144話
「あなたがヒビーノとかいう職員ね。……ただの少年じゃないの?」
「あんたは?」
ウルフェリアの事件が解決後、しばらくしてそれは突然やってきた。年の頃は十代中ごろの少女で、桃色の長い髪にターコイズブルーの瞳をしている。顔立ちは端正で高貴な雰囲気はあるものの、どこか人を見下したようなふてぶてしさを持ったちぐはぐな印象を抱かせる。
胸は慎ましく、年相応の大きさであり、C寄りのBといったところで、秋雨が内心で抱いた感想としては「五年後に期待する」である。
そんな至極どうでもいいことを内心で考えていると、両の拳を腰に当てながら、不遜な態度で言い放った。
「わたしが誰かわからないっていうの!?」
「知らん。誰だ? ここは職員を除いた関係者以外は立ち入り禁止の場所だ」
「たかが職員の分際で、姫様に何たる態度ですか!?」
彼女以外にも一人侍女らしき佇まいの妙齢の女性がいたが、秋雨は気にせず話をしていた。だが、彼の態度が気に障ったらしく、とうとう声を荒げてヒステリックに叫んできた。
「姫だと? どこの姫だ?」
「この国の姫様に決まっているでしょう。そんなこともわからないのですか?」
「俺はこの国の人間じゃないからな。他国の姫の顔なんか知るわけがない」
「なら覚えておきなさい! わたしはこの国の第一王女……アーシャ・フィルル・シャルート・マジカリーフよ!!」
などと仰々しく演技がかった名乗りをする姫ことアーシャだったが、秋雨にとってはまったくもって興味がないので、その反応は冷ややかなものだ。その理由が、アーシャがぺちゃぱ……もとい、胸が慎ましいからなのか、それとも人格的な問題があると思ったからなのかは定かではない。
「ふーん。で? その姫が俺に一体何の用だ?」
「ふん、あいつがあれほど御大層に持ち上げるもんだから、どんな人間かと思えば。こんな礼儀知らずの――」
「失礼します! 先生、今日もご指導――。……貴様がなぜここにいる?」
といった具合に、アーシャが秋雨を酷評している最中、いつも通りウルフェリアがやってきた。部屋に入るや明るい声で挨拶をしようとした彼女であったが、室内にいる人間を見て、途端に態度が急変する。
「あなたが褒めちぎる先生とやらが気になったから、わざわざ見に来てあげたのよ。まあ、それも無駄足に終わったけどね」
「そうか、ならばもうここに用はないだろう? さっさと消えるがいい」
「そうさせてもらうわ。それにしても、あなたも落ちたものね。こんなどうしようもないやつのどこがすごいのかしら?」
「……なんだと?」
去り際に放ったアーシャの一言が、ウルフェリアの気に障ったようで、ただでさえ鋭い目が細められる。そんな彼女の変化に気づかないアーシャが肩を竦めつつ正直な感想をまくし立てる。
「王女のわたしに対して態度がなってないし、何よりわたしとそれほど変わらない年齢じゃない。学園は一体何を考えてこんなのを雇っているのかしら?」
「貴様……先生に向かってなんだその口の利き方は! 先生、言ってやってください!」
「まったくもって姫の言っている通りだが?」
険悪なムードに包まれる中、ウルフェリアが秋雨に話を振ってきたので、彼はこれ幸いとばかりに今回のことを利用することにした。
まず、本当のところは実力者である。それはウルフェリアが本能的に感じている感覚が正しいのだが、秋雨本人が頑なにその実力を認めようとしないことと物的証拠がないため、あくまでもウルフェリアの中では“よくわからないが、なんとなく強い人物”として認識していた。
だが、それは彼の望むことではなく、できるならばこのまま実力を隠して学園生活を送りたいと考えている。すでに学園の職員には、実力の一端を知られてしまってはいるが、それは魔法陣に関するレポートができあがるまでの辛抱であり、レポートの提出が終われば速攻でバックレるつもりであった。
つまりは、ここでアーシャの言っていることが正しいと本人が肯定してしまえば、それが周囲の本当の評価だとウルフェリアに伝えることができ、あわよくばこのまま自身のもとから離れてくれるのではと考えたのだ。
「ほら、本人もそう言っているじゃない?」
「なんでですか先生!?」
「なんでもなにも、俺は最初から言っているはずだ。俺はただの事務員で、主な仕事内容は学園の雑務をこなすことだ。生徒になにかを教えるという職員本来がするべき授業を受け持ってもいないし、人にものを教えるほどなにかを極めてもいないただの平凡な男だ」
「そんなことありません!! 先生は素晴らしいです。実際私は先生に救われました」
「それは俺じゃなくて、お前自身がお前自身の実力で手に入れたものだ」
秋雨の言葉に反論するウルフェリアであったが、それが客観的に見た彼の評価であり、感覚的に実力者に違いないと感じている彼女の曖昧な感想では、本人はもちろんのこと他者も納得はしないのだ。まさに“それってあなたの感想ですよね?”である。
だが、秋雨にとって不幸なことにさらなる闖入者によって状況が再び一転する。
「失礼する。ヒビーノ教諭はおられるか!」
「げっ、こんなときに」
「おお、ヒビーノ教諭。先日教諭の助言通りに研究を進めた結果なのだが、問題点が改善されたばかりか、さらなる光明を見出すことができた。さすがは我が同志であるな」
「それは、アルケノ先生の努力と研鑽の結果だ。俺は何も助言していない」
現れたのは、秋雨の口からマッドサイエンティストと言わしめた錬金術と薬師を担当するアルケノであった。相変わらずぼさぼさの髪に生気の籠っていないような眠たげな目をしているが、秋雨に語り掛ける姿は水を得た魚のごとくどこか生き生きとした様子だ。
今、最も会いたくなかった人物に会ってしまった秋雨だが、ウルフェリアと同じく勘違いであるとアルケノに伝える。
「いやいや、謙遜されるな同志よ。貴殿が初日に作られたポーションは、すこぶる高品質であった。あれは並の錬金術師や薬師ではなかなか作れない代物だ」
「だから、それは俺が作ったもんじゃないって言っただろうが!」
「またまた、某の鼻はごまかされませんぞ?」
突然始まった秋雨とアルケノのやり取りに、アーシャとウルフェリアはまるで猫じゃらしを左右に揺らされたときの猫のように視線を行ったり来たりさせている。
その姿はどことなく滑稽ではあったが、それを指摘する人間がその場にいないため、自分たちがいかに珍妙な行動を取っているかわからなかったのである。
そして、さらに秋雨の不幸は連鎖する。なんと、アルケノ以外にも他の職員たちがやってきてしまったのだ。
「ヒビーノ先生、先日お話した件で先生の意見が正しかったようです。助かりました」
「ヒビーノ先生、魔力制御による魔法の練度向上について、先生のご意見を伺いたいのですが」
「ヒビーノ先生、例の……」
などといった具合に、入れ代わり立ち代わり職員がやってくるのを見て、アーシャは目を白黒させ、ウルフェリアは自慢げな誇らしい表情を浮かべる。
前者は、なぜただの事務員を自称する職員のところに、授業を行っている正規の職員が意見を求めにくるのか、本当はすごい人物なのかという疑問の表情であり、後者はやはり自身の勘は正しかった、かの人物は尊敬するに足る人間だという確信と、そんな人物に指導してもらったことに対する歓喜の表情であった。
そして、さらに二人の勘違いを増長させたのが、二人が受けている授業を担当している職員も何人かおり、しかも二人にとって聞き捨てならない台詞も飛び交っていた。
「先日、先生に助言された内容を授業で行ったところ、上手くいきました。これも先生の助言のお陰です」
「そんなことをした覚えはない。確かそのときは、世間話をしただけだったはずだ」
アーシャとそのお付きの侍女、並びにウルフェリアはその光景をただ呆然と眺めていた。だが、しばらくして三人の頭にある疑問が浮かんだ。
それは、なぜただの事務員である彼のところに、こうも職員がやってくるのかということである。
彼女らにとって、そう思ってしまうのは仕方のないことではある。だが、職員たちにとって秋雨という職員は、誰も成し得なかった魔法陣の詳細を知るいわば魔法という一つの分野を極めた権威であり、冗談抜きで賢者のような立ち位置の人物なのだ。
だからこそ、大陸随一と言われたダルタニアン魔法学園の優秀な職員たちが、彼の意見を求めてやってくるのである。
「では、またな同志よ」
「二度と来るな」
「ははは、面白い冗談だ。では、さらば!」
最後まで残っていたアルケノを追い返した秋雨であったが、明らかに背中に突き刺さる視線に気づいたが、それを黙殺するかのように彼は言い放った。
「てことで、仕事の邪魔だからお前ら帰れ」
「「いやいやいやいやいやいやいやいや!!」」
明らかに説明しなければならない状況であるにもかかわらず、それをガン無視して部屋から追い出そうとする秋雨にアーシャとウルフェリア二人の声が重なった。
そして、ここぞとばかりに二人からも質問攻めにあってしまった。
「あれは一体なんなのよ!? 説明なさい!!」
「ああ、やはり先生は素晴らしい先生だった! 私の勘が正しいことがこれで証明された!!」
(くそが! どうしてこう上手くいかないんだ!!)
それは至極当然のことである。秋雨の実力の一端を知る者が一部おり、それ以外が知らないという状況の中で、実力を知る者であれば、同じ職場に勤める同僚として意見を求めたり相談したりするというのは当たり前のことであり、その現場を見られる可能性は高い。だというのに、それを隠そうとすること自体が無理筋であり、本来であれば今まで通り逃亡するべきところなのだ。
しかし、雇用の条件として魔法陣に関するレポートを提出することになっているのだが、まだ完成に至っておらず、それを反故にしてしまうのは忍びないことであった。
仮にその約束を果たさずに逃亡したとしても、何らかの手段を用いて居場所を特定し、地獄の果てまで追ってきそうで恐ろしいというのも多少はあったのだが、それをあえて口に出すようなことはしない。
結局、彼女らの追及を無理矢理にごまかし、今日は忙しいということでとりあえずはお引き取り願ったが、それからというもの毎日のように秋雨のもとを訪ねてきては今日の出来事にいて追及される日々を送ることになってしまった。秋雨にとっては、災難以外の何物でもない。
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