42あまり紳士的でない連中が
大量の白い気色悪い怪物を連れた男と対峙し、桐子は軽蔑全開で吐き捨てる。
「女の子相手に多勢を引き連れて恐喝? 最低な奴ね」
「君は確か、昼間も邪魔をしてくれた女だな。君も鍵を狙っているのか」
その言葉から、図書館ではした金で雇った男に渋谷を襲わせた黒幕はこいつだったのだと解り、桐子はますます表情を険しくする。
「あなたのような下衆と一緒にしないでもらえるかしら。この気味悪い怪物は、あなたの遺産の力ね」
「そう。異能によって作り出した『白面兵士』だ。俺の《贋作騎士》の遺産は、紙から武器を作り出すことができる。刃物の形に折れば、実際に肉を断つことのできる刃を作り出す」
「つまり、この不格好な怪物はあなたが失敗した折り紙のなれの果てということね」
「失敗じゃない、意図してこの形だ!」
このブサイクな一つ目怪物が、失敗じゃなくてなんだというのだと、桐子は男の言動を胡散臭く思う。男は気を取り直すように咳払いをする。
「ともかく、この遺産の素晴らしいところは、あらゆる武器を『紙』として運搬できることだ。軽いし嵩張らないからいくらでも持てる上に、金属探知機にも引っかからない。私との適合率は七十%、このレベルともなれば、自律駆動する人形兵器を作るくらいは容易い」
「御託を並べるのは結構ですけれど、これが全部作り物だというのなら、壊すことに一切の躊躇はありませんから」
そう言うや、桐子は後ろを振り返る。男との会話の間に、後ろにいた紙人形が一体、音もなく忍び寄り飛び掛かってきていた。気づいた渋谷が悲鳴を上げかけるが、その前に桐子はベルトから警棒を引き抜き、人形の目玉を突いていた。衝撃で人形が吹き飛び、土の上をゴロゴロと転がる。土に塗れて停止すると、風船のようにパンと弾け、後にはびりびりに破れた紙だけが残った。遺産で武器化されているため、ただの紙よりは強化されているが、それでもたいした強度ではない、と判断する。
「先輩、隠れていてください」
「上原さん、でも、あんなにたくさん」
「大丈夫です」
力強く頷いてみせると、不安そうな顔をしつつも、渋谷は静かに後退り、離れたところの木の陰に隠れる。
桐子は男と大量の紙人形たちに向き直り、警棒を構え直す。
「蹴散らしてあげるわ。かかっておいでなさい」
★★★
見上げれば、月が明るく、星の光が霞んだ空があった。空が雲で覆われて暗い日は悪党が出るにはうってつけだが、だからといって、月にしっかり見張られているときには仕事をしないというわけではない。ことに、事態が一刻を争うものとなっている場合は、天気を選んでいる暇はない。万里は目的の場所へと早足に向かう。
業務用端末からは、本部でバックアップを担当している二人からの業務連絡が聞こえてくる。
『お兄、監視ドローンが、あからさまに怪しい奴を複数人捉えたよ』
『夜中に女子大に近づいてく連中、絶対遺産目当ての保持者だろ』
淡々と告げる琴美と、怠そうに感想を述べる輝、二人からの情報により、状況は何となく把握できた。昼間から怪しげな暗殺者が動いていたが、夜になったらもっと怪しい連中が湧いたらしい。
桜泉女子大の敷地に踏み込むには、二十四時間常駐している守衛の前を通ることになるはずだし、塀を無理に超えようとすればセンサーに引っかかる。後ろ暗い連中は表立って騒ぎを起こすのを避けて、強引にセキュリティを突破してくることはないのではと、うっすら期待していたのだが。いったいどうなっているのだろうと思いながら、万里は正門にひっそりと近づいてみる。遠目に覗き見る限り、正門のすぐ脇にある守衛室には明かりがついているが、肝心の守衛の姿は見えない。思い切って接近してみれば、部屋の中で守衛が倒れているのが見えた。気を失っているようだった。
それから守衛室に取り付けられた防犯カメラを見上げる。本来なら門を行き来する人間を監視できるようにと取り付けられたはずのカメラは、しかし今、明後日の方向を向いていて、角度から言うと天体観測をしているような具合だ。誰かがカメラの向きを勝手に変えたらしい。
敵はどうやら、なりふり構わず雑な手段で遺産を狙うことにしたらしい。救済社が常に、表社会に事が露見しないように気を遣いまくって仕事をしているのが馬鹿らしくなるくらい、あまりにも強引で強硬な手段だ。
「成程、あまり紳士的でない連中が食いついたらしいな」
『通報しとく?』
「やめとけ。話がややこしくなる」
『じゃあお兄、少しは急ぎなよ。先を越されるよ?』
「さて、どうしようかな。適度に潰し合ってくれたところに乗り込むというのも一つの手なんだけど」
ここから先どう動こうかと考えていると、ポケットの中でスマホが震えた。プライベート用の端末だ。
琴美たちとの会話を続けながら、万里は届いたばかりのメールを確認する。タイミングのいい朗報に、万里は小さく笑う。
少々乱暴な敵が絡んできてはいるものの、ここまでの展開は、そう大きくは予想から外れていない。おおむね順調、そして今の連絡。頃合いだろう。
「琴美、輝。通信終了だ。渦中に乗り込んでくる。いつも通り、プランAで」
★★★
最後の一体を無造作に蹴り飛ばして、桐子はふうと息をつく。あたりには無数の紙片が散らばっている。作業着男は引き攣った表情を浮かべていた。
「わ、私の傑作を、よくもまあこんなにあっさりとばらばらにしてくれたものだな!」
白い人形たちは、数は多いし人間らしくない動きをするし四方八方から襲いかかってきたのだが、攻撃のパターンは一つだけ、両手をナイフのように鋭く尖らせ斬りかかってくるのみだった。その上防御力は皆無で全力でぶん殴ればすぐに破裂して紙切れに戻る。ゆえに対処方法は単純、片端から薙ぎ倒すだけだ。紙で形を模しただけで全く違う物質に変換できるという異能は驚異的なはずなのに、なぜこんなにも雑魚が生まれてしまったのか。それはひとえに、男に折り紙の才能がなかったせいではなかろうかと桐子は踏んでいる。
「まだやるつもりかしら」
邪魔な人形の軍勢は一掃した。まだ戦うつもりなら、今度は直接その頭に一発お見舞いしてやると、桐子は男に得物を向ける。作業着男は悔しげに歯噛みをしている。
その時、目の前の男とは別の気配を察知し、桐子は警戒を引き上げる。
横合い、木立ちの間から風を切る音と共に何かが飛んでくる。闇に紛れて奇襲してくるそれを、桐子は月明かりを頼りにかろうじて認めると、直撃の寸前に右手の得物で叩き落とした。
地面に落ちたのは小ぶりのナイフだった。やがて落葉を踏み鳴らしながら姿を現したのは、驚くほど人工的な緑色に髪を染めた男だった。緑髪男は性格の悪そうなニタニタとした笑みを浮かべながら乱入を宣言する。
「楽しそうなことやってんじゃん。俺も混ぜてくれよ」
「次から次へと、よく湧いてくるものね。もっとも、どれだけ仲間が増えたところで、結果は変わらないわ」
「仲間? まさか。俺はそっちのにーちゃんとは初対面の他人。まあ、遺産を巡るライバルだな。けど、あんたを倒さないと先に進めないって奴だろ? だったら、一時的に手を組んで、まずは厄介なあんたを動けなくして、それからゆっくり遺産の保持者を料理する方が合理的だ」
そうだろう、と緑髪男が闇に向かって声を掛ける。桐子がはっと振り返ると、もう一人、闖入者が顔を出す。二メートルはあろうかという巨体を揺らす男が、右手でずるずると大型のハンマーらしきものを引きずりながら近づいてきて、溜息交じりに言う。
「勝手に俺のことをばらすんじゃねえよ。奇襲しそびれたじゃねえか」
「その図体で奇襲とか非現実的なこと言うなよ」
「ふん、まあいい。利害は一致した。さっさと済ませよう」
よからぬことを企む三者が、損得勘定で結託した瞬間である。
紙を武器化する作業着男。能力不明の緑髪男に巨体のハンマー男。桐子は舌打ちしたくなるのを堪える。ちらりと後ろを窺うと、樹の陰に隠れた渋谷が不安げな面持ちでこちらを見守っている。
大丈夫、と訴えかけるように一つ頷いてみせ、桐子は改めて三人の敵と対峙する。
「何人集まろうと、結果は同じよ」
「さて、それはどうかな?」
緑髪男は妙に余裕な態度で言う。
「俺は少し前からあんたの戦いを見させてもらっていた。そっちのにーちゃんは形勢不利で焦ってて気づかなかったかもしれないが、岡目八目って言ってな、傍から見てた俺には丸わかりだったぜ。あんたの戦闘能力は確かに高い。若いお嬢ちゃんにしては並外れている……が、人間の領域を超えるほどじゃない。最初のうちは尋常でなく速い動きで紙人形を捌いていたが、途中からは、高速ではあったが、異常ってほどでもないくらいの速度に変わった。要は、あんたはにーちゃん相手に、途中から異能で戦ってなかった。あんた、異能が使えないんだろ?」
緑髪男の問いに、桐子は表情を変えない。
「勿論、異能者じゃないって言っているわけじゃない。最初の動きは異能っぽかった、それは間違いない。ただ、現状、なんらかの事情で異能が使えないってわけだろ。遺産を前にして、舐めプする必要があるとも思えないから、使わないんじゃなく、使えないに違いないだろうさ。たとえば、異能を使いすぎてエネルギー切れになったとかな」
この緑髪男は、ファンキーな色の頭をしているくせして、意外と切れ者かもしれない。桐子はポーカーフェイスを装いながらも、内心では図星を突かれたことに焦りを感じていた。
緑髪男が指摘したことは殆ど正解だった。オフィスからここまでの距離を二十秒で駆けつけるには、《神速撃》、「音速姫」の名のとおり、音速で走る他ない。それはまさしく桐子の全力である。普段の戦闘ではそこまでの本気は滅多に出さない。全力の走りは消耗が激しく、体にも負担がかかる。その全力疾走をやって、そこから殆ど間を置かずに戦闘開始。相手は雑魚だったが、いかんせん数が多すぎた。一体たりとも逃さず、渋谷に一切近づけずに撃退するために、桐子は異能力を使い続けた。使い過ぎて、使い切った。作業着男は「白面兵士」をあっさり破壊されて焦っていたようだが、実のところ桐子の方も焦っていたのだ。
桐子は異能を限界まで使ってしまった。根性は大事だが、根性ではどうにもならないのが燃料問題である。異能力に割けるエネルギーは有限だ。現在の桐子の状況は、例えるなら、HPゲージは満タンなので殴る蹴るは普通にできるが、MPゲージは空っぽなので特殊攻撃は一切できない、みたいなものだ。だというのに、ここにきてゲージ満タンの敵が増えた。ここからの戦闘では、異能に頼らない体術のみで、三人の不埒な輩を撃退する必要がある。
やれるだろうか、という自問を浮かべるが、すぐさま頭を振って、意味のない問いを振り払う。やるしかないのだから、考えたって仕方がない。
思いがけない窮地に、桐子がいつになく焦る一方で、結託した三人の男たちは桐子の弱体化を知るや戦意を漲らせ、襲いかかるタイミングを計り始めていた。




