彼女は「大好き」じゃ満足しない
10月30日。この日は俺・西澤庵にとって、一年で最も大切な日である。
こう言うとよく「一日間違えていないか? ハロウィンは明日だぞ?」と指摘されるのだけど、断じて日にちを間違えているわけではないとここに明言しておこう。
俺が一年で最も大事だと思っているのは、ハロウィンではない。愛する恋人・工藤来夏の誕生日だ。
中学二年生の頃から付き合っているわけだから、今年で3回目の誕生日になる。
一昨年は薔薇を贈った。花言葉は、「あなたを愛しています」。贈った翌日、自分でも流石にキモいと思った。
去年は高価ではないがペンダントを贈った。来夏も存外気に入ってくれたようで、デートの時は毎度付けてきてくれる。
そしてやって来た、今年の誕生日。さて、何を贈ろうか?
花とアクセサリーは既に贈ったし、服や靴は好みが分かれるからなぁ。
悩んだ末、俺は大きめのクマのぬいぐるみをあげることにした。
このぬいぐるみ、めっちゃ手触りいいんだぞ。毛の部分が凄えフカフカしていて、つい抱き枕にして寝てしまいそうになる。
30日の放課後、俺は一度帰宅した後で、来夏の自宅へ向かった。……クマのぬいぐるみの入った、大きな包みを抱えて。
通行人からは、そりゃあ変な目で見られたさ。
でも、仕方ないだろう? 宅配便で送ろうにも、ぬいぐるみが思いの外高くて財布の中が空っぽなんだから。
なので誕生日の空気に当てられて終電を逃したら、ジ・エンドだ。タクシー初乗りの料金さえ払えない。
なんとか来夏の家に着いた。
玄関チャイムを鳴らすと、すぐに来夏が出てくる。
「いらっしゃい、庵。……って、うわっ! 何その箱!?」
「何って、誕生日プレゼントに決まってるだろ?」
来夏の部屋に案内された俺は、早速プレゼントを彼女に渡した。
「来夏、誕生日おめでとう」
「ありがとう。……開けても良い?」
「勿論」
包みを開けて出てきたのは、大きなクマのぬいぐるみ。来夏は「おぉ!」と感嘆の声を漏らした後、ぬいぐるみに抱き着いた。
モフッという音が聞こえてきそうな勢いだ。
「何これ、超気持ち良い。庵を揶揄うのと一緒で、クセになっちゃいそう」
だったら俺を揶揄う頻度を減らして、その分ぬいぐるみに抱き着くと良い。
俺はコホンと咳払いをしてから、来夏の方に向き直る。
……いつも思っていて、定期的に伝えている言葉とはいえ、いざ改まると緊張するな。
しかしプレゼント同様、この言葉も毎年贈っているものなので、今年は言わないというわけにはいかなかった。
「来夏、大好きだ。また一年、よろしく頼む」
俺の言葉に、来夏は笑いながら頷く――
「不合格」
――ことはなかった。って、え? 不合格?
予期せぬ3文字に、俺は言葉を失う。
「「大好きだ」も、今年でもう3回目だよ? そりゃあ言われるのは嬉しいけど、流石にマンネリ化してきたって。飽きさせない為には、テコ入れが必要なのよ、テコ入れが」
お前は漫画の編集者か。
しかし芸がないと言われれば、それまでだ。いや、ないのは俺の語彙力か。
来夏は人差し指を立てる。
「一週間。一週間だけ時間をあげるから、私を付き合い始めた頃みたいにドキドキさせてみて。彼女からの、誕生日のおねだりね」
一週間は、長いようで短い。まだ7日あると思っていると、いつの間にか時が過ぎ去っているものだ。
俺の好きな漫画家(週刊誌で連載している人だ)が、そんなことを言っていた。
その言葉の意味が、今ようやくわかった気がした。
◇
来夏は「大好き」じゃ満足しない。
そんな彼女に、どうやって俺の溢れんばかりの愛を伝えるべきだろうか?
テコ入れをすると言っても、これは漫画やアニメじゃないからバトルパートに突入することも出来ない。
そうなると、耳元で優しく「愛してる」とでも伝えるか? ……いや、それって結局「大好き」と大差ないよな?
正直来夏がその程度でドキドキするとは思えなかった。
「……そういえば、母さんがよく「自分が嫌だと思うことを人にするな。それは相手も嫌だと思うから」って言ってるよな」
となれば逆説的に、自分のドキドキすることをすれば、来夏もドキドキするということではないだろうか?
来夏に何をされたら、俺はドキドキするのか? 想像してみることにした。
――なーに、庵? 疲れちゃったの? じゃあ、私が子守唄を歌ってあげようか? ……えっ? 添い寝して欲しい? しょーがないなぁ。その代わりに、変なトコ触っちゃダメだぞ。
……これは想像じゃなくて妄想だな。少なくとも俺がネグリジェ姿で先の発言をしても、ただただキモいだけである。
あと俺が来夏にして欲しいことといえば……
「……お弁当か」
彼女の手作り弁当を食べる。これこそ、全国の男子高校生が憧れるシチュエーションではないだろうか?
両親の帰宅が遅く、日頃から家事の一切をやっている俺は、最低限の料理を作れる。
俺は早速スマホで「恋人の胃袋を掴むお弁当」と検索して、弁当の仕込みに取り掛かるのだった。
翌日。
完成した弁当を見て、俺は後悔した。
……間違いなく、作り過ぎた。
弁当箱は全部で五段。それも普通の弁当箱じゃない。重箱だ。
重箱の中にはびっしりおかずが敷き詰められていて、それどころか入りきっていないおかずもあったりする。
こうなった原因は、俺の自信のなさにあった。
来夏の喜びそうなおかずを考えていると、「これも好きかもしれない」、「あれも好きだろう」と言った感じで、気付けば膨大な品数になってしまっていたのだ。
しかしまぁ、この品数と量は俺の来夏への愛を表している。
そう考えたら、寧ろ足りないくらいかもしれない。
昼休み、俺の力作を見た来夏はというと、
「今日、弁当作ってきたんだ」
「うむ、苦しゅうない」
あっ、これは失敗だな。今の彼女の発言を受けて、俺は思った。
◇
弁当作戦が失敗した後も、俺はあの手この手で来夏を照れさせようと画策した。
作戦その2、ポエム作戦。来夏への愛を、ポエムとして贈ってみたのだが……あまりにその内容が痛々しかったのか、彼女は腹を抱えて大爆笑していた。寧ろ俺の方が羞恥で顔を真っ赤にしたっての。
作戦その3、壁ドン作戦。休み時間に、廊下でいきなり来夏に壁ドンをしてみたのだが……どうやらトイレに行くところだったらしく、「邪魔!」と顔を押し退けられてしまった。
作戦その4、校内放送での「愛してる」作戦。昼休み、校内放送で「愛してる!」と叫ぼうとしたのだが……放送室に入る直前で、放送部員に止められた。
後になって思い返してみたら、どうしてあんなことをしようとしていたのだろうか? 当時の俺は、どうかしていたんだと思う。
作戦その5。……万策尽きた。
どんなことを試してみても、正直来夏をドキドキさせるのは無理な気がしてきた。
俺はカレンダーを見る。
本日の日付は、11月5日。期限の一週間は、目前だ。
大掛かりな作戦は、あと一つくらいしか出来ないだろう。つまり次がラストチャンスだ。
最後にどうやって、ドキドキさせようか? 考えた俺は、一つの結論に辿り着く。
来夏をドキドキさせたいのなら、前にドキドキさせた時と同じことをしたら良いのではないだろうか?
俺と来夏が初めてドキドキした瞬間、それは――初デートだ。
初デートの時のことを、忘れるわけがない。
放課後、俺は勇気を出して彼女を駅近の喫茶店に誘ったのだ。
あそこの紅茶が、思いの外美味しくて。そういや初デート以降、一度も行っていなかったな。
懐かしの味が恋しくなったこともあり、俺は来夏を放課後の喫茶店に呼び出した。
喫茶店を訪れた俺たちは、初デートの時同様一番奥の席に腰掛けた。
下校中の生徒も多いので、窓際だとデートしているところを目撃される恐れがある。それを避けるべく、奥の席を選んだんだっけ。
今でこそ俺たちの交際は周知の事実だが、当時の感情をより鮮明に思い起こす為に、俺はあえて奥の席を選択した。
「初デートの場所に連れてくるなんて、考えたものね」
「まぁな。……因みに、ドキドキしてる?」
「残念ながら。寧ろ心地良いくらいよ」
心落ち着くハーブティーに、店内に流れるクラッシック音楽。……確かに、交際数年のカップルがドキドキするような場所じゃないな。
「それじゃあ、俺は結局お前をドキドキさせられなかったっていうことか」
「そうなるわね。だけどまぁ、努力点を加味して、ギリギリ及第点をあげようかしら?」
そう言って、来夏は優しく微笑む。
……来夏のやつ、初めからそうするつもりだったんじゃないだろうか? 証拠はないけれど、俺は確信していた。
やられっぱなしは、釈然としない。俺は唐突に来夏にキスした。
「! ちょっ、何すんのよ!?」
あっ、照れた。
この勝負、どうやら最後の最後で俺が大逆転したらしい。
次の来夏の誕生日まで、俺に与えられた猶予は1年間。さて、来年はどうやって彼女をドキドキさせるとしようかな。