5どうして君が
「どうして君がここに!?」
思わず飛び出した驚愕の台詞は、桐子のそれと見事にかぶった。
いやいや、ありえない。なんでこんなところで騎士団の異能者とばったり再会するしかないんだ、と万里は愕然とする。歳が近いとは思っていたが、まさか同い年で、しかも同じ高校、同じクラスになるなんて夢にも思わなかった。
これが世に言う運命のいたずらという奴なのか。いや、いたずらにしてはタチが悪すぎる。眩暈がしそうだ。
万里が内心で不運を呪っていると、一足先に我に返った桐子が無言のまま視線だけで訴えてくる。
『ちょっと面貸しなさいよ』
『上等だ』
万里の方もアイコンタクトだけで応じ、桐子の友人らしい女子生徒が不思議そうな目で見つめてくるのを横目に教室を抜け出した。
昨今の学校はどこも屋上への立ち入りはできないのが常で、屋上に続く階段の踊り場は埃っぽくて人気がないと相場が決まっている。舟織一高もその例に漏れず、踊り場は薄暗く教室の喧騒から取り残されて静寂に満ちていた。
万里は充分に潜めた声で言う。
「なんでいるの、君」
「それはこっちの台詞です」
桐子は心底忌々しげである。
「悪の組織のメンバーのくせに、どうしてまっとうに公立高校に進学なんかしているの」
「今のご時世じゃ、悪の組織のメンバーだって高卒程度の学力は必要なんだよ」
「だったら裏世界の家庭教師でも雇って謎の英才教育でも受けていればいいでしょう」
「なんだよ裏世界の家庭教師って。いねえよそんなの。いたとしてもそんなん雇う金ねえよ。悪の組織は零細企業なんだから給料安いんだよ」
「ブラック企業だわ、これがほんとのブラック企業なのね」
「君の方こそなんでこんな進学校に来るんだ。秘密結社のメンバーは勉学に費やす時間なんてないんだから、こんな偏差値高いところ来るなよ。もっと下行けよ」
「ランク落としてここですから。もっと偏差値高いところは私立で学費が高いからランク落として公立に来てるの、ギリギリでここ受かったあなたとは違うの」
「勝手に人をギリギリで受かったって決めつけるなコラ」
不毛な応酬で徐々にヒートアップしてきた思考を、一度溜息で落ち着ける。
「……念のため確認するけど、何かの間違いとか他人の空似とかじゃないんだよな」
「違うわよ……どうしてあなたがいるのよ。私の平和で平穏なはずの高校生活にどうして敵がいるのよ」
「Oh my God!」とでも叫びたそうな顔で桐子が天を仰ぐ。嘆きたいのは万里も同じである。悪の組織のメンバーとはいえ、万里は現在十五歳。穏やかな高校生活を謳歌する権利はあるはず。裏稼業との両立は大変だけれど、多少苦労があっても二重生活を送る価値はあるはず――だったのに。蓋を開けてみれば、クラスメイトに敵がいる。平穏な日常など訪れるべくもない。何のために必死で受験勉強したと思っているんだ。
いや、まだ間に合う――万里の脳裏に天啓が舞い降りる。
「桐子、今からでも遅くないから別の高校受け直せ」
「遅いわッ!」
名案だと思ったら即座にツッコミを入れられた。
「やっと受験が終わったっていうのに、また私に受験勉強しろと? 冗談じゃないわ、あなたが別の高校に行けばいいじゃない」
「なんで俺がそんな面倒なことしなきゃいけないんだ。君は別にいいだろ、受験勉強の一つや二つや三つ。エリートなんだから、ベルトコンベアの如く流れ作業でパスするだろ」
「仮に受験がベルトコンベアだとしても嫌です。私、幼馴染と再会したの、クラスメイトなの。せっかく会えたのに、なんで会って五分で別れなきゃいけないの。あなた、友達いないでしょ、どこの高校行ったっていいでしょ」
「いちいち失礼な奴だな、俺にだって友達くらいいるからな」
「どうして悪の組織のメンバーがまっとうな交友関係を築けるの」
「今のご時世じゃ、悪の組織のメンバーにだって協調性と社交性が求められるんだよ」
当然ながら、お互い苦労して入試を乗り越えて来た身、しかも本日が入学初日である、いきなり退学しろと言われて「解りました」となるわけがない。だが安寧の高校生活のためには、どちらかが消えることが絶対条件。
かくなる上は、強制的に消すしかない。万里の思考は次第に物騒な方向へと舵を切る。殺しはポリシーに反する。しかしそれ以外なら何でもやる。手始めに階段から突き落として長期入院を余儀なくさせ、休んでいる間に悪辣な噂でも流して学校にいられないようにするというのはどうだろうか。そんな極悪非道なことを考えていると、桐子の方も瞳に冷たい光が宿っており、だいたい似たか寄ったかな陰謀を企てているだろうことがありありと窺えた。躊躇する必要はなさそうだ、と万里はタイミングを計る。
ピンポンパンポーン。
出鼻を挫くように校内放送が響いた。
『新入生の皆さん、まもなく開式の時刻となりますので、教室前で整列してお待ちください。繰り返します……』
互いに目を見合わせる。たぶん同じことを考えているだろうな、と思いながら、口を開いたのは万里が先だった。
「こんなんやってる時間、ないみたいだな」
「……そのようね。入学式終わってから考えますから、とりあえず保留で」
桐子が疲れ切った顔で同意した。
★★★
今まで謎に包まれていた敵のことが、突然ぼろぼろと解ってしまった。
碓氷万里、まさかの同級生。舟織第二中学出身、得意教科は数学、苦手教科は美術。趣味はボードゲームで特技は手品。
というのが、彼がクラスメイトの前で、桐子にだけは引き攣っていると解る笑顔で語った自己紹介の内容である。要らん情報ばかり増えた。
一年C組の生徒たち総勢四十名、それぞれが時にフレッシュに、時にユーモラスに、順々に自己紹介をしていくのを、桐子はそれどころではないので半分くらい聞き流していた。いや、これから一年間一緒に学校生活を送るクラスメイト達のことをよく知りたいのはやまやまなのだが、桐子には急遽、喫緊の課題が降って湧いてしまった。すなわち、後ろの席でさっきから背中にちくちくと鋭い視線で攻撃してくる不届きな輩をいかに穏便に排除するかという問題である。
手始めに階段から突き落として長期入院を余儀なくさせ、休んでいる間に悪辣な噂でも流して学校にいられないようにしようか、と桐子は考える。しかし、なんだか相手も同じようなことを考えていそうで、うまく行かないような気もする。
これから自分が平和に、教師たちの覚えめでたく、友達にも恵まれ、華やかな高校生活を謳歌することを考えると、学校で騒ぎは起こしたくない。階段からクラスメイトを突き落としている現場など万が一誰かに見られでもしたら全てが終わる。学校の中では、桐子はあくまで普通の女子高生にして淑やかな優等生。騎士団の異能者としての振る舞いをしてはいけないのである。
桐子が悶々と作戦を練っている間に、教壇では担任の男性教諭が――不覚なことに、桐子は焦燥のあまり担任の名前すら聞きはぐった――明日からの日程の説明をざっくり済ませて、早々に解散を宣言した。クラスメイト達は疎らに席を立ち、知り合い同士で昼食の相談をしたり、近くの席の生徒に軽いジャブを仕掛けて距離を測ったりと忙しい。それらを尻目に、桐子は努めて平静を装い、メモ帳に書き込みをしてページを破り取る。
帰り支度を済ませて席を立ち、帰り際に万里の机の上にそっと破ったページを滑らせた。
「桐子、お昼一緒に行こう」
「うん、行こ行こ」
鞄を肩にかけながら雪音が声をかけてくるのに、桐子は笑顔で応じた。
★★★
机の上に置かれたメモをそっと手に取って素早く視線を走らせる。
『午後十時、舟織運動公園第一駐車場』
簡潔すぎるメモだが、言わんとするところはすぐに解った。万里は唇の端を小さく歪めて笑う。高校生活始まって一日目にして、最初に受け取った手紙はラブレターではなく果たし状だったというわけである。上等だ、と万里はメモを折りたたんでポケットに仕舞い、何事もなかったかのように帰途に就いた。




