第五十話 関永塾(1)
兄さんが待ち合わせ場所に指定したのは、辺りで何かが起きても問題ないであろうタマガキ郊外。つい先日秋月と模擬戦をした場所だ。その名残か、まだ地面に弾痕が残っている。
二刀を腰に吊るし、完全武装も完全武装だ。翼もいつでも動かせる。今から戦いに向かっても問題ないような状態だった。
木々はなく、ちらほらと雑草だけが生えているこの原っぱ。そこに兄さんが腕を組み、一人佇んでいる。俺の接近に気づいた彼が勢いよくこちらの方へ振り向き、ニコニコと笑った。
「来たな玄一。それがお前の装備か。見せてくれ」
兄さんが俺の方へ駆け寄る。
彼が俺の来ている装備や刀、翼を見ようとぐるぐる俺の周りを回り始めた。これ触ってみてもいいか、と俺に聞いてきてから、翼をめくったりしている。
「ほう......これを作った奴はなかなかの名匠だな。素材の持てる力を存分に引き出している。見たところ、俺の隊のものとは真逆だな。軽装だ」
機嫌が良さそうな彼であったが、その指摘に答えを返す。
「ああ。戦い方からして軽装の方が俺にあっているんだ。もしかしたら兄さんが着ているような装備の方がいいのかもしれないが」
「そんなことはない。この装備が一番戦いやすいと思ったのならそれでいいだろう。そこは防人それぞれだ」
しゃがんでいた彼が立ち上がる。先ほどまで機嫌よく笑っていた彼が、真剣そうな表情でこちらを見て聞いた。
「その刀。見てもいいか」
打刀を腰から取り外し、鞘を握って彼の方に持ち上げる。兄さんは俺の方を見ているようでいて、その視線は俺の刀の方に吸い寄せられていた。まるで、何かとても希少なものを見るかのように、丁寧に受け取る。
「ありがとう」
彼が刀をゆっくりと抜き取り、刀身を日光に当てて眺める。反射して切っ先が光り輝いた。そのまま向きを変えてみたり、脇差の方も見せてくれと頼んできたりして、先ほど他の装備を見たときより何倍もの時間をかけて、じっくりと眺めている。
その後、彼が刀に一度霊力を纏わせる。何か解せないような表情で、こう呟いた。
「わからん。俺は鉱物に詳しい方なのだが......これに使われている素材の一部が不明だ。どうしたらこんな霊力の纏い方をするんだ......? 霊力が分離している」
彼が俺の刀を一度振るう。それに合わせて、彼が纏わせた霊力が霧散して空に消えた。
「この二刀。どこで手にした?」
空白。それを言うわけにはいかないだろう。
「.............................ある人に貰った」
彼がそれを聞いて唸る。
こちらの聞いて欲しくないという気持ちを汲み取ってくれたのか、彼がそれ以上聞いてくることはなかった。正直、助かったというのが本心だ。きっと、誰から貰ったのかある程度気づいているのかもしれないが。
「そうか。だがこれはかなりの業物だ。大事に使うといい」
兄さんが俺に二刀を返す。それを受け取った俺は再び腰元に二刀を差し込んだ。もはや二刀が体の一部となっているのか、しっくりとくる。この重みが心地いい。
俺が刀を取り付けたのを確認した兄さんが口を開く。
「よし。戦い方を教えてほしいとのことだったが......俺はそもそも玄一、お前の戦い方も知らんし、実力も分からん」
先ほどまで近くにいた彼が背を向け離れていく。ある程度距離を取ったところで立ち止まり、一歩。向き直って足を開いた。土煙が舞ったのと同時に彼の気配が変わる。もしや、同じパターンか。
「故に、戦いを教えてほしいと言うのならば今持てる全てを出して、死ぬ気で来い。そこで玄一。初めてお前の実力が見えてくる」
彼が透明に近い澄んだ霊力を纏わせる。今まで見たこともなかったその輝きは、予想した通り御月の月の霊力と近いものを持っていた。間違いなく、彼は強い。
秋月の時とは違う。彼女もまた俺よりも強い実力者であったことに間違いないが、関永の方が圧倒的格上。もし踏破群やその群長が噂通りの存在ならば、彼と互角に戦えるのは師匠、御月、そして......山名ぐらいだろうか。踏破群群長。百戦錬磨のその実力を、垣間見たい。このような実力者と矛を交える機会など早々ないだろう。彼の言った通り全力で向かい、少しでも引き出して吸収してみせる。口角が吊り上がった。
大きく深呼吸して、目を見開く。言葉は無用。それを伝えようと自らも本気で霊力を纏う。二刀を抜刀し、いつも通り腕をだらんと伸ばして構えともいえぬ構えをとった。
自らを高め、体に霊力が駆け巡る。その速度は、初めてタマガキに来たときよりもずっと早いだろう。だが足りない。霊力を体に回す速度だけじゃない。量やリズム、効率の良い自分に合う流れを、この場でひたすら追い求めた。
こちらを見る彼が目を細める。俺の霊力を眺めているのだろうか。それは観察者の目だ。
彼に動く気配はない。見たところ、初撃を譲るつもりなようだ。本気の一撃を叩き込んで来いということだろう。確かに、それが今持っている最大の威力を見せるということで最も良い確認方法なのかもしれない。だが、実際に先手を譲り、相手の攻撃を律儀に待ってくれるような敵がいるだろうか。いや、いない。
そこでそのことを指摘し、実際の戦闘を想定して同時に動くのを提案しようかとも思ったが、いやだめだ。
勝つためにありとあらゆる手段を使うべきだ。初撃を譲るというのならば、彼に勝つためにそれをありがたく利用する。誇りや矜持など......弱い俺が今囚われるべきものではない。このまま初撃を入れると見せかけ、奇襲を仕掛ける。
「『地輪』 『風輪』」
同じ姿勢のままそれぞれ刀の鍔の部分に能力を展開する。打刀に『地輪』を。脇差に『風輪』を纏わせた。こちらの能力をよく見ようと彼が刀に纏われた輪を注視する。おそらくギリギリまで観ようとするだろう。こちらの強さを測るために。
即座に打刀を回転させ、地に突き刺す。それを見た彼が遅れて構えを取った。彼が何をしてくるかわからないが、こちらの方が早い。
「『土塊ノ大海』!」
打刀より霊力を流し込み辺りの大地を掌握した。そこから『地輪』による操作を行い、大地が大海原のように静かに揺れる。その操作のために、俺は強く打刀の柄を握りしめた。
「......! 大地を変容させたか!」
足を開き、どっしりと構えていた兄さんが足元からボトンと沈んでいく。彼を中心に波紋が大地に伝っていった。さらに追撃を仕掛ける。
「『土塊ノ大波』!」
俺の前方から津波が如き土の奔流。彼を飲み込んでいくように、止まることを知らず進んでいった。彼が沈んだ地点に大波が着弾し、そこが大きく揺れる。彼の霊技能が何かは知らないが、この事象を完全に無力化するのは難しいだろう。
地中から土塊に抵抗する彼の強い霊力を感じる。それは、一度『地輪』を使い捕縛した幻想級魔獣”槌転”をはるかに上回る力だ。
『地輪』による攻撃は決まった。だが虚仮威しだ、こんなものは。この攻撃は全て時間を稼ぎ、彼をも殺し得る一撃のため。
沈んだ先は地中。真っ暗で何も見えない土の深海。海のように透明で先が見えるわけではないが、霊力を通して向かってくる石や霊力を込めた土の槍を見切ってうまく避けていた。
(素晴らしい! 想像以上だ!)
強さを求めている弟弟子の実力を見てみようと、手加減してかかろうと考えていたが、それは一人に戦士に対して非礼であったと言わざるを得ない。玄一の能力は俺に近い大地に関する能力だろうか。ならば同じ分類の能力者として教えられることは多くあるだろう。しかし、違和感を覚える。
(打刀の方にあった黄土色の輝きがこの一撃とするならば......脇差の方に纏われていた翠の輝き。あれはなんだ?)
どこまでの手札を持っているのか。それを引き出すためにも、俺の特霊技能。使わせてもらう。
今回の勝機。それは彼が俺の能力を知らないことだ。兄さんは踏破群群長。そんな人物ともなれば、今まで多くの防人と共に戦っただろう。そこが付け入る隙だ。もし彼が他の防人の霊技能と俺のものを無意識のうちに擦り合わせようとするのならば、この全く違う『風輪』の攻撃は通るかもしれない。土の奔流と風の刃。関連性はほぼ存在せず、予測は難しい。その上でこの二つの攻撃で緩急を付け、仕掛ける。
初めて魔獣と戦った時のように、風輪に霊力を送り込んだ。翡翠色に輝いた鍔が廻転し、刀身には風の奔流。その姿はまるで、刀身を中心に竜巻があるようだった。
あの時よりも注ぎ込まれる霊力の質は高く、量も多い。霊峰の風が廻転し吹き荒れる。真っ暗闇の山岳部を風が通り抜けるような、ヒョォオという音をあげた。
刀が震え、霊力を刀身に押しとどめようと必死になるが、抑えきれない。きっと、抑えつけようとするものではないんだ。おそらく風の廻転軸がずれている。この不安定な状態を直そうと、『風輪』を使って調整した。それと同時に大地の掌握も維持しなければいけないため、二刀を強く握りしめる。
数瞬の操作。左手で掴んでいた脇差に纏われた風が、その場にあるのが必然のように修正する。すると、先ほどの不気味な風音は消え入り、刀身は白光に近い翡翠色に光り輝きながらも、無風の大海原のように静かだった。
その時、地中から何かが爆発したような音がなった。間違いなく兄さんの仕業であろうが、なんのために。
理解して、驚愕する。今、この瞬間俺が掌握していた大地を全て奪われた。まるで”千手雪女”と交戦した時のように、能力を発動すらできない状態に追い込まれている。
すなわち、今この瞬間味方していた大地は、彼のものとなった。来る。
打刀を素早く引き抜き、翼を広げ、空を飛んだ。しかし、これは悪手だったかもしれない。彼に風の残滓を見せることになる。だが、大地から何かを仕掛けてくる可能性がある以上今すぐ離脱し、空で回避するしかない。
兄さんが地中より飛び出てくる。彼は体に付着した土を払い、空を見上げた。
「ほう......! 空を飛べるのか! 玄一は!」
できることならばこのタイミングで『風輪』の一撃を叩き込みたかった。そもそもの筋書きは『土輪』による奇襲を成功させ彼の位置を土塊によって常に把握し、そこから出てくる所に充填された本気の一撃をぶち込む予定だった。こうなっては仕方ない。もうこのまま仕掛ける。
翼をはためかせ、体に風を纏い、真っ直ぐ突っ込む。それを見た兄さんが歯を見せるほど大きく笑う。
「ますます俺好みだ! 来い! 玄一!」
彼が右手を前に伸ばし、肘のあたりを左手で掴む。息を深く吸って、彼の澄んだ霊力がどこまでも見えそうだ。なんて、美しい。ここまで高まった霊力は間違いなく彼の霊能力のため。来る。
「我が名は関永! 皆を救いし『玻璃の勇者』なり!」
彼の背後から、周りから、六角柱の真っ白な鉱物が飛び出てくる。これが彼の霊技能か。大きさはバラバラながらも、その全てが俺を目掛けて飛んでくる。ある鉱物は切り離され、射出し、他のものと速度を変えて飛んできていた。観ろ。
翼で空を叩いた。全力で避ける。体をそらし、最小限の動きで。彼の元へ、真っ直ぐ突き進んだ。
彼の周りだけではなく、俺の背後から、右斜めの方向、真下。ありとあらゆる場所から、違った角度で水晶が飛んでくる。
視界を埋め尽くさんばかりの石英。石英と石英の間を縫い、避けて、時には打刀で斬り落とし、進む。進め。
これ以上の攻撃は効き目が薄いと悟ったのか、はたまた彼の好みか。彼が肘を曲げ右腕を体の左側へ。彼が右の手のひらをこちらの方へ見せた。
「出でよ。 水精の聖剣」
大地より、無色透明の西洋の剣......バスターソードが姿を表す。彼が今まで投じた石英と水晶は、間違いなく彼と踏破群の装備に使用されている素材だった。
彼がバスターソードを下手に持ち、斬り上げる構えを見せる。それに答えるように空から降りてくる勢いを利用して、脇差を両手で掴み、振り上げた。
彼の水精の剣。高純度の霊力と強力な霊技能から生み出されるそれは、間違いなく最高品質の剣だろう。だが、俺の脇差も、俺の太刀風も負けてはいない。
ずっと考えていた。あの空想級魔獣に防がれた太刀風を。怒りで我を失っていたとはいえ、奴に傷ひとつつけることができなかった。それは、我が未熟。絶対に、この霊風はあの雪に勝るはずだった。間違いなく、俺の方に原因がある。
それは、俺が今までこの技の本質を理解していなかったということだ。
太刀風は、太刀を振るった時にのみ生じる風。その前から刀身の風が鳴いていたら、それはもう太刀風ではない。今握る脇差は無音。俺が会得した中で最も強力な技を、今最も正しい姿で振るってくれる。
彼が笑って、叫んだ。同じように、自らを鼓舞するように叫ぶ。
「来い! 玄一!」
「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
彼が勢いよく、バスターソードを地を削りながら斬り上げる。今。
「太刀風ノッッッッ!!! 颪ィイイイ!!!!」
彼の剣と俺の刃が激突した。技術もへったくれもない鍔迫り合い。火花が散った。
その瞬間、留めていた太刀風を、解放した。凄まじい烈風とともに太刀風が鳴る。その証拠に俺の髪の毛が風圧で後ろになびいた。放った側の俺がこの有様だというのに、彼はどうなのだろうか。
兄さんと目が合う。彼は大地を強く両足で踏みつけ、揺らぎない構えだ。しかしながら俺の技が通用していないというわけではない。彼の頬に切り傷が生まれ、血が垂れる。その上、彼の背後の雑草は全て切り裂かれ宙を舞い、太刀風が止まない。彼に掛かる風圧は、今まで彼が体感したことのないもののはずだ。
本来遠距離攻撃として扱うはずの太刀風を、こうして直接斬り結んで放ってしまった。本当は一歩後ろを飛んで放つつもりだったのに、熱くなってしまったか。いや、それは彼も同じか。
彼が不敵に笑う。
「ハハハハハ!!! この感慨言葉にできん! それ故にこの一撃。我が意志を込め振るおう!」
彼の背後から再び無色透明の水晶が表われ出る。それが彼の腕に纏われ、水飴のように曲がった。そこへ先ほど彼が生成したバスターソードが取り込まれ、剣と腕が一体化し、腕を何倍にも大きくしたような形になる。
彼がそこに霊力を流し込んだ。その霊力は透明だった水晶の芯を黒曜に染め、霊力を内包する。兄さんはそれを天高く持ち上げるようにして、真一文字に振り下ろそうとしていた。それを防ごうと剣戟による追撃を加えたが、水晶が防具を補強し、弾かれ効き目がない。やられる。
その一撃を止めることはできず、彼がそれを振るって、吹き荒れていた太刀風が霧散した。
白黒の一閃に、思わず目をつむる。戦っている最中だというのに。
ゆっくりと目を開く。そこには俺の真横に、剣を置いた彼がいた。そこから先ははまるで小川ができたかのように、大地が二つに別れている。もし当たっていたら、体が真っ二つだった。
「玄一。お前の力、しかとこの目で見た! 期待以上だ! 幻想級ならば単騎でも問題ないだろう」
彼の言葉を聞いて体から力が抜ける。その場に膝を着いてしまった。兄さんがそこに駆け寄り、俺の頭をくしゃくしゃと掻き撫でる。
「流石は俺の弟分だ。その上で、お前を鍛えてやろう。とりあえず少し休むか」
彼の提案はありがたかった。霊力を一気に使用したから体の感覚がなんか変だし、喉が乾いて仕方がない。しかしながら、もしこれが師匠だったらこのまま訓練続行だっただろう。兄弟子の優しさが身に沁みる。最後に、残った霊力をかき集めて、『水輪』を使い水を飲んだ。