、明日の午後にはこの星を出発するんです。それで明日は、みんなで動物園に行くことになっていて……」

「明日も、どうしても授業に出てほしいの。今日の何倍も大事な授業をするから」

 先生は真剣な目でタクを見たが、タクは即答できなかった。


 その日の夜、ホスト夫妻と息子のポクトがリビングで地球一家を囲むと、ポクトが言った。

「タク君、今日の午後、僕のクラスで一緒に授業を受けたんだよ、ね」

「そうか、君もいたのか」

「タク、災難だったわね。旅行中に学校で勉強することになるなんて」とミサ。

「タクには悪いけど、我々はいろいろと観光して回ったよ。写真たくさん撮ったぞ」

 父はそう言って、タクにデジタルカメラを渡した。


「そうだ。今日の理科の授業で、この星の人たちは毎晩眠ると記憶を全部失うという話を聞いて、びっくりしたんだ」

 タクがそう言うと、ジュンも思い出して言った。

「僕たちも、さっき同じことを聞いて驚いたんだよ」

「そう。だから、私たちにはこれが欠かせないのよ」

 HMは、分厚い日記帳をみんなに見せた。HF(ホストファーザー)も同じように分厚い日記帳を出した。ずっとメモをとっているように見えたが、彼らの日記だったのだ。HMが説明を続けた。

「明日の朝になると私たちは、皆さんの顔も名前も、お話しした内容も全部忘れています。それじゃ困りますよね。だから朝起きたら、これを読んで思い出すんです。ほら、私はここに『タク君は動物が好き』ってこともちゃんと書いてあるから、明日になっても会話が食い違うことはありません」


 HFが父に尋ねた。

「話は変わりますが、会社で転勤の時などに引継ぎ書を書いたことはありませんか?」

「ありますよ。大抵の場合、次の担当者は何も知りませんから、必要なことを全部引継ぎ書に書いて渡します。人に説明できるほどわかっていないことに気付いて、慌てて勉強し直したりしてね」

「この星では、我々は引継ぎ書を毎日書いているようなものなんですよ。明日の自分は、今日までの自分を何も知りません。だから、引継ぎ書を読んで前の日までのことを知るんです」

「そう。私たちの日記帳は、まさに明日の自分への引継ぎ書なんです」

 HMも言った。なるほど、明日の自分への引継ぎ書か。


 こんな話をしているうちに就寝の時刻が迫り、ポクトは日記の残りを書き始めた。


 タクがソファに座って一人でデジタルカメラを操作していると、写したばかりの特急列車が目に飛び込んできた。最新型の高速鉄道だとすぐにわかった。この星の技術は、とても進んでいるということだ。

 そこへ、ポクトが近づいて話しかけた。

「やっと書き終わった。僕のこの日記帳見てよ」

 タクがポクトの分厚い日記帳をのぞき込むと、算数の面積の公式などが書かれていた。

「今日はこれだけ勉強したけど、明日になると全部頭から消えちゃうんだよ。これを読み直さなくちゃいけないんだよ。こんな能率の悪いことってないよね。地球の人たちが羨ましいよ」

 ポクトにそう言われて、タクは黙ってうなずくしかなかった。


 翌朝、食卓に全員が集まると、まずHMが口を開いた。

「おはようございます。ジュン君、ミサちゃん、タク君、それから、リコちゃん。私は朝早く起きて日記を読んだから、ね、ちゃんと話が通じるでしょ。今朝は皆さん、動物園に出かけるのよね」

 地球一家の視線の先には、積み上げられた何冊もの分厚い日記帳があった。そのうちの一冊を、ポクトが猛スピードで一心不乱に読んでいる。その向こうには、何十冊もの分厚い日記帳が積み上げられており、HFがさらに驚異的なスピードで読んでいる。


 タクは、動物園に行こうと家族から誘われたが、昨日の先生の『明日も、どうしても授業に出てほしいの』という言葉が頭をよぎり、ポクトと一緒に学校へ行くことにした。


「今日の一時間目は、予定を変更して、昨日の算数のテストをします」

 教室で先生がいきなりそう言ったので、子供たちは騒ぎ始めた。

「えー、テストするなんて、聞いてませんよ!」

 先生は、子供たちの抗議に耳を貸さずに用紙を配り、テストが始まった。


 テスト後の休み時間に、タクはポクトに尋ねた。

「テストとは、予想してなかったな。先生はよく抜き打ちテストをするの?」

「いや、初めてだよ。だから、誰も準備していなかったよ」

「さあ、みんな席に戻って。さっきのテストの採点が終わったから、返します」

 先生がそう言って、子供を順に呼んで答案用紙を返却した。


「テストは予告していなかったけど、よくできていたわ。全員80点以上です」

 先生がそう言って褒めると、子供たちは歓声をあげた。

「あ、タク君の答案は、これです」

 先生はタクに答案用紙を渡した。点数は50点。タクは気まずい表情で先生に言った。

「あちゃ……。算数は得意なつもりだったのに。昨日は偉そうなこと言っちゃったけど、どうやら僕が断トツの最低点みたいです。この学校は、特別に優秀な子が集まっているんですか?」

「いいえ、普通の学校よ」

「みんな、昨日までの記憶がなくて、ノートや日記帳を頼りにしているだけなのに、どうしていい点数が取れるのか不思議で……」

「タク君、ノートを見せてちょうだい」

 先生がタクのノートを開いた。台形の面積の公式などが書かれている。

「黒板をそのまま写しただけのようね。ポクト君。あなたのも見せて」

 ポクトが分厚い日記帳を開いた。先生がのぞきこんで言った。

「わかりやすく書き直してあるわ。どういう点を工夫したのかしら?」

「次の日の朝に自分で読んだ時に、自分の頭でちゃんとわかるように書かなければいけないと思って、書き直しました」

 ポクトは、次にタクのほうを向いて話した。

「僕たちは、その日に教わった要点は、自分で人に教えられるくらいに、その日のうちに理解する必要があるんだ。もし明日の自分が日記を読んでちゃんと理解できないと、一から勉強し直さなければならないからね」

 タクは恥ずかしさで真っ赤になった。


 その日の昼、地球一家と一緒に歩きながら、タクは落ち込んで下を向き、ノートに文を書きつづっていた。地球人は、日記を書かなくても忘れることはない。それでもタクは、今日のことは今日書いておこうと心に決め、日記を書き続けるのだった。

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