7やっぱこういうの気に入らないんで
夜の世界に強烈な光が弾けた。攻撃が勢いに乗って前のめりになっている時こそ、こういう不意打ちはよく決まるものだ。光が止んでいくのを瞼の裏で確認すると、桐子のラリアットのせいで痛んでいた体も、どうにか起こせる程度には回復している。万里は上体を起こして、桐子が光に灼かれた目を手で抑えながら小さく呻きよろめいているのを認めた。
この好機を逃したら次はない。万里は引き金を引く。桐子の腹に弾丸を撃ち込む。殺傷性のない模擬弾とはいえ、この至近距離なら衝撃は大きい。華奢な体は衝撃で大きく揺れて傾いだ。倒れた桐子は、しかしすぐに起き上がり、視力は回復しないながらもとにかく距離を取ろうと、大きな跳躍で後ろへ退く。
逃がすか、と万里は立ち上がり追い縋ろうとする。と、一歩踏み出した万里の爪先が何かを蹴った。からりと音を立てて転がるそれは、形は筒状で外殻は金属製らしく、ぱっと見ただけでは缶ジュースか何かと見紛いそうだ。しかしそれが、先刻自分が使った閃光弾と似ていてどきりとする。
「げっ」
攻撃が勢いに乗って前のめりになっている時こそ、こういう不意打ちはよく決まる――自分で考えていたことが見事にブーメランで返ってきたような厭な予感がして万里は息を呑む。「こいつ同じこと考えていやがったのか」と。
結論を言えば、万里の推測は半分当たって半分外れた。筒状のそれは炸裂と同時に、光ではなく白い煙を盛大に吐き出した。
煙幕――否、それだけではない。万里は慌てて袖口で口元を覆うが、僅かに遅かった。目が霞んで膝から力が抜ける。撒き散らされたのは即効性の催眠ガス。桐子が退いたのは追撃を逃れるためではなく、ガスを吸わないようにするためだ。
風があるせいで白い気体は留まらずに流されていく。晒されていた時間は短い。それにもかかわらず、酷い眠気に襲われて万里は跪く。
ぼんやりする頭の中でカウントが始まる。ダウン十秒で負けがルールだ。さては桐子め、そういうルールになるのを想定していつもは使わないような武器を持ってきやがったな、と万里は忌々しげに舌打ちする。
《武器庫》にガスマスクを常備しておかなかったのは迂闊だった。自分のミスを呪いながら、万里は《武器庫》からナイフを引っ張り出す。鋭利な刃を迅速かつ慎重に左手の親指に宛がい食い込ませていく。皮膚が破れ血の珠が流れ、鋭い痛覚が背筋に抜ける。拳を固めて傷口を握り込むと更に痛みが駆け抜けて、一時的に眠気を振り払う。
強引に意識を繋ぎ止め、なんとか立ち上がると、万里はすぐさま桐子に苦情を叫ぶ。
「こっちが可愛らしく閃光弾で我慢してやってるのに、えぐいものを使ってくれるじゃないか、桐子!」
万里の声を聞いて、桐子は露骨に顔を顰めた。
「大人しく寝てなさいよ、この馬鹿! というか、人の体に弾丸撃ち込んでおいて、どのへんが可愛らしいの」
言われてみれば、まあ確かに可愛らしくはないかもしれない。
ともかく、長期戦になれば不利だ。桐子が本調子に戻る前に片を付ける。桐子はうっすらと目を開けてはいるが、おそらくまだロクに見えていないはずだ。万里は再びナイフを銃に持ち替える。
照準。引き金に指をかける。
ぱん、と乾いた銃声が響く――万里は目を見開く。まだ自分は引き金を引いていないのに。
誰が撃ったのか探す間もなく、二発目、三発目が鳴る。三発の銃弾は桐子の両肩を貫き、右の脇腹を浅く抉った。正真正銘、本物の鉛玉を喰らった桐子の体が大きく震える。瞠目した彼女が力なく跪くのを、万里は呆然と見ていた。
「な……桐、子」
「――苦戦しているようだな、碓氷」
知っている声に名前を呼ばれて、万里はどきりとして振り返る。
公園へと続く石段に高みの見物とばかりに腰かける男がいた。右手には拳銃。撃ったのは彼に違いないようだ。二十代後半くらいで、髪は茶色く染め、耳には金色のピアス。一言で表すとちゃらい。万里の好きではないタイプの男だ。そして困ったことに知り合いである。
「風見」
風見祐吾は、同じ救済社に所属するエージェントだ。風見はさっと立ち上がりゆっくりと石段を下りてくる。
「いつから見てた」
「ついさっきさ。遺産の回収任務を終えて戻る途中、自販機でコーヒーでも買おうかと公園に立ち寄ったら、お前が騎士団の女異能者と戦っているじゃないか。面白そうだから見ていたけれど、分が悪そうだったから助太刀したまでさ」
「余計なお世話だ」
「酷い言い草だな。まあいいさ」
風見は特に気を悪くしたふうもなく笑う。一方の万里は全く笑えない状況になってきた。桐子との最初の会話を聞かれていなかったのは不幸中の幸いだが、こんなところで邪魔が入るとは思っていなかった。こんな薄暗い場所の自販機にわざわざ来る奇特な奴がいるなどとは想定されていない。とはいえ、風見は同じ組織の仲間であるわけで、その彼に面と向かって「邪魔すんなボケナス」とは口が裂けても言えない。
「『音速姫』を捕えたとなれば、社長からの覚えもめでたくなり、幹部昇進もありうるだろうさ。手柄を独り占めしようなんて無粋なことは考えず、ここはひとつ協力しようじゃないか」
風見は上機嫌そうに提案する。
こっちは幹部昇進なんかどうでもよくて、そんなことよりもっと大事なことを賭けて勝負してるのに――という事情を伏せたまま巧く誤魔化す方法はないかと万里は逡巡する。
しかし、はたと気づく。別に誤魔化す必要はないのではないか。
このまま風見と協力すれば、手負いの桐子を打ち負かすことは容易い。拘束して会社に突き出せば、仕事で目障りな彼女とバッティングすることは金輪際なくなり、社長からは称賛され、風見は出世し――まあそれはこの際どうでもいいけれど――、学校では何事もなかったかのように平和な日常が始まる。この解答が一石四鳥くらいのウルトラCだ。まあ、桐子は卑怯だなんだとぶーたれるかもしれないけれど、捕虜の言うことなど一顧だにする価値はない。「勝手に言ってろ負け犬」というような寸法だ。
仲間に助けられて、スマートに解決して、欲しいものが全て手に入る。桐子は敵だ、敵に遠慮する必要などない。軽蔑されようが関係ない。こちとら悪の秘密結社の一員だ、正々堂々とか清廉潔白とか、そういう言葉とは無縁な人生を歩んできた。約束やルールの一つや二つ、破ったところで痛くも痒くもない。
そんなごく当たり前のことに気づいて、万里はおかしそうに笑った。何も悩むことなどない。
「……オーケー、協力しよう。と言っても、見ての通り俺は疲労困憊なんでね、後の始末は君に任せるよ。社長には、八割方君が頑張ったってことで報告すればいいかな?」
「話が早くて助かるよ」
風見は愉快そうに唇を歪めると、拳銃を片手に桐子に迫る。
万里の方は安堵の溜息をつく。正直、もうへとへとだったのだ。後は全部仲間に丸投げして、もうお終いにしよう。
不意に、桐子と目が合った。苦痛に顔を歪める桐子は、万里をじっと見つめ返す。何を考えているかよく解らない目だ。非難するでもない、どこか淡々とした瞳。もっとも、仮に恨みがましいような視線で射抜かれたとしても、万里は罪悪感など一かけらも覚えることなくいつも通り飄々と笑っていられる自信があった。
さあ、これでもうお終いだ。心の中でそう宣言して、それから、万里はもう一度溜息をついた。
「もうお終い……で、いいはずなんだけどな」
風に掻き消えてしまうほど小さな声で呟いて。
たぶん、自分は損な性格なのだろうな、と自己分析して自嘲気味に微笑むと、万里はすっと冷ややかな表情を浮かべる。右手の銃を持ち上げて、自分が失敗するなんて欠片も考えていなそうな能天気な仲間の後頭部に照準する。
「……悪いな風見、やっぱこういうの気に入らないんで」
ぼそりと囁いた音がかろうじて聞こえたらしく、風見が立ち止まり訝しむ。
「ん? 何か言ったか、碓氷」
振り返ろうとした風見が、自分の脳天に向けて構えられた銃を視界に収める――その前に、風見の頭蓋がロックされる。
「――は?」
風見の呆然とした声。彼の頭を、飛びついた桐子の両腿が挟み込んでがっちりと捕えている。
「油断――」
そのまま勢いよく後方へ旋回し、巻き込まれた風見がぐるりと目を回す。
「――大敵ィぃぃッ!!!」
桐子は《神速撃》の超スピードを乗せた回転で、風見の脳天を容赦なく地面に叩きつけた。
「……うわぁ」
万里は思わず顔を引きつらせる。鉛弾喰らってそこそこダメージが溜まっているはずなのに、どうしてそんなに元気なのか。手負いの上、スカート履いた年頃の女子が繰り出す技じゃないだろう、フランケンシュタイナーは。
たった今、味方を銃撃しようとしていた自分の言えた義理ではないのだが、いくらなんでも可哀相じゃないか。万里は白目を剥いて伸びてしまった風見に黙祷を捧げておいた。
桐子は小さく息を乱しながら、風見を蹴り退ける。視力はもう回復しているようだ。ただ、流石にすぐに立ち上がる元気はないらしく、少し悔しそうな顔をしている。
それを見ていたら、なんだかすっかり毒気を抜かれてしまったような気分になり、万里はふっと表情を緩める。未だ警戒心を残す表情の桐子に近づいて、持て余した拳銃を《武器庫》に仕舞って丸腰をアピールしてから、空いた手を差し出した。怪訝そうにこちらを見上げる桐子に、万里は困ったように笑いながら提案する。
「とりあえず、一旦休憩」
意図を計りかねてか、万里の顔と差し伸べられた右手とを交互に見つめていた桐子だったが、やがて溜息交じりに手を握り返してきた。




