100 観光牧場前編
明日、公爵家の夜会に現れるであろう、カインお兄様の偽者を捕える為、協力者の私とカインお兄様が、レリック様に同行すると決まりました。
話し合いが終了して、レリック様のやるべき今日の任務は終わりました。
王宮では、任務が終われば夜で、食事をして寝るだけですが、今は午後二時。
まだ時間は、たっぷりあります。
幸い晴れて、天気に恵まれているので、馬で出掛けるのも良いでしょう。
領地にある観光牧場なら、王宮では出来ない体験が出来ます。
きっとレリック様には、何もかもが初体験になる筈です。
レリック様が心から楽しむ姿は、あまり見た事がありませんから、そんな表情を引き出せたら良いと思うのです。
あと、結婚する前に、思い出の場所を訪れておきたい気持ちもあります。
「レリック様、領地には貴族向けの観光牧場があるのです。息抜きに、出掛けませんか?」
「私は構わないが、セシルは家族と過ごさなくて良いのか?」
「殿下、お気遣い有り難うございます。私達は今夜と明日、セシルと過ごせる時間があります。ですが、殿下がここで息抜き出来る時間は僅かでしょう。どうぞセシルと楽しんでくださいませ。」
お母様が私の言いたい事を代弁して下さいました。
「出かけるなら、その格好では殿下だと気付かれますから、お着替え下さい。殿下の服は客室に用意してあります。客室は、セシルの部屋の向かいです。セシル、案内して差し上げなさい。」
お父様は、こうなる事を想定していたようです。
準備が良すぎます。
「ではセシル、案内頼む。」
「はい。」
レリック様に手を差し出されて、その手を取りました。
キュッと手を握られて、ハッとしました。
家族の前なのに、私ったらつい、いつもの癖で。
気付いた時にはもう、しっかりと、レリック様に手を握られていました。
観念して手を繋いだまま、二階の客室へ案内して、室内を簡単に説明した後、私も自室へ行って着替えました。
着替えたレリック様はハンチングの帽子、長袖の開襟シャツの上にベスト、ズボン、膝下まであるブーツとラフな格好です。
髪の毛も帽子で隠れていますし、王族らしくない格好なので、レリック様とは気付かれないでしょう。
ただ、スタイルの良さや、開襟シャツから覗く鎖骨や、胸板から駄々盛れている色気までは隠せないようです。
女性の注目を浴びない事を祈ります。
「セシル、その格好。」
「はい、変装です。なるべく私と知られない方が、レリック様も気付かれないでしょう。」
「確かに、セシルとは思わない。」
レリック様が分からないなら、変装は成功でしょう。
私は、髪の毛と目の色が特徴的なので、髪は帽子の中に隠して、伊達眼鏡を掛けます。
メイクで頬に、そばかすを描きました。
服装は、長袖のシャツに繋ぎのズボン。
膝下まであるブーツスタイルと、貴族を案内する地元民風です。
邸の外に出ると、既に人数分の馬が用意されていました。
「馬車だと明らかに、貴族が来たと目立ってしまいますから、観光牧場へは馬で向かいます。」
「セシルも馬に乗るのか?」
「はい、幼い頃から乗っています。先導しますから、付いてきて下さいね。」
馬に跨がって風を切って走るのは久しぶりで、解放感があります。
レリック様もその方が、馬車より涼しくて良いでしょう。
あっという間に、観光牧場へ到着しました。
広大な牧草地の一角に、厩舎やお店、工房、宿泊施設等があります。
社交シーズン中や、その後、社交に疲れた貴族達が避暑や癒しを求めて、この観光牧場にやって来るのです。
幸い明日は、王都で公爵家主催の大規模な夜会が開かれますし、私達の結婚式も明後日に控えていますから、観光客はあまりいませんでした。
牧草地のあちらこちらで、ちらほらピクニックをしている貴族達も、そろそろ王都に戻るでしょう。
さて、レリック様に楽しんで頂けると良いのですが。
「先ずは、ミルクアイスを食べましょう。」
馬場で馬を繋いでから、乳製品を加工している工房の販売店へ向かいます。
ミルクアイスは牛乳と砂糖を混ぜてから、一口大サイズの小さな型に入れて、冷やし固めた氷菓子です。
7個ほど器に入って、パン三つ分程の値段です。
領民からすれば、決して安くはない値段ですが、貴族には大人気です。
毒味も兼ねて、先に私が口に入れます。
ひんやりとして甘いミルクの味が、口いっぱいに広がります。
「レリック様もどうぞ。とても美味しいですよ。早くしないと溶けてしまいます。口を開けてくださいませ。」
「っ!頂こう。」
器に盛られたアイスを、一つ手に取って、レリック様の口へ運びました。
「冷たくて程好い甘さだ。今の暑い時期には最高だ。」
「でしょう?さあ、護衛の皆さんも口を開けて。早く。」
「え!?あ、はい。」
護衛の皆さんが口を開けようとした時、レリック様が私の手にしているアイスを、パクリと口で奪い取りました。
「ひゃあっ!?」
指も少し食べられて、変な声が出てしまいました。
「お前達は、自分で食べろ。」
私が持っているアイスの器を、レリック様が指差しました。
よく考えれば、一斉に手に取って貰った方が効率的です。
子供の頃、お母様がアイスを買ってくれた時、そうしてくれたように皆さんにやってしまいました。
子供ならまだしも、成人男性にそんな事をするなんて、淑女として、はしたない行動でした。
心の中で反省しながら、皆さんに器を差し出しました。
私の行動に問題はありましたが、レリック様や護衛の皆さんに、アイスは好評でした。
喜んで頂けたと言えるでしょう。
「レリック様、次は乳搾り体験ですよ。」
「なっ!乳!?いや、私は大丈夫だ。」
「乳搾りを体験された事があるのですか?」
「それは無いが、しなくても問題無い。」
目を逸らされました。
まさか、そんなに拒否されるとは。
体験した事もないのに、何がそんなに嫌なのでしょう。
でも、折角楽しむ為に来たのに、無理強いはいけません。
「私が幼い頃にした体験を、一緒に共有出来たらと思ったのですが、仕方ないですね。」
諦めて他に行きましょう。
「待て。やはり、やろう。」
「え?無理しなくても良いですよ。」
「セシルと体験の共有はしたい。」
嫌なのに私の為に頑張ってくださるなんて、レリック様は本当に優しいです。
「有り難うございます。でも、途中でも嫌になったら、無理はしないで下さいね。」
レリック様の嫌悪感が和らげばと、幼い頃、両親に連れられて、お兄様と一緒に体験した事。
大きな牛が怖くて、暫く近付けなかった事。
お兄様が先に乳搾り体験をしているのを見て、近付く勇気が持てた事等、思い出話をしながら、工房から乳牛のいる厩舎へとやって来ました。
「上から順番に、少し引っ張りながら握るようにします。」
一度やって見せてから、レリック様に交代しました。
「うわっ、柔らかくて、生温かい。」
乳搾り体初験のレリック様は、恐る恐る牛の乳を握っています。
私も初めての時はそうでした。
「こうか?ん?出ない。」
「レリック様、もっとしっかり握って大丈夫ですよ。」
「えーっと、順番にだったか。おお、出た。こうか、こうだな!」
「レリック様、上手です。」
「私は、やれば出来る男だ。」
レリック様はコツを掴んで、乳搾りに集中しています。
「さて、乳搾り体験をしたので、搾りたてのミルクを飲みましょう。」
「もうか?」
あんなに嫌がっていたのが嘘のようです。
レリック様は、やり足りないようですが、乳搾りは重労働なので、楽しいうちに切り上げます。
厩舎横にある体験工房へと移動しました。
ここでは、搾りたてのミルクを飲みます。
「こんなに濃いのか。固形物が下にたまっている。王宮のミルクとは随分違うようだ。」
「人が毎日飲むには濃すぎるので、王都では飲みやすいように水で薄めているのです。飲み終わったら、バター作り体験をしましょう。」
「バターを作れるのか?」
レリック様、とっても良い反応です。
子供みたいで可愛い。
「王都の薄めたミルクでは出来ませんが、ここのミルクなら出来ます。」
搾りたてミルクと一緒に購入しておいた、ミルクの入った専用の容器を手にして、振りながら説明します。
「こうしてミルクの入った容器を振るだけです。固形成分と水が分離するまで続けます。少し疲れますが、簡単に出来ますよ。」
「よし、私に任せろ。」
レリック様は、私から容器を受け取ると、物凄い勢いで振り続けました。
全く疲れる様子がありません。
あっという間に分離が完了しました。
お水を捨てて、バターの完成です。
「これは邸に帰ってからパンと一緒に試食しましょう。帰ってからのお楽しみです。」
「邸に戻ってからも楽しみがあるのは良い。」
レリック様は達成感を感じているのか、出来たバターをご機嫌で眺めています。
私も子供の頃、きっとこんな顔をしていたのでしょう。
こんなにキラキラした表情のレリック様を見るのは、初めてではないでしょうか。
何かに縛られているのではなく、ありのままのレリック様を見ているようで、嬉しくなりました。




