51ホームセンターで売ってる物が限界
特殊警棒は、よく桐子が使っているのを見てきた。いつか彼女と打ち合いになるときに便利だろうかと思って用意しておいたスタンロッドを《武器庫》から取り出し右手で握りしめる。見た目は普通の警棒のそれとほとんど同じで、手の下に密かに電極のスイッチが隠されていることは、まだ気づかれていないはず。いつでも電源を入れられるように備えながら、万里は得物を構える。
対する行平は、触れたものを略奪し己の力へと昇華できる厄介な能力を持ち、左手には長さ三メートルほどの鞭を握っている。鞭は熟練の者が扱えば、その先端が音速に達することもあるという。それが本当なら脅威だが、速い攻撃は比較的見慣れている。桐子との戦闘経験が、多少なりともアドバンテージになればよいのだが。
先に動いたのは行平だった。左手を回して鞭を振るう。鞭が大きく撓り、高速で繰り出される攻撃は忽ちに目で追えなくなる。
だが、先端が超高速に達するとしても、行平の手元だけは目で追える。手元を見れば、行平がどこを狙っているのか、把握する手掛かりくらいにはなる。素人の攻撃では難しいかもしれないが、熟練していれば狙いは正確になり、かえって攻撃を読みやすい――と思いたい。
行平は万里の頭部を狙ってきていた。そう読んで、万里は咄嗟に前方に滑り込むように身を屈める。頭上をブンッ、と風を切る音が通り過ぎ、乱れた髪を幾本か攫っていった。ぎりぎり、だが初撃は躱した。そのまま行平の懐に入り込み、ロッドを大きく振りかざす。
正面切ってロッドを力いっぱい振り下ろす。単純すぎる軌道、隙の大きな攻撃に、行平は僅かに嘲りを含んだような笑みを浮かべ、右手を持ち上げる。敵の頭をカチ割るくらいのつもりで振り下ろした攻撃は、直撃の寸前に行平の右手に受け止められる。
それでも、渾身の力を込めた打撃だ、勢いに押されてよろけるとか、痛みで顔を顰めるくらいあってもいいのに、行平は表情を変えず、体勢を崩す気配など微塵も見せない。その痩身からは想像もつかないくらい、巌のように頑丈な男だ。万里は敵の予想以上の強度に小さく驚きながらも、打撃が駄目なら電撃をと、即座にスタンロッドのスイッチを入れた。
途端に流れる電流。電気さえ搾取可能なことが既に判明している行平が、しかし、うっと呻き声を上げて体を震わせる。直後、反射的にロッドから手を離して後退る。
やはり、行平の異能には隙がある――万里は自分の推測が的中したことを知り口角を上げる。
行平の手は触れるものを、いつでもどこでも、なんでもかんでも無差別に吸収してしまうのかといえば、決してそうではないはずだと、万里は考えていた。もしそうだとしたら、たとえば常に手に触れた状態である空気を取り込み続けることになってしまう。そんなに見境のない能力だとしたら、寝室に篭って寝ているうちに部屋の空気を吸い尽くして窒息する。そんな阿呆な話があるわけない。
行平の異能は無条件で発動し続けるものではなく、彼自身が随意的にオンとオフのスイッチを切り替え、対象を取捨選択する必要がある類のものだ。対象として指定したものを略奪し、逆に認識していないものは、たとえ触れていても収奪しない。衝撃を奪うつもりでロッドを受け止めた行平は、想定していなかった電流は奪うことができず、攻撃を受けてしまったのだ。
これが隙の一つ目。とはいえ、同じ手は何度も使えない。今のはちょっとした不意打ち、行平の動きを少しでも鈍らせることができれば御の字というくらいの様子見の攻撃だ。決め手にするつもりはない。万里はロッドを仕舞い、代わりにアサルトライフルを呼び出す。フルオートで弾をばら撒くことができる愛用の得物だ。
先刻行平は銃弾でさえも吸収してしまった。銃の速度に当たり前のように追いついて銃弾を掴み取るという時点でだいぶおかしいのだが、それでも限界はあるはずで、フルオート連射の弾を全部掴むことは流石にできないだろう。そして、手で触れることができなければ行平の異能は意味がない。これが弱点二つ目である。
行平に立て直す隙を与えまいと、万里は即座に照準してトリガーを引く。銃は騒音と共に弾を撒き散らす。模擬弾といえども、この弾幕を全身で受ければ衝撃で吹っ飛び痛みで悶えるだろう。
行平は、弾幕を全部手で防ごうなどという無謀なことはしなかった。代わりに右手から大きく風を放つ。不可視の風の壁は銃弾が肉体に届くのを阻み床に叩き落す。
成程、風――空気ならそこらじゅうに溢れていて、一番手っ取り早く調達できる。それにしても対応が早い。もしも風を専門で操る能力者がいるとしたら、風使いでもないのに上等に風を操作する行平を前に涙を流して地団太を踏むであろう。
部屋に吹き荒れた風はやがて鎮まった。同時に万里の銃も弾を撒き尽くしたが、行平の風を使い尽くさせたのであれば、成果としては上々だ。
弾丸の次は、刃を。万里は銃の代わりに、掌に収まりそうなくらいの小ぶりのダガーを取る。行平が吸収できる物の基準はどのあたりにあるのか試す意味も込めて、ダガーを擲った。行平は鞭を一振り、シュンと撓らせ飛来するダガーを叩き落した。
先刻、銃弾はカウンターに使われてしまったが、ダガーはそうならなかった。それはどういう意味か。あまり大きな物体は操れない、せいぜいが銃弾くらいだと本人が言っていたのは嘘ではないらしい。小さな銃弾よりも、ある程度の質量を持つ刃の方が有効らしいと万里は確信できた。
だとすれば、次に打つ手は――武器庫の中身を脳内検索している間に、風を切る鋭い音を鳴らして鞭が迫ってくる。行平の手によって巧みに操られるそれは、次なる武器を取ろうと持ち上げられた万里の右手に絡みついて拘束した。
「捕えたよ」
「ふん、鞭はそういう使い方をした瞬間、逆に利用されるのが定番だろうが」
慌てず騒がず、万里は己の手首を縛りつける鞭を、逆に逃がすまいとしっかりと掴む。そして《武器庫》から引っ張り出したのは、何年か前に入手して仕舞ったきりだった新品のマチェットである。刃は四十センチほどの長さで、《武器庫》の異次元の中に放置しておいたため、まったく手入れはしていないが錆びていない。
行平が小さく失笑する。
「そこはもっとこう、格好よく日本刀でも出したらどうだい」
「未成年が手に入れられる武器なんてのはな、ホームセンターで売ってる物が限界なんだよ」
「さっきは突撃銃を撃っていたじゃないか。あれもホームセンターで買ったのかい」
「そうだよホームセンターで千五百円で買ったんだよ」
敵相手なのをいいことにいい加減なことを言いながら、大振りの刃を勢いよく振るう。彼我の間でぴんと張りつめた鞭を、雑草を薙ぎ払うが如くにぶつりと切断する。行平はたたらを踏み、その隙に万里は手に残った鞭の残骸を払い除け、マチェットを持ち直して敵に接近する。
行平がはっと顔を上げた時には、万里はスピードを乗せてマチェットを振り下ろしている。行平は咄嗟に体を庇おうとしてか腕を持ち上げる。しかし、そこから先、行平は予想外にも、近づいてくる刃の方に掌を向けた。警棒程度ならともかく、抜身の刃を手で受け止めようとでもいうのか。万里は敵の行動に戸惑いながらも、そのままマチェットを振り抜いた。
行平が僅かに口角を上げたように見えた。果たして、万里の得物は行平に受け止められた。そして逃すまいとでも言うように、行平は刃を握りしめた。刃物を鷲掴みにされるのは流石に予定外だ。敵の思いがけない行動に、万里は僅かに狼狽する。
その隙をついて、行平の脚がサッと横薙ぎに疾り、万里の脚を刈った。視界がぐるんと回って天井をいっぱいに映し出すと同時に、背中を床に強かに打ちつける。転倒の拍子に手から零れたマチェットは行平に抜かりなく蹴り飛ばされ明後日の方に滑って行く。起き上がる暇もなくマウントを取られ、両手を床に押さえつけられた。ほんの数秒の間に、形勢が一気に悪くなった。
上に圧し掛かる行平がくすりと笑っている。
「あのマチェットは失敗だね。ホームセンターで市販されてるマチェットは一般的に刃付けがされていない状態だ。銃でばら撒いていたのが模擬弾だったことから予想していたが、君は武器にさほど殺傷性を求めていないだろう。だからマチェットの方も、入手したそのままの新品状態で、刃を研いでないものだと察しがついた。斬られた鞭の断面も、鋭利な刃物で切られたというよりは、強引に引き千切られたようなものだったしね。だから、手で受け止めるのも怖くないというわけだ」
いやいやおかしいだろう、と万里は声には出さずにツッコミを入れる。確かに冷静な推測と観察眼だが、理論上そうだからといって恐れずに刃物を鷲掴みにできるのは、また別問題のはず。人の渾身の一撃を、野球ボールをキャッチするくらいの気楽さで受け止められては困る。しかし、思えば某生徒会長も拳銃を平気で鷲掴みにしていたわけだから、今後はそういう非常識でクレイジーな行動をする相手に対しても動揺してはいけないようだ。
ともかく、失敗を悔いるのは後回しにして、まずは無礼にも人の上に馬乗りになっている敵を押し退けて仕切り直さなければならない。両手を押さえられてはいるものの、その力はお遊びかというくらいに弱い。払い除けられないほどの膂力ではない。
ところが、予想に反して行平の体はびくともしない。たいして力を出していないはずの行平、そんな彼にさえ抵抗できないほどに――万里は自身の体に力が入らないことに気づいた。
体が上手く動かせない。かろうじて小さく身じろぐことくらいはできるものの、その程度が限界だ。全身が痺れているような奇妙な感覚に支配されていた。無防備で無様な姿を晒していながら、ろくに抗うことができない。
「どうして……体が……」
狼狽する万里に向かって、行平は笑いながら種明かしをした。
「私の異能の用途を、敵の攻撃の略奪、そしてその放出による多彩なカウンターと、君は判断したのだろう。《武器庫》の異能者である君が、類似の能力を想起するのは自然なことだ。無論、それも正解だ。しかし、もっと単純な使い方がある。触れたものを吸収する私の異能《死の抱擁》は専ら、所謂エナジードレインに使用される」
それって、もしかして、ヤバいのでは? 絶体絶命という不吉な言葉が万里の脳裏に浮かんでいた。




