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9化け物呼ばわりされてるわよ

 県内でもそこそこの進学校として名高い舟織第一高校には、入学三日目の新入生に実力考査という名の試練を課し、上位三十名を掲示板に貼り出して生徒たちを早々に格付けするという文化がある。水曜日に試験をしたところであるが、担当教諭が採点業務を頑張ってくれたのか、金曜日には既に全教科の結果が出そろったようで、一年生の教室が並ぶ校舎四階ホールの掲示板には朝から生徒たちが集まっていた。

 全員が全員、順位表に興味があるというわけではないらしい。自分の成績表は個別に配られるので、他人の成績に興味がない者や、上位三十名などとても入れるわけがないと諦めている者は、掲示板をスルーしてさっさと教室に引っ込んでいるようだ。入れ代わり立ち代わりで掲示板を眺めているのは、ざっと生徒の七割くらいだ。自分の名前があること、またはないことを確認したらすぐに立ち去る者もいれば、自分より上の人間の名前はすべて覚えなければ気が済まないとでも言いたげに恨めし気な視線をぶつけている者もいる。だいたいの生徒は「一発目の実力試験なんてこんなもんだろ」くらいでさほど深刻に捉えているわけではないようで、適当に雰囲気を確認しているような具合だった。

 桐子は、ごく一般的な女子高生的な振る舞いを目指すべく、大方の生徒たちの波に乗っかって、掲示板を眺めに行った。試験は英・国・数・理・社の五教科で、五百点満点。慣れない環境で緊張して本来の実力を発揮できない者もいれば、入試を終えて春休みに入った瞬間に中学で勉強してきた内容がすっぽり頭から抜け落ちた者もいたことだろう。

 そんな中、文句なしの五百点満点を獲得し、当然に一位を掻っ攫った化け物生徒がいた。掲示板を眺める制服の群れは、それに気づくと同時にざわめきの波を広げていった。桐子は順位表の一番上に書かれた点数を思わず二度見してしまう。いったい誰だと思って名前を見る。もっとも、入学したてで同級生の名前は殆ど覚えていないから、見たところで知らない奴だろうが。

 などと高をくくっていたら、一位に鎮座していたのは碓氷万里の名前である。

「五百点取るって、C組の碓氷って何者?」

「どこ中だよ。誰か知り合いいる?」

「知らない奴だ。ヤバい、化け物だ」

 ひそひそと囁き合う声があちこちで巻き起こり、もはや囁きとは言えないレベルのトーンの声になっている。

「桐子、おはよう。何見てんの」

 クラスメイトの雪音が通りかかり、騒ぎに気づいて声をかけてきた。

「おはよう。一昨日の試験の順位表。一位が満点取ったんだって」

「マジ? あ、ほんとだ。てか、うちのクラスの碓氷君じゃん。へぇ、頭いいんだ、碓氷君って」

 雪音は純粋に感心している。桐子も、万里の裏の顔さえ知らなければ、素直に感心して「すごい」「頭いい」と称賛の声を送っていたところだ。しかし、残念ながら桐子と万里の間には浅からぬ因縁がある。学校内には仕事関係の因縁を持ち込まないという協定を結んではいるものの、やっぱり敵に対して純真な気持ちで賛辞を送ることには抵抗がある。どうしても言葉が嘘くさくなるし、笑顔が引き攣る。ざっくり一言で言うと、普通に悔しい。

 複雑な気持ちでいると、周りのざわめきが更に大きくなる。

「てか、二位の奴も相当化け物じゃない? 四九九点って、ミス一問だけってことだよね」

「なんでそんないきなりガチモードの同級生ばっかりいるんだろう」

「誰、二位の上原桐子ってどこ中? てかC組怖いんだけど」

 順位表を改めてまじまじと見た雪音が声を弾ませる。

「桐子すごい、二位じゃん!」

 しかし、対する張本人の気持ちは沈んでいる。

「同級生にいきなり怖い認定された……ショック……」

「いやいや、大丈夫だって、怖くないって」

「万里に負けたし……嬉しくない……」

 ここまで全く喜ばない学年二位というのもなかなか珍しい。意気消沈しながらとぼとぼと教室に向かう桐子の背中を、雪音はぽんぽん叩いて励ましてくれる。

「充分じゃない、一問ミスでしょ。充分すごいよ。てか、碓氷君のこと、なんか目の敵にしてない?」

 桐子ははっとする。万里とは校内限定で休戦協定を結んでおり、仕事関係の私怨を持ち込まないことにしている。ごく普通の女子高生である雪音に内なる敵愾心を見抜かれているようではいけない。あくまで穏便に、普通のクラスメイトとして振る舞わなければ。

「目の敵っていうんじゃないわ。まあ、ちょっと、ライバル的な」

「どういう知り合い? 同中?」

「ううん……バイトの関係でたまに一緒になるくらいの仲」

 ぎりぎり嘘ではない。

 教室に行くと、万里は先に席についていた。座席が前後になっているので、無視するのも不自然である。桐子は努めて自然な笑顔を作り――本人はそのつもりだが、実際には若干引き攣っている――挨拶する。

「おはよう、万里」

 万里は顔を上げると、たぶん自然な笑顔を作ろうとしているのだろうが微妙に失敗しているような表情で返してくる。

「おはよう」

 それから、素に戻ったような意地の悪い笑みになる。

「掲示板、見たよ。()()おめでとう」

 二位をわざわざ強調されたように感じたのは桐子の気のせいだろうか。休戦協定を結んでいるはずだから、あえて喧嘩を売ってくるような真似はしないはず。ということは、嫌味を言っているように聞こえたのは桐子の思い込みか。相手が性悪の万里だからという先入観による錯覚か。

 とりあえず率直な感想を言う。

「ありがとう。あなたも満点なんてすごいじゃない。あちこちで化け物呼ばわりされてるわよ」

 万里がぴくりと目元を引き攣らせたような気がする。

「ははは、君も似たようなものだろ。まあ、これで慢心せずにこれからも勉強に励むことだよ。バイトなんかしてる場合じゃないんじゃない?」

 あ、やっぱり煽ってるな。桐子は面の皮一枚で笑顔を作り、その下では「いい度胸だ、その喧嘩買ってやるわ」くらいの闘志を燃やした。

「あなたこそ、最初に満点取っちゃうと今後の周りからの期待がやばいっていうか、もう勉強以外をやる暇なんかなくなるっていうか」

 お互いにだけ解るようぼかしつつ、「遺産を狙うのやめたら?」と牽制しあっている。水面下でひっそりとバチバチしている会話の応酬に、雪音が不思議そうに首を傾げていた。

 やがて予鈴が鳴ったので、桐子は不毛な戦いを切り上げて席に着く。

 公私混同しない、と口で言うのは簡単だが、なかなかどうして難しい。桐子は重々しく溜息をついた。


★★★


 たぶん、無関心でいるのが一番正しい。

 クラスの皆と仲良くしましょうなんて戯言を高校に持ち込む奴はいない。適当に、気の合う人間とだけつるんでいればそれでいい。逆に言えば、気の合わない奴、特に興味のない奴とはわざわざ会話をしなくたって不自然でもなんでもない。一クラス四十名、自分以外の全員と分け隔てなくフレンドリーに接する奴はそうはいないだろう。

 だからきっと、桐子とも関わらないでいるのが一番シンプルでトラブルが少ないはずなのだ。しかし、いかんせん、座席が前後になっているのがまずい。挨拶もしないで無視を決め込むにはちょっと近すぎる。周りからそういう、常識や社交性のない奴だと思われるのも困るから、ある程度の会話は必要だ。

 だが、万里は自他ともに認める性悪である。敵対関係にあることは学校では隠し通さなければならない、それは重々承知しているのだが、幾度となく戦ってきた因縁の相手である桐子に対して、自然な笑顔と自然な親愛を向けるのはかなり難しい。ざっくり言うと、口を開くと煽りたくなってしまう。

 こんな調子では駄目だと、万里は自戒する。もっと事務的に、淡々といかなければ。

 たぶん、まだこの奇妙な関係に慣れていないだけだ。慣れればもっと巧く表と裏を切り替えられるはずだ。少し冷静になろう。

 昼休みになるや、万里は昼食の調達とクールダウンを兼ねて教室を出た。桐子は確かオレンジ色の巾着で弁当を持ってきているようだったから、購買部でばったり会うことはないだろうと推測する。

 階段で一階まで下りてみたが、まだ昼休みが始まって五分も経っていないのに既に混雑している購買部前に辿り着いて、万里はげんなりした。利用するのは初めてで、まさかここまで激戦になっているとは思わなかったのだ。生徒向けに、リーズナブルなのにボリューム満点という高コスパを実現していると評判のパンの数々を巡って、少年少女たちが押し合いへし合い。熱気が尋常でない。

 この戦場に突撃する根性はない。いや、普段の仕事からすればぬるい戦場なので、本気を出せばこれくらいの混戦は問題なく突破できるのだが、ただでさえ仕事で疲れるのに、プライベートでまで疲れたくない。この際残り物でもいいからほとぼりが冷めるのを見計らってから買えばいいと、万里は低いモチベーションで熱戦を遠巻きに眺める。

 すると、高みの見物から五分ほど経ったとき、争奪戦に熱中していた生徒たちが何故かぴたりと争いをやめ、購買部前を埋め尽くしていた人だかりがモーゼの如くにばっくりと割れた。いったい何事かと唖然としていると、開かれた通路を悠然と歩いてくる生徒がいた。

 腰まであるポニーテールを一定のリズムで揺らしながら進んでくる女子生徒。上靴の色からして二年生。下級生が道を譲るのはまだ解るが、上級生までもその生徒の進路を妨げることなく身を引いている。しかし、それより何より目を引くのは、その生徒が何故か腰に刀を佩いていることである。なぜ高校生が帯刀しているのか。誰か、特に教師が、何も言わないのだろうか。

 更に驚くべきことに、謎の女子生徒は万里の方に向かって歩いてくる。何かの間違いだろうと思っていると、目が合ってしまったので、どうやら目的は自分で相違ないと悟る。

 女子生徒は万里の前まで来て立ち止まると、唇に薄く微笑みを湛えて言う。

「初めまして、碓氷万里君」

「どうして俺のことを」

「知っていて当然だ。私はこの学校の生徒全員の顔と名前を憶えている」

 そういうそっちは誰なんだ、と問おうとして、寸前で思い留まる。万里は彼女を知っていた。うろ覚えだったが、インパクトの強い発言で思い出してきた。彼女はこの高校で一番の有名人だ。入学一週目の万里でさえも名前を聞いたことがあるくらい。

「私は剣道部所属で、刀を持っていないと落ち着かないから、常にこうして佩いている。それゆえ、ふだんは『帯刀(タイトウ)』と渾名で呼ばれることが多い。割と気に入っているから、差し支えなければ君もそう呼んでくれ」

 そう語るのは、二年A組、帯刀深雪(タチワキミユキ)、生徒会長である。

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