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43今回ばかりは譲れない

 敵は三人。それぞれ同じだけ注意を払い、桐子は警戒を強める。どこからでもかかってこいという気分で敵を睨みつける。

 ただし、この「どこからでも」というのは前方と左右、三人がいる方のみが想定されていた。足元でかさりと乾いた音がして、桐子ははっと息を呑む。見ると、びりびりに破れて地面に散らばっていた紙屑がわさわさと脚に纏わりついていた。倒した紙人形の残骸だ。桐子が舌打ちするのと作業着男が唇を歪めるのは同時だった。

 細切れの紙片は鎖のように連なって、桐子の両足を地面に縫い止める。万全の状態であれば、こんな紛い物の鎖など、引き千切ることは容易かっただろう。だが、いかんせん、今の桐子ではこんなものを振り払うことでさえ難儀する始末だ。

 逃げる暇を与えられないうちに、右方から巨体男が迫ってきた。巨体男は自分の体と同じくらい大きな槌――それも遺産のようで、何となく第六感が反応していた――を両手で振り上げる。頭上に落とされようとするヘッドを、掲げた警棒を両手で支えて受け止める。奥歯を噛みしめなんとか踏ん張るが、両手は衝撃でびりびりと痺れた。

 足止め、搖動とくれば次は本命だ。残っていた緑髪男が右手にフィンガーレスのグローブをはめる。何度か拳を握って開いてを繰り返し感触を確かめた後、緑髪男は桐子の鳩尾に拳を捻じ込む。さほど筋肉がついているとは思えない細腕は、ひょろひょろとしたパンチを繰り出した。しかし、接触した瞬間、爆発的な衝撃が襲い、桐子の体は後ろへ吹き飛んだ。

 見た目以上の威力に圧倒されて地面を転げるものの、すぐに立ち上がり、状況を分析する。作業着男の紙を武器化する能力はだいたい解った。紙を割と自由に操れるようだが、それだけだ。巨体男の槌は、重く頑丈でありながら所持者はその重さを感じることなく軽々と振り回せるといったところだろう。そして緑髪男のグローブは、拳の威力を数十倍に高められる力があるようだ。

 敵の力は把握した。桐子は殴られた衝撃で込み上げた血反吐を、大したことではないふうに吐き捨てる。

「異能が無ければただのガキだ、畳み掛けるぞ!」

 作業着男が吠え、敵は再び三方に別れる。先刻と同じ陣形、そして地面に広がる紙切れは再びかさかさと蠢き出す。あれに捕まると面倒だ。桐子は右手で警棒を構えながら、左手ではウエストポーチの中の得物を探る。

 畳み掛けられる前に追い詰めよう。桐子は右手の警棒を上へ放り投げた。

 バトントワリングのように、くるくる回りながら上空へ飛び上がる警棒に、緑髪男と巨体男が注意を引きつけられて視線を向ける。その時には既に桐子はスタートダッシュを決めている。

 唯一、解りやすい搖動に引っかからなかった作業着男が、紙吹雪を操って桐子を迎え撃つ。無数の紙片が舞い上がり、群れとなって突進してくる。桐子は左手でポーチから探っていた得物を前に突き出す。黒い持ち手の先に長い棒状のパーツが接続しているところは、愛用の警棒と似た形状だが、普段の警棒と違うのは、パーツの先端に穴が開いていること、そして持ち手の部分に引き金が取りつけられていることである。

 桐子は正面から飛んでくる紙片の群れに得物を向けて、スライド式の小さなロック機構を解除してトリガーを引いた。瞬間、先端部から火炎の渦が噴き出した。

 警棒にグラスバーナーを合わせた特殊武器は、スイッチ一つでお手軽に火炎を放射する。宙に舞っていた紙吹雪はバーナーに炙られて黒い炭と化す。

 男の異能では、紙を折って形を模せば本物の武器に化ける、というもの。だが、今男が操っている紙屑は特に何を模しているわけでもない、桐子が破壊した一つ目人形の残骸をリサイクルしているに過ぎない。壊したはずの武器が死角から再び襲ってくるという奇襲戦法は悪くないが、どんなに自由に操れたとしても、そもそもの素材が紙であり、そこから変異していないのなら火に弱いのでは、と考えたのだが、どうやら当たりだったらしい。

 灰燼に帰す紙屑を蹴散らし突進すると、作業着男は唖然と立ち尽くしている。普通、女子高生がバーナーを持ち歩いているとは想像しないだろう。が、生憎桐子は普通からかけ離れた女子高生であり、渋谷から連絡を受けた時、丁度仕事帰りだった。そういうときはだいたいフル装備である。

 空に放り投げた警棒に気を取られていた二人はそこでようやく視線を下に戻す。桐子は既に中央の作業着男の懐に潜り込んでいる。まず一人――作業着男の顎先をロッドで跳ね上げた。

 作業着男が仰け反り倒れる。右側の巨体男が先に我に返って、ハンマーを振り回し飛び掛かってきた。巨大な槌の重さを全く無視した軽快で俊敏なスイングが、桐子の手から武器を弾き飛ばす。それだけではない、槌は僅かに手にも掠ったらしい、それだけでも手首から先が千切れたかと錯覚するほど激しく痛んだ。桐子はそれを、しかしほんの僅かに顔を顰めただけでやり過ごす。

 巨体男はハンマーを素早く翻し殴りかかろうとする。そのすんでのところで、桐子は右手を上へ掲げる。その手の中に、狙い澄ましたかのように、先刻放り投げた警棒が収まった。警棒を投げた軌道は真上ではなく、僅かに山なりで、敵の間合いに入った瞬間降ってくるように計算ずくだった。掴み取った警棒を、そのまま巨体男の頭頂部に振り落とす。がつん、と確かな手ごたえがあり、巨体男はぐらりと傾ぐ。ハンマーは敵の手から零れ、ずしりと音を立てて地面に落ちた。

「この……!」

 残る敵を振り返れば、緑髪男が憤怒を全開に拳を固めるのが解った。渾身のパンチを打ち込もうというのか、手をぐっと後ろに引いて突進してくる。威力を数十倍にするグローブを使って全力で打ち込まれたら、肋骨が何本か、下手をすれば内臓までやられるかもしれない。

 しかし、威力を膨れ上がらせることができるとはいえ、それは拳が当たればの話だ。ならば対策は当然、拳の届く範囲の外から決着させるに尽きる。桐子は警棒を逆手に持ち替え水平に構え、投擲の如くに発射した。鋭く空を切る得物は敵の鼻骨に突き刺さる。緑髪男は鼻血を流して背中から倒れた。

 ほんの数十秒ほどの攻防の間に、一騎当千、不埒な敵をもれなく返り討ち。倒れた男たちを見回し、起き上がってこないと見るや、桐子はふうと息をつく。呻き声の三重奏を聞きながら、投げた警棒を拾い上げる。一気呵成に三人を片づけて、これで当面は安全なはずだと緊張が緩んだ。

「きゃあっ!」

 その間隙を突くように、後ろで悲鳴が響いた。弾かれたように振り返ると、隠れていた渋谷の後ろに何者かの影がある。桐子が三人に気を取られている間に、別の敵が息を潜めていたらしい。こちらの気が緩んだ瞬間を見逃さずに奇襲してきたらしい敵は、渋谷の首元に刃物を突き付けていた。

「こんなに大勢、わざわざ無駄骨を折りに来てくれてご苦労様。そっちが適当に潰し合ってくれたおかげで、こっちは労せず獲物を頂戴できる」

 耳慣れた声の主が誰かは、月光がその姿を露わにするまでもなく判った。

「万里!」

 最悪のタイミングで現れたのは万里だった。彼は桐子が駆け寄ろうとするより先に、素早く渋谷の首にかかるチェーンをナイフで切断して鍵を奪い取った。

「戦利品は俺がもらう」

 遺産を――視力を奪われた渋谷はふらふらとよろめいて、手探りで近くにあった木に辿り着いて崩れ落ちる。あまりにもあっけなく、遺産は万里の手に収まった。忽ち怒りが沸き上がり、桐子は敵を睨みつける。

「遺産を渡しなさい、万里」

 この男はいつもそうだ。人が苦労して遺産の前に辿り着いたところで、涼しい顔で横から掻っ攫う。とはいえ、敵に「正々堂々と戦え」と要求できるはずもないから、多少せこい手段を使われても、それ自体は、腹立たしくはあるものの、仕方がない、自分の未熟さがいけないのだと諦めがつく。

 だが今回ばかりは見逃すわけにはいかない。他の悪辣な連中から奪うのならまだしも、裏の世界とは無縁に生きてきた者から、その命綱というべき大切な物を奪って、それに何の良心の呵責も覚えず涼しい顔で笑っている――そんな非道は赦せない。

「その遺産は、あなたに渡すわけにはいかないわ」

「悪いけど今回ばかりは譲れない。さっさと解決しろって、救済社社長直々のお達しなもので」

 万里は相変わらず唇に笑みを湛えているが、目は笑っておらず、代わりに冷たい闘志が宿っていた。

「大人しく退け、桐子」

「誰が退けるものですか!」

 距離は二十メートル程度。異能などなくとも、この程度の間合いは数秒で詰められる。逃がしてなるものかと、桐子は考えるより先に走っていた。

「そう、なら仕方がない……残念だ」

 万里はつまらなそうな、軽蔑したような目で一瞥をくれると、右手のナイフをほんの瞬きの間に銃に持ち替えていた。

 銃口が立て続けに弾丸を放つ。乾いた音が聞こえるのとほとんど同時に、左手と両足に激痛が走った。桐子は転ぶようにして膝をつく。顔から地面に突っ込む前に、手をついてなんとか体を支えるが、その衝撃で腕は酷く軋んだ。苦痛に顔を歪めるが、呻き声は奥歯を噛み締めることでなんとか堪えた。

 万里が桐子を見下ろし、冷めた調子で嘲る。

「舐められたものだな。そんな状態で、君が俺に勝てるわけがないだろう」

「煩いっ」

 言われなくとも解っている。普段の勝率は五分五分程度。相手はいつも《神速撃》の速度に対応してくる手練れだ。手負いの上に異能もまともに使えない状態で太刀打ちできるわけがないことは解りきっている。それを解っていながら、桐子はただ無策に、ただがむしゃらに、立ち上がった。勝てないなんて認めたくない。

 しかし、諦めないだけで何とかなるわけではない。それなのに、ただ立って、それでどうするつもりだろう。自問して、桐子は自分で自分に腹が立って、うんざりして、悔しくて歯噛みした。

 精神論で何とかなる相手ではないのに、どうして無謀に立ち向かおうとするのか――桐子は心のどこかで期待していたのだ。敵ではあっても、万里は他の連中とは、たとえば後ろで唸っている三人たちとは違うのだと。ただ自分の欲得のために無辜の人を傷つける奴らとは違う、言葉が通じる相手だ、だから何とかなるのではないかと、無意識のうちに甘えていたのだ。なまじ休戦協定など結んで表の顔を見知ったせいで、勘違いをしていた。

 だが、今思い知った。そんなはずがなかったのだと。万里は敵だ。他の奴と同じ、ただの敵。欲のために遺産を蒐集する救済社の異能者であり、遺産を奪われた者がどうなるかなど一顧だにしない、そういう男だ。

 どうしてこんな男に期待してしまったのだろう。自分の愚かさと敵の卑劣さを呪いたくなり、桐子は怨嗟の言葉を吐き出す。

「この……外道め」

「言いたいことはそれだけか? なら、俺は行くよ」

 万里は銃を引っ込め、鍵を手の中で弄びながら踵を返し、闇の中へ去っていく。

 それを引き留める気力は、桐子には残っていなかった。

 渋谷は木に凭れてへたり込んでいる。目を開いているが、何も映っていないせいか、怯えた表情で身を縮めている。桐子の情けない姿は、渋谷には見えていなかった。

「――くそ、救済社の野郎、急にしゃしゃり出てきて遺産を奪っていきやがって」

 口汚く罵る男の声を背中で聞く。緑髪男の声だ。若干、滑舌の悪い濁声になっているのは、鼻に甚大なダメージがあるせいだろうか。

「だが、このまま手ぶらじゃ帰れねえ。お嬢ちゃん、あんたが持っている遺産の情報、洗いざらい吐いてもらうぜ」

 さっきまで仲良く倒れていたのに、男たちが次々と態勢を立て直す。一度ノックダウンしたのだから、大人しく逃げ帰ればいいものを、一撃くらっただけでは懲りなかったらしい。状況は再び三対一、しかし不思議と、桐子は恐怖や焦りや危機感を覚えていなかった。静かに振り返り、冷徹な瞳で一睨みして、再び戦意を漲らせようとする男たちを黙らせる。いい年をした大人が三人も揃って、それでも射竦められてしまうほど、桐子の瞳は深い闇色に染まっていた。

 確かに今の桐子は体も心も手負いで、忌々しい仇敵に手も足も出ないくらい情けない状態には違いないが、それでも。

「あなたたち如きに後れを取るほど堕ちてはいないわ。思い上がるな、三下共」

 手負いの熊が一番怖い。今の彼女はとても気が立っていて、雑魚相手に手加減してやる心の余裕はない。

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