第六十三話 旋風
泣き別れした奴の首と胴体が地につき、べちゃっという音がなる。それを見た血脈同盟団員は、先ほどまで不気味なほど無言を貫いていたというのに、声を漏らしていた。対し、タマガキ防戦隊からは歓声が上がる。
こちらの士気が上がり、敵の士気が下がった今がチャンスだ。一気に攻勢に転ずる。
「秋月!」
刀を揺らめかせ、一度抜けかけた霊力を再び体に通した。目をまん丸にしてこちらを見ている秋月に、血盟と戦ってもなおまだ戦えることを伝える。それに頷きを返した秋月が、防戦隊に指示を飛ばし勢いに乗って攻め立てようとした。
『風輪』を使い、空へ飛び立って最前列へ。第玖血盟の元へ向かう。目の前には、血脈同盟団員が五名。こちらの進行を妨げようとそれぞれが武器を構え、決死の覚悟をもってこちらへ向かってきた。
もしかしたら彼らにも帰りを待つ家族がいるかもしれない。筆舌に尽くし難い感情が、胸に残った。防人が、守るべき人を殺すなど。
だが躊躇うな。奴らは、敵だ。こちらが弱腰になれば善人が死ぬ。
打刀を右へと振るい、彼らを撫で斬りにした。
返り血で服が濡れ、顔が少し濡れた。進撃を止めるわけにはいかない。
そのまま遠くに見える屍姫の元まで駆け抜けようとする。それを止めようと、団員だけでなく、彼女の眷属がこちらへ向かってきていた。その中には、戦略級魔獣の姿もある。このまま突っ込むのは、少し難しいかもしれない。そう考え敵を纏めて排除しようと『風輪』に霊力を込め始めたその時。
俺の後ろの方から、軌跡を描いて何かが通っていった。それはまるで蛇のように動き、眷属の急所を打ち抜いていく。秋月の紅き霊弾。その一撃で翼を引きちぎられた梟のような魔獣がバランスを崩して倒れこむ。その横を通り過ぎながら、とどめを刺そうと首を断ち切った。血に濡れた羽が舞う。
「支援するわ!」
秋月の声が聞こえた。それと同時に、反撃に転ずる兵の姿が見える。
このまま一気に第玖血盟をも仕留めようとする俺の意図を理解したのか、防戦隊の兵士数名が追従し俺の横に侍った。後方から秋月は未だ百発百中の弾幕を張っているし、このままなら届くだろう。
そう考えながら二刀を振るって眷属を処理する。多くの魔力と霊力が入り乱れるこの混沌とした空間で、少しの無力を支配下に置いた。
遠くには、紫色の瞳を持った第玖血盟の姿が見える。同胞であるはずの青頭巾が死んだというのに、彼女の顔に感情はなく、ただこちらを食い止めようと追加の眷属を展開していた。眷属が地中より現れ出るからだろうか、あたりが穴だらけだ。
支配した無力。それを使い一本の土槍を屍姫目掛けて放った。真っ直ぐに突き進む土槍。それを途中で止めようと、片足のない防人が跳躍し、体で受けようとした。徹底的なまでの死者に対する侮辱。しかし、土槍一本だけなら━━━━!
一度脇差を納刀し、左手を伸ばして手を開く。槍と死んだ防人がぶつかるタイミングで、勢いよく手を閉じた。
俺のその動きに合わせて、土槍が一度ねじれ、道を阻んでいた防人を避ける。遠隔操作。これでこの土槍を止めるものは、もういない。
勢いよく進む土槍。避けようと体を屈めさせる第玖血盟。その間に割り込むような形で、一陣の風が吹いた。
「また槍かよォ!」
鼬のお面。俺の丈をも優に超える大鎌。割り込んだ男が手にしたその大鎌を振るい、俺の土槍を断ち切った。槍が割れて、土塊が地に落ちる。
「遅いよ。いたちー」
お面から垣間見える頬と顎に、怪我をしているのか血が垂れている。その男は俺に限りなく近い身長、薄い緑色の髪を持っていた。男が大鎌を回転させて、構える。
第拾血盟。鎌鼬。その存在は、踏破群からの霊弾によって知ってはいたが、第玖血盟を殺したいタイミングで都合よくやってくるとは。秋月に目配せし、俺が奴の相手を務めることを伝える。彼女は頷いたものの、無理をしないで、とその表情が物語っていた。
先ほど奴の斬撃によって、俺が支配下に置いていた土槍の操作を完全に切断された。あの鎌には、何かあるのかもしれない。
「悪りぃ。あの白鎧の一撃で無茶苦茶遠くまで飛ばされたんだよクソが」
第玖血盟が前髪をいじりながら、口を開く。そういえば血盟はその顔をお面で隠していると聞いていたが、青頭巾と屍姫は隠していなかったんだな。
「あっちの方にいっぱいいるから止めれてるけど、そろそろ来るよアイツ。あおずきんも死んじゃったし。あんな雑魚どうでもいいけど、早いとこ蹴りをつけないと」
屍姫の言葉を聞いた鎌鼬が、彼女の方へ勢いよく振り向いた。
「青頭巾がやられたか......何かと便利ではあったんだがなーアイツ。じゃ、仇討ちといくぞ。あの二刀野郎。アイツだな?」
「うん。あのお兄さん、雑魚だと思ったけどなんか変。もしかしたら強いかも。気をつけて」
「おう」
イタチ面が大鎌を縦にくるくる回転させて、構える。一歩蹴り出して、俺目掛けて突っ込んできた。
「防戦隊! 下がれ!」
速い。あの速度なら、こちらまで一瞬で着く。突如現れた敵に対し、下がるのは間に合わないと悟ったのか、防戦隊が応戦しようと刀を構える。
奴が突っ込んでくる。それを見て即座に対応したのは秋月。彼女の右手から放たれたであろう霊弾が、奴に向かって真っ直ぐ突き進んでいった。
「無駄ァ!」
鎌鼬が手にした大鎌を振るう。その大きな刃によって霊弾が真っ二つに切り裂かれ、消えていった。
奴が右に大きく腕を伸ばし、大鎌を脇に構える。あれは薙ぎ払いの構えだ。
刀を十字に交差させ、受けようと構える。奴の大鎌が来る。
「ゴポッ......!」
振るわれた奴の大鎌が俺の右に立っていた防戦隊の一人を捉え、胴体と下半身を真っ二つに切り分けた。ああ。もし俺がもっと早くに下がるよう指示を出していれば、こうはなっていなかったというのに。せめて左側に侍っていた隊員だけでも守ろうと、刀で受ける。
「バカがよォ! 俺の大鎌は全てを切り裂く!」
瞬間。奴の叫びを通して自らの過ちに気づいた。俺の土槍。秋月の霊弾。それがどうなったのかを見て、安易に受けに回るべきではなかった。このままだと、彼と同じように、やられ━━━━━━
甲高い鉄と鉄がぶつかる音。俺の予測を裏切って、俺の二刀は奴の大鎌を受け切った。何故。
「なっ......!」
何かよくわからんが、今は気にしていられない。
「下がれ! 俺がやる!」
それを聞いた防戦隊は、まるで海辺の波のように引き下がった。対し第拾血盟はこちらを警戒したのか、一度歩みを止め、大鎌を下段に構えている。
これで問題ないはずだ。今はとにかく、奴を止めることを考えないと。アイツらの話を聞いている限り、そろそろ踏破群がやってくるはずだ。それまで耐えれば━━
「童。戦況はどうなっておる」
その声が聞こえた時、大鎌を振るおうとしていた鎌鼬がその構えを一度解き、声のした右上の方を見た。奴に釣られるようにして見上げたその先には、屋根の上に立ち、腕を組み、二本足で立っている狩衣を着た犬の姿がある。
そいつから灰色の霊力が迸る。まるで、豪風が通り過ぎていったような感覚。その勢いで俺の前髪が崩れ、目を開けなかった。殺意を受けて、防戦隊はたじろぎ、中には尻餅をついて失禁したものまでいる。その中で、毅然とした態度で犬を見つめる小さな紅い防人の姿があった。
この圧は同じ血盟である青頭巾のものとは比べ物にならない。いや、この圧、感覚は、まるで空想級魔獣のような、いやもしかしたらそれ以上ということも━━━━━━
その犬がゴミを見つめるような目で、青頭巾の死体を見つめていた。
「ふん。青頭巾が逝ったか。しかしそれで済むならば良し。おい。童。いくら排除すべき西とはいえ、純血の民も多い。退くぞ」
敵であるはずの俺たちに対し、その犬は一切の興味を示していなかった。これを幸いとするか、侮辱と受け取るか。
いや、幸運以外の何者でもないだろう。絶望的な戦いに自ら身を投じてどうする。ここは、耐える他ない。
「了解した。第陸血盟。おい。行くぞ屍姫」
その特徴からして間違いないと思っていたが、あれが、第陸血盟。犬神。これが兄さんの言っていた、本物。一桁の、それも上位の血盟。勝てる未来が、一切見えない。
布で出来た鞘で刃を隠し、鎌鼬が大鎌を背に取り付ける。戦いの矛を収めようというのか。第玖血盟も不満げな表情をしていたが、その指示に従い眷属を引き戻している。
退こうとする血脈同盟の姿を見てもなお、俺たちは緊張状態にあった。現に俺も、握る二刀を離せない。
一度もこちらへ目を向けなかった犬神が、チラリとこちらを見る。
目があった。目が、あってしまった。
こちらを認識した犬神が突如跳躍し、空中で変化する。犬神の大きさは先ほどの何倍以上というもので、大狼という表現がまさしく相応しい。こちらを警戒するような唸り声を上げ、鋭い牙が見えた。どこかで、その姿を見たことがあるような気がした。
動物に変化する能力。まるでアイリーンのもののようだが、その灰色の霊力は、彼女のもののように、安心できるものではない。恐れの感情が、強くなる。
退こうとしていたというのに突如として臨戦態勢に入った犬神が、口を開いた。
「......何故貴様が生きている。白牙。忘れもしない。貴様は三年前剣聖と共に消えたはずだ。儂らに忌まわしい記憶を残してな」
白牙というのは俺のことだろうか。全く心当たりはないが驚くことに、先ほどまでの純粋な殺意の中に一抹の不安が混ざっている。
犬神がなんのことを言っているのかは全く検討がつかなかったが、サキモリ五英傑。剣聖。彼のことと三年前の記憶は、今も残っている。あの時のことを思い出せば、いつも燃えるような意志が灯った。
「まあ良い。おい鼬の童。やはり退くのはやめにする。こいつは殺さなければならない」
そう一言告げた犬神が、視界から消えた。音がしない。霊力の反応もない。一体どこへ。
そう思っていたら、突如として背後から蹴り上げられた。骨が折れるような音がする。
まるで血浣熊に吹き飛ばされた時のように空を飛んだ。前のように雲が近いなどと感じる余裕はなく、蹴られた箇所がとにかく痛い。
このままゆっくりと落ちるかと思った瞬間、大狼が真横に現れる。咄嗟に体の霊力を高めた。だが、なんの意味もないだろう。
大狼が空中で一回転し、俺を地面に強く叩きつけた。その圧倒的なまでの力で、地が割れる。
何も見えなかった。なんの対応も出来なかった。遠くで、泣き叫ぶように名前を呼ぶ声が聞こえた気がする。
全身が痛い。頭が灼けるように痛い。喉がカラカラになったと思ったら、何かが逆流してくるような感覚。血だった。
二刀を握る感覚だけを残して、瞳を閉じた。
「殺さない程度にやったが......目覚めないのか? 儂に気づかぬということは記憶を失っている......? それともあの時のあれは剣聖の仕込みだったのか......分からん。しかし後顧の憂いを残すわけにはいかない。死ね」
犬神が口を開き、玄一のことを噛み殺そうとしたその時。犬神の鼻先に紅い霊弾が突き刺さる。鼻という敏感の部分を突如として撃ち抜かれた犬神は、声をあげて一度後方へ下がった。
一度下がった犬神に合わせるように、玄一の前に立って彼を守るようにして、小さな防人が動く。
前に出たその防人の姿を見て、犬神が口を開いた。
「小娘。白牙以外は見逃してやろうという儂の温情が分からぬのか」
彼女個人に対して向けられるその強力な殺気。常人であれば正気を保てるはずもないその重圧を前に、秋月は崩れなかった。少し涙ぐんだ彼女が袖で目元を拭き、強く叫ぶ。
「この犬っころ......私の可愛い舎弟になんてことしてくれんのよ! 守るなんて言ったのに......怖気付くなんて情けない。絶対に許さないんだから!」
「己が実力も分からぬ生意気な小娘が。刃向かったことを後悔するほどに痛めつけて殺してくれる」
秋月が拳を強く握り、歯ぎしりをした。何も出来なかった自らの才能を、呪うように。
彼女がその陰鬱とした雰囲気を払って、再び叫んだ。
「実力なんて分かってる! それでもね、大人には引いちゃいけない時があるのよ! 犬には分からないかもしれないけどね!」
彼女が銃の形に構えていた右手と左手を大きく広げた。その十本の指先全てに、霊弾が生成されている。それと同時に、空に星々のような幾千もの霊弾が浮かんだ。眷属を殺すために展開されていた感応式霊砲台は星々に合流し、その銃口は犬神の方を向いている。
彼女の纏う紅葉色の霊力は高められ、その威容は先ほどまで交戦していた他の血盟二人が目を見開くほど。
秋月の姿をじっと見据えた犬神は反応を見せず、そのまま彼女の方へ飛びかかった。