第25話『涙の子供劇団』
■ 涙の子供劇団
ホストハウスに到着した地球一家6人を、HMが出迎えた。大広間のドアを開けると、6歳か7歳くらいの5人の子供がおり、みんな動物のお面をかぶって劇の練習の真っ最中だった。劇団の先生らしき高齢の女性が指導している。HMは地球一家にささやいた。
「皆さんのお部屋は、この大広間です。劇団の練習は、あと5分くらいで終わりますので、よかったら見学なさってください」
地球一家6人は、HMと一緒に大広間に入った。先生の声が響く。
「さあ、それでは残りの時間を使って、クライマックスの部分をもう一回やってみましょう」
「ウサギちゃん。どうして泣いてるの?」
タヌキ役の女の子がセリフを言うと、少し間を置いた後、ウサギ役の女の子が言った。
「ママと、今日お別れしなければならないの。悲しくなっちゃうわ」
「それは悲しいね」とキツネ役の男の子。
「悲しいわね。でも、私たちがいるわ。みんなで仲良く、がんばりましょう」とタヌキ役。
HMは、地球一家に小声で教えた。
「あのタヌキ役の女の子が、うちの娘のロルカです」
「はい、カット」
先生は号令をかけると、ウサギ役の子を厳しく叱った。
「ウサギさん。今、セリフを忘れかけましたね。2秒遅れましたよ」
「すみません」
「本番は、いよいよ明日です。ほかのみんなも、明日までにもう一度おうちで練習してきて。今日は、これで終わり。お疲れ様でした」
HM、HF、ロルカ、地球一家6人がリビングに集合した。ミサは、読んでいた劇の台本をパタンと閉じ、HMに言った。
「全部読みました。『かわいそうなウサギ』という劇なんですね」
「はい。悲しい劇だけをやる劇団なんです。歴史のある劇団で、昔から劇団オリジナルの悲劇専門でした。実は、私が子供の時も、同じ劇団に入っていたんですよ」
ジュンがミサに尋ねる。
「ミサ、台本読んでみて、どうだった? 悲しかった?」
「悲しい話であることは十分理解できた。でも、涙は出てこなかった」
ミサがそう言うと、HMは納得した。
「そうね。ほかの劇も同じです。私の子供の時も、劇団の先生の助手として働いていた時も、悲しい劇を見て涙を流す人は見たことがありません」
ミサは、右手の5本指を開いてHMに見せた。
「さっきの劇の練習で、タヌキさんが『悲しい』という言葉を5回も使っていました。それで気になって、台本全体でも数えてみたんです。『悲しい』が24回も使われています」
「私が子供の時も、同じ劇をやったんですけど、『悲しい』は12回でした」
「増やしたんですね」
「泣く人がいないので、悲しさが足りないと思って、増やしたんだと思います」
ミサは、果たしてそれでいいのかと首をひねった。
ロルカが眠そうに寝室のほうに歩き始めた。HMが地球一家に説明する。
「実は、ロルカは明日、二つの劇団をかけ持ちするんです。午前は『かわいそうなウサギ』で、午後は別の劇団で喜劇をやります」
それは大変だ。
地球一家6人は、大広間に入って寝る支度を始めた。ジュンが首をかしげる。
「あの劇は、どうして悲しさを伝えられないんだろう。国語が得意なミサの意見としてはどうだ?」
「『悲しい』という言葉を使いすぎているのよ」
「なるほど」
「悲しさを伝えたい時は、『悲しい』と言わずに、小道具や表情で表すの。例えば、飼っていた子犬が死んでしまったとする。そんな時、悲しいとは言わずに、『最後にあげた餌は食べずに残されていた』と言う」
「確かに、そのほうが聞いていて悲しくなるな」
父も話に参加した。
「もう一つ気になるんだけど。昔はこれほど『悲しい』って繰り返さなかったって言ってたよね。それでも涙を流すお客さんがいなかった、ということは、この星の人には、悲しいという感情がないのかもしれないな」
「なるほど。地球人ならば悲しいとわかるあのお話が、この星の人たちにとっては悲しくないんだ」
ミサが言ったその時、HFの大声が聞こえた。地球一家が大広間を飛び出してリビングに入ると、HFがHMにパンフレットを見せながら叫んでいる。
「おい。明日の劇、午前と午後に予定しているけど、午前の劇は正午に閉幕、そして、午後の劇が正午に開幕じゃないか。移動時間も考えると、間に合わないぞ」
「大変だわ。先生に連絡を。でも、もうこんな時間」
HMはそう言いながら、リコを見た。
「リコちゃんって、ロルカと背格好も声もよく似ているわね。ロルカは6歳だから、リコちゃんのほうが年下ではあるけれど」
いや、リコは7歳だから、リコが年上だ。リコは、少しむすっとした。しかし、確かによく似ている。HMは続けて言った。
「明日の劇に、リコちゃん、出てくれないかしら」
リコは驚いて、飲みかけのジュースを吹き出してむせた。リコが代役?
「最後の10分だけでいいのよ」
10分といっても、最後のシーンは一番の見せ場で、しかもタヌキは実質的に主役である。それでも、HMはリコに頼んだ。
「お願いします。リコちゃん、ちょっと、タヌキ役の声を出してみてくれる?」
「『こんにちは、私はタヌキです』」
「よく似てる! 本番ではタヌキのお面と着ぐるみがあるから、きっと誰にも気付かれないわ」
気付かれない? 先生にも内緒で替え玉するつもりなのか?
HMは、リコに一冊の台本を手渡した。
「やるだけやってみましょう、リコちゃん。最後の2ページだけ覚えればいいから、徹夜すればなんとかなるわ」
HMから徹夜という言葉が飛び出したため、地球一家は心配そうにリコを見たが、リコは笑顔で一言つぶやいた。
「がんばる」
「リコ、偉いわ」とミサ。
大広間に戻ってリコが台本を見ていると、ミサが声をかけた。
「ロルカちゃんと途中で交代するから、リコの出番は最後のところだけなのよ」
「でも、最初から読んでみる」
「あ、そう。時間があまりないからね」
まあ、リコの記憶力があれば、セリフは簡単に覚えられるだろう。
翌朝、リビングに地球一家とホストファミリーが集まった。HMが言う。
「おはようございます。じゃ、リコちゃん、今日は頼むわね」
リコの目に、くまができている。寝不足のようだが、大丈夫か? タクがからかう。
「本当だ。目の周りが黒い。そのままでもタヌキだよ」
市民ホールに到着した地球一家は、客席で大勢の観客と一緒に劇を鑑賞し始めた。観劇の途中で、ホストファミリーの3人が近づいてきた。HMが言う。
「それでは、すみません。タヌキ役はもう交代しましたので、ここから先はリコちゃんが登場します。声が似ているので、おそらく誰も気付かないでしょう。私たちは次の舞台があるので、ここで失礼します。ピンチを救っていただき、ありがとうございます」
ホストファミリーが去った後、地球一家5人が劇を注意深く見ていると、最後の場面でタヌキが登場した。リコに間違いない。リコのセリフから始まった。
「ウサギちゃん。どうして泣いてるの?」
ウサギ役の女の子は、言葉を発しない。セリフを思い出せないのだ。昨日、先生が『2秒遅れましたよ』などとプレッシャーをかけたせいで、余計あせって思い出せずにいる。
女の子は、セリフを思い出そうと必死になっている。そこへ、リコが寄ってきてセリフを耳打ちした。女の子は片目をつむってほほえみ、セリフを言った。
「ママと、今日お別れしなければならないの。悲しくなっちゃうわ」
「それは悲しいね」とキツネ役の男の子。
「でも、私たちがいるわ。みんなで仲良く、がんばりましょう」とタヌキ役のリコ。
リコのナイスプレーを、地球一家は感心しながら見ていた。
しばらくして、舞台の幕が下がった。観客たちが拍手し続ける。場内はまだ暗い。
その時、地球一家の背後から年配の女性の声がした。
「こんにちは。昨日練習を見学されていたご家族ですね」
振り返って見ると、劇団の先生だった。
「そして、最後の場面でタヌキ役をしていたのが、おたくのお子さんですね」
「あ、気付いていましたか。うちの娘です。リコといいます」と母。
「すみません。リコには演劇の経験はないので、演技のほうが未熟だったと思います」と父。
「いえ、初めてにしては、上出来です」
先生はそう言ってリコの演技をたたえた。ミサは先生に確認する。
「でも、セリフを一晩で覚えるのはやっぱり無理だったのかな。台本とはずいぶん違っていましたよね」
「あら、そうなの?」と母。
「よくお気付きになりましたね」と先生。
「『悲しい』と言う回数を覚えていたんです。5回言うはずなんですけど、リコは3回しか言いませんでした」とミサ。
「気付かなかった。リコのセリフに全く違和感がなかったから」と母。
「きっとリコちゃんは、台本を全部読んでくれたのでしょう。だから、ウサギさんのセリフも思い出して助けてくれました。そして何よりも、ストーリーを全て理解し、悲しい話であることを感じ取り、そのうえで演じてくれました」
先生はそう言ってリコを褒めたが、ミサは疑問に思って尋ねた。
「それって、当たり前のことじゃないですか? 台本を全部読んで、ストーリーを理解して……」
「当たり前ではないんですよ。みんな自分のセリフを暗記するだけで、台本を全部読んだ子は、おそらく、これまで一人もいませんでした。だから、今日リコちゃんが、うちの劇団始まって以来の奇跡を起こしてくれたんだと思います」
「奇跡って?」
「今、わかりますよ」
その時、照明がついて観客席が明るくなった。観客たちの顔を見ると、みんな涙を流して泣いている。大勢の観客たちの涙を見て、地球一家は驚いた。
「悲劇で人に泣いてもらう。それがいかに大変なことか」
先生がそう言った時、演技を終えた子供たちが近づいてきて先生を取り囲んだ。先生は子供たちをねぎらう。それを見ながら、父がミサに言った。
「この星の人たちは悲しみの感情がないというお父さんの推測、間違っていたみたいだ」
「ちょっと変わっていたのは、この劇団だけだったんじゃないかしら」
「そうだね。この星は地球とよく似ている。地球と何も変わらないよ」
そういえば、リコの姿が見えない。男性の叫ぶ声が聞こえる。
「おーい。女の子が一人、舞台で寝ているぞ」
舞台には人だかりができており、地球一家が近づいて見ると、リコがすやすや眠っていた。
お疲れ様、リコ。




