2 余興の箱
こんな時に限って……いえ、いつもでした。
四歳年上のカインお兄様は私と違って、濃い青紫色の瞳と髪をしています。
社交界では王子と並ぶ美丈夫の一人として有名で、夜会では到着早々、結婚を望む令嬢達に囲まれてしまいます。
そんな訳で、カインお兄様に助けを求めるのは無理そうです。
マリー様は、私とワグナーの共通の友人です。
ワグナーはマリー様をエスコートしています。
私と婚約破棄して、フリーになったから、友人のマリー様をエスコートしているのでしょうか。
婚約破棄されなければ、私がエスコートして貰う筈でしたのに……。
私は婚約破棄の理由を聞きたい所ですが、こんな大勢のいる場所で聞くべきではないでしょう。
「聞いて下さいませセシル様、私のお腹にはワグナーの子がいるの。それで昨日から結婚準備の為に、ワグナーの邸で一緒に住んでいて、来月には結婚するのよ。私って植物を生かす加護があるから、ワインが産地のワイナー伯爵家には、とっても喜ばれているの。」
マリーゴールドのような、鮮やかな赤みがかった黄色い横髪を耳にかけながら、髪色と同じ瞳を輝かせて、子爵令嬢のマリー様が、嬉しそうに教えてくれました。
「え?」
マリー様の言う加護とは、我がガリア王国が信仰している光の神より授けられる特別な能力のことです。
王公貴族に限られ、強い思いによって十歳までに発現するのが一般的です。
私の場合、幼い頃、家庭教師の夫人に、出来が悪い。と言われては、お仕置きとしてクローゼットに閉じ込められていました。
暗いのが怖くて、出たい!と強く望んだせいで、加護が発現してしまいました。
その加護は『解錠』で、鍵ならば何でも解錠出来ます。
ですから、人様のお宅に侵入出来ますし、牢に入れられても、手錠をされても脱走出来てしまいます。
勿論、そんな事はしませんが、犯罪者には都合が良くて、結婚には何の役にも立たない、ハズレの加護なのは確かです。
基本的に加護の能力については、家族や婚約者以外に教えないのがマナーですが、マリー様は喜びで、その事を忘れてしまったようです。
あまりにも突然で、怒濤の展開に思考が追いつきません。
思わずワグナーを見つめてしまいました。
「済まない。そう言う事なんだ。」
つまり、私と婚約していながら、マリー様と関係を持っていた、と?
婚約破棄される五日前まで、いつものように、ワグナーの邸にお呼ばれして、三人でお茶を楽しみましたが、その時、いえ、ずっと前から、二人は関係を持っていたようです。
それにしても、マリー様には罪悪感と言う感情が欠如しているのでしょうか?それとも常識が通じない方なのでしょうか?ここまで突き抜けていると、怒りよりも驚きが勝ってしまいました。
むしろ、自己を律する事も出来ずに、嘘をつき続けていたワグナーに、嫌悪感を抱いてしまいました。
いつ、彼等の関係は変わってしまったのでしょう。
長年付き合っているのに、彼等の変化や人間性に気付けなかった私自身の愚かさと、何故、何も話して貰えなかったのか、それとも「加護が役に立たないから別れたい」と言いづらかったのか、何とも言えない虚しさが込み上げてきました。
「そう、二人ともお幸せに。」
淑女らしくあるために、心にも無い言葉を、笑顔で絞り出しました。
もう帰りたい。
辛くなってきた時、タイミング良く国王陛下が毎年恒例の余興を発表されました。
「この箱は、名のある道具師でも開けられなかった難解な箱だ。箱を解錠出来た者には、金貨五百枚を与えよう。」
「「「おおっ!」」」
参加者の目が輝いています。
昨年は確か『台座から抜けない剣』でした。
その前は『特別な者が握ると光る杖』だった気がします。
今年は『鍵のかかった片手サイズの小箱』です。
夜会に参加している皆さんは、用意された工具で箱を解錠しようと、アレコレ格闘しています。
幸いにもワグナーとマリー様のカップルは、他の参加者と同様、賞金に目が眩んで小箱に吸い寄せられて行きました。
これ以上心が削れる思いはしなくて済みそうです。
安堵しましたが、どっと疲れました。
忘れていましたが、本日の目的は婚活です。
だから、社交に勤しまなければならないのです。
ガリア王国では、夜会に参加する場合、会場を自由に歩き回って、男女問わず意中の方に声をかける。それが、社交界の常識になっています。
意中の方がいなくても、目が合えば挨拶をする流れで、様々な方と交流して結婚相手や、商談相手を探すのです。
疲れて休みたい場合、壁の花になれば、話しかけないでアピールになります。
そうすれば誰も話し掛けて来ません。
来て早々、良くないとは思いますが、婚活する気分にもなれず、壁の花に徹してしまいました。
お金を積まれて、あっさり婚約破棄された私です。
難ありの令嬢として、噂は既に社交界で広がっている筈なので、どなたかと話なんてしたら、根掘り葉掘り聞かれるのは目に見えています。
視線は感じますが、幸いにも、声をかけて来る方はいませんので、そのまま壁の花になって、暫く箱に群がる方々をぼんやりと眺めていました。
皆さんは用意された工具を駆使して箱を開けようと試みていますが、きっと無理でしょう。
どう説明すれば良いのか分かりませんが、箱の鍵は特殊だと分かるのです。
きっと解錠の加護による能力なのでしょう。
そして、解錠の加護がある私ならば、簡単に開けられそうです。
賞金は魅力的ですが、加護は隠したいので、目立ちたくはありません。
それならば手を出さなければ良いのに、人知れず、皆を驚かせたい。なんて思ってしまったのです。
突然、婚約破棄されて、婚活する気分にもなれず、楽しそうな雰囲気の中、一人、取り残されたような虚しさを感じて、自棄になっていたのかもしれません。
予想通り、箱を開けられる方は現れず、時間が経つにつれて、誰も箱に興味を示さなくなりました。
今、行動すれば、誰にも気付かれないでしょう。
「お兄様、私はもう帰りたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、私は友人の馬車に乗せて貰うから先に帰って良いよ。放置して済まなかったね。」
「いいえ、お気遣い有り難うございます。皆さんもごきげんよう。」
お兄様に帰宅の了解を得て、最低限の挨拶を済ませてから、出口に向かいました。
箱は出口へ向かう動線上にありますから、たまたま手が触れた感じを演出して、箱に触れます。
パチンと小さな音がして、僅かに箱の上蓋が開きました。
夜会会場は話し声や音楽で騒々しいので、解錠音には誰も気付かないでしょう。
さて、皆さん、いつ、気がつくのでしょう。
賞金はどうなるの?なんて騒ぎになるのでしょうか。
心の中でほくそ笑んで、会場を後にしました。