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36明日から夏休みだから

 金曜日の夏季休業前全校集会は、昼前に終了した。二学期制を採用する舟織一高ではまだ前期が終了していないので、夏休み前の集会を公式では頑なに「夏季休業前全校集会」と呼称するが、生徒側は長くて面倒なので勝手に「終業式」と呼んでいる。実際には終業式は別に存在するのだが、生徒にとってはどちらにしても「午前で放課になる楽な日」という認識でしかないので、細かいことは気にしない。

 教室でのホームルームも終了したところで、万里は清々しい気分で伸びをした。明日から夏休み。一か月とちょっと、登校しなくていい。所属する演劇部は、本当にそれでいいのかと心配になるくらい活動がゆるいので夏休みは特に何もしないという。これが何を意味するかと言えば、プライベートで桐子と会うことがないということだ。

 敵組織の人間と毎日教室で顔を突き合わせ、放課後の部活でも一緒になり、ぼろが出ないように振る舞うのは、それなりに緊張感を伴うことで、ざっくりいうととても疲れるのだ。それがなくなるのは、万里にとっては久しぶりの解放的な気分であった。おそらく桐子の方も似たようなことを考えているだろう、と万里は想像している。

 教室の清掃を終えたら、今日はもう部活もない。万里は鞄を肩にかけ、さっさと帰途に就く。

 夏休みの予定は特に決まっていない。だが、ふだん普通に学校に通わせてもらっている上に部活までさせてもらって、仕事の方をだいぶ融通されているわけだ。夏休みともなれば、ここぞとばかりに仕事を押しつけられるに違いない。

 今のうちに、今後の仕事に備えて、まずは夏休みの課題を片づけてしまうべきだ。与えられた課題は、まずは主要教科のワークブック。英語だけでライティングとリーディングで二冊もあるし、国語にいたっては現文・古文・漢文で三冊もある。おかしい。読書感想文はそこそこ時間を取られそうだし、なぜか家庭科まで課題を出してきたせいで妹に教わりながら裁縫をしなければならないことも確定している。

 これら大量の課題を、できれば七月中に片付けたいと目論む万里は、綿密な作業スケジュールを頭の中で練りながら歩道を歩いていた。前後を歩く生徒は、同じ量の課題を与えられているとは思えないくらい、楽しそうに遊ぶ予定を友人たちと話し合っている。これがブラック企業でバイトしているか否かの差なのか、と万里は世知辛く思う。

「はあ……夏休みといっても、気楽じゃいられないな」

 そんなことを一人ごちながら、万里は徐に、駅へのルートを外れて脇道に入った。

 下校する生徒たちの波から外れて人気のない細道を早足で進む。すると、慌てて追い縋ってくるような足音が響くのが解った。

 校門を出た時から、人波に紛れるようにして着いてくる奴がいるような気がしていた。試しに何度か歩く速度を変えてみた。遅く歩けば、後ろの生徒は脇をすり抜けて追い抜いて行くし、早く歩けばその分後ろとの距離が開く。そんな中、一つだけ、つかず離れず、万里との距離を保ったまま様子を窺ってきているような奴がいた。撒こうとしてみれば案の定慌てて追ってきた。やはり気のせいではなかった。

 白昼堂々付け狙ってくる奴、と考えて、万里は一人、心当たりがあった。

 何度か角を曲がって追跡者の視界から消えて、物陰に隠れて息を殺す。目標を見失った間抜けな男が道の真ん中で立ちつくしきょろきょろとあたりを見回している。

 その背後に忍び寄り、万里は《武器庫》から抜いた銃を男の後頭部に突きつけた。

「遊びは終わりだ」

 低い声で脅しつけるようなことを言ってから、万里は少し考えて付け加える。

「早く家帰って宿題しろ、輝(テル)」

 すると、降参と言うように両手を挙げて振り返って、篠崎輝がむくれた顔を見せた。

「ちぇ……気づくの早すぎだろ」

「輝の尾行がド下手くそなんだよ」

 呆れた調子で酷評してから、万里は銃を下ろす。

 篠崎輝は、万里の三つ年下、琴美と同じ中学一年生の少年である。万里と同じく救済社に所属するエージェントだが、異能者ではないので、もっぱら超常的な能力には頼らず任務を遂行するが、尾行は壊滅的に下手である。「打倒万里」を勝手に目標に掲げて、時々奇襲を仕掛けてくるが、万里はその尽くを返り討ちにしている。なぜ今日に限って下校途中に襲ってきたのだろうと考えて、成程、中学の方が一足早く夏休みに入って暇だったからだな、と万里は合点がいった。

「くっそぅ。次こそは、打倒万里! 絶対勝つからな」

「あのなあ、言うまでもないことだけど、俺の方が輝より年も上だし会社での立場も上だからな。上司とまでは言わないが……そうだな、万里先輩と呼ぶくらいはしてもいいんだぜ」

 冗談めかしてそう言うと、輝は案の定「冗談じゃない」と憤慨した。

「ほら、遊んでないで、連敗記録だけ書き留めて早く帰れ」

「別に遊んでるわけじゃないさ。尾行の練習ついでに呼びに来たんだよ。会議だよ、会議」

「会議? そんな予定あったっけ」

 会社には行かずにアパートに戻ろうとしていた万里は首を傾げる。

「急に思い立ったんだって。明日から夏休みだから、その前に注意事項を、って」

「終業式の校長先生じゃないんだから……」

 社長・在処の思い付きには困ったものだと万里は呆れる。だが、輝は思いのほか真面目な顔で続ける。

「割と重要な話っぽいぜ。『破壊庁(サブヴァーシヴ)』が活動を本格化して、保持者(ホルダー)潰しの異能者を投入したとか、なんとか」

「……へえ」

 それは確かに重要な話らしい。万里は面倒なことになる予感を抱きつつ、進路を救済社へ変更した。




 夏休みに入ったせいかやたらとテンションの高い輝に先導されて会議室に入ると、琴美と在処が既に席について待っていた。輝と同じく既に夏休みに入っている琴美は制服姿ではなく、オフィスカジュアルの概念が存在しないらしくTシャツ姿だ。しかし、年齢不詳の美人社長・在処の方にいたっては暑さのせいか浴衣姿なので、この場にはビジネスマナーなど存在しないようだ。

「揃ったわね」

「じゃ、とっとと済ませようぜー」

 輝は琴美の隣の席にどかっと腰を下ろし、社長の前でも物怖じすることなく率直なことを言う。

「なに、会議って、メンバーこれだけ?」

 怪訝に思いながら万里は輝たちの向かいの席に座る。集められているのは救済社の構成員の中でも、若手も若手、現役十代ばかりである。これでは本当に、まるで夏休み前の校長先生の話みたいではないか。

「事情が事情で、あまり大々的に話すわけにもいかないのよ」

 在処が思わせぶりなこと言うので、何かきな臭い話じゃないだろうな、と万里は警戒する。だが、それを見透かしたように、「別にシリアスな話じゃないのだけれどね」と在処は前置きした。

「とある遺産への対処をお願いしたいのよ。名前は《姫巫女の瞳(ミスティックゲイザー)》」

「そんなの、目録に載ってたっけ」

 蒐集対象が記述された目録は、救済社が保持している分には一通り目を通してあり、全部を完璧に覚えているわけではないが、《姫巫女の瞳》というのはまるで聞き覚えがなかった。

 その種明かしは、在処がさらりとしてくれた。

「うちの目録にはないわ。ただ、目録が散逸する前に、ちらりと見た覚えがあるのよ」

 目録の散逸前というと、かれこれ三十年ほど前ということになる。つまり、在処の黴が生えそうなくらい古い記憶だけが頼りというわけだ。そこからもう、万里のモチベーションは下がった。

「念のため確認するけれど、とりあえず《姫巫女の瞳》なる遺産は在処の妄想の産物ではなく、確実に実在はしているんだよな」

「失礼ね、実在はしているわよ」

 在処がむっと頬を膨らませる。だがその不機嫌顔も長くは続かず、すぐに自信なさげな表情になる。

「ただ、形状とかはうろ覚えで、今回目をつけているのが本当にそれなのか、自信はないの。特に不可思議な現象が観測されているわけでもないし。だからあなたたちを呼んだのよ。こんな適当な情報じゃ流石に、大きく部隊は動かせないわ」

「徒労に終わる可能性が大きいから、そうなっても文句を言わないメンバーを動かす、と」

「身も蓋もない言い方をすればそうなるわ」

 在処を慕う琴美と能天気な輝は、彼女の話に真顔でうんうんと頷いている。この中では一番ひねくれている万里が唯一頭痛を感じながら内心で「ブラック企業め」と悪態をついていた。

 気を取り直すように万里は問う。

「で、どういう能力の遺産なんだ」

「とてもいろいろ見える能力よ」

「なんだ、そのざっくばらんすぎる解説は」

「うろ覚えだけれど、適合率によっていろいろ見えるんだったと思うのよね。透視とか千里眼とか、過去視とか未来視とか。見ることに関する能力なのは間違いないけれど、どこまで使いこなせるかは相性次第ね。で、その遺産……っぽいものを所持している人間が見つかったの」

 自信なさげに在処は一枚の写真をテーブルの上に滑らせる。それは幾人かの男女が写った集合写真だった。新聞の切り抜きか何からしく、写真は白黒だ。その中の一人、長い髪を腰まで伸ばした女性を在処は指差した。

「対象の名前は渋谷真里菜。大学一年生よ。小さいけれど、首元が見えるかしら」

 ワンピースを纏った渋谷真里菜は、首飾りをかけていた。まじまじと見つめると、小さくてはっきりとは解らない上に白黒で不鮮明ではあるものの、首飾りには、その中央に鍵のようなモチーフがついているようだった。鍵の持ち手に当たる部分には石が嵌めこまれているように見える。

 万里はようやく理解する。在処はこの首飾りが遺産っぽい、と踏んでいるらしい。だが、いかんせん記憶は朧な上に写真は小さくて判然としない。実際に見てみるまではっきりとは断言できないわけだ。

「そういうわけだから、彼女と接触して、まず遺産かどうかを確認するところから始めてほしいの」

「成程、他の幹部たちには頼めないわけだ、こんな雑な任務」

「そういうことよ。まずは、どう接触するかが問題ね」

「学生のフリして、大学で適当に声を掛ければいいんだろう?」

 さほど問題ではないだろう、と万里が高をくくっていると、在処が思い出したように付け加える。

「言い忘れていたわね。渋谷真里菜が所属しているのは、かの名門、桜泉女(・)子(・)大学――男子禁制のお嬢様学校よ。声を掛けるどころか、敷地に一歩踏み入れただけでも通報されるわよ」

 途端に万里は渋い顔をする。重要な情報を後出ししやがって、と在処を睨む。

「自宅は」

「敷地内の寮生活」

 それから在処が真面目くさった顔で告げる。

「実は、この写真だけれど、少し前に地方新聞に載ったものでね。私は気づくのが遅れて出遅れてしまったけれど、もしも本当に遺産だとしたら、勘のいい奴が目をつけているでしょうよ」

「先を越される前に動く必要があるってことか」

「不埒な目的で近づいてくる連中を出し抜いて早急に対処するってことだね、頑張って、お兄」

 なんだか他人事みたいに琴美が言う。はたと気づいて万里は問う。

「というか、琴美が行けばいいんじゃないか」

 男である自分が無理に近づこうとするから話が面倒になる。琴美なら簡単に接触できるのではなかろうか、と提案してみる。しかし、琴美はにこりと笑ったまま首を振る。

「あのね、お兄。いくらなんでも中学一年生に大学生のフリは無理。普通にバレるから」

「そんなこと言ったって、俺じゃどうしようもないんだし」

「そこを何とかするのがお兄の仕事でしょ。私たちはバックアップ要員だから。まあよろしく」

 ここまで厄介な要素が重なりまくっているのに、まあよろしくの一言で丸投げしてきた。万里は頭痛を覚えて頭を抱える。まずは渋谷真里菜の行動を調べ、不自然でなく接触できるタイミングを計る。しかも他の組織の異能者に先を越されないように迅速に。もしも遺産が本物だったらどう動くべきか。考えることが多すぎる。万里は、先刻まで考えていた夏休みの宿題の作業計画を白紙に戻す必要に迫られた。とてもじゃないが、そちらに手を付けている場合ではなくなった。

「ああ、それと、万里、もう一つ」

 げんなりとする万里に、在処が忠告する。

「輝には言ったのだけれど、最近『破壊庁(サブヴァーシヴ)』……遺産の回収ではなく破(・)壊(・)を至上目的とする面倒な連中が動いている。保持者(ホルダー)が何人か襲われているのよ」

「遺産の破壊ね……まあ、俺には関係ない話だろ」

 異能者の場合、遺産は能力者本人と同化していて破壊のしようがない。まずは遺産と人間を分離させる必要があるが、その方法は確立されていない。方法が解らないものにかかずらっているほど暇ではないから、破壊庁は保持者を狙っているのだ。

「あなたは、まあいいけれど、もしも渋谷真里菜が保持者だとしたら、狙われる可能性はあるわ。結構厄介な異能者らしいから、もし遭遇したら……そういうことを考えると、やっぱり琴美や輝よりも万里の方が適任ね」

 敵異能者と戦闘になるかもしれない、となると、戦闘能力でいえば琴美と輝よりも万里の方が上だ。琴美が行けばいいなんて冗談で言ってはみたものの、いざ本当に彼女一人に動かれたら、万里の方は胃痛で眠れないだろう。

「ま、しゃーない……働きますか」

 かくして、万里の夏休みブラック労働が始まった。

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