61喧嘩を売った相手が
いったい何がどうなっているんだ、と諏訪美恋は苛立ちを隠せずに園内を早足で歩いていた。《記憶結晶》の能力で宝石を作り出すのにふさわしい獲物だと思ったら、ちょっかいをかける奴かける奴、そろいもそろって異能者ばかり。運が悪いにもほどがある。そろそろお祓いしてもらった方がいいかもしれない。思い通りに行かなすぎて、美恋はイライラしっぱなしであった。
「どうして異能者がこんなにいるの。この遊園地はどうなっているのよ」
ぶちぶちと不平不満を漏らしつつ、今度こそマシな相手を見つけなければ、と美恋はあたりを見回す。面倒な異能者が敷地内にいると解っているのだからとっとと退散するべきなのかもしれないが、炎天下の中を歩き回って結局成果なしで骨折り損となったら、腹立たしすぎて憤死するかもしれない。プライドの高い美恋は、敗走のような真似はしたくなかった。一つでもいいから、今まで以上に綺麗で特大の宝石を獲得してからでなければ帰れない。不退転の覚悟、というのは大げさかもしれないが、とにかく、引くに引けなくなっているのだ。
スニーカーでばたばたと荒っぽい音を立てて大股で歩いていく。と、前方から二人の男女が向かってくるのが見えた。カップルだろうかと適当に考えながら美恋は二人にぶつからないように左に避ける。しかし、それをわざわざ塞ぐように相手の方も進路を変えた。タイミングが悪くお互いに道を譲ってしまった、というわけではない。向こうは明らかに、美恋の進路を確認してから行く手を阻んだ。見かけた全員に通せんぼして嫌がらせをする趣味がある不審者というわけではないだろうから、美恋に用事があるのだろう。
美恋は立ち止まる。相手の方も立ち止まって、美恋の前で仁王立ちする。美恋は知らない相手なのに、相手の方はこちらを目的としている。嫌な予感がした。
少年少女たちは美恋の前に立ち塞がりながら、美恋を差し置いて二人で会話する。
「たいとー先輩は、夏休みだっていうのに人使いが荒いわね」
「職権濫用じゃないのか、これ」
「それにしても、あなたが素直に従うのは意外だわ。私にくっついてくるなんて不本意でしょう」
「断れるわけないだろう。俺は君に言われた台詞を、そっくりそのまま会長にも言われたぞ。『貸し十』だって。俺の周りには悪徳な女子しかいない」
「ああ、それは断れないわね」
「まあ、頼み事をされるのは構わないけどさ。加えて今回は個人的な恨みもあるし」
「そうね。私も個人的に、一発くらい殴っておきたい気分だわ」
いったいこの二人は何の話をしているのだろう。見知らぬ二人組の会話についていけず、美恋は戸惑う。ただ、とりあえず初対面のはずの自分に対して敵意を持っていることはなんとなく解った。どこかで噂にでもなってしまっていたのだろうか、と美恋は適当に推測する。
「何、あなたたち、さっきの人の仲間か何か?」
「さっきの人っていうのが刀持った怪しい女の人のことなら、そのとおりよ」
「まあ、喧嘩を売った相手が悪かったと思って諦めなよ」
「ふうん、そんなに怖い人なの、あの女」
「そりゃ怖いよ。それにさ」
上手い言い方を考えるように少年が目を泳がせる。やがてにっこり笑って告げる。
「俺たちも、喧嘩を売られたら嬉々として買うし、喧嘩売ったことを心底後悔するくらいには徹底的に叩きのめす派だし」
あの女も、目の前の二人組も、ヤバい相手だった、ということか。しかし、美恋は解せない。今顔を合わせたばかりのこの二人の、いったいどこに逆鱗があったのか。いつ怒らせてしまったのだろうか。そう問えば、少女のほうが答えた。
「私たちの純真な友達を弄んだ罪、かな。こういう性悪男が相手ならともかく」
「おいコラ」
「五十嵐君みたいな真面目な男の子を虐めちゃダメでしょ」
五十嵐――あの、デートの記憶を抜き取って、用がなくなった瞬間こっぴどくフッてやった少年のことか。
成程、この少年少女たちに目の敵にされている理由は解った。とはいえ、美恋は「はいごめんなさい、私が悪かったです」と素直に謝罪するような人間ではない。そんなに素直なら、そもそもこんなトラブルは起こしていない。相手が怒るのは勝手だが、それでも美恋は宝石の蒐集を諦めない。
友達を想う純真な心、抜き取ったらどんな宝石になるのだろう。美恋は、現状への危機感よりも、目の前の原石たちへの好奇心のほうが大きかった。
相手の神経を逆撫でするのを承知で、美恋は右手で銃の形を作って、少女の胸へと指先を照準する。少女のほうがピクリと眉を上げる。対応してくるだろうか、だがしかし、美恋の異能の発動には二秒とかからない。相手が動くより先に、記憶を抜き取ってやる。美恋はにやりと唇を歪める。
――無論、美恋は目の前にいる少女・上原桐子が二秒どころかコンマ一秒で敵に肉薄できる音速使いだとは知る由もない。
瞬きの間に、美恋の目の前から少女の姿は掻き消える。いったいどこへ行ったのか、と標的の姿を探して視線を彷徨わせる美恋。彼女が再び敵の姿を捉えるより早く、鳩尾に鈍い衝撃が走った。
「かはっ……」
内臓がぎゅううっと引き絞られるような苦痛。脳が視覚情報を処理できず、視界から色という色が消え去る。足元が覚束なくなり、気持ちの悪い浮遊感が襲う。そして背中に衝撃。ああ、地面に倒れたのだ、と遅れて理解する。
攻撃向きの異能を持っているわけではない美恋は、一般人から宝石を抜き取ることは容易い。だが、戦闘慣れした異能者を相手にしたら、その瞬間、負けが確定する。成程、確かに敵に回してはいけない相手に喧嘩を売ってしまったようだ。美恋は悔しげに溜息をつきながら、意識を消失させた。
★★★
気を失った諏訪美恋を尻目に、桐子はスマホを操作して帯刀にメッセージを送る。
『制圧完了』
帯刀からの返信は迅速だった。
『協力に感謝する』
『ところで、そっちはいったい何をされたんですか』
『紙村君に手を出そうとしたから』
成程、帯刀がキレるわけだ。桐子は納得する。桐子のほうも、伊吹が傷つけられたことに腹が立っていたし、思いがけず近くに標的がいることを帯刀から知らせてもらって、とりあえず一発殴ったので、少しは気持ちが晴れた。伊吹にもそのうち折を見て、諏訪美恋には手ひどい天罰が下ったと報告しておこう。
さて、倒れてしまった美恋を放置しておくわけにはいかない。どうしたものかと、無計画にぶん殴ってしまった桐子は今更ながらに考える。と、万里が素早く手を挙げて声を上げる。
「すみませーん」
万里が声をかけていたのは、ドリームパークのスタッフのユニフォームを着た若い男性だった。万里はいかにも困った風な顔を作ってみせる。
「偶然通りかかったんですけど、倒れてる人がいるんです。救護室に運んであげてもらえませんか」
「かしこまりました。ご連絡ありがとうございます」
従業員は営業スマイルを浮かべて万里に礼を言う。こちらが問題を起こした張本人であるとは夢にも思わず、たまたま通りかかった他人であると疑いなく考えてくれたようで、従業員は他のスタッフに連絡して担架を手配する。少しして、数人のスタッフによって美恋が運ばれていくのを桐子たちは見届けた。
相変わらず万里は流れるように自然な嘘をつく奴だと呆れながら、桐子は少し気になったことを問う。
「いいの? 目を覚ましてまた何かやらかしたら……」
「あ、へーきへーき」
万里は楽天的に笑う。それから右手の中にあるものを見せつけてくる。赤い石の嵌められた指輪と、拳大ほどのサファイアのような青い宝石が万里の手の中に収まっている。
「これ、人の記憶を抜き取れる遺産で、うちの目録に載ってる奴。遺産奪って、遺産に関する記憶は抜き取っておいたから」
「早いわよ!」
帯刀に連絡をしている数秒の間にもうそこまで済ませていたのか。というか、美恋を制圧したのは桐子だというのに、ちゃっかり遺産を手に入れていたのか。だいたいこの男、帯刀に借りを返すために頼みごとを引き受けたと言っていたくせに、結局働かなかったし、やったことといえばどさくさに紛れて遺産を手に入れただけではないか。なんと腹立たしいことか。
「いや、知っての通り、俺は遺産を横からかっさらうのが得意で」
「忘れた頃にゴミみたいな設定を蒸し返すわね」
遺産が目の前にあったのに、あっさりと横取りされてしまい、桐子は自分の迂闊さを、奥歯をぎりぎり噛み締めながら呪う。今からでも取り返しはきくだろうか。だが、万里と遺産の取り合いをするとなると、先刻美恋を伸したときほどあっさりはいかないだろう。人目の多い水嗚ドリームパーク内で派手な戦闘はできない。それに、あまり長い間戻らないでいると、単に手洗いに行っただけだと思っている雪音や伊吹が心配するだろう。
いろいろな葛藤を、桐子は十五秒繰り広げた末に、溜息一つで諦めた。
「雪音たちのところに戻りましょう」
桐子の提案に、万里は満足げに頷いて同意を示した。




