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39心当たりあるか

 遺産の力を使いこなせるかどうかは、相性や適性に因る。それをざっくり数値化したものがいわゆる適合率で、これが九十%を超えると、遺産と使用者は一体となり「異能者」に進化する。適合率は使用者の身体状況や精神状態に左右されることが解っている。要は、使用者が体を鍛えたり精神的に成長したりすると適合率が上昇し、異能者になることもありうるというわけだ。

 異能者になれるかどうかの境界線は「適合率九十%の壁」などと呼ばれていて、超えるのが難しい一方で、一度超えればそこから落ちることは滅多にない。異能者として覚醒すれば、遺産が体から分離することは殆どないと言ってよい。その瞬間、遺産は誰にも手が出せなくなる。

「異能者……って、誰でもなれるものじゃ、ないのよね」

「相性があるんですよ、遺産って。たとえば、異能者って、必ずしも正義感が強い人とか、清廉潔白な人ばかりじゃないんです。不思議なもので、人間と同じように、遺産にも意思とか性格とかがあるのかも、なんてことも言われていて、好戦的な人やあからさまに犯罪に手を染める人の方が相性がよくて使いこなせちゃうなんてこともザラです。ただ、私の直感ですけれど、その鍵はそういうのじゃないと思います。たぶん、先輩との相性はいいはず」

「私とこの鍵の、性格が似ているってこと?」

「ざっくりいうと、そんな感じです。お祖父さんを経由して鍵が先輩の手に渡ったのは、まったくの偶然というより、鍵が先輩に惹かれて現れたというのもあると思うんです」

「私はどういう性格に見えるかしら」

「会ったばかりの私がこんなことを言うのはおこがましいでしょうけれど……優しい人だと思います。自分のことより先に、他の人のことを考えて……そうじゃなきゃ、『他の人がどうなったって、この鍵は自分の大切なものだ!』って迷いなく言い切っちゃいますよ。たくさん考えて、迷って、でも最後にはちゃんと自分の信じる道を選べる人だと思います」

「ふふ……面と向かってそんなふうに言われちゃうと、なんだか恥ずかしいわ」

 出過ぎたことを言ったと、桐子の方も頬を赤く染める。

「私は、自分のことをそういうふうに思ったことはなかったわ。ただ……そうね、人よりも少しだけ、毎日を後悔しないように一生懸命生きようって、意識しているかもしれない。事故に遭ったせいかな……あの時、奇跡的に生き残ったけれど、死んじゃってもおかしくないくらい大きな事故だったのよ。人って、突然明日死んじゃうこともあるんだって、身に染みたの。だから、後悔だけはしないように、いろいろと考えてる。深く考えすぎて、優柔不断だなんて友達には言われるのよ」

 真里菜は苦笑気味に言う。それからふっと真剣な表情を見せ、小さく呟いた。

「今までなあなあにしていたこの奇跡と、ちゃんと向き合うべき時が来た、そういうことなのね」



 ひとまず桐子は、渋谷の持つ遺産について詳細な情報を得る必要があると判断した。情報が増えれば渋谷が異能者となるためのヒントになるだろう。遺産の情報といえば、まずあたるべきは目録である。可能性は半々だが、渋谷の鍵が騎士団の目録に記載されているかもしれない。

 目録を調べるため、桐子は渋谷と一旦別れ騎士団の拠点に向かうことにした。連絡先を交換してから桐子は図書館の前で渋谷と別れる。

「何かあったら連絡してください。三十秒で駆けつけます」

 渋谷が館内に戻って行くのを見送ると、桐子はバス停に向かう。

 路線バスに揺られてオフィスに着いた時には、時刻は午後二時を回っていた。桐子が三課に駆け込むと、オフィスに詰めていた課長の永倉が気づいて、軽く驚いて立ち上がった。

「あれ、上原君。ミーティングまでまだ時間があるけど」

「あ、課長、お疲れ様です。ちょっと、目録データの閲覧をしようと思いまして」

「何かあったのかい」

 桐子は図書館で偶然、遺産の保持者が襲われる現場に居合わせたことを説明した。話を聞くにつれ、永倉の表情は険しくなる。

「その不審な男は、異能者?」

「お金で雇われただけで、異能者どころか遺産のことも知らない、ただの不良ですね、あれは。裏で糸を引いていた奴は、遺産だと解った上で狙わせたんでしょうけれど」

「裏で手を引いているのは誰だろうね。救済社が先手を打ったんだろうか」

「そこまでは解りませんが……」

 ただ、桐子は個人的な意見として、救済社らしくはない手口だな、と考えていた。たとえば万里なら、わざわざ事情を知らない不良を金で雇ったりなどせず、自分で直接動きそうなものだ。しかしそこまで考えてから、自分は万里――敵の何を知っているんだと我に返る。万里の行動を語れるほど、桐子は万里を知らない。知りたくもない。

 永倉が安堵と憂欝の混じった深い溜息をつく。

「上原君が近くにいてよかった。それで、渋谷真里菜の遺産は回収できたのかい」

「ええと、実は……いきなり遺産だの異能だのと説明しても、なかなか信用してもらえなくて、説得に時間がかかっています」

「渋谷真里菜は、所持していたものが遺産だと自覚していなかったのか」

「そのようです。まあ、自覚していたら不用意に写真に写らないでしょう」

「確かに、そうだな」

 どうしたものかねえ、と永倉は疲れた調子で呟き椅子に腰を下ろす。桐子は表情を変えることなく、内心では胸を撫で下ろしていた。どうやら永倉には怪しまれていないようだ。

 実は渋谷から遺産を回収するのには反対でして、などと言い出したら、絶対に面倒なことになる。桐子個人としては、あの遺産は渋谷に必要なものだと考えている。彼女が遺産を悪用するとは思えないから、無理に回収することなく、早急に渋谷に異能者になってもらうべきだと思っている。だが、永倉がそんなイレギュラーな対応を認めてくれるか確証はない。ゆえに桐子は、説得に時間がかかるということにした。騎士団としては、遺産のことを知らず偶然所持していた人間から、強奪紛いのことをするわけにはいかない。これで少しは時間が稼げるだろう。

「それで、ひとまず対策を練ろうと思って……遺産の詳しい情報が知りたくて」

「ああ、それで目録の閲覧か」

 目録の原本は厳重に保管されていて下っ端構成員の桐子はお目にかかれないが、目録の内容はデータベース化されていて、桐子でも自席のパソコンで閲覧できる。いつ何時、遺産に出くわすか解らないので、時間がある時には目録に目を通している――《満月の聖杯》のときはそれが役に立った――が、すべてを把握しているわけではない。詳細不明の遺産に遭遇したときは、目録からその遺産を探し出す必要がある。とはいえ、目録のページは散逸してしまっているので、騎士団が保有している目録に記載があるかは賭けである。

 あまりゆっくりはしていられない。金で雇われた男は遺産の強奪に失敗した。雇った側は次にどう動くだろう。別の人間を使うか、それとも今度は自分で動いてくるのか。

 加えて、救済社の動きも気になる。騎士団と並ぶほど目録のページを保有している救済社の方に渋谷の遺産の記載があれば、救済社は渋谷の存在に気づいているかもしれない。仮にそうだとすれば――価値の高い遺産の情報がある時は、たいてい万里が動いていた。彼に奪われる前に、なんとしてもあの鍵を真に渋谷のものにしなければならない。

 他の敵よりも早く、そして味方にさえも真意を悟らせずに――桐子は密かな決意を胸にパソコンの電源を入れた。


★★★


 四時に勤務を終え、渋谷真里菜は図書館を出た。いつもなら、近くのスーパーで買い物をして帰るところだが、大事に至らなかったとはいえ、昼間に見知らぬ人間に刃物を向けられたばかりだ、あちこち出歩く気分にはなれない。寄り道せずに帰ろうと、渋谷は足早にバス停に向かった。

 駅前のバス停で時刻表を確認すると、桜泉女子大方面に向かうバスは、あと十五分ほどで来るようだった。一人では不安になるところだが、幸いバス停のベンチには先客がいた。清潔そうな白いワイシャツを着た少年で、怪しい様子ではなく、後から来た渋谷の方には特に注意を向けず振り返りもしない。普通のバスを待っている客のようだ。図書館では、書架の陰の死角に誘い出されてしまったが、ここなら人の目もあるオープンな場所だ、いきなり刃物を持った人間が暴れ出すようなことはないだろう、と渋谷は安堵する。

 渋谷は先客から少し間を空けてベンチに腰掛けて息をついた。今日一日は、情報量が多すぎて、頭がパンクしそうだった。流石に疲労を感じずにはいられない。明日がバイトのない日であるのが、不幸中の幸いだった。

 買い物をせずに帰って、はて、寮の部屋の冷蔵庫には何があっただろうかと、渋谷はつとめて日常的なことを考える。その時、先客の少年が独り言のように呟いた。

「見えるはずのないものが見える力を持つ鍵って、心当たりあるか」

 渋谷はどきりとして少年を振り返った。今の言葉は、自分の鍵のことを言っているとしか思えなかった。渋谷は驚きを隠せず、そして彼女のその表情を見た瞬間、少年はふっと笑った。

「自覚アリ……やっぱりその鍵は当たりだな」

 それで渋谷はようやく、カマをかけられたのだと気づいた。遺産だの異能だのを知らない人間なら、少年の独り言に驚くことはない。「何か変なことを言っているな」くらいにしか聞こえない。だが、渋谷は大きく反応してしまった。それは、渋谷が持つ鍵が遺産であると、少年に確信させるには充分な反応だったろう。

「ふんわりレーダーの反応が悪いから半信半疑だったけど……あんまり使ってないでしょ、その鍵」

「あなたも鍵を狙っているの」

「も、ってことは、既に敵が接触済みか。まさか、桐子じゃないだろうな」

「上原さんのことも知っているの?」

 桐子の名前を出した途端、少年は心底嫌そうな顔で舌打ちをした。

「俺は碓氷万里。桐子とは敵同士。まあそれはともかくとして、その遺産のことだけど。強引に奪われるか自分から差し出すかの二択の方向で検討しているんだが、どうだろう」

 どうもこうもないような酷い選択肢を提示して、碓氷万里は不敵に微笑んだ。

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