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26詰めが甘かったようだね

 無数の手が絡みつき身動きを封じ、群れの中に引きずり込もうとする様は、もうホラーとしか言いようがなかった。不意をつかれた万里があっという間に全身を生徒たちの手で戒められて強引に引きずり倒される。

「万里!」

 皮膚の接触から異能の感染までの猶予はほんの数秒。組み付かれ群れに呑み込まれた状態から自力で抜け出すのは困難だ。今から救出が間に合うか、それとも面倒な敵が生まれる前に一時撤退すべきか、桐子は逡巡しかける。

 だがすぐに、迷っている暇があったら手を伸ばした方が早いと即断する。桐子は自身の足に取りついて来ようとする生徒の手を踏みつけ黙らせてから、群れの中で埋もれかけている万里の手を見据える。あの手を掴んで引きずり出す。間に合わなかった場合は危険極まりないが、《神速撃》の異能者に「間に合わない」ことがあるものかと、桐子は躊躇いを強引に振り払う。

「退け!」

 だが、熱くなっていた桐子の思考に冷や水をぶっかけるように万里が喚いた。

 短く放たれた言葉に、時間の猶予がもうないことを知る。反駁する暇など当然なかった。

 タイムリミットの寸前に、万里の右手が《武器庫》から小さな得物を取り出した。スタンガンだった。

 それを持つ手が黒く侵蝕されるぎりぎりの瞬間、万里はスタンガンの電極を己の首筋に押し当ててスイッチを押した。

「――ッぁぁ!」

 短く悲鳴を上げて万里の手ががくりと零れ落ち、体はぴくりとも動かなくなる。異形の模様は既に彼の首まで到達していた。一斉に組み付かれたせいで、通常よりも侵蝕のスピードが速かった。彼は間に合わないことを一瞬で理解したのだ。

 事態を更に面倒にするくらいなら自滅する。それが万里の選択だ。冷静で合理的な考え方だが、死ぬわけではないにしたって、自分でスタンガン――しかもどうせ電圧を弄って凶悪に改造しているに違いない――を喰らうことを、怯えも躊躇いもしないあたりが、彼らしいと言えばらしいのかもしれない。

 桐子は忌々しげに舌打ちする。《武器庫》持ちが理性を失くして襲いかかってこないのは不幸中の幸いだが、この混迷しきった事態の収拾を自分一人に押しつけられてしまったわけだ。元凶と思われた遺産らしき水晶体は破壊したのではなかったのか。それなのに、なぜ生徒たちがまた動き出したのか。なぜ事件は解決しないのか。解らないことだらけ、周りは敵だらけ、もうどうしていいか解らない。

 この気持ちを端的に表そうとすると放送コードに引っかかって規制が入りそうな汚い言葉が飛び出してきそうだったので、桐子はもう一度舌打ちするにとどめておく。

 とにかく、まずは一度退くしかない。他の生徒たちも次々起き上がって来ようとする。その前にと、桐子は西階段へ後退し、五段抜かしで駆け下りていく。

 孤立無援の状況に追い込まれ、疲労もピークになり、桐子は若干ヒステリックな気分になりながら廊下を駆け抜ける。

「ああ、もう、ああもう! いったいどうなってるのッ! 遺産を壊したらそれで終わりじゃないの!?」

 その疑問にぶち当たった時、桐子は先刻抱いた違和感に立ち戻って考える。なぜ万里は遺産を壊さざるを得なかったのか、すなわち、なぜ能力の解除ができなかったのか。一度はただの考えすぎだと思ってスルーしてしまったが、ことこうなってくると、自分の直感は重要なものだったのではないかという気がしてくる。

 可能性としては、万里が見つけた水晶体はダミーだったというもの。だが、本当にそうだろうか。水晶体が発見された場所は、生徒への感染の広がり方を鑑みるに妥当な位置だった。他の場所に遺産があったなら、別のフロアから感染が拡大したはずだ。感染源は中三階にあった、それは間違いないはずなのだ。

 同じ場所にダミーと本体の二つがあったのだろうか。そう思いつき、しかし桐子は即座に否定する。あの目敏い万里が本物を見逃すはずもない。

「駄目……考えがまとまらない」

 息は乱れ、体温は上昇し、冷静な思考が難しい。一度風に当たって頭を冷やしたい気分だ。だが、それもできない。廊下の窓に手をかけて一応試してみるが、思ったとおり窓は開かなかった。昇降口の扉が開かなくなって退路が断たれているのだ、これで窓だけ開くはずもない。予想通りではあるものの、小さな落胆に襲われた。

 と、そう思った時、桐子は根本的な疑問に辿り着く。

「……どうして、扉が開かないの」

 遺産の能力がウイルス感染じみたものなら、生徒に異常が起きるのは解る。だが、その能力では、()()()()()()()()()()()()()()()()。異常感染と扉が開かなくなるという事態は、現象としてあまりにも違いすぎている。これが単一の遺産によって引き起こされているとしたら、遺産の能力の本質は単純な感染などではありえないことになる。

 中三階に設置された水晶体、それに触れた者に状態異常が感染した。しかし、それは遺産の本質ではない。だから万里は異能の解除ができなかったのだ。

 桐子は思考を進めるために、一人小さく呟きを漏らす。

「水晶体は遺産本体ではなく、遺産によって作り出された現象の一つに過ぎない……ダミーみたいに作られていた水晶体、明らかに使用者の悪意がある。遺産の自然暴走ではない、必ず遺産を使っている奴がいる。そいつの目的は? パンデミックを起こしたい? ううん、もしそうなら生徒を閉じ込めたりしない、適当なところで街に放った方が効果的。閉じ込める必要があった……それとも、閉じ込めないと……閉鎖空間でないと発動できないの? まるで箱庭……遺産の保持者は何がしたいのか……この状況を見て面白がってる? こんなの見て何が面白いのよ、こんな悪趣味な……ううん、違う。見ている側には面白い、ということなの?」

 巻き込まれている当事者の桐子からすると面白くもなんともない事態だが、この状況を安全圏から高みの見物をしている人間にとっては、この状況はパニックホラー的なフィクションでしかないのだ。桐子自身も「B級映画」と称したし、万里も「死にゲーのNPC理論」だとゲームに例えていた。

 閉ざされた学校という箱庭で、ウイルスをばら撒いて、逃げ惑う生徒たち――そういう設定を現実に持ち込んだ、リアルなフィクション。

 だとしたら、この様子を不可視の「カメラ」が捉えていて、スクリーンに映し出し、それを遺産保持者が見ているのだ。ただ見て面白がるためだけ、悪趣味なエンターテイメント、それが遺産の正体だ。

 そして、これが最後の疑問――犯人はどこで見ている?

 悪趣味な観測者が映画鑑賞気分でふんぞり返っているとしたら。

「……視聴覚室か」

 この校舎内で一番大きなスクリーンが設置されているのは、特別棟三階の視聴覚室だ。

 目指す場所が解れば、そこからの行動は早かった。桐子は再び動き出した生徒たちを躱し、特別棟まで駆け抜けた。廊下を右に曲がって、東側へ。廊下を走っているうちに気づくが、各教室の前には疎らに生徒がうろついているが、一番奥、突き当りの視聴覚室の前には誰も行こうとしていない。その場所だけ切り取られ箱庭の外側に設定されているかのようだ。

「ようやくビンゴね」

 ここまでよくも苦労させてくれたものだと、フラストレーションを爆発させた桐子は、部屋の前に辿り着いた瞬間、視聴覚室の扉を全力で蹴破った。

 激しい音をたててひしゃげ吹き飛ぶ扉に、中にいた生徒が驚いて椅子を蹴倒し立ち上がった。

 部屋の電気は消されていて、教室前方に下ろされたスクリーンには校舎内の映像が映し出されている。スクリーンの前に置かれたテーブルの上には、小さなプロジェクタのようなものが置かれている。リアルタイムで校舎内の状況を配信しているそれこそが、プロジェクタ型の遺産と見ていいだろう。

「悪趣味が過ぎるわね」

 桐子は部屋の電気をつける。露わになったのは、知った顔の男子生徒だ。

「あなたが遺産保持者? 自分が作った映画じゃ満足できなくなったわけ?」

 そこにいたのは、映画研究部の部長だった。確か、三年の溝口という名前の生徒。文化祭直前になっていきなりエキストラを募集して予定外の撮影を敢行するエキセントリックな監督だ。

 溝口はビビッドグリーンで彩られたプロジェクタを手に取って、誰にも渡すまいとするように抱え込む。

「この不思議な道具は最高だ。最高の映像が撮れる。フィクションだと解って役者が演じるパンデミックには迫力が足りない。それじゃ僕は物足りないんだ」

「だからその遺産で、虚構的な現実を作り出したのね」

 閉じられた世界。箱庭の内側の人間にとっては紛れもない現実、しかし外側から観測する者にとってはリアリティに溢れた虚構。現実と虚構が入り混じる世界を作り出し、それを観測する遺産。

「《幻想映写機(ヴィジョンゲイザー)》……これには使用者の想像を現実に変える力がある。箱庭の創造主になれるんだ。自分が考え出した世界、そこで動く人たちを俯瞰していると、神様になったような気分になれる」

「こんな趣味の悪い神様なんてごめんだわ。その遺産は、あなたのような、悪趣味で、自分勝手で、現実と空想の区別もつかずに自分に酔ってる馬鹿な人の手には余る代物よ。大人しくこちらに渡して、プールの底で土下座なさい」

「折角手に入れたのに、こんな素晴らしいものを、誰が渡すものか」

「……警告はしましたからね」

 遺産の本体は捉えた。相手は素人高校生。手の届く範囲まで辿り着けた時点で、チェックメイトだ。

「《幻想映写機》発動! この部屋に新たな虚構領域を、」

 溝口の呼びかけに応えプロジェクタが動き出す、しかし、それが完全に力を発揮するより前に、桐子は距離を詰めて右足で遺産を蹴り上げる。溝口の手から弾かれ宙に舞うプロジェクタ。それを慌てた調子で目で追う溝口。敵とほぼゼロ距離にいながらよそ見をするとはいい度胸だ。その顔面に、桐子は渾身の拳をぶち込んだ。

 ひょろついた痩身は衝撃で吹き飛び後方のテーブルを巻き込んで、騒音を発しながら倒れ込む。その直後、吹っ飛んでいたプロジェクタが落下してきたのを、桐子が受け止めた。

「この悪夢をさっさと終わらせなさい」

 新たな所有者が命じると、校舎に淡い光が一筋駆け抜け、さっと弾けて消える。

 徐に窓に近づき、鍵を開けてみる。クレセント錠は滑らかにくるりと回り、窓を開けると涼しい夜風が吹き込んできた。


★★★


 自分に向かって使うことを想定していなかったから、スタンガンの電圧はかなり凶悪に弄ってしまってあった。次からはもう少しソフトな奴を用意しようと、万里は心に決めた。

 目覚めの気分は最悪だった。体は痺れて軋むし、周りには名前も知らない大勢の生徒たちが折り重なって倒れていて苦しいし。自分の上に重なっている腕だの足だのを押し退けてようやく起き上がると、体中汗臭い。早くシャワーを浴びて寝たい、それしか考えられなかった。

 こうして自我があるということは、おそらく桐子は首尾よく遺産を回収できたのだろう。自分で遺産を確保できなかったのは口惜しいが、詰めを誤って油断した自分のミスだから、ここは大人しく引き下がろう。とりあえず事態が解決したのだから結果オーライ、と万里は楽天的に考える。

 しかしすぐに、そんな能天気なことを言っている場合じゃないと気づく。これだけ大勢の生徒を巻き込んで、校舎中が死屍累々の地獄絵図みたいな状況になっていては、誤魔化しようがないではないか。どうしてこんなことになっているのか、この異常な状況を生徒がスルーしてくれるはずもない。遺産だの異能だの、知る必要のない裏事情の一端が露見するのを避けるのは至難の業だ。

「前回回収した忘却の遺産をレンタルしてきて全員の記憶消すとかでいいかな……いや、文化祭準備に参加した奴らが揃って記憶喪失になってたらおかしいよな」

 ロクな案が思いつかず万里は苛立ち気味に頭を掻く。よりによって学校でここまで大事にしやがって、と名前も顔も知らない首謀者に恨みを抱かずにはいられない。

 考えあぐねているうちに、周りの生徒たちが目を覚まし始める。起き上がった少年少女たちは、周りを見回し、自分の状況を確認し、わけがわからないという顔で呆然としている。パニックが起きるのも時間の問題かと思われた。

 その時、ぱん、ぱん、と手を叩く音が響く。目を覚ました者達の視線は音のする方に吸い寄せられる。

 万里は息を呑む。廊下に帯刀生徒会長が立っていた。これだけ大騒ぎになっていたのに涼しい顔をしていて、汗一つかいていないし、制服はしわ一つないし、髪の一本すら乱れていない。まさかこの状況下で無事にやり過ごしたのか? 俄かには信じがたい気持ちで万里は帯刀を凝視する。

 相変わらず刀を佩いた帯刀は、厳しい表情で生徒たちを見渡し告げる。

「諸君。文化祭の準備に熱心なのはよいことだが、疲れたからといって廊下で雑魚寝するのは感心しないな。さあ、持ち場に戻りなさい」

 まさしく鶴の一声。帯刀が告げると、生徒たちの顔から不安や疑念が一瞬で消え去る。

「すみません、会長ー」

「すぐ戻りますっ」

「ほら、みんな立って、教室に戻らなきゃ」

 どう考えても疲れて雑魚寝してたとかのレベルの状況でないのに、誰も会長の言葉に疑問を差し挟まず、何事もなかったかのように原状回復していく。その光景に万里は唖然とする。恐るべきカリスマ性。

 うすら寒さを覚えながら万里は帯刀を見遣る。その視線に気づいた帯刀は悠然と微笑みかけてくる。万里の目の前まで歩み寄り、囁くような、しかしはっきりと耳に届く声で言う。

「詰めが甘かったようだね。今回は運よくこの程度で済んだけれど、次も上手くいくとは限らない」

「……次、って、何ですか」

「次は次だよ。まさかこれで終わると思っているのか? ()()()()()()()()()()()()()?」

「っ、会長、あなたはいったい」

 何者だ? しかし、その問いを発する前に、帯刀は「内緒」とでもいうように唇の前に指を立てる。

「文化祭……無事に迎えられるといいものだが、さて」

 笑みに色があるとしたら、彼女の微笑みは底なし闇のような黒に違いない。

 正体不明の生徒会長に、万里は警戒の視線を送る。だが、万里以外のすべての生徒は対照的に尊敬の眼差しを帯刀に向けていた。何が正常で何が異常なのか解らなくなるような、奇妙な空気が渦巻いていた。

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