3遺産なんて所詮は
時々誤解されることではあるが、そして敵が勝手に誤解する分にはいっこうに構わないのでいちいち訂正することは滅多にないのだが、桐子は決してブーツ型の遺産を装備しているわけではない。遺産は所有するだけで現代科学を超越する能力を引き出せる。しかし、遺産の力を最大限に利用するには、ただ持っているだけでは足りない。所持を通り越して遺産を取り込んだ状態が、遺産の真の力を発揮できる、異能者という存在だ。これには適性や遺産との相性があり、誰にでもなれるものではない。いうなれば、異能者は遺産に選ばれた特殊な存在なのである。
桐子は神速の異能力者だ。超速で駆けることのできる脚、そこから繰り出される蹴撃は、無論強烈である。急所になどぶちこまれようものなら、悶絶のあまり一週間は口が利けないだろう。
人の仕事を邪魔した上に、人を散々小馬鹿にすると痛い目を見るという、いい教訓になっただろう。桐子の足元では、不届きな闖入者がその報いを受け、白目を剥いて昏倒している。金的一発で瞬殺である。
瞬間移動の能力は、多少は厄介かとも思ったが、大林という男は興ざめするほど雑魚だった。油断と慢心、想定外の事態に対処する能力の欠落。この程度なら、桐子の敵ではない。
「その程度の実力で遺産に手を出そうなんておこがましいわ」
などと格好つけながら締めくくった。
――その直後、頭上から網が降ってきた。
「ふぇっ!?」
視界が突然格子柄になり、手足に網が絡みつき、バランスを崩して尻餅をつく。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。なんだなんだと混乱していると、その隙に、目の前に落ちていた本を、万里がひょいと拾い上げた。
「俺のこと忘れちゃ駄目だろ。油断と慢心、あと想定外のことに弱いよね、君」
自分で考えていたことが尽くブーメランで返ってきて、桐子は泡を食う。
「わ、忘れていたわけじゃありません。突然出てきたカンジ悪い乱入者のせいで頭に血が上ってあなたのことを失念していたわけでは、決してありませんからね! いったい何なの、この網は」
「何って、ネットランチャー、知らない? 不審者撃退用の」
「不審者扱い? よりによって、私を不審者扱いするとは何事ですか。というか、その本は、私がその男をぶっ飛ばして取り返したのに、どうしてあなたが横から持っていくわけ」
「悪いね、俺は自分で苦労せずに横から掻っ攫うのが好きなんだ」
「この性悪男! いいわ、待っていなさいよ、今すぐそのムカつくニヤケ面に拳をお見舞いしてやりますからっ」
と、勢いで啖呵を切ってみる。しかし、不審者撃退用ネットが思いのほか絡みつきこんがらかってなかなか抜け出せない。いつまでも間抜けに網と格闘していると、呆れたような溜息が降ってきた。
「威勢だけはいいな。けど、状況は冷静に把握した方がいい。君、そんなこと言える立場?」
はっと顔を上げると、黒い穴が桐子を見つめ返している。それが銃口だと解った瞬間、桐子はひゅっと息を呑んだ。万里は引き金に指をかけ、怜悧な笑みを浮かべている。逃げようのない距離に桐子の思考は凍りつく。
「チェックメイトだ、桐子」
万里の白い指が何の躊躇もなくトリガーを引いた。
★★★
神が落とした物、未来から紛れ込んできた物、古代文明がもたらした物、等々、様々な説が唱えられてはいるが、はっきりとしたことは解っていない。何にせよ、それらは総じて「遺産」と呼ばれている。現代科学では解明できない超常の能力を秘めたアイテムの数々は、街にひっそりと潜んでいる。
それらが発見されたのは三十年ほど前のことである。とある遺跡の発掘チームが、不思議な本を掘り当てた。その本には、凝った装飾の時計や鏡、指輪などの図が描かれ、暗号のような記号の羅列が刻まれていた。数か月の時をかけて暗号は解読され、その本が「遺産」を封じた目録であることが判明する。
そして、判明した瞬間、発掘チームのメンバーは遺産を巡って対立。目録の奪い合いが始まった。結果として、目録のページは破れて散逸し、その拍子にか、ページに封じられていた遺産が飛び出して方々に散らばってしまったという。
メンバーは決裂したまま、それぞれに遺産の回収に奔走する。そんな彼らを嘲笑うように、遺産はあちらこちらで超常現象を引き起こして問題となったり、それをうまいこと揉み消すために誰かが頭を抱えたり、そうこうしている間に金と利権の匂いを嗅ぎつけた輩が遺産に群がり出したりと、遺産を巡って時代はめまぐるしく移り変わる。
そして、現在――遺産を秘密裏に手に入れようとする有象無象の組織が乱立する中、二大巨頭と言われているのが、問題の元凶といっても過言ではないかつての発掘メンバーがリーダーを務める二つの組織、「騎士団」と「救済社」である。この二つの組織は、理念が正反対でボス同士の仲が最悪なため、構成員同士もバチバチと睨み合い、遺産を巡って血で血を洗う凄惨な争いを繰り広げているという。
★★★
ぽんっ、と銃口から飛び出したのは、花束と紙吹雪だった。ただ人を驚かせるためだけの玩具だ。桐子は目を見開いて唖然とする。たぶん、鳩が豆鉄砲を喰らうとこんな顔をするのだろう。
一拍置いて、堪えかねたように万里が噴き出した。
「ふ……あははっ、もうその顔サイコー、面白すぎ! 本気にした? ビビった? あはははは」
笑い声は次第に遠慮がなくなり、ついには腹を抱えて大笑いし始めた。
「あ、あなたは、いつもそうやって私を馬鹿にして! こっちは真剣だっていうのに、ふざけてばかり!」
屈辱で顔を真っ赤に染めて桐子はやけっぱち気味に叫ぶ。
だいたい、万里の態度はずっと気に入らなかった。この男は一度たりとも本気を出したことがない。身も蓋もない言い方をすれば遊んでいる。とどめを刺す気ならいくらでもできるくせに、玩具の銃でおどかすだけ。それだけではない、先刻使っていた銃だって、装填されていたのは殺傷能力のない模擬弾だった。ナイフでも決して急所を狙ったことがない。
遺産を巡る争いは血で血を争う凄惨なもの、と各所でいわれているが、現実はこんな調子だ。万里はいつも本気を見せることなく桐子を軽くあしらうのである。その扱いが、桐子にとってはこの上なく屈辱なのであった。
「そうは言うけど、桐子だって本気出したことないじゃん。君の能力……《神速撃》は誰よりも速く駆け、高く跳び、烈しく蹴ることのできる異能だ。本気を出されたら、俺の頭部は消えて無くなる」
「私たち『騎士団』は遺産を回収、管理して街の平和を守ることが目的よ。そのために人の命を奪うのでは本末転倒ですもの」
「俺はそんな崇高な理念のために戦ってるわけじゃないけど、遺産なんて所詮は道具だ、道具のために命を奪い合うのは馬鹿馬鹿しいね。だから俺は君を撃たないけれど、賢明な君はここで退いてくれるね?」
満面の笑みでそう言われてしまっては、桐子は何も言い返せない。情けをかけてもらっておいて、その上往生際悪く遺産に執着するわけにもいかない。こんな男の言うとおりにしなければならないのはこの上なく癪に障る。まさしく断腸の思い。やり込められてとてつもない屈辱を味わっている、その露骨に悔しげな桐子の表情を一言で表現するなら「ぐぬぬ」である。
「い、言っておきますけれど、その本は一時的に預けるだけですからね。いずれ取り返しに行くんですから、忘れないことね。いい気にならないでよ!?」
「はいはい、解りやすい負け犬の遠吠えをありがとう」
桐子渾身の捨て台詞を、万里はさらりと聞き流して踵を返す。まんまと目的の物を手に入れ悠々と帰っていく万里の背中を、桐子は歯噛みしながら見送った。
そしてしばらく悶々と捕獲網を格闘しながら、
「見てなさいよ、あの性悪男……次に会ったら容赦しないんだから……!」
いかにも負け犬らしいセリフをひたすら一人呟き続けるのであった。
★★★
悪の秘密結社のボスの部屋は、赤い絨毯が敷かれて通路の両脇には西洋甲冑がずらりと並び、一番奥の高級そうな椅子でワインを片手にボスがふんぞり返って座っている――などということはなく。ごく普通の会社の如く「社長室」と札のかけられた部屋で、他の平社員に比べれば多少は質のいいデスクで、「救済社」の親玉は何かの書類に目を通して待っていた。
万里が首尾よく手に入れてきた《機密文書》を放り投げると、遺産を所望していた御影在処は満足げに微笑みながら受け取った。
「ご苦労様、万里。秘密主義のあなたが、こんな天敵みたいな遺産を所持する人間をどうやって出し抜いて来たのか、後学のために教えてくれるかしら」
年齢不詳の美女は、見透かすような目で万里を見つめてくる。さすが、救済社を束ねるボスの観察眼は伊達ではない。万里が正攻法で遺産を獲得してきたわけではないと解っているようだ。隠すことでもないので、万里は正直に白状する。
「桐子が手に入れたところを、横からちょちょいと」
「成程。女の子から嫌われる鬼畜の所業ね」
活動内容を公にできないような秘密結社の長でありながら、なぜかやたらと公正な思考回路の持ち主の在処は、万里のやり方をばっさりと酷評した。わざわざ夜も更けている中、会社まで赴き、上司に直に戦果を報告しにきたというのに、褒められるどころか鬼畜呼ばわりされては、不貞腐れたくなってしまう。万里は憮然と唇を尖らせる。
「いいじゃん、お目当ての遺産はちゃんと持ち帰ったわけだし。俺さ、明日の朝早いんだよね。そんな中、こんな遅くまで残業してるわけ。もうちょっと素直に称賛してくれてもよくない?」
社長とは長い付き合いのため、万里は敬意のけの字も感じられないような雑な言葉遣いであけすけに文句をつける。在処はそんな部下の雑な態度について叱ることはなく、お互い様とでもいうように、負けず劣らずざっくばらんに言う。
「称賛……そんなに苦労していないでしょう、あなた。汗ひとつかかずに帰ってきた人を労えというの?」
まあ、確かに苦労はしていない。遺産を占有者から奪ったのは桐子だし、それを横取りしようとした奴をとっちめたのも桐子。万里がやったことといえば、桐子をひとしきりからかったことくらい。「苦労していない」と言われてしまえば、まあその通りですと言うしかない。
「まあ、いいでしょう。やり方は可愛くないけれど、よくやったわ。お疲れ様」
「最初からそう言ってくれればいいんだよ」
「次もよろしくね」
「そうやって人を扱き使う」
「世の中のためには、一つでも多く、私たちが遺産を入手する必要があるわ。奇跡の道具は奇跡を起こすためのもの。それをしかるべき時に有効活用できるように、掌握しておくべき。頭の固い騎士団なんかに持っていかれたら、肝心な時に使えないもの」
そんなボスの信条の下、救済社の中には多くの奇跡が集められている。次はいつ仕事を押しつけられることか。とりあえず、明日だけは何もなければいいのだけれど、と万里は願いながら社長室を後にした。




