76 お昼前の庭園
六月も半ばを過ぎて、少しずつ夏の気配を感じられるようになりました。
「では、昼に東屋で。」
「はい、行ってらっしゃいませ。」
朝九時。
祓いの鐘を聞いた後、レリック様と少し長めのハグをして、お見送りしました。
自室に戻って、レリック様に贈るハンカチの刺繍をしながらも、つい、チラチラと時計を気にしてしまいます。
一緒に昼食を食べるのが楽しみ過ぎて、時間が遅く感じます。
庭園の東屋は、レリック様と初めてランチをした思い出の場所です。
今いる私室から、そんなに遠くなかったと思いますが、東屋から私室までのルートが全く思い出せません。
思えば、王宮に来てから今まで、転移陣や地下道で騎士棟へ行くばかりで、まともに私室の扉から出たのは、妃教育の時と、婚約披露パーティー。
そして、マンセン王妃殿下のお茶会くらいで、東屋の場所を確認する暇もありませんでした。
私室を出る時は、常に護衛がついてきてくれますし、今回は侍女のレミも一緒なので、迷う心配はありませんが、レリック様と初めて食事した思い出の場所を、覚えておきたいです。
刺繍を刺す手を止めて、レミを呼びました。
「レミ、東屋へ行く前に、周辺を散歩したいのだけれど、いいかしら?」
「ええ。では、見所が沢山ございますのでご案内いたします。護衛にも伝えておきますので、少し早めに出ましょう。」
「有り難う、お願いね。」
十時半頃。
身なりを整えて、レミと私室を出ると、扉前に白騎士団の護衛騎士が待機していました。
騎士棟では白騎士団との接点がほぼありませんでしたが、これからは接する機会も増えそうです。
「本日の護衛担当、ルペーイと申します。」
「宜しく、ルペーイ。確か婚約披露パーティにも同行してくれていましたね。」
「覚えて頂けて光栄です。」
礼儀正しいルペーイに少し寂しさを感じてしまうのは、任務を共にした騎士達が、あまりにも気さくだったからでしょう。
「ではセシル様、参りましょう。」
レミに案内されて、私室の直ぐ近くにある階段を一階まで下りました。
右手に曲がって廊下を五メートル程歩くと、庭園に出られる扉があります。
その扉を開けると、青々とした涼しげな庭園が広がっていました。
「こちらは王家専用区域の庭園です。東屋もその中にございます。殿下が幼い頃に遊んだ迷路の庭や、噴水の庭園、ハート型をした、愛の庭園等がございます。」
レミが説明しながら、日傘を差してくれました。
レリック様が幼い頃、遊んだ場所が気になります。
「迷路の庭に行ってみたいわ。」
「セシル様なら、そう言うと思っていました。こちらです。」
レミに心が読まれています。
私って、そんなに分かりやすいでしょうか。
暫く歩くと剪定された緑の生け垣が見えて来ました。
きっと、あれが迷路の庭でしょう。
誰か、います。
護衛と侍女。
そして、あのピンク色の髪をした女性は……。
「お久しぶりです、ルルーシェお義姉様。お義姉様もお散歩ですか?」
ご挨拶すると、ルルーシェ妃殿下が、パッと明るい表情になりました。
「まあセシル、本当に久しぶりね。会えて嬉しいわ。私も息子のルレイオと散歩のつもりで来たのだけれど……。」
苦笑いするルルーシェ妃殿下の視線の先には、迷路で走り回る五歳のルレイオ殿下と侍従の姿がありました。
「王子教育の息抜きにと思って、時間が許す限り付き合っているのだけれど、結局、ルレイオは世話係と遊びに夢中で、私は放置なの。侍従や護衛のいる手前、王太子妃がドレス姿で走り回る訳にもいかないでしょう?」
ガリア王国の王家は、子供が生まれた場合、乳母や世話係が育てるのが普通です。
きっと親子関係が希薄にならないよう、ルルーシェ妃殿下なりに、ルレイオ殿下と会う時間を作っているのでしょう。
「毎回、ルレイオが満足するまで近くの東屋でお茶をして待っているの。一人で飲むお茶も気楽で悪くないけれど、折角久しぶりに会えたのだから、少し付き合って。ね?」
小首を傾げて上目遣いするルルーシェ妃殿下は二十三歳で、十七歳の私より歳上です。
公式の場では高嶺の花という雰囲気で近寄りがたいのに、今は愛らしく、庇護欲をそそるような雰囲気を醸し出しています。
これは、男女共に虜にしてしまうでしょう。
勿論、私も心が撃ち抜かれてしまいました。
処世術として、王家の皆様は、公私の切り替えスキルを身に付けているようですが、その緊張と緩和のギャップに私は毎回、心臓を鷲掴みにされている気がします。
「喜んでお供させて頂きます。」
決してルルーシェ妃殿下の魅力に魅了されて、レリック様との約束を忘れた訳ではありません。
まだ約束のお昼には、充分時間があります。
王太子妃としてお忙しいルルーシェ妃殿下も、お昼前には王宮にお戻りになるでしょうし、時間になればレミやルペーイも声をかけてくれる筈です。
「では、東屋へ行きましょう。こっちよ。セシル。」
ルルーシェ妃殿下と、迷路の庭近くにある東屋へ向かいました。
あら?段々と見覚えのある景色が……まさか、そのまさかでした。
「この東屋は、お昼にレリック様と待ち合わせの約束をしている場所です。」
「まあ、そうだったのね。お昼前に私は席を外すから大丈夫よ。さあ、座りましょうか。」
着席すると、早速、妃殿下付きの侍女が紅茶を淹れてくれました。
とても香り高くて、絶品です。
きっと高級な茶葉に違いありません。
王宮で暮らすようになって、何もかもが高品質なので、贅沢に慣れてしまわないか、怖いです。
「セシルは最近、何か面白い事はあって?」
「面白い事ですか……あ、そうです、最近、王都で赤い下着が流行していると知って、驚きました。」
「そうね、アレクセイ卿が赤い下着を着けているなんて、美丈夫ファンクラブの会報誌を読んだ当初は、嘘かと思ったわ。夜会でアレクセイ卿が真実だと認めてから、流行したみたいね。」
会報誌の情報源が私だとは言えません。
「お義姉様が美丈夫ファンクラブの会報誌を読んでいらしたなんて、意外です。」
「王家として、公言は出来ないけれど、私もファンクラブの一員なのよ。会報誌はお茶会や夜会では得られない娯楽と情報の宝庫だから、欠かさずに読んでいるわ。だから、カイン卿の黒子の場所も知っているのよ。」
「お兄様の黒子の場所なんて知っても、何の役にも立たないですよ。」
首を傾げる私を見て、楽しそうにするルルーシェ妃殿下でしたが、何を思い出したのか、少し声が小さくなりました。
「そうそう、王都と言えば、昨日のお茶会で良くない話を聞いたわ。セシルの耳には入っているかしら。」
「いえ、特には。どのようなお話ですか?」
「数日前から、王都で貴族を狙った誘拐事件が増えているのですって。とは言っても何か要求されるでも、取られるでもなくて、突然解放されて戻って来るそうなの。」
「犯人の目的が全く分かりませんね。」
「そうなの。不思議なのは、被害者は、どうやって誘拐されたのか、どう過ごしていたのか、犯人について、何一つ覚えていないらしいわ。覚えているのは、王都北にある教会で祓いの鐘を聞いていた事だけ、と口々に証言しているそうよ。」
「教会に連れて行かれたのでしょうか。教会は人の出入りがありますから、目撃証者もいそうです。」
「本当よね。騎士団が対処していると思うけれど、ピューは何も言っていなかったから、調査中なのかもしれないわ。」
「大きな事件に繋がらなければ良いのですが……心配です。」
ピューとは、ピューリッツ殿下の事でしょう。可愛い呼び方です。
レリック様はレリになるのでしょうか?
違和感しかありません。
まじめな話をしているのに、余計なことを考えてしまいました。
事件について、ルルーシェ妃殿下に話していないだけで、騎士団は何かしら把握しているでしょう。
折角任務が終わったのに、また問題が起るなんて、レリック様が休める日は来るのでしょうか。
きっと総長のピューリッツ殿下も同じ筈です。
「ルルーシェお義姉様、ピューリッツお義兄様がお疲れの時、どのように癒して差し上げますか?レリック様を癒したい気持ちはあるのですが、あまり思い浮かばなくて……。」
「癒す方法は色々あるわよ。例えばハグ。セシルから積極的に抱きしめてあげる方が、癒しの効果は高いのよ。状況によるけれど、大体は、するよりも、して貰う方が心地好いでしょう?」
「確かにそうですね。」
いつもハグはレリック様からですので、私からしても癒されるのか聞いてみましょう。
癒し知識が乏しい私に、ルルーシェ妃殿下は色々と教えて下さいました。
お話していると、いつの間にか、お昼近くになっていました。
「残念、楽しい時間はあっという間ね。そろそろ王宮に戻らなくては。セシル、今日は楽しかったわ。」
ルルーシェ妃殿下が席を立った時でした。
「そうそう、この東屋でも癒して差し上げては?癒しはいつでも、どこでも出来るのよ。」
去り際に教えて頂いた方法は、少し勇気が要りますが、レリック様を癒せるならば、実践してみましょう。
ちょっとドキドキしながら、レリック様を待ったのでした。




