番外!後漢学園文化祭!その6[料理その2]
エンショウのところを離れ、俺たちは中央校舎方面を歩いていた。
「もう兄さん、あまり他の女性をじろじろ見るのはやめてください」
「だから、そんなつもりじゃないって…」
「キャハハハハ!
リューちゃん、あちし腹減ったのだ!」
「そうだね、ヒミコちゃん。色んなとこ回ってお腹すいたね」
「アニキ、オレも腹減ったぜ!
あっちの方が飲食店エリアみたいだから寄っていこうぜ!」
チョーヒとヒミコちゃんに引っ張られて俺たちは飲食店エリアに向かった。
中国では漢の時代(前三世紀~三世紀頃)あたりから外食産業が活発になっていった。
この外食エリアもその賑わいを再現するように様々な店が軒を連ねている。
ここのテーマは『三国志の料理その2』といったところかな
豚肉の丸焼き、馬肉のスープ、魚の素揚げ、鶏の味噌煮やスープ、羊の塩漬けや干物…それらは完全再現とはいかないまでもかなり似せたものが提供されている。
その中でも特に扱う店が多いのは焼餅や胡餅だ。
“餅”という字を使うが、今日、日本人が食べるもち米を使った粘りけのある、よく正月に食べられる餅のことではない。
餅は、元々中国では、小麦粉を練って作る食品全般を指し、現代では小麦粉で作った平たいパン、焼餅を指す。
このナンのような平たい丸いパンの餅は前漢後期(前一世紀~一世紀頃)に食べられるようになり、後漢時代(一世紀~三世紀頃)には日常的な食べ物になっていた。
胡餅も焼餅も同じような平たい円形のパンだ。胡餅は、胡餅炉というドラム缶に似た、中が円錐形の炉の内側に貼り付けて焼き、焼餅は鏊と呼ばれるフライパンのように平らな鍋で焼く。焼餅は焼く時にたっぷり油(動物性)を使うのが特徴だ。
後漢の霊帝はこの胡餅が好きで、その影響か洛陽(後漢の首都)では胡餅が流行したという。
それに倣って飲食店エリアには胡餅、焼餅の出店が並び、その香ばしい匂いを漂わせている。
「アニキー、金あるのか?」
「ああ、金ならほら五銖銭にこんだけ両替しといたよ。
これだけあれば足りるだろう」
中国では前漢の紀元前118年に五銖銭と呼ばれる銅貨が発行され、後漢時代(一世紀~三世紀頃)にも引き続きこの銅貨が使われた。
今回の文化祭では直径約2.5㎝、重さ約3g(この重さが漢代の単位で五銖に相当し、この銅貨の名前の由来となっている)のこの銅貨を再現して、手持ちのお金をこの五銖銭に両替して買い物をするというシステムになっている。
ちなみにこの五銖銭は、後漢末(三世紀頃)、董卓によって一度廃止され、新たな銅貨を発行した。この通称、董卓五銖(小銭)は粗末な出来で、物価高騰(インフレ)を招き経済は大混乱となった。
その後、三国時代には元の五銖銭と併用しつつ、独自の硬貨を発行したりと、三国それぞれで経済政策をとっていくことになるが、相次ぐ戦乱で銅自体も少なくなっており、硬貨のやりとりだけではなく、物々交換も盛んに行われていたようだ。
「よーし、じゃあ好きな店に入ろうぜ!」
「チョーヒ、あまり変な店に兄さんを連れて行ってはいけませんよ」
「リューちゃん、あちしこの店に入りたいのだ!」
ヒミコちゃんのお眼鏡にかなった店があったようだ。いやに立派な門構えの教室を指差して手招きしている。
「ヒミコちゃん、気に入った店があったかい。
えーと、何々…『エンジュツの高級“仲”華料理店』…うん、ヒミコちゃん、向こうの店にしよっか」
「リューちゃん、この店じゃダメなのだ?」
「うん、きっと変な店だろうからやめとこうよ」
「そうだぜ、きっとろくな店じゃないぜ!」
「ふっかけられそうですし」
その名前からかカンウ・チョーヒも入室に乗り気ではないようだ。よし戻ろう。すぐ戻ろう。
「ちょっと待ちなさいリュービ!それにカンウ!チョーヒ!
私の店を素通りする気なの!」
扉を勢いよく開けて現れたのは、濃い紫の長い髪に、大きな金色のリボンをつけ、エンショウを幼くしたような顔つきの、小柄な女生徒・エンジュツだ。
彼女は選挙戦では中央校舎を中心に勢力を拡大、俺やリョフ、ソウソウと対立しながら生徒会長を自称し(※第29~37話)、最終的にはソウソウから派兵された俺に敗れ勢力が滅亡した(※第44・45話)。
「うわ、エンジュツいたのか。
いや、だって面倒そうだし…てか、“仲”華ってなんだよ」
「それは後漢の群雄・袁術が皇帝を名乗った時の国号である“仲”と中華料理をかけた小粋なシャレです」
横からひょっこりと現れ、説明してくれたのは、セミロングの灰色の髪に、フリルのついたヘッドドレスをつけ、エプロンドレスを着たメイドの様な出で立ちの女生徒・チョウクン。彼女は長らくエンジュツの側近くに仕えてきた女性だ。
「ちょっとチョウクン!そんなことわざわざ説明しなくていいの!恥ずかしいじゃない!」
ああ、面倒なのに捕まっちゃったな。しかし、会ってしまった以上素通りもできないか。仕方ないのでカンウ・チョーヒをなだめて、上機嫌なヒミコちゃんと教室内に入っていった。
「おや、リュービさん、お久しぶりです」
「やあ、キレイ。元気そうだね」
「ええ、おかげさまで。こちらメニューです」
腰近くまである長い髪に、メイド服の上から胸部と肩に防具を装着したエンジュツ配下の少女・キレイがにこやかにメニューを渡してくれた。
「ここ机や椅子はないの?」
「三国時代に机や椅子で食事する習慣はないですね。その蓆に座ってください。必要なら肘おきを持ってきますよ。
後、食事を注文されれば目の前の案(お膳のような台)に運んできますので」
「うちの中華喫茶は机椅子でやってるね」
「あれは現代向けに便宜上そうしてますね。教室のままですし。
それに床に直接座られると…その…見えてしまいますから」
カンウが恥ずかそうに自身のチャイナドレスのスカート部分を押さえている。そういえばカンウのスカートには深いスリットが入ってるし、チョーヒはミニスカートだったな。確かによくない。
「ふふ、リュービ、せっかく来たのだから馬王堆コースを進めるわ」
エンジュツのいうコースはメニューの一番上にデカデカと書かれていた。
「馬王堆コース…満漢全席みたいなやつか」
「兄さん、満漢全席では清時代(十七世紀~二十世紀)になってしまいます」
「ふふふ、リュービ、無学なあなたに教えてあげるわ
1972年に湖南省長沙市の馬王堆という場所で前漢時代(前二世紀頃)の墓が発掘されたわ。
被葬者は当時の長沙の長官利倉(利蒼とも書く)とその妻子、特に利倉夫人の墓からは大量の副葬品が発掘され、その中には料理名を記した資料も多く見つかっているわ。
つまりこの馬王堆コースはその前漢の有力者が食べていた料理を再現したものよ」
「なるほど、時代は三国志より少し古いが、近い時代の料理ということか。
えーと、肝心の内容は…牛のスープ、羊のスープ、鹿のスープ、豚のスープ、子豚のスープ、犬のスープ、野鴨のスープ、雉のスープ、鶏のスープ、コメ入りの肉のスープ、セリ入りの肉のスープ、カブラ入りの肉のスープ、ニガナ入りの肉のスープ…え、なんでスープだけでこんなにあるの」
「羹(スープ)は最も古い中国の料理の一つとされていて、古代中国を代表する料理ですわ。
それに諸侯が賓客をもてなす時は、鼎(足付きの大鍋)を九つ、さらに七つを二組、さらにさらにそえの鼎が三つ、階段の前に並べるそうなので、このくらいのスープが出てくるのは当然ですわ。
もちろん、他にも料理はたくさんありますわ。犬のレバーの串焼き、フナの干物、生魚の切り身、魚の塩辛、もち米とナッツを一緒に炊いたご飯、小麦粉のお菓子…」
うまそうなのかよくわからない料理をエンジュツが次々紹介してくる。
「後、この時代の貴族の主食、粟、黍はおかわり自由ですわ。
米は南方の食べ物なので北部では高級品という扱いだったようですわ。対して貧乏人は麦や豆を主食にしていましたわ」
エンジュツが講釈するその横で、カンウが俺を小突いてなにやら耳打ちしてくる。
「兄さん、これ値段が…」
「うげ、こんなにするのか…
頼むのはサイドメニューのデザートにしようか」
「ああ、オレも話聞いてたらなんか面倒になってきたんだぜ」
「リューちゃん、あちしデザートだけじゃ足りないのだ」
「後でうちの店で何か食べさせてあげるから」
「なによ、あなたたち私のオススメを頼まないつもり?」
「ご、ごめん…ちょっとお金が…」
「貧乏ね~
チョウクン、リュービたちに豆の葉でも出しときなさい」
「はい、皆さん、こちらは黍の団子に蜂蜜をかけた蜜餌です。サービスなので遠慮なくお召し上がりくださいね」
「ちょっとチョウクン、それ私のおやつじゃない!なに勝手に出してんのよ!」
「ダメですよ、エンジュツ様。
リュービさんたちには助けてもらった恩があるんですから意地悪しちゃ」
「むー。
仕方ないわね、ありがたく食べなさい」
「いただきますなのだーご馳走さまなのだー」
「ちょっと味わって食べなさいよ」
「ちなみにエンジュツ様の好物、蜂蜜は天然採取のものでは盧山(現江西省九江市にある山)の天然蜜が、養蜂では後漢の姜岐が広めた養蜂技術が有名です。
たくさんはないかも知れませんが、三国志の時代にも食べられていたことでしょう」
「ありがとう、チョウクン、それにエンジュツも。美味しかったよ」
「ふん、まあ、今日のところはサービスしておいてあげるわ」




