158話
ターニャフィリス夜這い事件の翌日、朝食を済ませた秋雨は、さっそく自分の仕事を行うべく動き始めることにした。
まずは手始めにエーリアスの両親とその弟のソッシュを治療しようとしたのだが、あることに思い至り、一度考えに耽る。
「待てよ、俺が直接治す手もあるが、それだと何百回と治療しなきゃならないから面倒臭いな。……よし、手抜きでいくか」
エルフの里の人口は五百人ほどで、ちょっと大きな村落程度の規模がある。数千や数万と比べれば、たかが五百と言えるだろうが、さりとて五百という数字は決して少ないとは言えない。
そこで秋雨が考え付いたのが、自身の魔法を使った治療ではなく、一度に多くの人間に治療行為を施すことができる方法だ。
まず今回エルフたちが罹患している病気は遺伝性疾患であり、生まれつき特異な体質で生まれてくるというものだ。そして、その原因は血が濃いもの同士……特に兄弟や親子などの近親者間の交配ではないかと秋雨は考えている。
そして、他種族との交流がない以上、近親者以外による交配は今後も継続していかねばならず、それによっていずれエルフは滅びることになるだろう。
それを解決するためには、他種族と交流をし他の種族の血を入れることが最も有効な解決策ではあるのだが、他種族に対しての忌避感があるエルフにそれを強要することは難しい。
であるならば、近親者と交配しても遺伝性疾患が起こらないようにする治療にシフトするべきであり、他種族に対しては追々という形を取ればいいという結論に至った。
というわけで、遺伝性疾患が起きている原因であるDNAの異常を手っ取り早く解決する方法として秋雨はあることをするため、里の中心部にある広場へと向かった。
「一体どうするんです?」
「まあ、見てればわかる」
一応里の中ということで、秋雨を里に引き入れたエーリアスも彼に同行している。そして、それに付随するように無口な弟ソッシュも一緒だ。
広場に到着すると、さっそく準備を始める。秋雨が懐から取り出したのは、何の変哲もないただのリンゴである。
特に変わったところもなければ、特別な栽培方法で育てられたものでもなく、どこの街でも売られているものだ。
「補完せよ、そして芽吹け【遺伝子組み換え(ジェネティックリコムビネイション)】」
秋雨は取り出したリンゴに遺伝子を組み換える魔法を施す。彼が施した魔法の影響か、赤かったリンゴがまるで海のような真っ青な色に変化する。そして、それを広場の中央部分に穴を開けると、そこにリンゴを植えた。
たちまちに土からリンゴが芽吹き、まるで早送りでも見ているかのような速度でリンゴが木へと成長する。ある程度成長しきると、そこにはいくつものリンゴの果実が実をつけていた。
ただ、そこに生っているリンゴは普通の赤いリンゴではなく、青いリンゴだ。それは緑色という意味の青いではなく、まさに真っ青のリンゴであった。
「アキサメさん、これは?」
「これがエルフを悩ませている病気に対する薬だ」
「え? この変な色のリンゴがですか?」
「そうだ」
秋雨の答えに訝し気な表情をエーリアスが浮かべる。突然起こった出来事に周囲にいたエルフたちも戸惑っており、ちょっとした騒ぎとなった。
そんなことは歯牙にもかけず、秋雨はたった今生えた木から一つのリンゴを取り、それをソッシュのもとへ差し出した。
「食べろ」
「……」
そう言われるも、いきなり生えた木から取れた謎の果実を食べろと言われて何の躊躇いもなしにそれを口にできるはずもなく、無表情のままソッシュは固まる。
そのことに思い立った秋雨は、差し出していたリンゴを半分に割ってそれを口にした。毒見というわけではないが、食べても問題ないということを証明するためでもあるが、これから日常的に口にすることになるものとなるため、味の確認をしたかったという思いもある。
「うん、なかなか美味いな。ほら、これで食べられることがわかった。食べろ」
「……」
さすがにそこまでやられては食べないわけにもいかず、ソッシュは秋雨の手から半分になったリンゴを受け取る。恐る恐る手の中にあるリンゴに視線を落としていたが、思い切ってそれにがぶりと噛り付いた。
「……っ」
それは通常のリンゴよりも甘く、酸味も少なかった。食べやすく、むしろこちらの方が好ましいとすら思えるほどだ。
ソッシュが残ったリンゴをすべて平らげると、秋雨はにやりと口の端を吊り上げてこう言った。
「どうやら気に入ったようだな。処方としては、三日に一回程度一個口にすれば問題ない。大体それを数か月続ければ、お前たちの病気は完治する。完治した後も食べ続けても問題はないからな。あと、一本だけじゃ数が足らないだろうから、この木から取れる実を植えて増やせば問題ない」
「はあ……」
秋雨の言葉を聞いても、エーリアスは信じられないといった様子だ。長い年月にわたって一族を苦しめていた呪いにも等しい病が、こうも簡単に解決してしまうなど信じられなかったのだ。
しかも、その解決法が青いリンゴを一つ食べるというものであり、それは治療法とも言えないただの日常生活で当たり前のように行う間食であった。
理屈としては、先ほど秋雨がかけた【遺伝子組み換え(ジェネティックリコムビネイション)】により、エルフたちに欠落している遺伝子の因子をリンゴに持たせ、それを摂取することで足りていなかったDNA情報を補うという至極簡単なものだ。
実例でいうのなら、日常生活で足りない栄養素をサプリメントで補うといった感じだろう。足りなければ、補えばいいだけの話なのだ。
「ああ、それからあとでお前の家にも同じ木を植えておこう。もしかしたら、人間が植えた木ということで切り倒そうとするやつがいるかもしれんからな。後のことはあの長老と話し合って決めてくれ」
「あ、ありがとう、ございました」
未だに釈然としないながらも、なんとなく空気感で今まで苦しめていた病が解決したことを理解したエーリアスが実感の籠っていない声で礼を言う。
その実態はただ秋雨がエルフ一人一人を見て回るのが面倒くさいというものであったが、手っ取り早くかつ今後も同じ病を持つエルフが出てくることを想定した場合、彼が直接エルフを治療するよりも、治療できる要素を里に残していく方がいいと考えたのだ。
「さて、まだ長老が起きてくる時間帯じゃないし、それまで里を案内してもらおうか」
「わかりました」
それから、昼頃になるまで里の案内をすることになるエーリアスだったが、本当に里の問題があのリンゴ一つで解決できるのかという疑問は最後まで拭えなかったのである。
「ふぁー、なんだかすっきりとした気分ですね」
(そりゃあ、昼まで強制的に昏睡状態になってたからな)
里の観光ツアーを終え、昼食を済ませた頃合いを見計らい、秋雨はターニャフィリスのもとへと赴いた。
その表情は気だるげだったが、どこか日頃の睡眠不足が解消されたようなすっきりとした様子であった。
秋雨は内心でその原因を呟くも、決してそれを言葉にすることはない。それよりも、今は報告するべきことがあるのだから。
「例の件だが、広場にリンゴの木を生やしておいた。その木からできるリンゴを三日に一回のペースで一個食べれば、数か月後には全員が完治するだろう」
「まあ、こんなに早く問題が解決するなんて。アキサメさんはすごいですね。じゃあ、お約束通りわたくしとのワンナイトラブを――」
「そんなことはどうでもいい。さっさと、エルフの秘薬のレシピを教えてくれ」
「ぶぅー、アキサメさんはいけずですね」
ピンク色の方向に持って行こうとするターニャフィリスの言葉を遮り、秋雨は病を治した報酬の要求をする。
そんな彼女の姿をエーリアスは呆れた様子で見ており、ソッシュはソッシュで相変わらず無表情である。
「まあ、いいでしょう。では、我がエルフに伝わる秘薬のレシピをお教えいたします」
それから、ターニャフィリス直々にエルフの秘薬の調合法についてレクチャーしてくれた。だが、必要な素材がエルフの里で手に入るものばかりであったため、人間の街での調達はなかなか難しいという結論に至った。
「とりあえず、レシピについては理解した。なら、素材調達のため二、三日ほどここにいてもいいか?」
「問題ありません。……その間になんとか夜這いを成功させねば」
「おばあちゃん、心の声が丸聞こえですよ……」
ターニャフィリスの欲望丸出しな声を窘めるエーリアスを尻目に、今後の予定を秋雨が脳内で考えていると、突然外が騒がしいことに気づいた。
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