59一緒にいるのがいいと
明らかに場違いな場所に来てしまった、と紙村は思う。
メリーゴーラウンドを目当てに、自分たちの前にずらりと並んでいるのは、ほとんどが子供と付添いの親。紙村は自分が無邪気にはしゃぐような年齢ではないと思っている。恋人たちがデートで訪れるならまだ解るが、紙村の隣にいるのは単なる上司のようなものだ。どう考えても、来るべき場所を間違えてしまったとしか思えない。
「会長、完全に浮いてますよ。引き返しませんか」
「今更何を言うのかな。王子様ごっこをさせてやると言っただろう。白馬に乗らずして帰ることはできない」
「王子様なんて柄じゃないのは、会長が一番よく解っているでしょうに」
とはいえ、帯刀が一度やると決めたことを覆すのは困難を極めると解っている。馬に乗って流れに任せてくるくるゆったり回るだけで済むなら、ジェットコースターよりはだいぶマシなので、紙村はつべこべ言わずに、列が進んだ分だけ前に詰めて行く。
「あのぅ、すみません」
不意に後ろから声を掛けられて、紙村と帯刀は揃って振り返る。派手なプリントTシャツにジーンズ、腰には赤いジャンパーを巻きつけた、目立つ装いの少女が立っていた。
「道を訊きたいんですけれど」
少女が問うてくる。コミュ障の紙村は初対面の人間に道を教えるなどという難易度の高いことができるわけもないので、隣の帯刀を期待して見遣る。と、帯刀はなぜかいつになく不機嫌そうな表情で目の前の少女を見返していた。
帯刀は少女の要望には応えず、紙村に向けて小さく言葉を発する。
「検索。現在、私の前にいる女の素性」
その言葉を認識した瞬間、紙村の頭の中には今まで知らなかった情報が流れ始める。
紙村の持つ異能《局地的叡智》は、この世界の事象すべてが刻まれた記録にアクセスし、情報を引き出すことができる。世界で起きたあらゆる出来事について知ることができる能力であり、一言で表すなら紙村は「何でも知ることができる」人間だ。
ただし、それは「何でも知っている」とイコールではない。紙村が情報にアクセスできる条件は限定的で、人に訊かれた場合のみだ。人に訊かれたことには完璧に解答できるが、自分で知りたいと思ったことを自由に知れるわけではない。加えて紙村は、異能を使えるのは帯刀に訊かれた場合で、かつ検索可能なのは舟織一高の生徒に関係する事柄のみ、という設定で振舞っている。「便利すぎる能力だとバレると、いろいろと身の危険があるだろうから」というのが、監督役の帯刀の主張である。情報目当てに狙われて面倒ごとに巻き込まれるなんてまっぴらなので、紙村は帯刀の指示に従っている。
そういうわけで、あまり使い勝手の良くない(ということになっている)異能ではあるものの、紙村は、というより帯刀はしっかり使いこなして、必要な情報を入手する。生徒に関係することしか知ることのできない異能だが、生徒を起点に連鎖させていくと、先ほどのように、まったくの他人についてもある程度知ることができてしまう。だいぶ乱暴な拡大解釈ではあるが、こんな調子で帯刀は紙村の異能を便利に使う。
帯刀の問いに答えるため、紙村の異能は瞬時に目の前の少女の正体を暴き立てる。
「諏訪美恋。《記憶結晶》の保持者です」
ぼそりと紙村が呟いた瞬間、少女――諏訪美恋が表情を変えた。なぜそれを知っているのか、とでも言いたいのだろう。
「《記憶結晶》の遺産か、確か、対象の任意の記憶を抜き取って宝石に変える能力があるのではなかったかな」
「どうしてそれを……!」
「なんでそんなことまで知ってるんですか」
帯刀は敵と味方を同時に驚かせる。
「一高でもいろいろと遺産がらみのトラブルがあったから、私も勉強しているんだよ」
「勉強しようと思ってできるようなトピックではないと思いますが……ともかく、さがってください会長。たぶん狙われてますよ」
紙村は美恋を鋭く睨みつける。美恋は、会って数秒で尽くを言い当てられたことに動揺しているようで、次にどう行動すべきか迷っている様子だった。
敵が勝手に狼狽えている間に、帯刀が可笑しそうに言う。
「君の異能では、流石に初対面の他人の内心までは解らないだろう? どうして私が狙われているなんて解るんだい」
「読心術が使えなくてもこれくらいは解ります。あからさまに悪用されそうな能力の遺産で、見るからに性格が悪そうな相手ですよ」
どちらかというと人の顔色を窺ってこそこそ生きているタイプの紙村は、目の前の人間が悪意を持っているか否かくらいは、直感で解る。
遺産の保持者が近づいてきた。その遺産はどうにも、あまり褒められた使い方はできなさそうな代物だ。《叡智》に問うまでもなく、諏訪美恋が邪な目的を持って近づいてきたことは明らかだ。そんな人間を、これ以上近づけさせるわけにはいかない。
メリーゴーラウンドに並ぶ子供たちはすっかりはしゃいでいて、後ろに並んだ高校生たちが漂わせている不穏な空気には気づく気配はなく、繰り広げられている雲行きの怪しい会話も当然耳に入っていないようだ。他の来場客たちが平和で賑やかな自分たちの世界に入り込んでいるのをいいことに、美恋は一般的ではないワードを気にせず口に出す。
「まさか、そっちも遺産保持者? よりによって面倒なのに手を出しちゃったわね」
「刀持ってる女なんて普通じゃないに決まっているのに、近づいてくるなんて迂闊」
「紙村君、何か言ったかな?」
「いえ、何も」
「普通じゃない」呼ばわりはお気に召さなかったらしく帯刀は険のある声を上げたが、紙村はとりあえずしらばっくれた。
「まあ、いいわ。攻撃系ってわけじゃなさそうだし、盗っちゃえばこちらのもの。私の遺産の力は防げないでしょ」
そう言うや、美恋は一歩下がって距離を置き、右手を持ち上げる。親指と人差し指で銃のような形を作って帯刀を指す。あからさまに帯刀を狙っているポーズだ。
「会長……!」
紙村は咄嗟に帯刀と美恋との間に割って入った。
ぱぁん、と囁きながら、美恋が銃を撃つ真似をする。おそらくは、異能を使ったのだろう。それを華麗に防御するような素敵な能力は、紙村には備わっていない。まったく、誰かを守る力なんて持ち合わせてもいないくせに、どうして人を庇うような行動に出てしまったのかと、紙村は自嘲的な気分になりながら、美恋の異能の餌食になる己を想像した。
瞬間、風を切る鋭い音と白い光が紙村の目の前を一閃した。
「何……?」
美恋は訝しげに眉を寄せ、不思議そうに自分の右手を見遣る。異能がなぜか発動しなかった――そんな顔をしている。美恋と紙村の間には、彼女の異能を妨げるようなものは何もないはず、にもかかわらず両者の間には、不可視にして超越しがたい境界線が存在していた。
「舐められたものだね。私の目の前で、生徒に手を出させるはずがないだろう」
不愉快そうな声に振り返ると、帯刀が腰の刀を鞘に納めるところだった。そもそもいつの間に抜いていたのだろう、刀を振るっていたところを、紙村は認識する暇がなかった。元来戦闘向きの異能者ではない紙村は、荒っぽいことが目の前で起きても、たいてい気づかず、気づいた時にはだいたいすべて終わっていることが多い。
帯刀は薄く嘲笑を浮かべて種明かしをする。
「空間を斬って、一時的に次元の断絶を作り出すくらいは、生徒会長たるものできて当然だ」
絶対に「できて当然」ではなさそうなことを、帯刀はあっさりと言ってのけた。
「まあ解りやすく言うなら、『うちの生徒に気安く近づくな』ということだ」
どうやら想像以上に面倒な相手に喧嘩を売ってしまった事実にようやく気付いたらしい。美恋は聞こえよがしに舌打ちすると、迷いなく走り去って行った。遠ざかって行く背中を見つめながら、紙村は、いったい何だったんだと呆然とする。勝手に絡んできて、勝手に負けて、勝手に逃げていきやがったぞ、あの女。
「まったく、せっかく楽しく遊んでいるときに、水を差されたものだね」
帯刀が肩を竦める。それから、水を差されたという割には機嫌よさそうに、帯刀は何の脈絡もなく紙村の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜてきた。
「なんですか」
「いやなに。『面倒くさい』『付き合いきれない』『勝手にしてくれ』などと言う割に、なんだかんだで君は紳士的だな、と思ってね」
つまりこれは「まったく可愛らしい奴め」的にわしゃわしゃ頭を撫でられているのだな、と理解して、紙村は鬱陶しいのを隠さず顔に出して帯刀の手を退けた。
「紳士的なものですか。異能があって知識を手に入れたところで、役立てることができない。戦闘能力は皆無で、結局何もできない無能ですよ、僕は」
格好つけようとなどするものではないな、と紙村は嘆息する。格好つけようとして格好がつかないのが、一番格好悪い。
「そう自分を卑下するものではないよ。いつもひきこもりで怠け者でぶうぶう文句ばかり言っているくせに、こういうときは、咄嗟に体が動いて、私を守ろうとしてくれる、そういうところは、割と格好いいじゃないか」
「結局守れていないんだから、何の意味もないですよ。結局、会長が全部解決しました」
「そりゃあ、私は生徒会長だからね」
何でもかんでも「生徒会長だから」を理由にまとめようとする雑な理論は帯刀の専売特許である。そんないい加減な畳み方に惑わされるものかと思う紙村だが、反論する前に帯刀は前に回り込んで顔を覗き込んできた。まっすぐ目を合わせられて、紙村は少し怯んだ。言い返すタイミングを逸してしまった。その隙に帯刀が捲し立ててくる。
「異能があったって、人は完璧にはなれない。私だってそうさ。守るべき生徒がいなければ、私の刀は何も斬れない。私は一人じゃ戦えない、君がいるから私は強く在れるんだ。そう考えると、私たちはやっぱり、一緒にいるのがいいと思うんだけどね」
紙村は真意を計るべく帯刀の目をじっと見つめ返す。怖いものなんかないと言いたげな不敵な微笑を湛えた生徒会長が、自分を必要としてくれている。全生徒が憧れるカリスマ会長が、こんな凡人にここまで言ってくれるなんて贅沢な話だ。
これは負けたな、と紙村は思う。ただ、それを素直に表には出さず、いつものように抑揚のない声で言う。
「会長、一人では戦えないなんて可愛らしいことを言ってますが、異能が無くても普通に強いですよね、剣道部ですし、その他諸々有段者ですし」
「まあね」
帯刀はにこりと笑う。「そんなことないよ」とは決して言わない。他の生徒には決して見せないだろうが、彼女はこういう調子のいいところがある。紙村だけが知っている帯刀の素の姿の一つである。
「ところで、諏訪美恋は放っておいていいんですか」
この遊園地に来ているのは、帯刀以外は見ず知らずの他人なので、名前も知らない他人がどうなろうと紙村の知ったことではない。とはいえ、邪な考えを持つ異能者がすぐ近くにいて、きっとまた何かしら他人にちょっかいを出すであろうことが想定されるとなると、果たしてそれを知っている自分は放置しておいていいものかと、ほんのちょっぴり良心の呵責がある。
「大丈夫だよ」
帯刀はいつの間にかスマホを操作している。
「実はね、ここに来てから、知っている顔を何人か見かけたんだ」
それが紙村の問いにどう繋がるのか。紙村がそれを理解するより先に、帯刀は楽しそうな顔で「はい、送信」とのたまった。




