第37話『腹話術の芸』
■ 腹話術の芸
地球一家6人が移動する飛行機の中、ミサがリコの人形を借りて、家族に腹話術を披露した。
「こんにちは、リコちゃん。お元気ですか?」
口が全く動いてない。そのあまりのうまさに、家族は感心した。腹話術師がテレビでやり方を説明していることが多いので、ミサはそれを見ながら普段から練習していたのだ。
ホストハウスに向かう道中でも、ミサは口を動かさずに声を出していた。腹話術の練習は、いつでもどこでも道具なしにできるのが長所だ。ミサは、さっそくこの星の人を驚かせてみようとたくらむが、果たしてうまくいくだろうか。
ホストハウスに到着すると、娘のカルラが出てきて、なんと口を動かさずに話し始めた。
「いらっしゃい」
地球一家6人は、突然の腹話術を目の当たりにして驚いた。
HFとHMも玄関に出てきて、二人とも口を動かさずに話し始めた。
「さあ、皆さん、そんな所に立っていないで、中にお入りください」
「遠慮せずにどうぞ」
腹話術一家なのか? 以降、ホストファミリーは終始口を動かさずに話し続けた。
「腹話術、流行しているんですか? それとも、この家族皆さんの趣味なんですか?」
ジュンが尋ねると、HFが答えた。
「腹話術? 勘違いされているようですね。カルラ、テレビをつけて」
テレビがつけられた。画面の中の人々は全員、口を動かさずに話している。HMが言った。
「おわかりになりました? これは、私たちの普通のしゃべり方なんですよ。みんな生まれた時から、ずっとこうなんです」
「へえ。口を動かさずに、よくしゃべれますね」
ミサが感心すると、HFは言った。
「逆に、私たちから見れば、地球の皆さんのように、口を動かして話すのがとても驚きですよ。話には聞いていましたが、地球の方にお会いするのは初めてなものですから、本当に驚きです」
カルラが地球一家たちの口元をしげしげと観察している。HFは、失礼だからやめるようにと目で合図した。
「ということは、皆さんは逆に、口を動かして話すことはできないんですか?」とミサ。
「私たちにはできません」とHM。
その時、テレビに一人の若い男性が映った。彼だけは、口を動かしてしゃべっている。
「あ、お兄ちゃんだ」とカルラ。
「今映ったのは、うちの息子のザルトです。たまにテレビに出る人気の腹話術師なんですよ」
HMがそう説明した。え、これが腹話術師?
「そう。口を動かして話すことを、腹話術というんです」
HMはそう言い、地球一家はますます驚きの表情を見せた。地球とまるで反対だ。
HFが地球一家に言った。
「そうだ、皆さんにお知らせがあります。今晩、隣町との親睦会をやるんです。皆さんも参加しませんか? 出し物対決をやることになっていて、我が町は、息子が腹話術をやるんですよ。でも、地球の皆さんには、口を動かして話すのが当たり前だから、ちっとも面白くないでしょうけど」
とんでもない。人気芸人の芸を間近で見られるのは楽しみだ。
その日の午後、ミサがホストハウスの広い庭を一人で散策していると、ザルトが現れた。
「あ、お帰りなさい。ザルトさんですね。さっきテレビで見ました」
「あれ、あなたも腹話術師ですか?」
「いいえ、私は、地球から来たので。地球では、全員生まれたときから、こうやって口を動かして話すんですよ」
「あ、そうでしたね。うわさには聞いていました」
ザルトは、口を動かして話し続けた。ミサが質問する。
「ザルトさんは、普段もそうやって、口を動かして話すんですか? いつも練習しているんですか?」
「違うんです。実は僕は、地球の方々と同じで、生まれた時からこの話し方なんです」
「へえ、そうなんですか」
「はい。僕と同じような人が何人かいて、みんな腹話術師をやっています。僕も含めてみんな、練習なんかしたことがありません。普通にしゃべるだけで、見る人は大喜びですから」
「よかったですね。みんなを喜ばせられる芸を、苦労せずに身に付けられて」
「いいえ、とんでもない。周りがどんなに喜んでいても、僕はうれしくありません。だって、僕は普通に話しているだけなんですよ」
ミサは無言で話に聞き入った。ザルトが続ける。
「努力もしないで身に付けたものなんて、芸でも何でもありませんよ。僕以外の生まれつきの腹話術師のみんなは、満足しているみたいです。別に生活に不自由しているわけではないから、これは別に病気などではありません。個性です。だから、このままでいたいと思っているようです。でも、僕は違います。できれば両親や妹やほかの大勢と同じように、口を動かさずに話せるようになりたい。でも、それができないんです」
「練習したことはあるんですか?」
「はい、でも、うまくいきません。やり方がわからないんです。家族や周りのみんなに、どうやったら口を動かさずに話せるのか何度も聞きました。でも、みんなその話し方が当たり前だから、コツを説明できないんですよ。要するに、もともと口を動かして話していて、口を動かさずに話すことに成功したという人が一人もいないのですから、教わりたくても教えてくれる人がいないんです」
ミサは、一呼吸置いて答えた。
「いますよ。今、ここにいます。私です。私は、普段は口を動かしていますけど、練習して、口を動かさずに話せるようになりました」
ミサが口を閉じて自己紹介すると、ザルトは目を丸くした。
「私、この星には今日一晩しかいられないんです。ザルトさん、今すぐ、練習を始めましょう」
ミサはそばにあるベンチに座り、ザルトに横に座るように手招きした。
「いくつかコツがあるので、まずそれを教えますね。一つ目のポイントは……」
ザルトは、熱心にミサの説明に耳を傾けた。二人は交互に話をして練習を続けた。
すっかり暗くなった頃、ホスト夫妻と地球一家5人が来た。
「ミサさん、ここにいたんですか。ずいぶん探しましたよ」とHM。
「ザルト。帰ってたのか。隣町との親睦会が始まる時間だから、急がないと」とHF。
「ごめんなさい。すっかり練習に夢中になってしまって」とミサ。
ザルトは、口を動かさずに話した。
「父さん、母さん。ほら、僕の口を見て。できるようになったよ」
ホスト夫妻は、驚いてザルトの口元を見た。ザルトは、口を動かさずに話し続ける。
「ミサさんが教えてくれたんだ。ミサさん、ありがとう」
「こんなに短い時間でできるようになると思わなかったわ。私もびっくりよ」
「よかったわね」とHM。
「ザルト、よかったな。君の長年の夢だったからな」とHF。
「あ、でも、親睦会の芸対決では、頼んだとおり、腹話術を披露してね」とHM。
「うん、わかってるよ。あれ?」
ザルトは、口をパクパクさせた。
「あれ? あれ? 今までの僕の話し方がわからなくなっちゃった。口を動かすと声が出ない」
ザルトは口を動かさずに話し、その後また口をパクパクさせた。見兼ねたHFが言う。
「ザルト、無理に思い出さなくていいぞ。せっかく、口を動かさない話し方を覚えたんだ。また忘れてしまったら大変だからな」
「うん、そうだね。ずっとこのままでいるよ」
「もう、腹話術師には戻れないけど、それでいいな」
「もちろん、後悔はないよ」
ザルトは、決心の表情でうなずいた。HFはほほえんだ。HMも横でほほえみながらも、はっとしてHFに尋ねた。
「でも、今日の親睦会の出し物はどうするの?」
「仕方がない、代わりを考えよう」
「代わりって?」
HFは、地球一家6人のほうを向いて言った。
「皆さんは、今晩一晩は、この町の仲間です。ご協力いただけませんか?」
その日の夜、親睦会の会場では、まずステージ上で皿回しの芸が行われた。大勢の住民が拍手喝采する中、地球一家6人も芸を鑑賞していた。
「はい、時間いっぱいです。西町の皆さん、ありがとうございました」
司会者の声と同時に、場内では盛大な拍手が巻き起こった。
「それでは、審査員の皆さん、点数を出してください」
審査員席の5人の審査員が点数札をあげた。
「西町の得点は、45点です! さあ、続きまして、東町の出し物です。東町の出し物は、腹話術です。どうぞ!」
ステージ上に立ったのは、地球一家6人だった。みんな人形を持っている。人形を動かしながら、口を動かして普通に話し始めた。
「こんにちは」
見物席からは、オーという歓声が多数あがった。
6人の芸が続く中、ミサが思い悩んだ。
「私たちは、普段どおりに話しているだけ。それなのに、会場のみんなは大喜び。なんだか、とても不思議な気分だわ。これが芸になるなんて」
ミサの視線の先は、見物席の喜んだ顔の人々。その中に、一人だけ無表情のザルトがいた。ザルトとミサの目が合う。ミサの頭の中に、ザルトの『努力もしないで身につけたものなんて、芸でも何でもありませんよ』という声が鳴り響いた。ミサはとまどった。今のは空耳なのか、それともザルトの本当の声なのか? 口を動かしてくれないと、区別がつかない。
ミサは、意を決して叫んだ。
「ちょっと待って」
地球一家は芸を中断した。場内が静まりかえる。
「残りの3分は、私一人にやらせて」
ミサは家族にそう言って、見物席のほうを向いて話し始めた。
「私たち地球人は、こうやって口を動かして話すのが普通です。私たちにとっての腹話術というのは、皆さんとは逆で、口を動かさずに話すことなんです。今から、私が地球の腹話術をご披露します。まだまだ下手なんですけど、見てください」
ミサは口を動かさずに話し始めた。
「こんにちは。私は地球から来たミサです」
見物席の人々は、静かにミサの芸を見入った。
「はい、時間いっぱいです。どうもありがとうございました」
司会者の声を聞いて、ミサは肩を落とし、心の中でつぶやいた。
「駄目だ。会場がすっかりしらけちゃったわ。ここのみんなにとっては普通のしゃべり方なんだから、面白くもなんともないわよね」
「それでは、審査員の皆さん、点数をどうぞ」
司会者がそう言うと、審査員席の5人の審査員が点数札をあげた。合計点は44点。
「惜しい、1点足りない! ということで、出し物対決は、西町の勝利です!」
場内に拍手の音が響く中、ミサはホスト夫妻のほうを向いて頭を下げた。
「ごめんなさい。私のせいで」
「それでは、審査員の方に感想を聞いてみましょう」
司会者がそう言うと、審査員の一人が話した。
「西町が勝ちましたが、東町もとてもよかったですね。ミサさんの本当の芸に感動しました。ミサさんの芸をもっと長く見られたら、東町が勝っていたかもしれませんよ」
「え?」
ミサは、ようやく少しほほえんだ。見物席の人々は、同意した表情で拍手を送った。
翌朝、地球一家はホストファミリーと別れの挨拶を始めた。ザルトは、口を動かさずにミサに言った。
「ミサさん、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
ミサも、口を動かさずに返答した。
「そんな、大げさですよ。よかったですね、ザルトさん」
「ミサ、そうやって腹話術を続けてると、普通のしゃべり方を忘れちゃうぞ」
ジュンがちょっかいをかけると、ミサは平然と受け止めた。
「別にそれでもいいよ。生活に不自由するわけじゃないし。それも個性だから」
「ミサは今でも十分個性的だよ」
ジュンがそう切り返し、それを聞いてみんなが笑った。




