88 対決
空中に浮いていた魔王がとうとう下りてきました。
「遂にこの時が来た。皆の望むまま、心を解放してやろうではないか。」
美術館に展示されている男性の彫像が、そのまま動きだしたと勘違いするような、全身黒光りしている魔王が、手を大きく広げています。
さっきまで顔はモヤで覆われていましたが、今は、ハッキリと見えます。
目鼻立ちが整っていて、女性受けしそうな容姿をしています。
後ろ髪は襟足までの長さで、前髪は後ろに流してオールバックなので、空洞のような光の無い、漆黒の瞳がよく見えます。
これが完全体なのでしょう。
レリック様は剣を、アレク団長は杭や飛び道具を、エド団長は様々な陣を手にして、戦う準備万端です。
対して、魔王は裸のようなものですし、武器は何も持っていません。
魔王にとって、かなり不利な状況に思われます。
実際、魔王は、エド団長が展開する陣に足止めされて、身動きが取れないようです。
それに、レリック様に斬り付けられてもいました。
キイイィィン……
まるで石でも斬っているような音がしています。
魔王の体は、かなり硬いようです。
魔王の体に傷は付いているのに、表情は変わらず平然としています。
全くダメージを受けている感じが見受けられません。
「皆、思うがままに己を解放せよ!」
魔王が漆黒の瞳を見開いて言葉を発しました。
思うがままに解放せよ、思うがままに解放せよ、思うがままに……
魔王の言葉が、頭の中で何度も何度も繰り返されるような感覚に陥りました。
「思うがまま……。」
レリック様の全てを私だけのモノにしたい、誰にも奪われたくない、レリック様を縛る全てがなくなれば良い。
私とレリック様だけの世界になれば良い。
邪魔は全て消してしまえば良い。
心の中からドロドロとした感情が沸き上がって、その感情に全てを支配されそうになった時、急に我に返りました。
私から禍々しい黒いモヤが出ていて、手に持っている箱がモヤを吸引していました。
魔王のたった一言で、呆気なく魔に囚われていたようです。
魔に囚われていたのは、私だけではありませんでした。
私の周りにいる青騎士団の騎士達からも、黒いモヤが出ていました。
幸い、彼らの魔も箱が吸引していましたので、皆、直ぐに正気を取り戻しました。
もし箱が無かったら、私と騎士達は、我を失ったまま、互いに言い掛かりをつけて争い、私は殺されていたかもしれません。
正気に戻れて良かったです。
でも、今いる部屋の隅では、レリック様達の魔を吸引出来ません。
レリック様達が心配です。
互いに傷付け合う前に、早く魔を吸引しなければ。
陣から出てはいけないとシアーノには言われましたが、緊急事態なので、仕方がありません。
箱は上蓋が開いたままなので、吸引の終わりは、モヤと後頭部の錠前が消えたかどうかで判断します。
周囲の騎士達を見回すと、モヤは出ていませんし、後頭部の錠前も消えています。
もう大丈夫でしょう。
部屋には青騎士団の他に、黒騎士団もいます。
レリック様達の元へ向かう途中、待機していた黒騎士団からもモヤが出て、箱は吸引し始めました。
数分後、黒騎士団からモヤは出なくなり、後頭部の錠前も消えました。
後はレリック様達の魔を吸引するだけです。
レリック様達の元へと急ぎました。
「レミーナ以外は生きている価値が無い。」
「それを言うなら、セシル以外は全て邪魔だ。」
「僕以外の男は滅びれば良いよ。」
魔王そっちのけで、エド団長はレリック様とアレク団長に、足止めの陣を展開しています。
レリック様は存在を消していたのか、陣からは逃れています。
アレク団長はクナイをレリック様とエド団長に投げて、レリック様とアレク団長はそれを躱しています。
魔王はその様子をニヤニヤしながら楽しそうに眺めていましたが、私に気付いて明らかに、つまらなさそうな表情に変わりました。
「もう元に戻るとは、やはり厄介な娘だ。が、信頼する仲間の手で命を奪われ、絶望する姿は見物だ。」
魔王は再びニヤリと片側だけ口角を上げました。
「この娘は偽者だ。女ですらない。」
魔王が私を指差しました。
箱はレリック様達の魔を吸引し始めていますが、まだ不十分なのか、レリック様達は、魔王の嘘を信じてしまったようです。
「セシルにそっくりなのが許せない。不敬だ。」
「何だろうと、レミーナ以外は排除する。」
「男!?じゃあ、邪魔だね。」
レリック様を始め、普段温厚な団長達から一斉に敵視するような冷たい視線を向けられて、背筋が凍るような思いがしました。
皆、早く正気に戻って。
震える手で何とか箱を持ちながら、怖くて、ギュッと目を閉じました。
ブッシャアアアアアア――――――
レリック様達が私を攻撃するより先に、大量の水が三人を吹き飛ばしました。
「いやぁ、最近暑かったんで、陣で剣に水鉄砲の機能を付けておいたんです。どこで使うんだって言われたんですけど、役に立ちました。」
シアーノがアハハハと笑いながら、立ち上がろうとするエド団長や、アレク団長、レリック様を凄い水圧で退けています。
水鉄砲と言うより、放水ホースと同等の水圧と水量ですが、魔を吸引する時間を稼げて助かりました。
「あ、そうだ。ちょっと黙ってて貰おう。」
シアーノが魔王の口目掛けて放水し始めました。
魔王は足止めの陣に囚われて、身動きが取れず避けられないようで、大量の水を口に受けています。
「びばば、ばにをぶる!やべぼっ!」
魔王は何か言っていますが、聞き取れません。
「ぐあっ!」
「シアーノ!」
突然、魔王の腕がビュッと伸びて、シアーノの首を掴みました。
「っのやろう!」
正気に戻ったレリック様が、ずぶ濡れにも関わらず、高くジャンプして、落下の勢いと共に、剣で魔王の伸びた腕を一刀両断しました。
「お、いけた。」
レリック様が意外そうにしています。
どうやら魔王の腕は伸びると、強度が下がるようです。
切り落とされた前腕は、シアーノの首から外れて、床に落ちました。
「ぐっ!」
ホッとしたのも束の間。
床に落ちた筈の前腕が急に動いて、再びシアーノの首を締めました。
シアーノは魔王の指を首から離そうと、藻掻いていますが、魔王の握力が強いのか、苦戦しています。
「シアーノ!」
「セシル嬢、シアーノから離れて。」
アレク団長に言われた通り、シアーノから距離を取った直後。
クナイがシアーノの首を締めている魔王の手に、何本も刺さりました。
首を掴む筋肉が切断されたのか、魔王の前腕がシアーノの首から、ボトリと落ちました。
その前腕を、レリック様が更に斬りつけて、再起不能にしています。
「ゲホッゲホッ、アレク団長、自分の首に、ソレが貫通したらとか、考えました?」
咳き込みつつも、シアーノがアレク団長に物申しています。
「いや。ただ、女性の前で、僕は狙いを外した事はないよ。」
水も滴るアレク団長が、クナイをくるくると回しながら、私にウインクしました。
良かった、アレク団長も正気に戻ったようです。
「うわーっ、セシル嬢がいて助かった。危うく、串刺しになる所だった。」
アレク団長にシアーノが引いています。
ふと気づくと、大量の水が床に吸い込まれるように消えて、あっという間に水浸しの床が乾きました。
不思議にも、レリック様やアレク団長の服も乾いています。
水が消えて、現れた床一面に、一つの大きな陣が展開されていました。
この陣が水を吸収したようです。
「まさか、シアーノの水鉄砲が役に立つ日が来るとはな。調子にのり過ぎたようだが、注意をそらしてくれたお陰で、仰向けの陣が準備出来た。」
良かった、エド団長も正気を取り戻したようです。
水を吸収した陣は、エド団長が展開したのでしょう。
片膝立ての態勢で、床に片手をついています。
その態勢のまま、エド団長が、新たな陣を展開しました。
すると、身動きの取れない魔王は、勢いよく仰向けに倒れて、まるで強い重力でも働いているように、陣から起き上がりません。
「何だこれはぁぁ!動けぬぅぅ!」
魔王が仰向けになっている陣に近付いたアレク団長が、対魔王用に作られた金属製の杭を両手に持って、魔王の顔を見下ろしています。
「これが何かって?魔王専用標本キット、かな?」
アレク団長は、首を傾げて微笑むと、躊躇いなく、魔王の眉間に、ドスッと金属の杭を打ち込みました。




