148話
「じゃあ、本当に無詠唱が可能なのですね?」
「まあな」
彼女の質問に、秋雨がおざなりに答える。あの一件以来、彼のもとを訪ねてくる職員の数が倍増したことで、以前にも増して彼は多忙の日々を送っていた。
四桁ページという超大作になる予感が沸々と湧いている魔法陣のレポートに着手しながら、ひっきりなしにやってくる職員や一部の生徒をあしらうというサイクルに追われる。
(くそう、最近こういうの多くないか? 早いとこレポートを完成させなければ……)
「失礼いたしますわ!」
(くっ、またあいつか)
そして、あの件で変わったことがもう一つあった。それは、魔法の対決を行った対戦相手のアーシャである。
相変わらず多少我が儘なところがあるが、以前よりも態度が軟化し、秋雨のことを魔法学園の職員の一人として認めてくれるようになった。
「わたしの専属になってください!!」
「断る」
そう、自身の専属家庭教師として教えを乞うてくるほどに、彼女もあのときの勝負で秋雨の実力を感じ取ったようだ。
だが、だからといって彼が彼女の申し出を受けるかどうかは別であり、むしろそんな面倒臭いことなど断固としてお断りというのが正直な感想である。
「なぜですの!?」
「そもそもの話だ。お前は人にものを頼めるほど自分のことができていない。王女だというのなら、それらしい振る舞いと教養を身に付けろ。健全な肉体には健全な魂が宿ると知れ」
「そんなもの幼い頃から習ってきました」
「習ってきたのと、実際に身に付いているかは別問題だ。それができるようになるまで、家庭教師になれなどと口に出すな」
「くぅー」
秋雨の言葉に悔しそうな声を上げるアーシャ。負けず嫌いなところがある彼女が、そんな見え透いた挑発を受け流せるわけもなく、睨みつけながら啖呵を切る。
「今に見てなさい! 誰もが認める王女になって、あなたを見返して見せるんだから!!」
「そんな無駄口を叩いているうちは、いつまで経っても立派な王女にはなれんな」
「きぃー! ネンリ、行きますわよ!! こうしてはいられませんわ!!」
「ひ、姫様!?」
それからというもの、勉学の傍ら休日には城へ宮廷作法を学びに戻るアーシャの姿があった。
その姿を見て困惑したのは彼の父である国王ディルクであり、彼女が城へ戻るなり彼のもとへ行ってこう言ったそうだ。
「お父様、もう一度王女としての教養を学び直したいのです。そのための人を貸してください!!」
その言葉に、自身の耳を疑った彼だが、娘の言葉に半信半疑ならも彼は改めて彼女に教育係をつけた。当然ながら、敵対貴族の息のかかった侍女のネンリは反対したが、アーシャの意志は固く、王族として必要な教養を身に付け始めた。
「一体、学園で何があったというのだ?」
その言葉はディルクの言であるが、今までのアーシャからは想像もつかなかったことが起きているというのは事実であり、実の父とはいえ彼の口からそういった言葉が出てくるのも仕方がなかった。
だが、彼にとってアーシャの行動は嬉しい誤算であり、これで更生してくれるのであれば、最悪の事態は避けられるため、彼女の望むままに再教育する人材を貸し与えた。
そんな彼女を見て、その原因を探ろうとするのは当たり前のことであり、優秀な密偵によって彼は魔法学園に通う一人の職員の情報を掴んだ。
「ヒビーノ。聞かない名だが、その職員にはいずれ礼を言わねばなるまい」
こうして、秋雨の意図しないところで一人の王族の命が救われ、人知れず国王に恩を売る形となってしまったのである。
「……授業?」
「そうじゃ」
その一方で、秋雨に新たな面倒事が舞い込んできていた。
それは、彼が学園長室で語った内容が、ただの雑談の領域を超えており、もはや最上の講義としての側面を有していた。
だからこそ、それを聞いていた職員は彼の言葉に感銘を受け、自然とこう思った。“彼の授業を受けてみたい”と……。
そして、その場にいなかった職員も人伝に話を聞いてそう思うようになり、その要望がバルバスのもとへと届くことになった。
そういった声が上がったことで、彼も動かねばならない状況になってしまい、秋雨のもとへやってきた。
「爺さん、俺がここで職員をやる条件を覚えてるか?」
「授業はしないということじゃろ? 覚えておる。じゃが、お主の話を聞いた多くの者たちの望みを無下にはできんこともわかってほしいのじゃ。それに、今回の件は断ることもできる。わしは話を持ってきただけであって、やれと命令しておるわけではないのじゃ」
秋雨が雇用する条件についても、職員たちは知っている。なにせ、彼がこの学園で職員として雇われることになった瞬間に居合わせていたのだから。
だが、それを理解していても職員たちは秋雨の持つ知識に興味があり、彼の話を聞いてみたいと思ってしまったのだ。
彼がこのことを予想して先手を打ったわけではないのだが、結果的にはそういうことになってしまった。
(どうする? 授業なんて面倒極まりないぞ。こりゃあ、本当にここから逃げる算段を立てておかねばなるまい)
秋雨が学園に入ってまだ二月と経ってはいない。だというのに、なぜここまでの騒ぎに発展してしまったのかと頭を抱えていた。
だが、実際問題バルバスの申し出を断ったところで、秋雨に授業を行ってもらいたいという要望は消えないだろう。であれば、極力その回数を減らすよう努めた方がまだ建設的である。
「では、こうしよう。一度だけ授業を開き、それ以降は二度と授業は開かない。あと、授業の日取りはこちらが指定した日で行う」
「うむ、それでよい」
「それと、授業が終わったら俺はここを出て行くからそのつもりでいてくれ」
「そ、それは……」
秋雨の追加の一言にさすがのバルバスも承服しかねるといった様子だ。だが、それを見越してか彼はさらに言葉を続ける。
「安心しろ。魔法陣についてのレポートは授業の日までに完成させ、その授業で概要の説明を行うつもりだから」
「そ、そうか」
「だが、魔法の理論を説明する授業と魔法陣についての概要説明の二つだが、かなりの時間がかかる。その日丸一日授業を行うことになるが、予定は大丈夫か?」
「それについては問題ない。予定を調整しておこう」
といった具合に、とんとん拍子に話が進んでしまったが、一度限りの授業を行うことになってしまった。
彼としても不本意なことであるが、そろそろ魔法陣についてのレポートにも嫌気が差しており、魔法についての知識を手に入れるという本来の目的に戻りたかったのだ。
秋雨は自分が授業を行ったあとの顛末はなんとなく予想が付いている。そのため、授業を行ったあと学園をやめるということを言及したのである。
それから、秋雨の日々の生活が一変し、レポートを完成させる傍らで足しげく図書室へと通い、魔法に関する本の内容を転写していった。
読んでいる時間がないため、創造魔法を使って本の内容を保存しておける魔法を作り、時間があるときに読むことにしたのだ。
そして、バルバスから授業の打診があってから二週間後、とうとう彼が授業を行う日がやってきた。
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