第163話 義烈!ヨウフの執念!
西北校舎の南部はバチョウに降伏し、その支配下に入った。
今や代表を欠いた学習室で、凛々しい眉にふくよかな体型の男子生徒・チョウコウは一人、書類の山を処理していた。
降伏した彼がバチョウに命じられたのは、降伏者全員の名簿の作成。身の安全がバチョウの掌の上にあるチョウコウは、出来るだけ早く名簿を完成させようとしていた。
だが、名簿に不備があってもバチョウの機嫌を損ねるかもしれない。とにかくバチョウの機嫌を損ねないことを第一に仕事をしていた。
彼が職務に励む最中、学習室の戸が外より開けられた。中に入ってきたのは頬の痩せこけた、背の低い男であった。彼はチョウコウの同僚・ヨウフ。
ヨウフは部屋に入るなり、早口でチョウコウに語りかけた。
「おい、チョウコウ!
ヨーコーが何者かわかったぞ!」
「ヨーコー? それはなんの話だ?」
ヨウフの話は要領を得ず、チョウコウは思わず尋ねた。
「前回の集会の時、バチョウに話しかけていたモヒカン頭に革ジャンの男だ」
そう言われて、チョウコウは前の集会を振り返った。集会が終わり、バチョウが壇上から下りると、ここにいるヨウフと一悶着を起こした。確かにその後にバチョウに話しかけるモヒカン頭の男がいたなと思い出した。
「そう言えばそんな男もいたな」
「バチョウがヨーコー“殿”と敬意を払っていたのを見て、気になって調べたのだ。
わかったぞ、ヨーコーは西校舎のチョウロの部下だ!」
ここ西北校舎の南側に西校舎はある。西校舎の南部はリュウショウの勢力圏であったが、北部はチョウロの勢力圏であった。件のヨーコーは、その西校舎の群雄・チョウロから派遣された武将であった。
「つまり、バチョウの背後にはチョウロの協力があったのだ!
バチョウが急速に力を盛り返したのはそれが理由だ!」
力説するヨウフに、チョウコウは深い溜め息をついた。
「ヨウフよ、お前は名簿の資料を集めに行ったのではなかったのか?
一体、何を調べているんだ」
「もちろん、仕事はしている。
だが、敵の情報は少しでも調べねばならん!」
前回の集会の時、彼らの上司・イコウがバチョウに害され、ヨウフは怒りを露わにし、一触即発となった。チョウコウの取り成しで事無きを得たが、危うくヨウフもバチョウに処罰されるところであった。
あれからヨウフはバチョウに目を付けられ、今は恭順の意を示さねばならぬ時であった。
それなのにヨウフは今、バチョウを“敵”と呼んだ。
その危うさにチョウコウは頭を痛めた。
「ヨウフ、まだお前はバチョウを倒すことを考えているのか?」
「当然だ!
お前はイコウ様への暴挙を忘れたのか!」
ヨウフは二人の上司・イコウの名を出す。集会の場でバチョウに約束を反故にされ、イコウは倒された。それは二人にとって無念な出来事であった。
「忘れてはいない。
だが、我らでどうやってバチョウに勝つというのだ?
それに加えてその背後にチョウロがいるだと? ますますどうやって勝つというのか?」
怒りと呆れの混じった口調でチョウコウはヨウフを嗜める。だが、それを聞くヨウフではない。
「それを今から考えるんじゃないか!」
チョウコウはヨウフとは長い付き合いだ。彼の頑固さはよく知っている。だが、だからこそ止めねばならない。止めねばイコウに続いて、この剛直な友人までも失うことになりかねない。
「考えてどうにかなる相手じゃないだろう。
チョウロは中小群雄と言われる。だが、中小と言ってもそれは群雄の中での話だ。バチョウにしてもそうだ。
それに対してここはソウソウ領の端っこだ。群雄と一地域では規模がまったく違う。とても勝負にはならないぞ」
チョウコウとしては丁寧に説明したつもりだ。だが、それでも引き下がらないのがヨウフという男だ。
「そうかも知れぬ。
だが、お前はこのままでいいのか!
バチョウのためにエンオンがやられ、イコウ様は倒された!
学習室に籠もらず、外に目を向けよ。バチョウ軍の兵士に怯える生徒たちを見よ!
本当にこのままでいいのか!」
ヨウフの瞳にはメラメラと闘志が燃えているのが見える。チョウコウは消火しようと声を荒げながらも説得する。
「だからといって戦って勝てる相手じゃない。
世の中ままならないことのほうが多い。諦めろ!」
「お前は戦いもせずに臆病風に吹かれて逃げるのか!
お前の恋人のほうがよほど気骨があるぞ!」
ヨウフの言葉にチョウコウは思わず言葉を詰まらせる。
チョウコウの恋人・オウイもまた気丈な女性であった。思えば友人に恋人にと気の強い人物に囲まれたなと、チョウコウは内心思って、苦い顔になった。
「二人とも外にまで声が聞こえているぞ」
二人の口論が加熱していると、再び学習室の扉が開かれ、新たに一人の人男が中へと入ってきた。
「インホウ、来たのか」
ヨウフはよく見知った様子で、その入ってきたヒョロっとした背の高い男相手に軽く流した。
このインホウと呼ばれた背の高い男は、ヨウフらとともに西北担当官・イコウの部下であった。職務として別の教室の管理の担当をしていた。先の包囲戦では、この学習室とは別の教室に籠もり、バチョウの一党の攻撃を耐え忍んでいた。
その男インホウは、素っ気なく返すヨウフの態度にムッとして返した。
「来たのかではない!
お前たち少し気が抜けているんじゃないか?
今の会話をバチョウの手の者に聞かれていたらタダではすまんぞ」
新たに加わった男・インホウは声量を絞りつつも、怒っているのが伝わる声で二人を嗜めた。
彼の言葉にもっともだと思ったチョウコウは一言詫びた。今や自分たちはバチョウの監視下にある。その事をよく考えねばならない。ヨウフに注意する自分自身が気をつけていなかったと悟り、彼は素直に謝罪した。
「すまない、インホウ。
ご覧の通り、ヨウフが諦めが悪くてな」
そう言いつつチョウコウはヨウフに目をやる。対するヨウフはまったく悪びれた様子を見せない。
その二人の態度と漏れ聞こえてきた会話で、新たに加わった男・インホウは大体の事を察した。このインホウという男も、ヨウフ・チョウコウの二人とは腐れ縁で、二人の性格はよくよく知っていた。
苦笑いしながらも納得した様子のインホウに対して、ヨウフは少し不満気な様子で話す。
「ふん、私はやるべきことをやろうとしているだけだ!
そう言えばインホウ、キョージョ将軍は一緒ではなかったのか?」
ヨウフはインホウの後ろに目をやるが、誰かが一緒に来た様子は見えない。
ヨウフの言うキョージョもイコウの部下であった。しかし、ヨウフらが文官なのに対して、キョージョは武官であり、兵を指揮する立場にあった。
そのため、キョージョはイコウらが包囲されると合流して助けようとした。だが、彼も別のバチョウ一党の包囲を受けて、合流出来ぬまま戦いは終わってしまった。
そのキョージョも今はバチョウに降伏しているので、インホウとともに来ると思っていた。だから、ヨウフは尋ねたのであった。
その問いに対してインホウはバツの悪そうな顔で答えた。
「ああ、キョージョか。
キョージョなら先のバチョウ軍との戦いで怪我をしてな。今は休んでいる」
「怪我? 大丈夫なのか?」
怪我という単語に反応して、ヨウフは思わず聞き返した。
それに対してインホウは軽い物言いで答えた。
「大した怪我ではない。
だが、キョージョの奴は怪我を理由に教室を動こうとせん」
教室を動かないという言葉でおおよそを察した同僚・チョウコウは、ヨウフに代わって返した。
「それはつまり、怪我を理由にバチョウの命令に従わないということか。
厄介だな。バチョウに目をつけられる前に我らで説得する必要があるかもしれんな」
チョウコウからすれば、ヨウフに続いて頭痛の種が一つ増えたということだ。兵を持たない文官のヨウフと、兵を持つ武官のキョージョでは、深刻さが違う。バチョウに目つけられるのも時間の問題かとチョウコウは頭を悩ました。
一方、もう一人の頭痛の種・ヨウフにとって、このキョージョの話は朗報であった。
「そうか、キョージョ将軍はまだ闘志を失ってはいなかったか……!」
バチョウに逆らうキョージョの行動は、チョウコウに頭痛を与え、ヨウフに希望を与えた。
その喜ぶ様子を瞬時に感じ取ったチョウコウは、彼に釘を差した。
「ヨウフ、良からぬ事を考えるなよ!
ヨウガクが囚えられているのを忘れたのか?」
ヨウフの従妹・ヨウガクは先のバチョウ軍との戦いでは、陣頭指揮を執り、三十人の勇士を率いて戦った。だが、この度の降伏で、バチョウはヨウガク以下直接戦いに加わった三十名を軟禁した。
既にバチョウによってヨウフらは武装解除をされていた。
チョウコウはヨウガクの名を出して、ヨウフを注意した。
「わかっている。
だが、チョウコウ、それにインホウ。
お前たちはイコウ様の惨状を見聞きしただろう。
バチョウは約束を反故にし、イコウ様を害した。そのような奴を我らの盟主にするわけにはいかない!」
ヨウガクの軟禁は、ヨウフにとって従妹にあたる分、より心配は勝った。だが、それでもヨウフは気持ちを抑えることが出来なかった。
その様子に、チョウコウはトーンを一つ落として彼をなだめるように語りかけた。
「ヨウフ、イコウ様の一件は私も思うところはある。
だが、それでどうする?
囚えられているヨウガクたちを解放できたとしてもわずか三十人。キョージョのところの兵を足しても百人いくかどうかだろう。
対してバチョウ軍は数百だ。
とても勝てる可能性のある相手ではない」
バチョウ軍と自分たちの圧倒的な戦力差。これだけはどう思ったところで埋められない問題であった。
「それでも……可能性は零ではない!」
それでも食い下がるヨウフに、チョウコウは怒りを滲ませながら返した。
「零も同然だろう!
そんな確率のためにここの生徒を危険にさらすつもりか!」
このままいけば二人の喧嘩がさらに白熱するのを感じ取ったインホウは、二人の会話に割って入り、双方をなだめた。
「落ち着けヨウフ、それにチョウコウ。
ヨウフ、悪いがチョウコウの言う通りだ。とても勝てる相手ではない。少し休んで頭を冷やした方がいい。
チョウコウ、お前もだ。お前たちはイコウ様がいなくなってずっと働き詰めだったのだろう。二人とも一度休んだほうが良い。
仕事は俺が引き継いでおく」
同僚・インホウの言葉で、二人は疲れていたのかもしれないと反省し、休憩を取るために部屋を後にした。
とはいえ、既に周囲はバチョウ軍の監視下にある。休憩といえど何処にでもいけるわけではない。選択肢は自ずと限られてくる。
凛々しい眉にふくよかな体型の男子生徒・チョウコウは、先ほどまで口論していたヨウフと一緒にいるのも気まずいので、彼と別れて、人のあまり寄り付かない校舎外れの自販機へとやってきた。
彼はそこで缶コーヒーを買うと、壁に寄りかかって一服した。彼は以前から一人になりたい時によくここに来ていた。人の来ないこの場所は考え事をするのに最適であった。
「私が休憩している間にも、あのヨウフのことだ。キョージョと連絡を取っているかもしれんな」
チョウコウは一人そう考えた。この間にヨウフが動く可能性はある。だが、既に言葉は尽くした。今さら言葉を重ねたところで彼を止められるとも思えなかった。
「チョウコウ、やはりここに来ましたか」
誰もいないと油断していたチョウコウは、突然話しかけられ、驚いて振り返った。だが、その相手を見てすぐに安心した。
「なんだ、オウイ、君だったか」
話しかけてきたのは、長い黒髪に花の簪をつけた目鼻立ちのはっきりした女生徒。彼女はチョウコウの恋人・オウイであった。
「降伏以降、あなたと会う機会がありませんでしたが、ここならそのうち来ると思っていました。
それで、今はどのような状況なのですか?」
バチョウに占領されて以降、生徒たちの情報は制限されていた。しかし、チョウコウらはバチョウの手足として働いており、その分情報は入ってきていた。
チョウコウも信頼するオウイ相手ならとこれまでのあらましを話した。隠すようなことではないし、隠して不安にさせるわけにもいかなかった。
「……かくかくしかじかで、それでヨウフの奴がイコウ様の仇を討とうとして譲らないのだ」
チョウコウはついつい、先ほどあったばかりのヨウフとの一悶着を少々熱っぽく語った。話しながら愚痴になるなと思ったが、気を許した相手なのでそのまま最後まで喋ってしまった。
その話を最後まで黙って聞いていた恋人・オウイは、カッと目を見開き返した。
「なるほど……。
チョウコウ、あなたは本当にそれでいいのですか!」
オウイは声を張り上げ、チョウコウを一喝した。まさかの怒声に、チョウコウは仰天してひっくり返った。
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次回は12月23日21時頃更新予定です。




