第6話『赤ちゃんの命名』
■ 赤ちゃんの命名
地球一家6人が移動する飛行機の中で、ミサが少し暗い表情でジュンに話しかけた。
「私、今日怖い夢を見たんだ」
「怖い夢? 熊とかオオカミに襲われたとか?」
「ううん、そういう怖さとは違うんだ。夢の中で、ある国を訪問したんだけど、その国の人たちには名前がないの。3155番さんとか5848番さんとか、番号で呼び合っているのよ」
「そういえば、以前僕が通ってた塾でも、先生は僕たちの名前を呼ばず、番号で呼んでたな。名前だと同姓同名がいたり読み間違えたりするからとかいって」
「まあ、なんて冷たい塾なんでしょう。私たちには一人一人名前が付いてるんだから、名前で呼んでほしいわ。でも、私の見た夢では、そうじゃなくて、そもそも人には番号が与えられているだけで名前が付いてないのよ」
父が話に割り込んできた。
「ミサの言うとおり、その夢はぞっとするね。人に名前のない国なんてどこにもないと思うよ。名前には親の思いが込められているから、とても大切だ」
母も話に加わった。
「ミサはその夢を何時頃見たの?」
「まだ深夜だったかな」
「それならば大丈夫よ。深夜に見る夢は逆夢といって、現実とは逆になると言われているのよ。今日訪問する国には、きっと人々に名前が付いているわ」
「いや、やっぱり朝見た夢だったかもしれない」
「朝見る夢は正夢と言われていて、そのとおりになるのよ」
「どっちだったかしら。でも、もうすぐ答えがわかるわ。逆夢だとうれしいな」
地球一家6人はホストハウスに到着し、リコが玄関を開けた。
「おじゃまします」
6人を迎え入れたのは60代の夫妻だった。一人娘は結婚してもう家を出ているという。
ジュン、ミサ、タク、リコは名前を聞かれ、順番に名乗った。ミサは、ホスト夫妻の名前を尋ねてみた。HFとHMが順に答える。
「失礼、申し遅れました。私の名前はサケロといいます。こちらの言葉で『大空』という意味があるんです」
「そして、私の名前はトミラです。『愛情』という意味があるんですよ」
「へえ、そうなんですか」
ミサは、ほっとした表情を浮かべた。その様子を見てホスト夫妻は不思議に思ったが、ミサは言葉を濁した。
「ところで、名字のほうは?」と父。
「この国に名字はないんですよ。正確に言えば、国民全員が同じ名字なんです。だから、もう誰も使わなくなりました」
HFはそう答えた。全員が同じ名字とは、驚きだ。HMが説明を加えた。
「昔はいろいろな名字があったらしいんですけど、少しずつ減っていって、今は一つになったんですよ」
なぜ減ったのだろうか? 地球一家がきょとんとしていると、HMは話を続けた。
「これはどこの国でも同じだと思いますけど、珍しい名字の人が子供を残さなければ、その名字の人はいなくなりますよね。逆に、新しい名字が増えることは絶対ありませんよね。つまり、名字というものは減る一方なんです。そしてこの国では、かなり昔の話ですが、ついに一つになってしまったというわけです」
名前の話がいったん終了し、地球一家6人は客間に案内されて休息をとった。
「名字が一つしかないのは驚いたけど、この国の人たちにはちゃんと良い名前が付いていてよかったわ」とミサ。
「そうね、やっぱりミサの夢は逆夢だったのね」と母。
その時、HMが入ってきた。
「皆さん、すみません。私たち出かけなければならなくて。実は、娘に赤ちゃんが生まれたんです。今電話がありました」
病院は家の近くにあり、地球一家もホスト夫妻と一緒に赤ちゃんを見に行った。病室でホスト夫妻が孫を抱き上げた。元気な女の子だ。その横のベッドには赤ちゃんの母親が寝ている。
その日の夜、地球一家とホスト夫妻の間で、赤ちゃんの名前の話題になった。
「お名前は、これから考えるんですか?」とジュン。
「ミサなんて、いい名前だと思いますよ」とミサ。
「そうか、リコのほうがいい名前じゃないか。なあ、リコ?」とタク。
「ミサもリコも、どっちもいい名前だよ」とリコ。
「ありがとう、みんな。でもこの国では、名前は3文字という決まりがあるんです」
HMの言うように、二人はサケロとトミラで、どちらも3文字だ。HFが続けて言った。
「それに、赤ちゃんの名前は、もう決まっているんです。マガナといいます。今日はもう遅いので、明日皆さんがお帰りになった後、役所に出生届を出しに行こうと思っています」
地球一家6人は、客間に戻って就寝の準備を始めた。
「また一つ驚きね。名前の文字数に決まりがあるというのは」とミサ。
「あまり長い名前を付けたがる人がいると、いろいろと大変だからね」と父。
「それにしても、おめでたい日に遭遇したわね」と母。
翌朝、ダイニングで地球一家は朝食をとりながら、ホスト夫妻に一晩のお礼を伝えた。HFが立ち上がった。
「じゃあ、皆さんと一緒に我々も外に出て、役所に行くことにしましょうか」
「ところで、赤ちゃんの名前にはどういう意味があるんですか?」
ミサが聞き忘れていたことを尋ねると、HMがすぐに答えた。
「マガナという名前ですか? 意味はないんですよ」
意味がない?
「もうその名前しか残っていなかったんです」
それはいったい、どういうことか?
「赤ちゃんに命名して役所に届けると、同じ名前はもう誰も使うことができないんです」
ということは、この国には同名の人がいないということ?
「名字は全員同じですから、名前まで同じだと同姓同名になってしまい、紛らわしいですからね。名前は全員別々なんです。そうすると、大空とか愛情とか、良い意味を持った名前は先に使われてしまい、最近は、意味の持たない名前しか残っていませんでした」
地球一家は、返す言葉がなかった。
「それに、名前は3文字という規則がありますので、使える名前自体がどんどん残り少なくなっていきました。そして、今回私たちが命名するマ・ガ・ナという組み合わせが、最後の一つなんです」
HMがそう言うと、HFも笑いながら言った。
「そう、その名前しか残っていなかったので、我々には命名の選択肢がありませんでした。まあ、名前を考えるのも大変ですから、考える必要がないのは楽でよかったですよ」
地球一家は、複雑な表情のまま客間に戻った。荷物をまとめて出発の準備を始めたが、ミサの手が止まっている。
「あー、ショックだわ。赤ちゃんの名前に何も意味がなかったなんて」
「ミサの気持ち、わかるよ。やっぱり、ミサの見た夢は正夢だったんだ」と父。
「え、お父さん、どういうこと?」
「確かに、この国の人たちには名前らしきものがある。でも、最初の頃はともかく、今では単に、使われていない文字の組み合わせを順番に割り当てているだけだ。これは、ミサが見た夢の、数字が文字に置き換わったにすぎない。これはもはや名前とはいえないだろう」
「そうか、そのとおりね」
その時、ホスト夫妻の大声が聞こえた。何か大変なことが起きた様子だ。地球一家は、客間を飛び出してリビングに入った。テレビ画面の中で、アナウンサーがニュースを読んでいる。
「今のニュースを繰り返しお伝えします。今朝生まれた赤ちゃんが、マガナちゃんと名付けられ、先ほど正式に役所で受理されました」
ニュースを見ながら、ホスト夫妻が顔を見合わせた。
「マガナの名前を、ほかの人にとられてしまったぞ」
「えー、なんで? うちのほうが先に生まれたのに」
「そうか、生まれた順番じゃなくて、役所に先に届けたほうが優先されるんだな。これは我々の勘違いだ」
アナウンサーがニュースを読み続ける。
「今まで我が国には、人の名前を3文字にするという規則がありましたが、これで3文字の全ての名前を使い切ったことになります」
使い切ってしまったら、これからどうするのだろうか。
「そこで、今後付ける名前は4文字にするという規則が適用されます。これから役所に届ける方は、4文字の名前でお願いします」
ホスト夫妻は少しの沈黙の後、娘に電話をかけた。
地球一家6人は、夫妻に付き添って病院に足を運んだ。娘とその夫も、名前のことをニュースで聞いたばかりで動揺している。HFが地球一家全員に向かって言った。
「この国では最近はもう、意味のある名前を付けることができず、空いている文字の組み合わせから適当に選ぶしかありませんでした。ですので、命名の習慣がないのです。突然名前を付けろと言われても、頭が働かなくて」
それを聞いたミサは、怒ったような声を出した。
「何をおっしゃっているんですか! 今ならば、4文字の言葉だったら選び放題じゃないですか。最高の名前を付けてあげましょうよ」
「そうですよ。4文字で何かいい言葉、ないですか?」とジュン。
「うーん、何でもいいと言われると、かえって何も思い浮かばないわ。皆さん、何かないかしら」
HMに尋ねられて、まずジュンから提案した。
「では、誠実を表す言葉は?」
「それは3文字です」
地球一家は、次々に名前のアイデアを出した。幸福を表す言葉は? 思いやりは? 元気は? 純粋は? しかし、どれも3文字や5文字ばかりで、4文字ではないらしい。
「イチゴは?」とリコ。
イチゴは4文字らしい。でも不採用。
「そうだ、皆さん、昨日提案してくださいましたね。ミサとかリコって。二つつなげて、ミサリコにしましょう」
HMがそう言い出すと、HFも同調し、若い両親もうなずいた。みんな笑顔でバタバタと動き出し、地球一家は顔を見合わせて苦笑いした。