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8また明日

 おかしなことになった、と桐子は首を傾げる。

 乱入してきた茶髪の男は、話の流れ的に救済社のメンバーであり、万里の味方のはずである。しかし万里は、昏倒した仲間を助け起こすどころか、すぐには起き上がってこれないようにとスマキにした上で地面に転がしていた。そして今、桐子と万里は、助太刀に入ろうとしただけなのになぜか仲間からも雑な扱いをされた可哀相な男を放置したまま、階段を上がって公園敷地内のベンチで休憩している。

「あれ、俺がやったって内緒にしといてよ。君がやったことにしといて」

「……おかしいでしょう。私、両手怪我しているんですけど。あんなにぎちぎちにスマキにできるなんて、変よ」

「大丈夫だよ、ウチじゃ、『音速姫ならそれくらいやりかねない』くらいの認識だし」

 その評価はあまり嬉しくない。桐子は憮然とするが、万里は他人事だと思って笑っている。まったく腹立たしいことである。

「……あなた、私がやってなかったら、どうするつもりだったの。撃ってたの?」

「なんだ、見てたのか」

「見えるわよ、そりゃあ」

 呆れて声を上げると、万里は困ったように肩を竦める。

「あのさ、俺は基本的に、君の邪魔をするのが仕事みたいなものだし、君が手に入れたものを横取りすることに何の罪悪感も覚えないし、男女平等の名のもとに君の顔面を張り飛ばすことについて良心が咎めることもないんだけどね」

「言われなくても知ってるわよ。あなたは性悪よ」

「そう、性悪なの。けど、割と約束は守る方なんだよね、実は」

「それ、何かのジョーク?」

 全く信用する気のない調子で聞き返すと、万里は若干むくれた様子である。

「それにさ、約束反故にして不意打ちでフクロにして、そこまでしないと桐子に勝てないなんて思われたら、俺の沽券にかかわるし。まあそういう諸々の事情で、君が凶悪なフランケンシュタイナーをキメてなきゃ俺が自分でヘッドショットをキメてどう言い訳するか悩んでいるところでした、以上」

 万里は投げやり気味に捲し立てて、疲れ切った顔でベンチに凭れた。

 おかしなことになった、と桐子は心の中で繰り返す。

 手を伸ばせばすぐに触れられる距離で、ベンチに並んで座っている。激しい交戦で火照った頬を風が撫でていき、体も心もクールダウンしていく。冷静になってくると、やっぱり奇妙な状況だと思う。味方の援護で追い詰めておきながら、万里はわざわざ桐子の銃創の手当てをした。性悪のくせに、律儀というか、潔癖というか。彼とは今まで幾度となく刃を交えてきたわけだが、ここにきて彼の行動原理がいまいち解らなくなってきた。単なる性悪というだけではないらしく、一筋縄ではいかない性格をしている模様。

「それで、この後どうするつもり。仕切り直すの」

「仕切り直すったって、君、腕怪我してるでしょ。やだよ、負けた時に『邪魔さえ入らなきゃ勝ってた』とか言い訳されると気分悪いじゃん」

「言わないわよ、そんな典型的な負け犬の遠吠えみたいな台詞。というか、どうして私が負ける前提で話をしているの」

「あと、正直言うと、すごく眠い。寝かせてほしい」

「それはそうでしょうね」

「何かいい方法考えてよ。君のせいで、もうさっきっから、全然頭が回らないんだから」

「……じゃあ、とりあえず一時休戦」

 そう提案すると、万里が眠そうな目でこちらを見遣る。

「だって、決着ついてないのに、このなりよ。最後までやったら、お互いボロ雑巾でしょう。どちらが勝ったにしたって、勝った方が登校した瞬間、生徒指導に目をつけられて問題児認定じゃない。あなただって、眼窩骨折こしらえたまま教室に行くのは厭でしょう?」

「顔面グーパンを前提にするその発想が鬼畜だけど、まあ、言いたいことは解るよ」

「私たちが欲しいのは穏やかな高校生活であって、間違っても不良扱いされてクラスで浮いちゃうような生活じゃないわけ。目的達成のためには、ちょっとこのやり方は、そうね、スマートではない気がしてきたわ」

「同感だ。俺も、仕事でもないのに君とやり合ってこれだけ苦労しているのに残業手当が出ないのはどう考えてもおかしいような気がしてきた」

 冗談みたいな意見だったのだが、万里はすんなり納得して立ち上がる。

「公私混同しない、ということでひとまず手を打とう。……じゃ、俺は帰る。帰って寝る。また明日」

 ひらひらと手を振って、無防備に背中を向けて万里は歩き去っていく。

 がら空きの背中を見送って、また明日、なんて、敵に言われる日が来るとは、夢にも思わなかった。けれど仕方がない。また明日、教室で会うことは決まっている。

 自分で言い出したことではあるものの、おかしなことになった、と桐子はみたび思った。


★★★


 ピピピピピ……、と近くで電子音が鳴り響いている。

 何の音だったろうか。ぼんやりした頭で考える。そう、たぶん、確か、目覚まし時計のアラーム音。「あと五分、あと五分」と、もぞもぞと布団の中で粘ってみたが、耳障りな音を無視できないレベルまで意識が覚醒してきたところで、万里は抵抗を諦めて起き上がった。

 とりあえず目を覚ましてみたはいいけれど、なんとなく頭が重い。自然な生理現象に因らず催眠ガスで強制的に眠らされるとこうなる、という教訓である。

 昨晩はふらふらしながらアパートの部屋まで帰り着いて、戸締りだけは忘れずにやったのだが、そのあたりで限界が来たようで、その先の記憶がない。ただ、現在の自分の状況を見るに、どうやら着替えもしないでベッドに倒れ込んで寝落ちたらしい。

 さしあたって問題なのは、昨晩の交戦で疲れ切ってしまったという事実などお構いなしに、今日も学校に行かなければならないということだ。現状はとても登校できる格好ではないので、万里は溜息交じりに、地面を散々転がって汚れた服をまとめて脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。

 欠伸を噛み殺しつつ汗でべたついた体を洗い流してからリビングに戻ると、また別の電子音が鳴り響いているのに気づく。テーブルの上に放り出してある、仕事用の通信端末だ。一見するとプライベート用とたいして変わらない普通のスマートフォンのようだが、傍受されにくいとか、電波妨害を受けにくいとか、秘密結社御用達のオプションがついているとかいないとか。

 画面の表示を見ると「在処(アリカ)」となっている。相手によっては無視を決め込もうと思っていたが、社長が相手では仕方がない。画面をタップして、ハンズフリーで通話を始める。

「緊急の用件?」

 訊きながら、万里は既に朝食に何を食べようかと適当に考えている。

『苦情が来ているのよ』

「苦情?」

『風見から。万里が、折角助けに入った仲間が敵の手でスマキにされたのにもかかわらず放置して一人で帰っちゃったって。薄情だってさ』

 とりあえず、スマキにしたのが実は万里であるという事実はばれていないようだ。そのことにまず安堵する。

 在処の声はどこか面白がっている風だった。特段、厳しく責め立てようというつもりではないらしい。そうと解れば、万里の方も軽い調子で応じる。

「いや、こっちも拠所ない事情があって、それどころじゃなかったんだよね」

『事情?』

「そう、俺も無傷じゃなかったっていうか」

 眠かっただけだが。

『あんまり心配はしていないけれど、具合はどうなの』

「全然問題ないさ。風見とは鍛え方が違う」

『風見の方は頸椎捻挫でしばらく療休だって』

「まあそうだろうね」

 むしろその程度で済んだのなら不幸中の幸いではないだろうかと、万里は昨日の惨劇を回想する。真剣勝負に水を差した上にいきなり実弾ぶち込んできた奴に対してもちゃんと手加減してくれているようで、桐子の慈悲の御心に風見は感謝するべきだろう。

 キッチンラックの上の籠に食パンを見つけ、バターをのせてトースターに放り込む。焼けるのを待つ間に牛乳をコップに一杯、一気に飲み干して、その片手間に在処との通話を続ける。

「一応弁明しておくけどね、あれは風見が悪いんだよ。手負いの桐子の前で油断するから。ほら、手負いの熊が一番怖いって言うじゃない。あれと一緒」

『年頃の女の子を熊と一緒にするなんて、酷い人ね』

 在処が呆れた風な声を上げる。万里は正直、音速姫は熊より怖いと思っているのだが、それを言うと在処に「レディーの扱いがなってない」とかなんとか叱られそうなので、黙っておく。

 ああ、そうだ、昨日は桐子と揉めていたせいで買い物をしそびれたんだっけ。ほぼ空っぽの冷蔵庫を見て万里は頭を抱える。今日こそ近所のスーパーで食料品を買ってこなければ。せっかく桐子とのごたごたが落ち着いたのに、餓死してしまっては意味がない。

「在処も、一回やり合えば嫌でも解るって。彼女はほんと、お姫様なんて可愛らしい奴じゃないからね。誰だよ、『音速姫』なんで呼び始めたの。もうちょっとクレイジーさがぱっと解る二つ名を考えてくれないと。だから風見が勘違いして舐めてかかって痛い目見るわけ」

『風見にはよく言っておくわよ。万里が、助太刀に入った味方をシカトした上やられたのは自業自得と切り捨てたわよって』

「そこまでは言ってないけど」

『言ってるようなものよ』

「一応、お大事にって言っておいてよ」

『一応ね、伝えておくけれど』

「他に用はない? 俺、そろそろ出るよ」

 いい加減無駄話は終わりにしてパンを食べて出発しないと遅刻してしまう。

『気を付けて行ってらっしゃい』

「ん」

 通話を終えると、端末を鞄に仕舞いこみ、プライベート用のスマホも合わせて中に突っ込んで、丁度焼けたパンを口に押し込んで、万里は部屋を出た。


★★★


「休戦協定:

 一、学校関係者に組織や異能のことをバラさないこと。

 二、組織にクラスメイトであることをバラさないこと。

 三、仕事でかち合った時は徹底的に潰し合うものの、その恨みは学校には持ち込まず、ごく普通の高校生として大人しく振る舞うこと。

 以上の三点を遵守し、その他必要な事項は両者協議の上で決定することとする」


 校内限定休戦協定を結んだ高校生異能者二人の複雑怪奇な生活は、かようにして幕を開けた。

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