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30俺が行く

 几帳面な桐子が集合時間に遅れるというだけで異常事態な気がする。加えて雪音が朝から桐子と連絡がつかないというから、これはもう、何かあったと考えて然るべきだろう。ただ単にトイレに行っていて遅れている、などという単純な話ではなさそうだ。

「連絡つかないって、どういうことだ。だって、今日は一緒に文化祭を回る約束してたんじゃなかったか」

「そうなんだけど……最初は一緒だったんだけどね、九時十五分くらいだったかな。桐子が急に血相変えて、急用ができたって走って行っちゃった。それから連絡がないし、こっちからスマホにかけてもつながらないし。流石に集合までには来るかなって思ってたんだけど来る気配ないし……」

 雪音は腕時計で時刻を確認してそわそわし始める。劇の開始までまだ三十分ある。だが、桐子が連絡もナシに遅刻するという現状からすると、もう三十分しかないと言うべきだろう。端的に言えば、今来ていないということは、このままただ待っていても来るとは限らない、ということだ。ただでさえ部員の少ない演劇部、ギリギリの人数でやってきたのに、ここにきてヒロイン不在ではどうしようもない。

「芦屋、桐子と別れたのはどのあたりだ」

「四階の廊下を歩いてる時よ。いったいどうしちゃったのかな、桐子」

「解った、俺が探してくる」

 この提案には、伊吹が目を剥いた。

「ちゃんと探して戻ってこれるのか? ヒロインに加えてヒーローまで不在じゃ、本当にどうしようもない」

「誰が欠けても劇はできないんだから、一人いないも二人いないも同じだろ。大丈夫だよ、その辺で腹でも下してるだけだろうから、すぐ見つかるさ」

「お腹壊してるかもしれないんなら、私が探しに行った方がよくない?」

「大丈夫。俺が行く」

 有無を言わせぬ勢いで宣言すると、万里は体育館を飛び出した。

 琴美が言っていた――人が集まる場所には、それに惹かれて遺産が現れることも稀にあると。もし、琴美が予期したとおり、この学校に遺産が現れ、それに関わるトラブルに巻き込まれて桐子が身動きが取れない状態になっているとしたら。

 正直なところ、遺産関係の話となれば、万里はただの高校生としてではなく、救済社の異能者として行動しなければならない。当然、桐子との休戦協定は適用されず、敵対関係となり、彼女がトラブルに巻き込まれたとしても助ける義理は全くない。事件が起きているのだとしても、放っておけばそのうち桐子が勝手に解決して遺産を手に入れるだろう。そしてその後、桐子が苦労して手に入れた遺産をゆっくり悠々と横取りするのがいつものやり方だ。

 だが、困ったことに、舞台は再び学校。その上、まもなく演劇が始まるときた。仕事を優先して、異能者として振る舞い、桐子を放置して、劇が失敗したら――たぶん、後悔する。

 最初は、半ば強引に演劇部に入らされることになり、よりによって部活でまで桐子と一緒になってしまったことを嘆き、踏んだり蹴ったりな放課後だった。だが、五人で必死で練習して、夜中まで一緒に準備をしてきた。ここまできたら何が何でも成功させたい。

 遺産なんて所詮は道具だ。たかだか道具に振り回されて、五人全員で懸けてきた演劇を潰されるのは業腹だ。

 だからこれは桐子のためじゃない。敵のためじゃない。あくまでも、自分のために。そう言い訳して。万里は桐子を探しに走った。


★★★


 ――時は遡り、九時十五分のこと。

 桐子は雪音と一緒に、一年A組のお化け屋敷に一番最初に乗り込み、脅かし役の生徒が自信を喪失してしまうくらい悲鳴のひの字もあげずに出てきたところだった。

「もうちょっとこう、壁が倒れてくるとか天井が落ちるとか床が抜けるとかを想定していたんだけどね」

 壁と天井は張りぼてを作れば何とかなるかもしれないが、流石に教室で床を抜くのは無理だろう。雪音が無茶な要求をぶつくさ言うのに桐子は苦笑で応じた。

「チヅたちのシフト、十時半までだったよね。製菓部は毎年人気らしいし、混み出す前に行こうか」

「そうね」

 雪音の提案に桐子は一も二もなく賛同する。雪音は文化祭のしおりを広げて製菓部の出店場所を探す。製菓部が激戦の末に生徒ホールを勝ち取ったことまでは覚えているが、何階だったかかが、二人ともうろ覚えだった。

 ページ探しは雪音に任せ、桐子は開場からまだ十五分ほどしか経っていないにも関わらず既に人で溢れかえりつつある廊下を何とはなしに見渡した。

 すると、丁度C組から客が出て行くのを見つけた。早い時間から早速客が入ってくれたのはありがたいことだ。しかも、ただの冷やかしではなかったようだ。

 出てきたのは制服姿の男子生徒。舟織一高の生徒のようだが、桐子には見覚えがない男子だった。眼鏡をかけた男子生徒は、手には今時珍しい、ポラロイドカメラを持っていた。

 そこで桐子はふと疑問に思う。カメラにはまだタグがついているから、バザーの品物に違いないのだろうが、あんなカメラがあっただろうか。見覚えのないカメラだ。バザーの準備には参加していたのに、見たことがないというのは不思議だった。

 少年は、早速使ってみたくなったようで、カメラを構えている。指がシャッターボタンにかかる。その瞬間、桐子の「何となく第六感」が反応する。

 桐子は目を見開く。この感覚は、遺産の発動の兆候である。遺産の反応をうすぼんやりと感知する第六感が、まさか校内で発動するとは、想定していなかった。よりによってこんな時、こんな場所、目の前で!

「――桐子、製菓部は二階だってよ」

 目当てのページを見つけた雪音が声をかけるのに、ほんの一瞬気を取られる。すぐに少年の方に視線を戻すが、廊下に溢れる人混みに遮られ、声をかけるタイミングを逸してしまう。その間に、少年はどこかへ行ってしまう。

 このままでは見失ってしまう。迷っている暇はなかった。

「雪音、ごめん、急用ができたわ」

「え?」

「文化祭、先に回ってて。なるべく早く戻るから」

 雪音が呼び止めてくる声を背中で聞くが、桐子は振り返る暇もなく、慌てて少年の行った先を追いかけた。

 障害物のない場所なら、標的に逃げられることなどありえない能力を持っているが、人混みの中では、桐子の《神速撃》は強力すぎて使えない。そんな無茶をしたらすれ違う一般人たちを軒並み吹っ飛ばすことになってしまう。来場客で賑わう廊下を、人を掻き分け進むしかない。

 あの少年はどこへ行ったのだろう。まだそんなに遠くへは行っていないはずだが。焦燥感を覚えながら桐子は廊下を足早に抜けていく。

 男子生徒を見失ってしまった位置まではとりあえず辿り着いた桐子だが、そこから更に先の廊下へ進むか、渡り廊下へ曲がって特別棟の方へ行くかで迷う。人込みのせいで確実ではないが、ぱっと見る限り、どちらにも少年の姿は見えない。

 もうあてずっぽうで進んでいいだろうかと半ば自棄になりかけたとき、すんでで思い留まって考え直す。せめて蓋然性の高い方に行こう。イマドキの若者は、写真を撮りたければスマホかデジカメだろう。そんな中、いくら籤で手に入れたからとはいえ、ポラロイドカメラを早速使ってみようと思い立つのは、それなりのカメラ好きであり、それなりのカメラ好きなら写真部に入っているに違いない。

 そんな推理とも呼べない大雑把な三段論法により、桐子は目的地を写真部室と決めた。周囲から若干迷惑そうな視線を向けられつつも、人混みを縫って駆けていった。

 写真部の部室があるのは部室棟一階だ。部室棟にある部屋はどれもたいして広くなく物置と化していて、立地的にも僻地中の僻地であるため、文化祭中は別の場所に出展している文化部が殆どだ。そのため、目的のフロアまで行くと人気がぐっと少なくなって、視界がクリアになった。そこでようやく、桐子は件の少年の後姿を捉えた。日ごろの行いがいいと、雑な直感でも的中するのである。

 自分の強運に内心で快哉を叫びながら、桐子は大股で距離を詰めて、写真部室の前で立ち止まった少年の肩に手を置いた。

「ちょっと待って!」

 突然のことに驚いた男子生徒が弾かれたように振り返る。その拍子に、不幸な偶然にも、彼の指がシャッターにかかった。

 その直後、フラッシュの光が視界を灼いて――そこで桐子の意識は途切れる。


★★★


 雪音の話によれば、九時十五分ごろ、四階廊下を歩いている最中、桐子は血相を変えて走り去って行った。彼女はその時間、その場所で、のっぴきならない事態に遭遇した。そしてそれは、解りやすい緊急事態ではなかった。何か大きな騒ぎが起きていたのだとすれば一緒にいた雪音が気づくだろう。雪音にとっては何気ない日常の風景に、桐子にとっては捨て置けない何かがあった。たとえば、誰かが遺産を持っているのを目撃した、とかだ。

 そしてそれを追いかけて、当初想定したより厄介な状況に巻き込まれ、桐子は集合時間に遅れて、今もトラブル真っただ中である――状況はそんなところだろう、と万里はあたりをつける。

 とはいえ、彼女が消えた時の状況に想像がついたところで、結局、今彼女がどこにいるのかの手がかりに繋がっていないのだから困った話だ。

 勢いで校舎まで戻ってきた万里だが、探すあてがあるわけでは全くない。校内をしらみつぶしに探している暇はない。大丈夫だと豪語したもののいきなり途方に暮れそうになり小さく唸る。

 とりあえず、昇降口の前まで来ていたので、万里は念のため桐子の下駄箱を確認した。中には桐子のローファーが収まっている。桐子が上履きで外を走り回るような行儀の悪いことをしていないと仮定すれば、彼女は少なくとも屋外には出ていないはずだ。

 しかしそれだけでは、探す範囲が校内から校舎内になっただけで、絞れたとはとても言えない。万里は苛立ち気味に舌打ちをする。

 いったいどこを探せば――時間ばかりが過ぎていき、徐々に焦燥が溢れてくる。冷静さを取り戻そうと、万里は大きく息を吐き出す。

 ふと、俯けていた視線を上げると、廊下の先に立っている女子生徒が目に入った。どこに向かうでもなく、文化祭のしおりに目を通すでもなく、誰かと待ち合わせている風でもなく、廊下の真ん中に仁王立ちし、こちらを真っ直ぐに見据えている少女。

 帯刀深雪だった。

 帯刀は、万里が自身に気づいたのを見計らったかのように、見せつけるかのような思わせぶりな笑みを浮かべてから背を向ける。その背中がやけにゆっくりと遠ざかって行く。誘っているのだろうか?

 やたらと挑戦的な笑みを浮かべる帯刀を無視することができず、万里は消えそうになる帯刀の姿を慌てて追いかけた。

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