第13話『全力疾走のランナー』
■ 全力疾走のランナー
今日のホストファミリーは、ミサと同じく13歳の少年サキトとその両親だ。サキトは明日、地域の運動会に千五百メートル走の選手として出場するという。これはミサにとって奇遇だった。ミサも千五百メートル走が得意で、学校では必ず代表選手に選ばれているのだ。しかも常に一等で、つい先日も地域の大会で優勝したばかりだ。このことをホストファミリーに話すと、HMはサキトの肩をつつき、サキトは照れ笑いした。
HFは売れない写真家だそうだ。多くの若者が読んでいる新聞に載せるために、運動会の写真を撮る予定だという。まだ一度も新聞に採用されたことがないので、今度こそいい写真を撮ってライバルの写真家たちの鼻をあかしたいと考えていた。
地球一家たちも、運動会を見に行きたいと申し出た。千五百メートル走は最後の競技なので、正午頃に始まる見込みだ。
その日の夜、ミサが物思いにふけっているのを見て、ジュンが話しかけた。
「サキト君は、まさにミサの好みのタイプだろ」
「うん。会った瞬間、すぐにビビッときたよ」
「確かに、彼はかっこいいよな」
「それもあるけど、私を引きつけたのは彼の目が輝いていたことね。とてもきれいな目だわ。そのあと気が付いたんだけど、彼の両親も目が輝いているわ。親譲りのきれいな目。今日まさに私に会うために生まれてきてくれた、っていう感じ」
ジュンとタクは、あきれたように顔を見合わせた。
ミサは心の中で、サキトが『よかったら、今から二人で公園にでも行かないか』と誘ってくることを想像し、いやそんなことは起こり得ない、と妄想をかき消した。
その時、ドアが少しだけ開き、サキトが顔をのぞかせてささやいた。
「ミサさん、ちょっと」
「どうしたの?」
ミサは、照れながら部屋の外に出た。
「今、忙しい? ちょっと付き合ってほしい所があるんだ。といっても、近くの公園なんだけど、いい?」
「は、は、はい!」
サキトとミサは、玄関に向かった。客間のドアが開き、ジュンとタクがミサの様子をうかがう。やるじゃないか、ミサ。
サキトとミサは、夜の公園に着いた。サキトは短パン姿だ。公園とは運動公園のようだ。広くて誰もいない。
「あの、ミサさん。折り入ってお願いがあるんだけど」
「な、何かしら?」
「さっきの話、本当? 千五百メートル走で、ミサさんいつも一等だって。僕、どうしても一等になれないんだ。いつもいつも二等で。明日の運動会、なんとかして一等とれないかな、と思って。何かアドバイスしてもらいたいんだ」
「え、私にできるかしら」
「とりあえず、ここで走ってみるから、見ててよ」
サキトは公園のトラックを走り始め、ミサはその様子を近くで観察した。速い。というか、速すぎる。しだいに疲れがたまったサキトは、みるみるうちに減速し、息切れして倒れるように座りこんだ。
「ミサさん、どうだった、僕の走り?」
「もっとペース配分を考えたほうが、タイムを短くできるんじゃないかしら」
「ペース配分?」
「そう。前半は体力を温存して、後からラストスパートをかけるの。短距離と違って、かけひきも必要だと思うから」
「温存? ラストスパート? かけひき? どういう意味?」
「え、ペース配分とかラストスパートという言葉を聞いたことないの?」
「ないよ。この星にはない言葉だと思う」
サキトは、水を飲みに行くためにフラフラと立ち去った。ミサは半信半疑だった。ラストスパートという言葉がない? ということは、みんな最初から全力疾走するのか?
その時、草むらの陰からジュンとタクが出てきた。
「ジュン! タク! ついてきてたの?」
「ミサの恋の行方が気になってね」とジュン。
「そんなんじゃないの。それより、わかったわ。サキト君が一等になれる方法!」
数分後、ミサはトラックのスタート位置にサキトと並んで立った。
「今度は、私と一緒に走ってみましょう」
二人は同時に走り始めた。サキトが前を走り、すぐ後ろをミサが走る。やがてサキトが疲れた表情を見せ、スピードが落ちる。ミサがサキトを追い抜き、ゴールイン。
「なんで? 途中までずっと僕のほうが速かったのに」
サキトが息を切らしながらミサに尋ねた。
「サキト君のほうがきっと基礎体力はあるのよ。それでも私が勝てたのはなぜだかわかったかしら?」
サキトは首を横に振った。ミサが話を続ける。
「地球では普通なんだけど、これが少しでもタイムを良くする方法なの。前半飛ばしすぎずに体力を残しておいて、全力疾走するのは最後だけにする……」
サキトは、首をひねって考え込む。ミサは念を押した。
「……というのが私のアドバイスなんだけど、どうかしら?」
「そうか。わかったよ、ミサさん!」
「わかった?」
「ようやく理解できたよ。なるほど」
「いつも二等なのであれば、明日この方法を使えば、一等も夢じゃないと思うんだけど」
「明日のことは、ちょっと考えてみるよ。ありがとう」
サキトがどう思ったのかよくわからず、ミサはやきもきした。
次の日の朝早く、ミサは一人でリビングのソファに座っていた。ジュンが起きてきて、ミサの顔色が悪いのに気付き、声をかけた。ミサはジュンに打ち明ける。
「サキト君のことが気になって眠れなくて」
「恋の病だな」
「もう、違うんだってば。私、サキト君に間違ったことを教えたかもしれない。私はいつも、かけひきの作戦を使って勝ってきたけど、実は自分でこの走り方があまり好きじゃないの。サキト君は最初から全力で走るからいつも途中で力が尽きてしまって、勝てたためしがない。でも、全力疾走している姿がとても魅力的なのよ」
「でも、彼が一等になることを望むなら、ミサのアドバイスは適切だったんじゃないか?」
「そうなんだけど……」
そこへ、サキトが入ってきた。
「ミサさん、おはよう。昨日はありがとう。僕、ミサさんに言われたとおりやってみるよ。一度でいいから、ゴールテープを自分の胸で切ってみたいんだ」
「サキト君……」
その日の昼、運動会の会場に着いた地球一家6人が見物席に入ると、HMが手を振りながら叫んだ。
「遅かったわね。ここよ! 最後の千五百メートル走が始まるわ。出番はもうすぐよ」
トラックでは、サキトが赤い帽子をかぶって待機していた。スコアボードには6チームの点数が大きく書かれている。現在のトップは赤組で445点。次点は青組の400点である。HMがみんなに説明した。
「サキトがいる赤組は、45点差でトップよ。一等候補と言われているのは、あそこにいる青組の少年。たとえ彼が一等で青組に60点が入ったとしても、サキトがビリにさえならなければ、逆転されないわ」
ビリでなければ……。彼はいつも二等だと言っていたから、まあ心配ないだろう。
サキトを含む6人の少年がスタート位置につき、ピストルの合図でいっせいに走り出した。サキト以外の5人が全力で走る。一方、サキトの走りはスローペースだ。
「あら、サキト、遅いわね」
HMが不思議そうに見ている。ミサは、自分の教えた方法で走ってくれていることに安心したが、やがて不安になった。サキトは、いつまでたっても6人のうち最後尾を走っているのだ。先頭は青組の少年。ミサは心の中で叫んだ。
「まずい。このままビリでゴールインしたら、赤組は逆転されちゃう。サキト君、お願い。そろそろラストスパートをかけて!」
ゴール目前。サキト以外の5人は疲れてペースを落としているが、依然としてサキトが最後尾だ。しかし次の瞬間、サキトはスピードを上げ、5人をごぼう抜きにした。そして、ゴールテープを切る。サキトから満面の笑みがこぼれたが、ミサにとっては冷や汗ものだった。
ところが、審判員は一等の旗を青組の少年に渡し、サキトには6等の旗が手渡された。
え、どうして? ミサは思わずトラックに入り、審判に話しかけた。
「どうして彼が6等なの? 一着でゴールインしたじゃないですか。それとも、反則負け?」
「いえ、反則は何もありませんでしたが……」
「じゃあ、どうして?」
「失礼ですが、どちらからいらっしゃいました?」
「私、地球からですけど」
「なるほど。地球のルールのことはよく知りませんが、我々のルールでは、最後のほんの数秒だけ先頭を走っていたのでは、一等にはなれません。それじゃ、終盤までずっと先頭を走っていた青組の少年がかわいそうじゃないですか」
「え?」
「あくまで、一番長い時間先頭を走っていた青組の勝ちです。逆に赤組の彼は、終盤までずっと6番目を走っていたので、6等は当然です」
「うーん、そう言われるとそんな気がしてきたけど、なんか変な理屈……」
そこへ、サキトが近づいてくる。ミサからまず話しかけた。
「こうなることがわかってたのね」
「うん。昨日の夜、ミサさんの説明を聞いて、地球のルールと違うことはすぐわかったよ」
「じゃあ、どうして私の言うとおりにしたの? ビリになっちゃったじゃない」
「いいんだ。どのみち一等になれないのなら、せめてゴールテープを自分で切ってみたいと思って」
「あー。気持ちはわかるけど、赤組はどうなるの? 逆転されちゃったじゃない。私の責任ね」
スコアボードに目を向けると、青組に60点が加わって460点。赤組には10点が加わって455点となっている。
「いや、大丈夫だよ。今わかるよ」
その時、場内アナウンスの声がした。
「これで、全ての競技が終了しました。今年の優勝チームは、赤組です!」
赤組の陣地から歓声が上がる。なぜ、赤組?
「ミサさん、まだわからない? 赤組は朝からトップを独走してたんだよ。最後に一瞬だけ青組がトップに立ったけど、トップだった時間が一番長かったのは赤組だから、優勝したってわけ」
ミサがほっとした表情でほほえむと、サキトも笑った。
「さすがに僕だってチームに迷惑かけたくないからね。もう赤組の優勝は決まってたから、こんな冒険ができたんだよ」
ミサの頭の混乱が治まらない中、サキトは歓喜の赤組の輪に加わった。ミサはその時気が付いた。サキトとその両親だけでなく、この星の人たちはみんな美しい目をしているのだ。それは、いつも全力でがんばっているからだ。それで目が輝いている。きっと、運動会だけでなく全てのルールがこうなっているのだろう。終わりさえ良ければいいという考え方は通用しない。だから、みんな最初から全力疾走するのだ。
カメラを持ったHFがミサに近づいてきた。
「ミサさん、おかげでいい写真が撮れましたよ。ほら」
サキトがゴールテープを切った瞬間の写真である。
「確かに、息子の負けです。でも、息子のこんなにいい表情を初めて見た。何か新しいものを感じ取った時の新鮮な表情ですよ」
そこへ、HFのライバルの写真家も近づいてきた。
「何をおっしゃいますか。やっぱり、勝っている写真じゃないと意味がないでしょう」
この写真家が見せたのは、青組の少年が走っている写真だった。
「ゴールテープは切れなかったものの、勝者の写真はやはり美しい」
二人は、写真をミサに選んでもらうことに決めた。ミサはしばらく迷った後、ライバル写真家の持つ青組少年の写真を指した。がっかりするHFに、ミサは言った。
「ごめんなさい。この写真、多くの若い人たちが見るんでしょう? この星のすばらしさを、若い人たちにずっと受け継いでもらいたい。それが今の私の願いなんです」




