雲海
ストーリーを楽しみたいという方、物事は白黒はっきり付けたい方、飛び交う皮肉やアップテンポな掛け合いを求める方にはあまりお勧めできません。
小説として書いたつもりですが、少々珍しいタイプになるかもしれません。そのことを念頭に置いてお読みいただければと思います。
皓々と月が照らしていた。
雲海に反射する光は仄明るく、ぼんやりとした輪郭を浮かび上がらせる。
ぽつりと、男が座っていた。
男は釣りをしていた。
簡素な造りの椅子に腰掛け、簡素な造りの釣り竿を手に。
浮かび上がる横顔には表情がなく、照らす月明かりはどこか空しかった。
白く波立つ水面に、男の顔は映らない。
不意に魚が跳ねることもない。
緩くしなる棒きれに結わえた釣り糸。それを水面に垂らして、男はただただ待っている。
それが、世界のすべてであった。
世界は、月と夜空、棒きれと糸、男と雲海で成り立っていた。
いつからとも知れないし、いつまでとも知れない。時間など知る術もない。
だから、男はひたすらに待ち続ける。
いつからとも知れないし、いつまでとも知れない。時間など知る術がない。
待つことしか知らない男は、何を待っているのかも知らない。
だから男は待ち続ける。
男が知っているのは、月と夜空、釣り竿と釣り糸、無限に広がる雲海、そして待つということ。
その先に何があるのか、男は知らない。
東の空にぽっかりと浮かんだ月が、周りの星屑たちを飲み込みながら海に沈もうとしていた。
水面が波立つ。
釣り糸が踊る。
風が、静かに男に触れた。
閉じる瞼は、ぱちりとも音をたてない。
ゆっくりと男が瞬いた時には、西の端から月が昇り始めていた。
皓々と月が照らしている。
水面に反射する光は仄明るく、男の顔をぼんやりと浮かび上がらせる。
その瞳は、ただただ雲海を映すばかりであった。
一種詩に近いような気もするのですが、受け取り方は様々であるという前提の元に書かせていただきました。
ですので、解説じみた後書きは書くまいと思います。
ただ、ひとつだけ。
文中にて月が西から昇り東へ沈むとしてあるのは故意であり、決して作者が方向音痴であることが関係しているわけではありません。
念のため、蛇足として一言加えさせていただきました。
ここまでご覧いただき、本当にありがとうございました。