第3話『歩き方のルール』
■ 歩き方のルール
ホストハウスへの道を、地球一家6人が地図を見ながら歩いている。『駅から徒歩5分』と書いてあるが、どうしても見つからない。
周囲を見回すと、歩いている人はみんな競歩の選手のように速足だ。道を尋ねるため話しかけようとしても、足が速すぎて、気が付かずに行ってしまう。
速足の女性が来たので、その正面にリコが出ていった。すると、女性はリコをよけられずに正面衝突してしまった。女性は倒れたリコを起こす。
「大丈夫? ごめんなさい」
「はい、大丈夫です」
ジュンが女性に地図を見せながら家の場所を尋ねた。そして、『徒歩5分』というのが地球人の歩き方では徒歩約15分の距離なのだと想像できた。
目的の家に到着した地球一家6人を、18歳の娘リーラとその両親が出迎えた。
この星の住民の足の速さについて、ジュンがリーラに尋ねた。
「皆さん、そんなに急いでどうするんですか?」
「別に急いでいるわけじゃないんだけど、普通に歩くとそうなってしまうの」
「でも、特に道が広いわけでもないし、みんながあんなに速く歩いたら、人と人がぶつかってしまうんじゃないですか?」
ジュンの質問を聞いたミサが、質問を重ねた。
「そうそう、私もそう思いました。地球でよく経験するんですけど、ちょうど真正面から人が来て、よけようとしたら、相手も同じ方向によけちゃうことってありますよね。速く歩いていたら、衝突しちゃうんじゃないですか?」
「ぶつからない方法があるのよ」
リーラが得意そうに答えた。
「人とすれ違う時にぶつかりそうになったら、全員が右によけるの。法律で決まってるのよ」
法律で? そんな大げさな。
「交通ルールってあるじゃない。赤信号で止まるとか。それと同じで、ぶつかってけがをしないように、規則になっているのよ」
なるほど。ただ速足で歩いているだけに見えたが、ちゃんとみんな右によけていたのか。
「うちの屋上から外を見てみましょう。面白いですよ」
リーラは地球一家6人を屋上に案内した。外を見下ろすと、道を歩く人々の姿が見えた。みんな本当に足が速いとあらためて感じる。
「ほら、見ていて。あの二人、出会い頭にぶつかりそうだけど、絶対にぶつからないから」
リーラの言うとおり、歩いている二人が正面からぶつかりそうになったが、その寸前に二人ともさっと右によけて、そのまま歩き続けた。これは芸術的な歩き方だ。道のあちこちで、このような光景が見られる。
「それにしても、外の風景がいつもと何も変わらないわ。今夜0時は歴史的瞬間だというのに」
リーラのつぶやきを聞いて、ジュンが尋ねた。
「歴史的瞬間って、何が起こるんですか?」
「隣の国と統合されて、一つの国になるの。百年も前から、統合して強力な国を目指そうという話が出ていて、今やっとそれが現実になるんです」
「へえ。百年もかかったということは、社会や文化がかなり違っているんでしょうね」
「いや、二つの国は、お互いとてもよく似ているそうなんです。法律も、たった一か所違うだけで、あとは同じなんですけど、その一か所の違いのせいで、両方とも譲らなかったらしくて」
「一か所の違いって?」
「隣の国では、ぶつかりそうになったら左によけるんです」
地球一家は、あ然とした表情を浮かべた。ジュンがリーラに聞き返す。
「たったそれだけ?」
「その違いが大きいのよ。みんな生まれた時から今の歩き方に慣れているから、それを変えるのはとても難しいことだわ。だからこそ、統合にこんなに時間がかかったんだって、誰もが納得しています。もっとも、隣の国の住民は、今でも納得していないでしょうけど」
「ということは、右によける方法に統一されるんですね?」
「そういうことです。私たちは、歩き方を変えなくていいんです」
夕食後、地球一家6人は客間で足を伸ばしながら、今日の驚きについて語り合った。人とぶつかりそうになったら右によけることが法律になっていたことだけでも驚いたのに、それが理由で百年も統合できなかったとは。そして、そもそも歩く速さがこんなに速いことが驚きだ。
しばらくして、部屋の外でリーラの声がした。
「皆さんも一緒にテレビを見ませんか。儀式が始まりますよ」
地球一家6人は、ホスト3人と一緒にテレビ画面の前に座った。司会の男性が興奮した様子で儀式の実況を行っている。
「いよいよ、あと3時間で東国と西国が統合される瞬間を迎えます。この儀式の場には、当然のことながら、両国の大統領が出席しています」
画面上に二人の大統領の姿が映し出された。
「両国が統合されるには、国の法律を一つにしなければなりません。幸い、法律の違いはたった一か所だけです。その一か所の違いをどちらの国の法律に合わせるのか、それを決める運命の瞬間がやってまいりました。たった一回のじゃんけんで決まります!」
「あれ、あれ? リーラさん、さっき、この国の法律に合わせることが決まってるって言いませんでした? 人とすれ違う時は右によけるって」
ジュンが尋ねると、リーラは胸を張って答えた。
「うん、正確に言えば今からじゃんけんで決めるんだけど、勝ちは確実なのよ」
「どういうことですか?」
「西国側は、国の代表として大統領がじゃんけんするんだけど、うちの国は、最強の選手を立てることにしたのよ。だって絶対に負けられないもの」
「最強の選手って?」
「生まれてから今まで一度もじゃんけんに負けたことがない人よ。ほら、出てきたわ」
テレビ画面に、中年の男性の姿が映る。一度もじゃんけんに負けたことがないなんて、すごい。いや、この国の国民は一億人いるらしいから、そんな人が国に一人くらいいても、別に不思議ではない。
「さあ、両国の代表が舞台に立ちました。西国の代表は、大統領です。国の責任は全て自分が背負うと言わんばかりの表情です。一方、東国の代表は、こちらの男性です」
司会者の声と同時にアップで映し出された中年男性は、東国の大統領に話しかけた。
「やはり、私には荷が重すぎます。大統領、やはりここは、国を代表して大統領がじゃんけんに出ていただけませんか」
「申し訳ないが、私はじゃんけんにめっぽう弱いんですよ。あなたは生まれてから一度も負けたことがない。全国民があなたに期待しているんですから、よろしく頼みますよ」
大統領に激励された男性は、緊張した面持ちで舞台に戻った。
「さあ、じゃんけんの瞬間です。一発勝負です! じゃんけん、ぽん!」
司会者のかけ声とともに、西国の大統領はグーを出した。男性はチョキを出す。歓声とどよめきが起きた。テレビの前で、ホストの3人がぼう然としながら口々につぶやく。
「負けたわ」
「まさか」
「そんなはずは」
まあ、これは想定の範囲内なのだが……。
「誰も負けるなんて思っていなかったから、明日から大混乱するかもしれないわ。心の準備が全くできてないもの」
リーラがうろたえながら話した。リーラの母親もまだ動揺している。
「と、とりあえず、今日は寝ましょう」
翌朝、地球一家6人とリーラが屋上に出て外を見下ろすと、道を歩く人々が見えた。リーラが心配そうに静観している。みんな、ちゃんと左によける歩き方に変えているのか?
その時、ぶつかりそうになった二人が、互いに右によけた。おっと、これは法律違反になってしまうぞ。道のあちこちで、互いに右によける姿が見られる。じゃんけんで負けたことを知らないのか?
次の瞬間、一人が左によけたため、二人がぶつかって倒れた。事故が起きてしまったようだ。行ってみよう。
地球一家とリーラが駆けつけると、二人が気絶しており、人だかりができている。
「今、救急車が来ますから」
近くでまたぶつかる音が聞こえる。また事故が起きたぞ。
街角のスピーカーから案内放送が流れた。
「緊急放送です。至急、自宅に避難してください。本日は外出禁止です。衝突事故が連発して、病院が満室になってしまいました!」
地球一家とリーラは、家に戻ってリビングでテレビを見始めた。画面の中で、ニュースキャスターが4人の評論家と共に座っている。
「衝突事故関連の臨時ニュース解説をお送りしています。街を歩く百人にアンケートをとったところ、ぶつかりそうになった時に左によけると答えた人はわずか10人で、残り90人は右によけると回答しました。その90人の理由の内訳ですが……」
テレビ画面に円グラフが映し出された。
「左によけることに法律が変わったことを知らなかった人が10人、法律が変わったことは知っていたが、いつもの癖でどうしても右によけてしまうという人が15人、そして、圧倒的に多かったのが、『今日からちゃんと左によけるつもりで外出してみたら、周りのみんなが右によけていたので、自分も右によけないと危ないと思った』という答えです。専門家の皆さん、この問題を解決するにはどうすればよいでしょうか?」
4人の評論家が順番に意見を述べた。
「今のところ左によけるほうが少数派なのだから、彼らを元に戻させるほうが簡単ですよ」
「それは無理です。今日すぐ左に変えた人たちは、法律をきちんと守ろうとする立派な人たちです。もしそうするのであれば、旧東国だけ法律を元に戻すほうが簡単では?」
「それも無理です。あくまで、国の法律は一つです。もっとも、両国の交流がすぐに始まるわけではないのですから、一定期間のみ旧東国の地域では右によけるルールにするとか」
「そんなことをしても、ゆくゆくは切り替えなければならないんですから。歴史的な儀式があった日でもあり、今日切り替えるのが最適だと思うんですがね」
ニュースキャスターは、視聴者に呼びかけた。
「視聴者の皆さんからも、電話でアイデアをお寄せください」
テレビを見ながら、タクがつぶやいた。
「みんながゆっくり歩くようにすれば、そもそもぶつかることなんてないのに」
このつぶやきを聞き逃さなかったリーラは、すかさずタクを促した。
「タク君、そこにテレビ電話があるから、その意見を言ってごらんなさい」
コマーシャルが流れた後、ニュース解説番組が再開した。
「たった今、地球からの旅行者の方から、みんながゆっくり歩くようにすればいいという解決案を頂きました。なるほど、ゆっくり歩けばそもそもぶつかる心配はありません。私たちは気付かなかったようです。でも、ゆっくり歩くことなんてできるのでしょうか。地球の方、お手本を示していただけませんか?」
「ほら、タク君、立って、そこで歩いて見せて。カメラに映って全国に放送されているから。さあ早く!」
リーラに言われてタクは立ち上がり、部屋の中でぐるぐる歩き始めた。しかし、すっかり緊張してしまい、歩き方を忘れてしまった様子である。
「感動的です。これが地球の歩き方なのですね!」
キャスターの声が上擦っていた。一億人、いや、二億人が見ている。頼んだぞ、タク。しっかり! 手と足が同時に出てしまっているよ!
「あれ、あれ……。緊張して余計にわからなくなってきた」
タクの歩き方がますますぎごちなくなっていく。やれやれ、この国の歩き方の歴史が、今日からとんでもないことになるかもしれないぞ。