71踏み潰すわよ
突如目の前で起きる非常事態に、すぐさま冷静に対応するのは難しい。何かの間違いではないか、冗談ではないか、こんなことが現実に起こるはずがない――正常性バイアスに邪魔されて眼前の非日常に鈍感になっているうちに、事態はあれよあれよという間に、取り返しのつかない方向へ進んでいく、それが世の常である。
いきなり現れたあからさまに怪しい男五人組は、帆引学園の建物の方には目もくれず、グラウンドに集合している子供たちのほうに近づいてくる。無言で前進する集団の目的が子供であると解った瞬間、戸惑っていた牧野がはっと我に返ったように前に出た。
「失礼ですが、どちら様ですか」
固い声で問う牧野。子供たちは次第に、この状況がよからぬものではないかと感じ始めたのか、ざわめきの波紋を広げ始めていた。
誰何されたところで集団は一度立ち止まる。一人だけ作業服を着ている、運転手だった男が先頭に立って、徐に右手を挙げてぱちんと指を鳴らした。すると、牧野の体がふらりと揺れて、貧血でも起こしたみたいにその場で倒れた。
子供たちの中から小さく悲鳴が上がった。奇妙な状況が、明らかに危険な状況に変わったことを理解したのだ。更に異常な状況に拍車をかけるように、子供たちの後ろ側で立って劇を見ていた顧問の大庭が、牧野に続いて倒れる。
「全員、静かにしろ」
作業服の男が鋭く命じた。
「見ての通り、大人は全員眠らせた。建物の中にいる他の連中も同じだ。残っているのは子供だけ、抵抗は無駄だと思え」
脈絡もなく倒れてしまった大人たち。この男たちは、ただの不審者ではなく、異能を使う侵入者だ。桐子の中で、この集団の危険度がぐんと跳ね上がった。たいていの遺産保持者や異能者は、一般の人間の前でその力をおおっぴらに披露することは少ない。超常の現象が露見することを避ける傾向があるものだ。桐子の所属する騎士団も、その活動はごく秘密裏に行うこととされている。
目の前の集団は、こんなにも堂々と、遺産の力を行使して犯罪行為を働いている。異能のことが露見しようが、子供相手だからどうでもいいということなのか、何かを焦って大勝負に出たのか、何にせよ、何をやらかすか解らない、危険極まりない相手だ。
桐子は男たちを油断なく注視し逡巡する。何だか知らないが、全員よからぬことを企んでいるのは間違いなさそうだし、とりあえず蹴り飛ばして黙らせておこうか。桐子が全力を出せば、相手が何か行動を起こすより先に制圧することは、たいていの場合では可能である。とはいえ、演劇部員や子供たちの目の前でフルスロットルというのはいろいろと拙い。その上、相手の持つ力の全貌が見えない状態で無暗に突っ込むのはリスクがある。
不意に桐子の制服の袖が後ろから掴まれる。雪音が不安そうな顔で桐子を見ていた。
「桐子、どうする? 警察、つながらないよ」
雪音が小声で囁いた。桐子が先手必勝で男たちを制圧するべきか否かを迷っている間に、雪音はごく常識的な対応として警察に通報しようとしていたらしい。しかし、なぜかそれはつながらなかったという。異能力で電波妨害くらいはしているのかもしれない。どうやら外部に助けを求めることは難しいようだ。
「絶対ヤバイ感じだよね、あの作業服野郎とちびでぶがりのっぽ」
「え、何て?」
緊迫した状況だが、聞き慣れない音の羅列につい訊き返してしまった。雪音は、今度は解りやすく言葉を切って言う。
「ちび・でぶ・がり・のっぽ」
こっそりと、一人ずつ指差し確認も忘れない。区別のつきづらい同じ服装の男四人に、友達に対して言ったらかなりの確率で怒られるであろう、身体的特徴由来の記号をつけたらしい。確かに言われてみれば、迷彩服の四人は背の低い奴、太った奴、痩せぎす、長身と上手いこと揃っている。
話を戻して、作業服男と、迷彩服四人組の、合わせて五人の不審者を、いったいどうしたものかと桐子は迷う。ちらりと弓香の方を見遣ると、彼女は無言のまま桐子を見つめ返し、首を横に振った。今は下手な抵抗はしない方がいい、と言いたげなのが解った。桐子は静かに頷きを返し、ひとまず男たちの様子を探ることに集中する。制圧するのは、相手の能力を見極め、隙を見つけてからだ。
作業服の男は、子供たちが戸惑いと恐怖を顔に浮かべつつも、下手に騒ぎ立てないのを見て、満足そうに頷いた。
「この中から五人、一緒に来てもらう。素直に従えば手荒なことはしないし、残りのガキ共は無事に明日を迎えられる。だが、騒いだり、逃げようとしたりするようなら……」
作業服がそこで言葉を切ると、後ろで控えていた迷彩服集団がぴたりと揃った動きで懐から銃を取り出した。あまりにも日常からかけ離れた凶器に悲鳴が上がる。作業服の男は鬱陶しそうに眉を寄せる。
「騒ぐなと言っているだろう。まあ、叫んだところで外には聞こえないから構わないが……」
「御子柴さん、どれでもいいから、早く済ませましょう」
「ああ、そうだな」
どうやらリーダーらしい御子柴と呼ばれた作業服男が、先ほどの宣言通り、獲物五人を吟味するように子供たちを順々に眺めていく。
桐子の傍にいた女の子が、目を合わせまいと俯き身を縮めて震えていた。この中では年少の方の女子だった。桐子は傍らにしゃがみこんで少女の頭を撫でる。大丈夫だよ、とあまり説得力のない言葉をかけるくらいしかできなかったが、それでも少女は、ありがとう、と小さく頷いた。
が、直後にちび男が目の前に仁王立ちして、幼い少女に狙いを定めていた。
今、大丈夫って言っちゃったばかりなのに、全然大丈夫じゃない流れになってきたじゃないか。桐子は咄嗟に少女を庇って前に出た。その些細な抵抗が気に障ったらしく、ちび男は拳銃を振り上げる。
「桐子!」
雪音が悲鳴じみた声を上げる。大丈夫、と何の根拠もなく言おうとしたが、それより先に銃把で頭を殴られた。
「痛っ……!」
衝撃で視界が揺れ、ふらふらと膝をつくが、倒れるのだけは免れた。問答無用で撃たれなかっただけマシだが、それにしても、ほんの少し反抗的な態度をとっただけだというのに、随分と気の短い相手だ。
「桐子っ、大丈夫?」
雪音が泣きそうな顔で心配してくれる。これくらいはまあ慣れっこだから、とは言えないので、雪音の手を借りて立ち上がり、力なく笑ってとりあえずは大丈夫と目で伝える。
「お前たちに用はない。黙ってさがっていろ」
ちび男はそう吐き捨て、雪音を邪険に見遣ると、強引に押しのけようとしたのか手を伸ばした。
反射的に桐子の手が動いた。男の手を鷲掴みにして動きを止める。殴って黙らせたと思った女が懲りずに反抗してきたことにちび男は目を剥いたが、文句を言おうとした口が半開きになったままま固まった。桐子がすっと表情を消して男を睨め上げたからだ。
「汚らわしい手で触れるな、踏み潰すわよ」
ちびは緊張でごくりと息を呑んだ。たかだか女子高生の気迫に呑まれたのが面白くなかったのか、情けない自分を誤魔化すように手を振り払うと、もう桐子たちには目もくれず、隣の少女を銃で脅して引っ立てた。他の男たちも、どういう基準でかは知らないが、子供たちを選別してトラックの前に並ばせた。その中には最年長の柏木もいた。他の子供たちは連れていかれそうになっている仲間を心配そうに、しかしかといって助けに入ることもできずに絶望的な面持ちで眺めている。
こうなってくると、敵が何をしたいのかは予想がつく。御子柴たちの目的はおそらく、初瀬御世が言っていたとおり、子供たちを遺産の実験のための道具として後ろ暗い組織に引き渡すこと。彼女の話では、事態が露見しないようにひっそりと暗躍するのが常のはずだったが、今回に限っては強引で乱暴な方法に出たらしい。このまま連れていかれたら、子供たちを連れ戻すのは難しくなるだろう。今ここで阻止しなければならない。
とはいえ、ついカッとなってしまったが、多勢に無勢の状況であり、下手に逆らえば怪我人が出かねない。全員を無事に守りきるためには、まだ反抗する時ではない。桐子は今度こそ大人しくしていようと、冷静さを取り戻すように深呼吸した。
「全員トラックに乗れ」
男たちが子供たちの背を乱暴に押し、扉が開いたままのトラックの荷室に乗せようとする。うす暗く埃っぽい荷室は、足を踏み入れたら戻ってこられない、地獄が口を開けて待っているかのようで、子供たちは目に見えて足を竦ませた。
「やめてください。小さい子たちは助けてあげてください」
震える声で懇願したのは柏木だった。胸から提げたお守りを握りしめて、勇気を振り絞ったのだろう。当然、男たちは一顧だにしない。
そろそろ蹴り飛ばすか、桐子は思い悩む。しかし、敵は子供たちにぴったりと張り付いているし、全員銃を所持しているのが非常に鬱陶しい。その上、戦えば確実に普通のJKでないことが露見する。
どうする? 答えの出ない自問自答を繰り返す。後ろからは他の子供たちが連れていかれようとする仲間たちに追いすがるように、名前を呼び、悲鳴を上げる。
「痛い、やめて!」
一人の少女が叫ぶ。ちびに強く腕を引かれたようでとても痛がっている様子だった。柏木が血相を変えて少女の名前を叫んでいた。
――ああ、駄目だ、そろそろ限界だ。大人しくしているにも限度がある。
桐子は男たちの非情なやり口に、次第に冷静さよりも怒りのほうが勝り始めた。もう異能のことがばれようが何だろうが知ったことか。全員まとめてぶちのめそう。
桐子はスカートの下に隠した警棒に手をかけた。




