78 ハンカチ
レリック様と東屋で昼食を取った後、私は私室に戻って、自室で刺繍の続きに取り掛かりました。
「やっと完成したわ。」
エド団長に転送陣を描いてもらって、その上から刺繍糸で刺繍しました。
二枚で一組なので、刺繍の手間は二倍ですが、お揃いのハンカチを持つのは何だか素敵です。
早速お帰りになったら……何と言って渡しましょう。
元々このハンカチは、魔溜まり任務へ行くレリック様のお守りとして渡すつもりでした。
そして、もしもの場合、手紙のやり取りも出来るので、連絡手段として使えるとも思ったのです。
でも、突然任務の日が決まって、刺繍が間に合わず、今日までかかってしまいました。
女性が男性に刺繍のハンカチを渡す。
それは、誕生日とか、離ればなれになるとか、告白のような特別な場合です。
レリック様の誕生日は三月と既に終わっていますし、今、レリック様は私室と騎士棟の往復だけで、遠征も無いので、連絡も直ぐに取れます。
それに、もう告白してしまいました。
「完成したけれど、渡す理由が思いつかないのよね……。」
折角渡すなら、必要な時に渡したい。
でも、いつ?
「セシル様。渡したい時に渡すのが、最高のタイミングですよ。」
ハンカチを眺めていると、傍に控えていたレミがアドバイスをくれました。
「特別な日にハンカチを贈られるのは勿論、嬉しいでしょう。ですが、セシル様がレリック様を想って刺繍されたのなら、普通の日でもレリック様は嬉しい筈ですし、きっと、その日が特別になりますから、ためらう必要はありませんよ。」
「そこまで思って頂けるかしら。」
「間違いありません。」
レミに自信満々に断言されると、今日お渡ししても良い気がしてきました。
それに、特別な日ではなくても、いつだってレリック様を想っているのは確かです。
ふと時計を見れば、もう午後五時を回っています。
レリック様は早いと、六時に帰って来ます。
そうです!私からお迎えのハグをするのでした!
「レミ、お風呂の準備をお願い。準備万端でレリック様をお迎えしたいの。」
「そう言われると思って、お風呂の準備は出来ております。」
侍女の優秀さには頭が下がります。
何もかも手早くお世話されたお陰で、レリック様よりも早く大部屋へ入室出来ました。
完成した刺繍のハンカチは、着替えた夜着のポケットに入れました。
これで、いつでもお渡し出来ます。
先ずは、私から、お帰りなさいのハグをするつもりです。
レリック様が部屋から出てくるのを、扉前で待ちます。
何だかソワソワして落ち着きません。
主人の帰りを待つ犬とは、こんな気持ちなのでしょうか?
夕食の準備をしているレミとラナに、温かい目で見られているのは、きっと気のせいではありません。
恥ずかしいので、気付かないふりをしましょう。
カチャッとノブが動く音がして、レリック様が扉を開けました。
こういうのは思い切りが大切です。
「お帰りなさいませ、レリック様。」
レリック様の姿を見つけた瞬間に抱き付きました。
「お!?ただいま。どうした?」
突然抱き付いたので、レリック様の手も私の腕の中に拘束されています。
これはハグというより、捕獲ではないでしょうか?
積極的な方が良いと教わりましたが、失敗してしまったかもしれません。
腕を解いて、レリック様を見上げました。
「あの……ハグは積極的な方が癒されると、ルルーシェお義姉様に教えて頂いたのですが、どうですか?」
「確かに疲れが飛んだ。」
フッと微笑まれて、抱きしめ返されました。
ルルーシェお義姉様のいう通りでした。
頑張って良かったです。
それにしても、レリック様のハグは長い気がします。
私の時間感覚がおかしいのでしょうか?
「殿下、嬉しいのは分かりますが、そろそろお夕食を。」
「分かっている。」
レリック様が私を抱きしめている腕を緩めました。
侍女長のシーナが堪らずに声を掛けるということは、私の時間感覚は正しかったようです。
「セシル、昼に話した件で話がある。食後、私の部屋へ。」
「はい。」
お昼は、外でギリギリ話せる内容に止めていましたから、秘匿事項も含めての話でしょう。
以前の私なら、そんな秘匿事項の話までしなくても良いのに、と思っていました。
でも今は、何でも話して、レリック様の背負っている重荷を分けて欲しいと思います。
食後、レリック様の部屋に入室して、いつも座っているソファーに腰かけました。
先ずは侍女長のシーナが淹れてくれた紅茶を味わいます。
話が始まると飲むのを忘れて、折角美味しく淹れてくれた紅茶が、毎回冷めてしまうと学んだからです。
紅茶の香りに癒されつつ、ほっこりした所で、レリック様が徐に話し始めました。
「エドからセシルに正式な手伝いの依頼があった。そして、総長と私も了承した。」
先日、謁見の間で行われた褒美の授与式で、陛下から正式に、騎士棟での手伝いを認められました。
しかし、後に行われた団長の定例会議で、騎士団が王子妃になる女性に頼りすぎるのは良くない。とレリック様が主張して、了承されたそうです。
その結果、私に手伝いが必要な場合は、部署の団長が総長とレリック様に手伝いの依頼をして、了承され、更に私も了解した場合のみ、手伝えると決まりました。
「本当は了承したくなかったが、数日前、封印の箱に亀裂が入ったと報告されては、致し方無い状況だと判断した。」
箱に亀裂!?さらっと言われましたが、緊急事態です。
「だから魔が漏れて、魔に囚われている人が増えているのですね。それよりも、魔王領のように魔を引き寄せて、魔溜まりが出来てしまうのではないですか?」
私の心配をよそに、レリック様は随分と落ち着いています。
「エドによると、完全体の魔王は残滓と違って十分な魔を得ていて、体内で安定している為、吸収したり、放出したりしないらしい。箱の亀裂が、魔に囚われやすくなる原因になっていると考えられているが、封印の箱は機能しているから、取りあえず大丈夫だと報告を受けている。」
「それは良かったです。それで、エド団長の依頼とは何でしょう。」
「魔に囚われた人間の魔を、箱で吸引して欲しいそうだ。眠らせているから襲われる心配も無い。私や青騎士団も付き添う。依頼を引き受けるなら、明日からになる。どうだ?」
「勿論、お引き受けします。詳しい状況をお聞きしても?」
「それは明日、現場を把握しているエドから直接聞いた方が良い。今、私が話しても、結局エドが説明するから、無駄に睡眠時間を削るだけになる。」
確かにお話が長引けば、レリック様の睡眠時間が減ってしまいます。
それは、いけません。
「お疲れなのに、気付かなくてすみませんでした、もう休みましょう。」
ソファーから立ち上がって、レリック様の手を引くと、レリック様も立ち上がりました。
「私は大丈夫だ。セシルの体が心配なだけだ。」
「私はお休みの無いレリック様の方が心配です。結婚まで、何か耐えながら任務をしなければならないのでしょう?」
じっと顔を見つめると、視線を逸らされてしまいました。
「それは当然というか、義務というか……。」
レリック様が言い淀んでいます。
やはり話せない事なのでしょう。
「私に出来る事はありますか?何でも言って下さい。その……夫婦になるのですから。」
「っ!」
大きく目を見開いたレリック様と目が合って、思わず夫婦と言った事が恥ずかしくて俯いてしまいました。
頭の上から溜め息が聞こえたかと思うと、力強く抱きしめられました。
「レリック様?」
「……ベッドに入ったら、なるべく早く寝てくれ。頼む。」
「え?はい、頑張ります。」
私の睡眠時間をかなり気にされているようです。
そんなに体力が無さそうに見えるのでしょうか。
本当にレリック様は面倒見が良いです。
「では、お休みなさい。」
「ああ、お休み。」
ベッドに入って、手を繋いでから、言われた通り目を閉じて、早く寝るように心掛けました。
寝付きには自信があります。
秒で眠れたのではないでしょうか?
あっという間に朝を向かえました。
「あ!ハンカチ。」
夜着のポケットに入れたままでした。
今日こそ、タイミングを見てお渡ししましょう。
着替えた騎士服のポケットに、ハンカチを入れ直したのでした。




